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プロフィール

町井 則雄さんの画像
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田坂広志さんとお会いする [2010年05月20日(Thu)]
多摩大学大学院で社会起業家論の教鞭を取っておられる知る人ぞ知る田坂広志氏とお会いして、お話しをうかがった。

静かな話し口調にはじまり、私や同僚の木田がなぜ日本財団に入ったのかなどを静かにお聞きになっていた。

私も木田も、かなり風変りな就職をしてしまったのを「何事も計画通りに、みたいな話があるけど、そんな人生おもしろくない。」と言って肯定してくださった。

そして、CANPANについてのコメントをお話しになられてから、とても熱く日本の未来について語ってくださった。

本当に熱い方で、私も熱にやられ、感銘を受けてしまった笑顔

CANPANが進んでいる方向や軸などについて貴重なご意見を頂戴でき、それがまっすぐな道に続いていることを確認できたことは本当にうれしかった。

特に氏が、ETIC.さんに言われているとおっしゃっていた言葉、「関わる方々を元気にさせる組織でなければならない」というのは、まさにCANPANも「CANPANと関わると元気になれる」と言われるのが一番の褒め言葉と常々言っているので、しみじみ共感してしまった。

同じ領域でご活躍される大先輩だけに、これからもお会いする機会が多々あると思いながら、後ろ髪を引かれる思いで、氏の事務所を後にした。

田坂先生、ありがとうございました!またお会いするのを楽しみにしております笑い
アメトーーーーーーク!を大谷晋二郎さんと見るの図 [2010年01月08日(Fri)]
久しぶりの英雄列伝カテゴリのコンテンツは、大谷晋二郎さんの登場です笑顔

大谷さんと言えば、プロレスファンで知らない人はいないだろうという有名人。
でも、プロレスに興味がない人は全く知らない人・・・だと思う。

自分が子どもの頃というのは、プロレスはまさに一大ブーム、夜8時のゴールデンタイムにテレビ朝日で放送されていたプロレス中継は古館伊知郎さんの過激実況もあり、少年たちは燃えに燃え、自分もそんな一人だった。そんなブームも今は昔、今ではプロレスは本当にマイナーなスポーツになってしまった悲しい

正直、自分も数年前に東京ドームに新日本プロレスを見に行って以来、全くプロレスからは遠ざかってしまっていた。

そんな自分が、テレビ朝日では7年ぶりとなるゴールデンタイムのプロレス放送(だそうな・・・)を、新橋の炭火焼鳥屋さんの「山しな」さんで大谷さんとリングアナウンサーでもある沖田佳也さんとご一緒にワンセグで見ることになろうとは・・・まる


■ほろ酔いの大谷さんとノンアルコールの沖田さん■

このアメトーーーーーーク!を見てくれた皆さんは、なぜCANPANの企画統括責任者の自分が大谷さんと一緒にいるのか、わかってくれると思うのですが、大谷さん、沖田さんの「自分たちのプロレスで世の中を元気にしたい!」という熱い思いに感動したからです。

この放送がやっている間、お二人のケータイは鳴りっぱなし、そのほとんどが「感動した!」という電話やメールでした。

なんでプロレスなんか見て感動するの?」と思う人のほうが世の中は多いと思う。
その理由を、CANPANを通じて皆さんにお見せしたいと心底思った夜でした(笑)

ここで理由をくどくど語るより、「ゼロワン×CANPAN」が何をするかを見ていてもらったほうが早いと思うので、どうぞお楽しみに!キラキラ

また一つ、世の中は確実に良くなります、このコラボで。

最近、CANPANを通じて本当に素晴らしい方々との出会いがあります。
大谷さん、沖田さんは、そんな方々のお一人です。

2010年は、いい年になりそうです。

最後にちょっと(ホントはかなり)感動したこちらのブログ記事・・・

http://otanishinjiro.blog.players.tv/article/34610080.html

このお客さんというのが私・・・本当にありがとうございますすいません

大谷さん、沖田さん
今日は突然のぶっ飛んだ企画書を真面目に読んでくれてありがとうございました!
ぶっ飛び過ぎなところは、私の熱い思いだと思っていただければ・・・落ち込み
オルタナ 森社長兼編集長とトークショー [2009年07月05日(Sun)]
CANPANプロジェクトでは、7月4日(土)と5日(日)、横浜のパシフィコ横浜で開催されていたグリーンエキスポ 2009のグリーンビジネスブースをグランマさんとの共催で展開させてもらっていた。

