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No.190【ファンドレイジングスーパースター列伝】小西行長(日本) [2018年07月09日(Mon)]

小西行長

このシリーズ初となる戦国大名をご紹介しましょう。

105px-Konishi_Yukinaga.jpg

小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。

当初は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役では女婿・宗義智らと共に主要な働きをし、序盤の漢城府占領の際には加藤清正と先陣の功を争った。関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された。自殺を禁じられたキリシタンであったので、切腹を拒否して斬首された。
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(Wikipediaより)


こちらの記事に、小西行長の福祉活動が詳しくまとめられていましたので、長くなってしまいますが、引用させていただきます。

「なにわ大坂をつくった100人」 第43話 小西行長
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/043.html

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私財を投じて弱者救済に尽力

商人から武士に転じ、秀吉の配下として数々の武功を上げた行長であるが、キリシタンとして社会的弱者の救済にも尽力した。その行動は、父・骰イの生き方が大きく影響している。

(略)

さらに、大坂や生まれ故郷の堺では、私財を投じて孤児院や病院を建てるなど、弱者救済のために数々の社会事業に尽くした。

フランスの日本研究者レオン・パジェス(1814〜1886年)は、『日本切支丹宗門史(上巻)』の中で、「此殿(小西行長)は、捨子の救済資金として、年に百石の米を出すことにした。オルガンチノ師(イタリア人宣教師)は、この補助で子供たちを信者の家に預けて育ててもらった」と述べている。また、『切支丹の社會活動及南蛮醫學(海老澤有道著・昭和19年刊)』にも、「行長の故郷である堺にも同様の孤児院が経営されたであろう。行長の没後は兄(如清:じょせい)がその事業を引き継いだという」とある。

行長の父は、堺でハンセン病患者のための病院を建て、患者を保護・収容した。それがいつ頃であるかは明らかではないが、前著は永禄9〜10年(1566〜67)頃であろうと推察している。行長はこの篤志を受け継ぎ、天正14年(1586)に大坂でハンセン病院を建てている。『日本切支丹宗門史(上巻)』には、「ドン・アウグスチノ(小西行長)は、大坂に癩病(ハンセン病)院を建てた。癩病人は大抵、財産もなければ医薬もなくて路傍に徘徊していた。彼等を手厚く遇したことは、いたく異教徒を感動させた」とある。

(略)

キリシタン弾圧で福祉事業が途絶
行長は慶長5年(1600)に没したが、小西一家が寄進した癩病院は発展を続け、小西家以外からも寄付金が多く集まった。慶長8年(1603)、大坂と堺の病院ではキリシタンであるかないかにかかわらず貧者や病者が収容され、その後1千名以上が洗礼を受けた
しかし、こうしたキリシタンによる社会福祉事業は、やがて秀吉や徳川家康によるキリシタン弾圧によって立ち行かなくなった。
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戦国大名がその事業の創設者として始め、その後、周囲から寄付を得て運営を行っていくという仕組みが面白いですね。


Wikipedia:小西行長

By http://upload.wikimedia.org/wikipedia/uk/a/ae/Konishi_Yukinaga.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17200833
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