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No.087【ファンドレイジングスーパースター列伝】高松凌雲(日本) [2018年03月28日(Wed)]

高松凌雲

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高松凌雲
高松 凌雲(たかまつ りょううん、天保7年12月25日(1837年1月31日)- 大正5年(1916年)10月12日)は、幕末 - 明治期の医師。現在の福岡県小郡市出身。名は権平。荘三郎。箱館戦争においては箱館病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。
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(Wikipediaより)


箱館戦争時の医療活動も、とても素晴らしいのですが、同愛社の活動は本当にすごいです。
まずは、Wikipediaからの引用です。

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フランス留学
慶応3年(1867年)、日本はパリ万国博覧会に参加することになる。パリ万博を終えると、留学生としてパリに残るよう言い渡される。資金は幕府負担である。

留学先は、オテル・デュウ(HOTEL-DIEU:神の家)という病院を兼ねた医学学校であった。「神の家」では麻酔を用いた開腹手術なども行われていた。しかし技術の差以上に凌雲に衝撃を与えたのは、「神の家」に併設された貧民病院であったという。ここでは、貧しい人たちに無料で診察・治療していた。無料の貧民病院とは言え、設備は十分に揃えられ、診察も「神の家」に所属している医師や看護婦が一般患者と同様に行っていた。しかもこの病院は貴族、富豪、政治家などの寄付によって成り立っており、国からの援助を受けない民間病院であった。


箱館戦争後
箱館戦争後、凌雲は東京に戻って鶯渓病院を開院した。新政府での役職の誘いが多数来たが、それら全てを断り、町医者として「神の家」の精神を実行する道を選んだ。この病院は成功し、また貧窮の家庭には治療費を無料にしてはいたものの、一方で彼一人で対応できることにも限界があった。凌雲は、他の医師の協力も得て組織的に無料診察を行う必要性を痛感するようになった。
明治11年(1878年)12月、医師会の席上、医師会長であった凌雲は、貧民を無料で診察する組織「同愛会」の設立を提案する。この提案は支持を集め、翌・明治12年(1879年)、民間救護団体の前身と言われる同愛社が創設された。この同愛社によって診察を受けた貧民は、70万人とも100万人とも言われる。
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この同愛社のファンドレイジングについて、見ていきましょう。


第 113 回 日本医史学会総会 一般演題 203
高松凌雲(1836–1916)が創立した「同愛社」について
小林  晶(福岡整形外科外科病院)
http://jsmh.umin.jp/journal/58-2/58-2_203.pdf

「同愛社」の規則の要約は次の通りである.構成医師を社員とし社員 1 名は毎月 15 名の施療患者を受け入れる.但し,流行病の場合は制限を設けない.施療を希望する者は区役所,町内世話人から施療券を交付してもらい持参する.施療患者の薬価は 1 日 7 銭とする.社には基本財産や財政的支援はないので,社員は 1 カ月 1 円の拠出をした.

受診者は徐々に増加し,創立から 3 年間で 2,251 名,薬価は 5,186 円である.そのため経済的負担が増大し財政的配慮が必要になってきた.そこで明治 15 年社員を救療社員と慈善社員に分類し,後者を資金調達に専任させている.また,新聞,その他で存在意義を広報し,月例会を組織して著名人を招待し啓蒙活動を行い,慈善社員就任を請願している.

皇室や行政機関からの下賜金や,著名人,富豪などからの寄付も増大している.財政的な余裕ができれば貯蓄し,新しい慈善病院の設立を企図した.この目的を再三に亘って政府に上申しているが,返答は得られなかった.しかし,明治 17 年には救療社員 17 名,慈善社員 282 名に増加している.

昭和 2 年創立五十周年を迎え報告書が出版された.それによると延べ患者数 1,362,463 名,資産 23,936円,救護所数は 64 箇所に達し郊外にまでおよんでいる.資産の増加は慈恵社員の努力以外に行政機関からの下賜金も含まれている.この時期の救護社員は60名,慈恵社員は540名で寄付も多くなっている.
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ファンドレイジングと事業活動の広がり、この両輪を回しながらの運営だったことがうかがえます。
同愛社の立ち上げ時の状況はこちらの記事で紹介されていました。

財界さっぽろ
北海道開拓の先覚者達(62)〜高松凌雲(2)〜
http://www.zaikaisapporo.co.jp/blog/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%96%8B%E6%8B%93%E3%81%AE%E5%85%88%E8%A6%9A%E8%80%85%E9%81%94%EF%BC%8861%EF%BC%89%EF%BD%9E%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%87%8C%E9%9B%B2%EF%BC%882%EF%BC%89%EF%BD%9E

1882(明治15)年3月、総会が開催され、榎本武揚ら70人が参加した。その中には榎本軍副総裁の松本太郎の顔もあった。治療をおこなう救療社員と、金銭的援助をおこなう慈恵社員に分け、渋沢栄一、松平太郎、榎本などが喜んで幹事の役を引き受けた。慈恵社員には徳川昭武、大隈重信、勝海舟、伊達宗成、陸奥宗光、安田善次郎、宮中女官ら各界の有力者が率先して参加し、高松らの活動を資金面から支援した。1883(明治16)年には明治天皇から金1000円(現在の価値で2000万円)が下賜され、これを「同愛社」活動の基金とした。
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あと、認定NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんの著書『「社会を変える」お金の使い方 ― 投票としての寄付、投資としての寄付』でも、高松凌雲が紹介されていました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4862760821

他にも、いくたのファンドレイジング・スーパースターが紹介されているので、ぜひおすすめします。


Wikipedia:高松凌雲

By 不明 - 同愛社編『同愛社五十年史』、1929年, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27194349
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