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【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.48 石井十次(日本) [2018年02月17日(Sat)]

石井十次

ongaku.PNG
(音楽幻燈隊)

3000人を越す孤児を救済〜児童福祉の父・石井十次。講演で寄付を募る時に、当時珍しい西洋楽器を孤児たちに練習させて注目を浴びて、寄付を募った
ーーーーーーーーーーー

恒例の第1回「オールド・ファンドレイジング大賞」応募事例のご紹介です。
11個目のエントリーは「石井十次」です!

一度、スーパースター列伝でも取り上げていますので、ここは、石井十次が行った「音楽隊」にスポットをあててみていきたます。

◎社会福祉法人石井記念友愛社:石井十次とは
 http://service.kijo.jp/~yuuaisya/jyuuji.html

『音楽・旅行教育
 明治26年(28歳)、院の子どもたちに自由を与え、また情操を豊かにするため「風琴音楽隊」を設立。明治31年には「音楽幻燈隊」を編成し、広島県尾道市で初公演した。明治36年からは幻灯を活動写真に代えて行い、幻灯や活動写真で院内の様子を説明し、最後に寄付をお願いするようにした。すると、盛大な拍手と激励の言葉が飛び、お金や品物を寄付してくれる人が大勢いた。この演奏旅行は、日本国内はもちろん、朝鮮半島、中国、香港、台湾、遠くはハワイ、アメリカ西海岸までも行き、明治41年まで続いた。』


◎宮崎県郷土先覚者:石井十次
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/kenmin/kokusai/senkaku/pioneer/ishii/index.html

『海外でも公演。義援金を多く集めた「音楽隊」
その資金は十次の事業に賛同してくれる人々の善意や寄付、あるいは事業部の活動収益でまかなっていましたが、決して十分ではありませんでした。そこで新たに「音楽隊」を考案。児童たちによる音楽演奏の後、活動写真で孤児院の目的と現状を伝えるなどして義援金を集めるのです。
音楽隊の評判は広まり、全国各地で公演しては義援金を集めて回りました。台湾や中国、朝鮮半島など海外でも公演し、石井十次の名を広く知らしめることになります。』

『1898(明治31)年 33歳
音楽幻灯隊が寄付金募集公演を開始

1899(明治32)年 34歳
大原孫三郎と出会う。海外幻灯隊がハワイへ出発

1904(明治37)年 39歳
音楽活動写真隊が台湾へ渡る。』


NPO法人国際留学生協会:石井十次
http://www.ifsa.jp/index.php?Gishiijuji

『大原孫三郎との出会い
 悪いことばかりではなかった。十次は、迷惑をかけた高鍋の人々への陳謝とお礼に、創設したばかりのブラスバンドを岡山から呼び寄せ演奏会を開催した。ついでに岡山孤児院の宣伝と募金活動のため、日向(宮崎県)各地を巡回することにしたのである。これが大盛況となり、演奏会場には入場できない人が出るほどであった。
 この成功は、寄附募集の中心となる音楽幻灯隊の誕生を促すことになった。音楽演奏に当時のニューメディアである幻灯機(一種のスライド写真)をドッキングさせた巡業は、大成功を収めた。演奏の合間に十次が登場し、幻灯で孤児院の様子がわかる写真を映しながら、聴衆に訴えるのである。十次の訴えは聴衆の胸を打ち、
涙と感動を誘うものであった。こうして音楽幻灯隊は院の中心的事業となり、火のバプテスマの翌年には、院の収入の3分の1を占めるほどになっていった。
 この音楽幻灯隊は、十次に大原孫三郎との出会いをもたらした。1899年の7月、音楽幻灯隊の倉敷公演が行われ、小学校の校庭に集まった2千名の聴衆の中に、19歳の悩める青年がいた。孫三郎であった。彼は倉敷紡績の社長の息子で、その頃、東京での放蕩生活の末、謹慎処分を受け人生の意味を模索していたのである。十次の話に衝撃を受けた孫三郎は、その時所持していた有り金全部を寄附してしまった。その後十次に師事し、孤児院屈指の後援者になり、さらにはクリスチャンになってしまうのである。十次は孫三郎との関係を「君と僕とは炭素と酸素、会えばいつでも焔となる」と語った。その後の十次の事業は、孫三郎の協力なしにはあり得なかった。』


◎石井十次の生涯:孤児たちの音楽隊と 大原孫三郎(倉敷紡績株式会社社長)との出会い
http://www.rupa.jp/juji/life/juji_ohara.html

『「これからの10年間は社会進出の時代だ。 孤児救済の応援をしてもらえるように、社会に出て訴えていく。」 と、十次は明治31年正月の日記に書いた。
 社会に訴える方法の一つが孤児たちの音楽隊を連れて全国を回ることであった。 専門の音楽教師を雇い、イギリス式のブラスバンドが編成された。そして訪れた町を行進し、夜は音楽会を音楽会を催した。当時ブラスバンドは珍しく、孤児たちの熱演は多くの人々を惹きつけ大変な人気であった。
 音楽会に続いて幻灯会となり、十次が孤児院のスライドを見せながら孤児たちの生活を紹介し、また神の教えを説いた。 荻原医師やそのほかのクリスチャンとの出会いにより、十次も熱心な信仰の人だったのである。
 この年7月に倉敷で開催した音楽幻灯会では、青年実業家の大原孫三郎(倉敷紡績株式会社社長)と知り合った。 大原は十次の事業に共鳴し、これ以後絶大な協力者となり惜しみなく経済面でも支援を続けることになる。 茶臼原にもたびたび訪れ、また財団法人石井記念愛染園(あいぜんえん)を組織するなど力を尽くした。
 翌32年5月に東京で開いた音楽幻灯会では、十次が尊敬するジャーナリストの徳富蘇峰が壇上に立って満場の聴衆に、十次への敬意と感謝の言葉を述べた。
 この音楽幻灯隊は、北海道、東北へも、さらに海外の台湾、米国へも足をのばした。』

Wikipedia:石井十次


写真は、石井記念友愛社のWebサイトからお借りしました。
http://service.kijo.jp/~yuuaisya/jyuuji.html
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