■GREEN EXPO 2009■
http://greenexpo.jp/

■グリーンビジネスゾーン詳細■
http://granma-port.heteml.jp/ge/#pagetop

その席で、最終日の夕方、ご縁があってオルタナの社長であり編集長の森摂氏とのトークショーが実現した。

私は、CANPANが世の中にようやく生れ出た頃から森さんのお名前を存じており、いつかお話ししてみたい方であった。

その方とほぼ初対面でいきなり人前での対談、「人生とはドラマだ」と勝手にウキウキしてしまっていた(笑)

お会いして最初に森さんが「その名刺入れいいね!僕も名刺入れこだわってるんだけど、その名刺入れと自分のこの名刺入れが一番だな」と突然お褒めの言葉をいただいた。

たしかに名刺入れには人一倍のこだわりがある。
それは、「名刺というのは自分の分身であり、それを入れておくもの」と定義しているからだ。手を抜いていいものではない。

■こちらで紹介■
https://blog.canpan.info/cosmo/archive/105

実用面として少なくとも30枚以上入らないと困るとか色々と要件もあるが、大切なことは、その中に自分が入っていてうれしいか、というなんともふざけた基準である。

そんなことに響いてくれた森さんがすっかり好きになってしまい、トークショーも盛り上がった。

森さん、色々とご配慮ありがとうございました!

これからもよろしくお願いします!

笹川良一氏 [2009年02月16日(Mon)]
学生への就職セミナーで、「なぜ日本財団に入ったのか?」という質問を受け、「『日本最後のドン』、『右翼の親玉などと散々マスコミに叩かれていた笹川良一という人を一目見たかったから。」と答えた。

田中角栄氏と並んで、自分の中では心にひっかかる存在だった。
マスコミは悪い悪いと書きたてるが、自分の中ではどうも腑に落ちなかった。

田中角栄氏の場合、「収賄はたしかに悪いことだろうが、彼の政治家としての功績がなぜその一件だけで全面否定されなければならないのか? それが正論なら、それでもなお彼を国会に送り込み続けている国民はどうなんだ?」という疑問が常にあった。

そして、自分なりに調べていくうちに、彼の政治的手腕は日本にとって有益だったという結論と、よく言われる「アメリカを無視し、独立国家日本として行った日中国交正常化に伴うアメリカ陰謀説」を知る。(これの真偽は私にはわからない)

これは、自分が歴史が好きで、日本書記にせよ、吾妻鏡にせよ、信長公記にせよ、時の権力者の意向なしに客観的な歴史書などは存在しない、という視点を近代史にも当てはめて考えた結果でもあった。

歴史書は、メディアが発展していない昔では、重要なメディアの一つである。それを権力者が利用しないと考えるほうが無理がある。
伝えられる肖像画だって、どこまでホントかわかったものではないが、イメージは大切なのでああいう形で残されていることはありがたかったりする。

それはさておき、田中角栄氏は私の就職活動時にはすでに引退していたこともあって、会いたい人物ではなかったが、故笹川良一前会長はまだ現役でおられた。(写真はWikipediaからお借りしました)



二人とも日本の歴史に名を残す人物、ぜひ会ってみようと思ったのであった。
そして、本当に悪い人だとわかったら、それはそれで、日本財団をすぐに辞めればいいという、人生の寄り道的なとんでもない動機で入ったのであるが、それをそのまま学生に話をした。

その話には反応してくれたが、笹川良一という名前にはなんとなくピンと来ていないようだったので、「笹川良一という名前を知っている人どのくらいいますか?」と聞いたところ、ビックリ・・・

参加していた学生約200名のうち、笹川良一という名前を知っている学生がわすが数名しかいなかった困った

国際貢献とか社会福祉関係の仕事を探している学生にとって、笹川良一前会長という存在は、フックしないらしい・・・と思うと同時に、歴史とはそういうものかという気持ちになった。

おそらく、笹川良一という人物は歴史が評価する大人物の一人である。
私は聖徳太子や織田信長に会っていないから知らないけれども、彼らの功績は知っている。
笹川良一という人物の功績もやがて明らかになっていくだろう。

同世代に生きるということは、リアルであるが故、自分が体験していることが歴史であるという認識を持ちにくいこととイコールだ。
自分達が生きているこの時代は、将来の人々にどのように映るだろう。

歴史が評価するであろう笹川良一氏が創り上げた日本財団はその歴史の中で何をするだろう。興味は尽きないと同時に、自分がその中で働いていることに、少しの違和感とたくさんのやりがいを感じる。
明智光秀塚、大地に立つ [2008年07月20日(Sun)]
今年9月、京都で「市民メディア全国交流集会」の第六回「京都メディフェス」が行われる。

