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No.089【ファンドレイジングスーパースター列伝】大山捨松(日本) [2018年03月30日(Fri)]

大山捨松

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大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。
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(Wikipediaより)

また一人、素晴らしい人を知ってしまいました。
日本で初めてのバザーを企画・開催した人です。

明治初期、11歳でアメリカに留学し、11年後、日本に戻ってきて、その当時、参議陸軍卿・伯爵となっていた大山巌と結婚。明治16年(1883年)、完成したばかりの鹿鳴館で、結構披露宴を開催。その後、語学堪能で社交ダンスも踊れる大山 捨松は、「鹿鳴館の花」と呼ばれるほどになったそうです。

そして、彼女が、日本で初めてのバザーを鹿鳴館で企画・開催しました。
詳しいことが、Wikipediaにあったので、引用です。
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その中で、一人水を得た魚のように生き生きとしていたのが捨松だった。英・仏・独語を駆使して、時には冗談を織り交ぜながら諸外国の外交官たちと談笑する。12歳の時から身につけていた社交ダンスのステップは堂に入ったものだった。当時の日本人女性には珍しい長身と、センスのいいドレスの着こなしも光っていた。そんな伯爵夫人のことを、人はやがて「鹿鳴館の花」と呼んで感嘆するようになった。

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『於鹿鳴館貴婦人慈善會之圖』(当時の錦絵新聞より)
夜会や舞踏会だけではない。ある時有志共立東京病院を見学した捨松は、そこに看護婦の姿がなく、病人の世話をしているのは雑用係の男性が数名であることに衝撃を受ける。そこで院長の高木兼寛に自らの経験を語り、患者のためにも、そして女性のための職場を開拓するためにも、日本に看護婦養成学校が必要なことを説き、高木にその開設を提言した。高木も看護婦の必要性は早くから認めていた[注釈 14]が、如何せん財政難で実施が難しい状況だった。

それならば、と捨松は明治17年(1884年)6月12日から3日間にわたって日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」を開いた。捨松は品揃えから告知、そして販売にいたるまで、率先して並みいる政府高官の妻たちの陣頭指揮をとった。 3日間で予想を大幅に上回る収益をあげ、その全額(当時の金額で8,000円)を共立病院へ寄付して高木兼寛を感激させている。この資金をもとに、2年後には日本初の看護婦学校・有志共立病院看護婦教育所が設立された。

日清・日露の両戦争では、大山巌が参謀総長や満州軍総司令官として、国運を賭けた大勝負の戦略上の責任者という重責を担っていた。捨松はその妻として、銃後で寄付金集めや婦人会活動に時間を割くかたわら、看護婦の資格を生かして日本赤十字社で戦傷者の看護もこなし、政府高官夫人たちを動員して包帯作りを行うなどの活動も行った。また積極的にアメリカの新聞に投稿を行い、日本の置かれた立場や苦しい財政事情などを訴えた。日本軍の総司令官の妻がヴァッサー大卒というもの珍しさも手伝って、アメリカ人は捨松のこうした投稿を好意的に受け止め、これがアメリカ世論を親日的に導くことにも役立った。アメリカで集まった義援金はアリス・ベーコンによって直ちに捨松のもとに送金され、さまざまな慈善活動に活用された。

近代日本におけるチャリティー企画やボランティア活動の草分けは、この大山捨松である[要出典]。
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大山 捨松がこれらの活動を力を入れたのは、アメリカでの留学経験がありました。
アメリカでのチャリティー活動や、看護学校で学んでいたことがこれらの活動のきっかけにもなっているそうです。


NPO法人国際留学生協会に、その経緯が詳しく書かれていましたので、ぜひご覧ください。
http://ifsa.jp/index.php?oyamasutematsu


高木兼寛の記事でご紹介した「高木兼寛の医学(松田誠)」に、鹿鳴館での慈善バザーのことがわかりやすくまとめられていますので、ぜひご覧ください。
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/3461/3/TK_igaku_813.pdf




Wikipedia:大山 捨松

By 不明 - Japanese book Meiji Daijin no Fujin (明治大臣の夫人)この画像は国立国会図書館のウェブサイトから入手できます。これはライセンスタグではありません!別途、通常のライセンスタグが必要です。詳しくはライセンシングをご覧ください。English | 日本語 | +/−, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2595624

By 不明 - http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/bakumei/12/bakumatsu042hs.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2958149

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