CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

«【開催案内】ファンドレイジング・スーパースター列伝から学ぶ!〜寄付の歴史、寄付の文化〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2018年6月22日(金)夜・東京 | Main | 今週の助成金情報(2018年6月11日)»
プロフィール

CANPAN・NPOフォーラムさんの画像
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
比企
【ご案内】NPOを対象とした助成プログラムの助成決定事業一覧(通称:ホワイトリスト)の公開(2017年12月10日追加) (01/10) 長浦とし子
NPOが押さえておきたい省庁情報(2017/08/21-25) (08/30) ビオキッチン京都
NPOが押さえておきたい省庁情報(2016/11/7-11) (11/21) 兼間道子
キフカッションのご案内【寄付月間2016公式認定企画】 (11/11) 隠岐
【開催報告】資金調達シリーズ「初めての助成金編」〜助成金獲得ではなく活用という視点で考える〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年7月26日午後・東京 (07/26) 大貫
【開催案内】資金調達シリーズ「初めての助成金編」〜助成金獲得ではなく活用という視点で考える〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年7月26日午後・東京 (07/01) 鵜飼
【開催案内】NPOのためのデザイン×CANPAN Vol.02 〜広報を溺愛する人の時間〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年5月20日(金)午後・東京 (05/15) 森谷
【開催案内】『すぐやる人の「出会う」技術』出版記念セミナー出会いの達人・久米信行さん(CANPANセンター理事)に聞く!〜仕事“相手”から信頼し合える仕事“仲間”へ〜2015年12月18日(金)東京・夜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム) (12/15) Gateway English
【開催案内】寄付月間公式認定企画*第8回 CSR Meetup テーマ「CSR × 寄付」2015年12月4日(金)東京・夜 (11/10) 松尾
台風18号大雨被害(北関東・東北豪雨)に関する情報や各種サイト (09/13)
月別アーカイブ
http://blog.canpan.info/cpforum/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/cpforum/index2_0.xml
No.162【ファンドレイジングスーパースター列伝】高峰譲吉/理化学研究所(日本) [2018年06月11日(Mon)]

高峰譲吉

Jokichi_Takamine.jpg

高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(1854年12月22日) - 大正11年(1922年)7月22日)は、日本の科学者、実業家。工学博士・薬学博士。タカジアスターゼ、アドレナリンを発明し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した[1]。三共創業者。現在の富山県高岡市生まれ。現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。
ーーーーーーーーー
(Wikipediaより)


高峰譲吉自身、慈善家として、様々な活動をしていたそうですが、理化学研究所の創立に関わったことは、偉大なファンドレイザーの足跡ですね。

Wikipediaで、理化学研究所のことを調べてみました。
ーーーーーーー
沿革
1913年(大正2年)に高峰譲吉らが「国民科学研究所」構想を唱え、渋沢栄一らがその構想について議論を行った。
1915年(大正4年)、第36回帝国議会にて、衆議院・貴族院の本会議で「理化学研究所創立」が決議された[4]。
財団法人 理化学研究所

大正期の理化学研究所
1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込(現文京グリーンコート)に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任。
1921年(大正10年)に大河内正敏が3代目所長に就任し研究室制度を打ち出す。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し合成酒の製造研究を開始。
ーーーーーーーーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


理化学研究所設立当時のファンドレイジングの記録がこちらに詳しく掲載されていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
理化学研究所の誕生と軌跡
第1章昭和初期の財団理研
「理研精神」の継承と発展
第1節 「財団法人理化学研究所」の発足
http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/publications/riken88/riken88-1-1-1.pdf

きっかけは高峰譲吉の提唱
1913年(大正2年)、米国から帰国した工学博士・薬学博士の高峰譲吉(タカジアスターゼなどの発明者)は、「これからの世界は理化学工業の時代になる。日本も理化学工業によって国を興そうとするなら、基礎となる純正理化学の研究所を設立する必要がある」とし、「国民科学研究所」の設立を提唱する。この研究所は、1911年に創設されたドイツの「カイザー・ヴィルヘルム協会」を模して構想された。
この計画は、およそ2,000万円(現在では約320億円に相当=米価換算)の資金で研究所を設立しようとするものであったが、まず500万円くらいの資金で差し当たり最も急務とする「化学研究所」の設立を企画した。翌1914年(大正3年)、実業界の大御所渋沢栄一と池田菊苗、鈴木梅太郎ら化学、応用化学、農芸化学、薬学界の長老が連名で議会に化学研究所設立の請願書を提出した。この請願は、議会の解散もあって目的を達成することはできなかった。
しかし、研究所設立に追い風が吹いた。1914年6月に第1次世界大戦が勃発、わが国は西欧からの医薬品や工業原料の輸入が絶たれ、また制限されたりしたことから産業上、多大な障害を来すこととなった。そこで、農商務省は化学研究所設立を農商務大臣に建議したが、ただ化学だけでは範囲が狭すぎるため、化学と物理学の両面を包含した「理化学研究所」を設立すべきとの意見が出された。長井長義、渡辺渡、高松豊吉、桜井錠二、古在由直が特別委員となって協議し、渋沢栄一、菊池大麓、中野武営らも加わって新たな草案を練り上げ、設立計画の大要、研究事項などを決めた。
これを主な実業家や関係者に送り、賛同を求めることになった。
渋沢、中野らは三井八郎右衛門、岩崎小弥太をはじめ、財界・民間から研究所設立に必要な資金の寄付金を募る一方、時の総理大臣大隈重信が内務、大蔵、文部、農商務各省の大臣および学者、実業家を招いて設立発起協議会を開くなど、設立への準備は整い始めた。さらに、政府の補助もめられ、これに基づき、「理化学を研究する公益法人に対し、国庫補助を為す法律案」が可決され、1916年(大正5年)3月6日に公布された。
これを受けて、創立委員長に渋沢栄一、常務委員に桜井錠二、団琢磨、中野武営ら7名が就き、研究所の建物・設備については、物理関係は長岡半太郎、大河内正敏、化学関係は池田菊苗、井上仁吉に委嘱された。そして、委員長らの寄付の勧誘が功を奏し、設立に必要な額200万円を上回る寄付金を集め、「財団法人理化学研究所」が1917年(大正6年)3月20日に設立された。財団理研は、研究者と政、財、学、官界などが一体となって創設されたのである。

財団理研の財源
財団理研は、設立当初から皇室からの御下賜金、政府補助金、民間実業家の寄付金により運営されてきたが、その財源は次のとおり。
御下賜金 1917年より10年間、毎年100千円 1,000千円
政府補助金 1916年より1922年まで 1,650千円
      1923年より10年間、毎年250千円 2,500千円
      1933年より1937年まで 900千円
民間実業家の寄付 設立当時から1946年3月末まで 4,386千円
合計 10,436千円
(政府の補助金は、1938年(昭和13年)以降交付されなくなったが、その後は自己製品の販売、
特許権の許諾、実施報酬、民間からの寄付金などで収入増加を図った)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


Wikipedia:高峰 譲吉

By 匿名 - [1] (original file from IHM), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8462606
コメントする
コメント