そのプレイベントとして「きょうとNPOセンター10周年記念事業」でもある「市民メディアってなに?」が行われた。

それに参加するために夏の京都に足を運ぶ・・・新幹線

夏の京都は、大学生時代に車で出かけ、織田信長が朝倉討伐に進軍したルートを追っていくという無謀な一人旅を敢行、車の中で寝泊まりした時にひどい目に遭って以来、20年近くも避けてきたので、暑い京都の景色がとても新鮮だった。(でも暑い・・・)

宿泊先の近くに明智光秀公の塚があるので、チェックインする前に足を運んでみた。



ここに足を運ぶのは初めてだったが、思っていた以上に手厚く祀られているのを拝見し、明智光秀公が、かの地ではかなり信望があった御仁だったのではと思った。
慕われていなければ、こんな塚など残っていないはずである。

無念の死を遂げた人物を丁重に祀るということも可能性としては十分ある。が、将門塚がそうであるように、光秀塚からもそのような負のオーラが感じられないのだ。

個人的には、歴史上彼がしたことは、その後の日本史を若干つまらないものにしたと思っているので、嫌いではないが、好きな武将ではない。

歴史の気まぐれのように出現した織田信長という天才が天寿を全うしたとしたら、どのような日本史が刻まれたのか興味が尽きないからだ。(でも、部下だったらちょっと辛いかも)

とはいえ、彼が逆賊的に扱われるのはさらにおかしな話。下剋上という当時の常識からすれば、たとえ彼が純粋に出世欲で信長を殺したのだとしても決して悪人という話ではない。

三日天下の後、彼もまた天寿を全うできずに死ぬわけだが、それを嘆く民の気持ちがこの塚にあらわれているような気がする光秀塚だった。

そんな、夏の京都はやっぱり暑い。

まだ残暑も残っているであろう京都で行われる「京都メディフェス」ですが、楽しくもためになる企画が盛りだくさんです。ぜひ皆さんもご参加ください!笑顔

■京都メディフェス情報はこちらから■
http://www.shiminmedia-kyoto.jp/


【雑記】
カテゴリ的に「英雄列伝」かどうか迷ったけど、光秀公に敬意を表して・・・
タイトル「明智光秀塚、大地に立つ」にピンときた方、相当なガンダムオタクですね。。。笑い
陶芸家 中野純 [2006年06月26日(Mon)]
友人に中野純という陶芸家がいる。

詳細はこちらのホームページを見てもらうとして、6月28日から銀座松屋で開催される彼の個展の紹介をしたい。(写真:立木義浩)


何でわざわざCANPANブログで紹介するかというと、彼の作風にCANPAN的な雰囲気を感じるからである。

芸術というのは岡本太郎氏ではないが、独りよがりなのは言うまでもない。そのくらいでないと優れた作品など作れないだろう。
芸術家がいて、彼(彼女)がただ表現したいことの発露が、結果として見る人を満足させ、時としてため息をつかせることになるだけだ。

陶芸もまたそうであろう。その中にあって、彼の作風は彼の性格が作品に表れていて、すごく柔らかくやさしい。特に天然灰釉にこだわった色彩は見事である。「二つと同じものは作れない」と彼は言う。

機械で回す轆轤(ろくろ)ではなく人の足で蹴って回す轆轤にこだわり、天然灰釉にこだわる彼の陶芸に対するこだわりはハンパではないが、その土台に「自分の作品を使ってくれる人に対する感謝と思いやり」がある。
自分のこだわりと人の役に立ちたいという思いをバランス良く配置した作陶。
これが彼の陶芸がCANPAN的である所以である。

彼と友だちになってから、和食器は彼の作以外は買わないことに決めているのだが、そのくらいいいものを作る。

彼には早いとこ世界に自慢できる日本人の一人になってもらいたいと思っている。
日本は世界に誇れる人物がたくさんいるのに、それを日本人自らが過小評価する悪い癖があって、そんな状況を打破するには世界で認められ、活躍する日本人がもうちょっと目に見える形で増えないといけないだろう。その一翼を彼にはぜひ担ってほしい。

