CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

«【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.33 渡辺彦太郎(日本) | Main | 【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.35 オーストラリアの男性/若者(オーストラリア)»
プロフィール

CANPAN・NPOフォーラムさんの画像
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
比企
【ご案内】NPOを対象とした助成プログラムの助成決定事業一覧(通称:ホワイトリスト)の公開(2017年12月10日追加) (01/10) 長浦とし子
NPOが押さえておきたい省庁情報(2017/08/21-25) (08/30) ビオキッチン京都
NPOが押さえておきたい省庁情報(2016/11/7-11) (11/21) 兼間道子
キフカッションのご案内【寄付月間2016公式認定企画】 (11/11) 隠岐
【開催報告】資金調達シリーズ「初めての助成金編」〜助成金獲得ではなく活用という視点で考える〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年7月26日午後・東京 (07/26) 大貫
【開催案内】資金調達シリーズ「初めての助成金編」〜助成金獲得ではなく活用という視点で考える〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年7月26日午後・東京 (07/01) 鵜飼
【開催案内】NPOのためのデザイン×CANPAN Vol.02 〜広報を溺愛する人の時間〜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2016年5月20日(金)午後・東京 (05/15) 森谷
【開催案内】『すぐやる人の「出会う」技術』出版記念セミナー出会いの達人・久米信行さん(CANPANセンター理事)に聞く!〜仕事“相手”から信頼し合える仕事“仲間”へ〜2015年12月18日(金)東京・夜(日本財団CANPAN・NPOフォーラム) (12/15) Gateway English
【開催案内】寄付月間公式認定企画*第8回 CSR Meetup テーマ「CSR × 寄付」2015年12月4日(金)東京・夜 (11/10) 松尾
台風18号大雨被害(北関東・東北豪雨)に関する情報や各種サイト (09/13)
月別アーカイブ
http://blog.canpan.info/cpforum/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/cpforum/index2_0.xml
【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.34 那波祐生(日本) [2018年02月03日(Sat)]

那波祐生

那波祐生 なば-すけなり
没年:天保8.10.18(1837.11.15)
生年:安永1.6.3(1772.7.3)
江戸時代の秋田の豪商那波家の9代目当主。三郎右衛門は通称で,代々襲名した。那波家は,早くから秋田藩主佐竹氏とつながりがあり,享保5(1720)年に京都から出羽国久保田(秋田市)に移住。その後,藩の御用聞町人としてその財政運営にかかわっていた。祐生は,京都から絹織物や酒造などの新技術を導入し,国産物の開発,振興に尽くした。文政11(1828)年,窮民救済機関の基金として多額の私財を提供,翌年これが「感恩講」として発足した。以後,久保田の有力町人からの献金を資金として運営され,窮民救済,育児機関としての役割を果たした。祐生は近世都市の矛盾にいちはやく対策を講じた民間人といえる。<参考文献>秋田県社会福祉協議会編『秋田県社会福祉史』

コトバンク:朝日日本歴史人物事典の解説より
https://kotobank.jp/word/%E9%82%A3%E6%B3%A2%E7%A5%90%E7%94%9F-1098211

那波祐生が始めたのが「感恩講」です。

感恩講(かんおんこう)とは、コトバンク:世界大百科事典 第2版の解説からの引用です。
『1829年(文政12),秋田藩御用達商人那波三郎右衛門祐生の努力によって生まれた備荒組織のひとつ。財源は藩と慈善の同志の出資によって整えられ,その財産は官にも民にも属さない一種特別の性質を有するものとされた。管理者として年番をおき,窮民救恤(きゆうじゆつ)や保嬰(ほえい)育児を主な事業とした。感恩講の事業は,災害や凶作時だけでなく日常的に展開されており,年番のもとに用掛や下役をおき,救済の必要の有無を調査して救恤を実施した。』
https://kotobank.jp/word/%E6%84%9F%E6%81%A9%E8%AC%9B-1156727


感恩講の歴史については、社会福祉法人感恩講児童保育園のサイトに詳細が記載されています。
http://www.kanonko.jp/history.html

『救済事業を実現させるために那波祐生は同士とともに奔走した結果、72名の賛同者を得て金1,000両・銀10貫匁の資金が集まりました。活動としては、平年は困窮者救済に、凶作時には飢餓に苦しむ人々の救済に取り組み、また恒久的に事業を続けるために毎年の収入の一定額を蓄積することとしました。こうした活動に多くの一般町民か らの献金もあり、文政12年(1829)2周には献金者が191名となり、資金も金2,000両・ 銀10貫匁となり、いよいよ知行地を買い入れ財政基盤が出来上がりました。』

『天保3年(1832)、基礎が出来上がった感恩講を藩に寄付しようとする動きもありましたが、町奉行江間郡兵衛の「上下の関係なく平等の立場で、町民相互が助け合い、守り合っていく形に」という助言のもと、町民による財産管理、救済事業運営を決めて、条規を定めて藩に報告し了承を得ました。』

現在のコミュニティ財団のような役割を担っていたんですね。


いくつか参考になる記事をご紹介します。

福祉新聞:社会福祉法人風土記〈16〉大館感恩講 上 民間主導の窮民救済の先駆け
http://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/14428

二〇世紀ひみつ基地:那波祐生と感恩講
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-48.html

その他に、出口先生の論文も勉強になります。
ぜひネットで検索するとPDFでダウンロードすることができます。
ーーーー
日本における民法施行前の「講」と現代非営利組織
(NPO)との特性の共通性
著者 出口 正之, Deguchi Masayuki
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
ーーーー

コメントする
コメント