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No.160【ファンドレイジングスーパースター列伝】籠手田安定/私蓄備荒金(日本) [2018年06月09日(Sat)]

籠手田安定/私蓄備荒金

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籠手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保11年3月21日) - 1899年(明治32年)3月30日)は、平戸藩士、剣術家、政治家。旧名は桑田源之丞。
滋賀県知事、元老院議官、島根県知事、新潟県知事、貴族院議員を歴任した。心形刀流と一刀正伝無刀流の免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた。
ーーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

籠手田 安定が滋賀県県令時代に取り組んだのが、備荒貯蓄制度でした。
滋賀県のホープページに詳しく歴史が掲載されていましたので引用します。
【コラム2】明治初期の備荒貯蓄制度
http://www.pref.shiga.lg.jp/b/kemmin-j/kenseishiryoshitsu/column2_matsuda.html

・松田道之の後を継ぎ、2代目県令となった籠手田安定は、明治元年に大津県に判事試補として赴任して以後、備荒貯蓄と呼ばれる災害対策に力を入れました。

・ 籠手田は蟻と蜻蜓やんま (大型のトンボ)の寓話を用いて、社倉設立の必要性を説きました。社倉とは、飢饉などに備えて米や雑穀を蓄えておく倉のことで、天明飢饉後に全国に広まったものです。蜻蜓が遊んで暮らしていた暖かい季節に、蟻は「一和一致」して食物を探し、「同心協力」して穴に貯えていたので、寒くなっても困窮せずに済んだ。このような寓話を用いながら籠手田は、蟻にならって凶作に備えるべきだと主張しました。

・明治3年8月25日には、組合惣代宛に社倉積み立ての布告が出され、年柄相応・身分相当に籾米の積み立てがなされることになります【明い81(37)】。

・廃藩置県後に、近江国全域の管轄を任された初代滋賀県令松田道之も、この政策を引き継ぎました。明治7年4月19日、未積み立てや独自の積み立てを行っている地域に、旧大津県の方式にならって積立てを行うよう布達しています【明い81(37)】。積み立てを徹底させるため、区長が県に積立高を報告することが義務付けられました。

私蓄備荒金の整備
・明治8年(1875年)3月23日、松田道之が内務大丞に転任したことにともない、参事を務めていた籠手田安定が権令(後の知事)に昇格します。翌9年11月15日、籠手田は地租改正により年の豊凶で納税額が増減しなくなることから、社倉積み立ての一層の注意をうながしています。

・そこで籠手田は、明治10年(1877年)1月4日に地租が地価の3%から2.5%に引き下げられたことを受け、減租0.5%の半額を積み立てて凶荒に備えることにしました【明い88合本2(27)】。この積立金は、凶作の際に公租を補うため、個人ごとになされている点が特徴的です。各区の議論により管理方法を定めるとされ、区ごとの自治的な運用が認められました。後に制定される備荒儲蓄法に基づく公儲備荒金と区別され、私蓄備荒金と呼ばれました。個人単位の新しい積み立て方法により、私蓄備荒金は毎年順調に備荒金が積み立てられていきます。明治15年には、積立額は65万7192円31銭に達しました(「滋賀県史」3編6)。


なるほどの歴史です。


Wikipedia:籠手田 安定

By 不明 - 島根県編『府県制の沿革と県政の回顧』、1940年, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28170947
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