その転機の一つとなるであろう動きがこの夏にあって、彼は千葉の山奥に窯を構える予定でいる。彼は現在、吉祥寺で電気窯を使って焼いている。が、自然の火がもたらす熱の強弱が織り成す釉薬の色合いの複雑さはその比ではないそうである。
吉祥寺ではさすがに薪を使って焼くわけにはいかないので、千葉の山奥に引っ越すことになったという次第。
表現のフィールドを得て、どれだけ見事な器が生み出されるのか、楽しみでやまないまる
彼もまた、無から有を生み出すことのできる才能の一人であるキラキラ

そんなわけで、このブログを読んだ方、ぜひ松屋銀座に行ってあげてください。その際は「Yo_カッパ」ブログ見て・・・と言うと彼もかなり喜ぶ・・・はず・・・ヒヨコ

中野純作陶展の詳細はこちらです笑顔

■中野純(Jun nakano)作陶展■
会期/2006年6月28日(水)〜7月4日(火)
会場/松屋銀座7階 美術サロン


※彼はまだ英雄になれていないが、期待を込めて英雄列伝に入れてみた。
丘を越えて [2006年06月17日(Sat)]
私の尊敬する人物の一人に「SCARECROWS」という劇団をやっている上田ボッコという叔父がいる。
この叔父が初めて作から演出までの全てを自分で作り上げた舞台を行うというので観に行った。

題は「丘を越えて(写真の題字は叔母が書いているがいつも見事である)」、主人公は中年の男。

幼少の体験でトラウマを抱えて育った男は家庭を省みず仕事に明け暮れた揚句、息子が妻を殺して自殺、アメリカに留学している娘を除いて孤独になる。そして男は途方に暮れ故郷に戻ってきた・・・というところから始まる物語である。

全体の内容は長くなってしまうから割愛するが、テーマの一つである「絶望の中の希望」をコンシャスとサブコンシャス、現在と過去のきわどい狭間で展開させるストーリーは、古典的ながらも、人間味あふれる叔父のスパイスが効いていて見ごたえのあるものであった。

「絶望の中の希望」と言えば「パンドラの箱」を思い出す人も多いだろう。あの話を初めて読んだ時、パンドラが最後に箱から「希望」を出してしまったことが最も罪深いように自分には思えた。
作者は希望というものを嘲っているんじゃないかと感じるくらい悪意に満ちていた気がする。

この劇では、そんな無意味な悪意は当然無いが、主人公の「親父は毎日毎日この道を『丘を越えて』を唄いながら自転車を漕いで、そんなのは親父の求めていた夢じゃなく、心の中にドロドロした大きな野望を持っていたはずだ。それは何だったんだろう」というようなセリフがあった。

自らも演技者であり、演出家でもある叔父がこのセリフをどのような思いで書いたのか聞いていないからわからないが、とても心に残るセリフだった。

終劇後、叔父に自分がイメージしていた何パーセントくらい表現できたかを聞いたら、「全くダメだなぁ、当日に変えたりすらしてるしね」と少し照れながら言っていた。

ゼロから何かを作り上げる、これは本当に大変なことだ。頭にあるイメージを具現化、つまりこの世に存在させるという行為は、とんでもない才能と努力を必要とする。

それが例え0.1の出来であったとしても、無限大×0=「0」であった時とは違う。「有」はどんなに小さくても「存在する」のであり、その価値はゼロとは比較に値しないほど貴重だ。

それを演劇というさらに困難な分野で実現した叔父はやはり自分にとって尊敬に値する。
60(たぶん)を過ぎてなお、この創造性と行動力、本当に感服である。

CANPANもそうでありたいと思う。今は0.1なのか、それとも0.01か。CANPANはまだまだだ。
しかしCANPANには今、全国から素晴らしい人たちが集まりはじめてくれている。
毎日、その力を感じている。この素晴らしいユーザの皆さんの声を聞きながらCANPANを限りなく「1」に近づけていきたいと、舞台の帰り道に思った。

ちなみにこの叔父は近々CANPANブログでブログをはじめてくれるそうである。
彼の「ドロドロした大きな野望」がCANPANブログで展開されることに希望が膨らむ。
愛煙家パラダイス [2006年05月24日(Wed)]
日本財団ビルの横には「JTビル」というビルがある


経産省のグッドデザイン賞を受賞したことのある洗練されたデザインのノッポビル、下から見ると青空を切り取ったように見える

このビルとその周辺には最近流行りの「禁煙」の文字は無く、逆に「スモーカーズパラダイス」なるエリアがあったりする

そう、ここはタバコという文化 (あえてそう言おう) の総本山
この一角は、愛煙家の、まさに天国たろうというエリアなのである

私はタバコがキライなので分煙は大歓迎だし、お食事処は全面禁煙にすべきと思う人間だが、タバコを吸う人のあまりの疎外されっぷりにはちょっと気の毒さを感じたりもするので、こんなエリアがあっていいと思う

