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No.084【ファンドレイジングスーパースター列伝】土橋友直/含翠堂(日本) [2018年03月25日(Sun)]

土橋友直

没年:享保15(1730)
生年:貞享2(1685)
江戸中期の民衆教育実践家。和泉国(大阪府)貝塚に三宅孫左衛門友政の子として生まれる。15歳のとき三宅如幽の養子となり,22歳で,その娘豊と土橋家(薬種業)を継ぐ。河瀬菅雄から和学を,伊藤仁斎から古学を,さらに三輪執斎から陽明学を学ぶ。特に陽明学の知行合一の趣旨に共鳴し,従来の儒学の学習会を随時・任意的なものから恒久・計画的なものへと転換させ,享保2(1717)年,郷町民有志と同志中という組合を結成し,庶民が設立運営する郷学・含翠堂を設立した。含翠堂は大坂の知識人によって享保9年に大坂市中に設立される懐徳堂に影響を与えた。<参考文献>津田秀夫「含翠堂創設者土橋友直」(『近世民衆教育運動の展開』所収)
(渡辺弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について
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コトバンクより引用
https://kotobank.jp/word/%E5%9C%9F%E6%A9%8B%E5%8F%8B%E7%9B%B4-852880


「大阪再発見!」というサイトの次の記事に、土橋友直が開設した「含翠堂」について、参考になる内容があったので引用します。
大阪の私塾(2)
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage467.htm

大阪市平野区平野宮町、国道25号線に面し、建てられている「含翠堂跡」の碑。
含翠堂は、摂津国平野郷市町に、1717年(享保2年)平野七名家の土橋友直らと同志六名により井上赤水の私宅を講堂にして私塾「老松堂」を開いたのが最初で、後に、三宅萬年(石庵)が「含翠堂」と改めている
懐徳堂より7年早い開校であり、155年間存続し、1872年(明治5年)学制公布により閉校した。
経書講読・国学・医学・算学を教授。また飢饉の際に備え基金を積み立て求済活動も行い、1732年(享保17年)から幕末まで8回にわたり施米をしている。
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もう一つ、「平野郷を歩こう」というサイトのこちらの記事もすごく参考になります。
含翠堂(がんすいどう)
http://hiranogou.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9d2e.html

ファンドレイジング的な内容が記載されていたので、引用します。

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土橋友直のほか六名がそれぞれ、銀五十匁(もんめ)を出し合い、それを基金として、毎年二十〜五十匁を寄付して運営資金を積み立てていきました。 その他、親族や友人から資金を調達し、必要経費を除いた資金を、同士に月一分の利息で貸し付け、積み立て利殖を行なっていました。


享保十七〜十八年は大凶作となり、平野郷でも十七年秋の大雨rain、大風typhoonにより米作・綿作ともに大打撃を受けたにもかかわらず、年貢の減免はなく、十八年正月時の人口一万人余りの約三分の一が飢餓状態に追い込まれてしまいます。
この時の、振窮積立金は、全額使い果たしましたが、郷年寄らをはじめ、郷の有力者九十三名、外部の支援者の寄付により、改めて積立金の継続がなされました。


その後、享保十八年には、同士による掛銀制も廃され、自由寄金による運営となり、七名家中心の運営から脱皮して新体制での運営となりました。このとき含翠堂は、十七年から翌年四月まで、総額六貫三百文目を出し、今で言う炊き出しを行なったのです。 この救済金は、享保四年から、同士が相談して、災害非常時に備えて積み立てていたものだったのです。
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含翠堂という奇跡、すごいなあ〜。
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