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No.150【ファンドレイジングスーパースター列伝】豊臣秀吉/大坂城(日本) [2018年05月30日(Wed)]

豊臣秀吉/大坂城

396px-Osaka_Castle_Keep_tower_of_「A_figure_of_camp_screen_of_the_Osaka_summer」.jpg
(大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守)


1583年(天正11年)に豊臣秀吉が築城した大坂城。
その際に、秀吉は、堺の豪商の集団である納屋衆(会合衆)に多額な寄付をもとめたそうです。

その納屋衆の一人に、和泉屋という商号で御餅司のお店をやっていた和泉屋徳左衛門がいました。
この和泉屋のWebサイトに、大坂城の寄付と、秀吉によるドナーパーティーの様子が記載されていました。

『かん袋の由来』
http://www.kanbukuro.co.jp/yurai.htm

 かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年〈西暦1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。

 安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城したときに、堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(西暦1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人、納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻が餌を運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋が舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名付けよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
ーーーーーーーーーー


いろいろ調べると、「かん袋」とは紙袋のことのようです。

寄付がきっかけで屋号がついた和菓子屋、ぜひ行ってみたいですね。
http://www.kanbukuro.co.jp/

ネットで見ると、大阪・堺では、かなり有名なお店のようです。


参考間にで、納屋衆、会合衆についても、少し調べてみました。

納屋衆(なやしゅう)
中世末から近世初頭にかけて、海浜に納屋とよばれる海産物などを保管する倉庫を設け、これを貸し付けて利潤を得ていた堺(さかい)の富裕な商人。納屋貸衆ともよばれる。『糸乱記(しらんき)』によれば、それらのなかでも「頭(かし)ら分」にあたる人々を十人衆と号して、公事(くじ)訴訟などの町政を取り仕切ったとされ、また、その本名とは別にすべて納屋と名のったという。この納屋貸十人衆が、都市の自治運営にあたって指導的役割を果たしたとされる会合(えごう)衆と考えられている。茶人として著名な千利休(せんのりきゅう)は幼名を納屋与四郎とよばれ、また、武野紹鴎(たけのじょうおう)の女婿(じょせい)で、織田信長や豊臣(とよとみ)秀吉の茶頭(さどう)を勤めた堺の豪商今井宗久(そうきゅう)は納屋宗久ともよばれ、いずれも納屋衆の出である。[小林保夫]
[参照項目] | 会合衆
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
コトバンクより
https://kotobank.jp/word/%E7%B4%8D%E5%B1%8B%E8%A1%86-108544


会合衆えごうしゅう

室町時代後期から近世初頭にかけて、都市の市政自治組織をつかさどった特権的門閥指導者層。畿内(きない)およびその周辺の港町などの経済的先進都市では、自治組織がつくられたが、それらは数名から十数名の上層商人の合議制によって運営されていた。彼らは年寄(としより)、老中(ろうじゅう)、おとななどの名称でよばれたが、会合衆もその一つである。もっとも有名なのは、海外貿易で栄えた和泉(いずみ)(大阪府)の堺(さかい)で、戦国時代には36人の豪商が会合衆として名を連ね、市政を運営した。そのほかにも伊勢(いせ)神宮の外港大湊(おおみなと)では、廻船(かいせん)問屋が会合衆を結成した。また神宮門前町の宇治六郷では、江戸時代の初めに会合年寄を構成し、集議して郷統治の事務をとっていた。[清水久夫]
『豊田武著『増訂 中世日本商業史の研究』(1952・岩波書店)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について
コトバンクより
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9A%E5%90%88%E8%A1%86-36342


By Person of image processing - Mukai - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4259370

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