駅の喫煙コーナーなど、カプセルというかケージの中の見世物のような有様で、「あの中から外を眺めたらハムスターになったような気分だろうな・・・」と思う

この社会の流れは、言うまでもなく「社会の成熟」と「スモーカーのマナーの未発達」という両者の摩擦が原因だ

社会とそのシステムが成熟してくると、セクハラやパワハラがそうであるように、それまで水面下で被害者だった人たちの権利というものが擁護されるようになり、その救済措置が法律などで形となって現れる

これらの動きは歓迎すべき流れであるが、度を超えてしまう場合もある

個人情報保護などはそのいい例で、病院で患者の名前を呼べないとか、過剰反応しがちなのは日本人のきまじめな性格の発露なのだろうか

これらは現実に合わせて自動修正されていくと期待したいが、もう一方のマナーの未発達は惨憺たる有様である

他の人の迷惑を顧みず所構わず紫煙を吐く、吸ったタバコは道に捨てる、手に持ったままぶらぶらと手を振りつつ歩くなどなど、スモーカーのタバコを吸うという行為に対する他人への気の遣い方は無きに等しい

有史よりタバコの歴史のほうが古いのに、マナーというものだけはどこかに忘れられてきてしまったとしか言いようがない (煙を気にするような人口密度ではなかったという気もするが・・・)

つまり、JTのCMにもあるとおり、「マナーが問われた」結果加速され、社会が反応したのが、現在の流れなのだろう

「オレはそんなことはしない、マナーを守って喫煙していた」と言う愛煙家の方もたくさんおられると思う

だが、一つのカテゴリ「愛煙家」全体で見た時、その主張は残念ながら意味をなさない、一蓮托生なのである

そこで提案、「タバコのマナーを注意するのは愛煙家同士で!」をスローガンとして実践してはどうだろうか?

自分の言い方が悪いのは重々承知なのだが、私の場合、タバコのマナーを注意すると一触即発状態、お互いにガルルー・・・という状態になることが多い(子どもみたいだが・・・)

しかし、「オレも愛煙家なんだけどさー・・・」という一言で、共感ゾーンに相手を引き込むことができるので、愛煙家同士の皆さんの場合はケンカにならないはず

このお互いの自浄努力で社会の理解を得る努力へつなげることが今、愛煙家の皆さんに求められていると思うのである

そうすれば、今のようなハムスター待遇というか、少なくとも社会からの冷たい目を受けることは減るはず

目くじら立てて「喫煙は云々!」と叫ぶ人の心にも許しの心が芽生えるはず

ちなみに、新橋からJTビルまでの間、毎日歩きながら道端のタバコの吸殻を拾い集めつつ出勤する、おそらくはJTの社員と思われる方がいる

この方の行動には敬服したいのである

世の中の愛煙家にはこんな気持ちのすばらしい人がいる(道端にポイしてる人はハンセイしてください)
という紹介がいたしたく・・・この方を愛煙家の鑑として、英雄列伝に加わっていただいた次第である
「はてな」田中さんと会う [2006年05月23日(Tue)]
株式会社はてなの田中慎樹さんと昼食を共にする機会がありました

ウェブサイトの「はてな」と言えば、最近よく耳にする有名サイトです

この「はてな」の社長近藤氏がなんと日本財団の職員が大学で同じサークルで自転車を漕いでいた仲間という縁 詳細はこちら・・・

そして田中さんはそのサイクリング部の後輩にあたるというこれまたご縁で今回の昼食となりました

田中さんは都内を自転車で走り回って営業するというパワフル&爽やか系営業マン

グローブ部分だけ日焼けしていないあたりはゴルファーかと思ってしまいますが、違います(たぶん)

見た目どおりとても気持ちの良い方で、あっという間に時間が過ぎてしまいました

そんな田中さんから後日送られてきたメールに

>「今よりも生きやすい世の中にすること
>いいフレーズですね。
>(これ、オープンにされてます?)
>
>僕らもただのIT好き・ネット好きの連中なのですが、
>結構真剣に、世の中を良いふうに変えることができたら、、と思ってます。
>
>その意思を持っている人間がもっともっと増えてほしい、
>また自分がちょっと年老いたときにそんな若者を支援したい、と思いますね。

とありました。(田中さんのお人柄がみえる文章なのでそのまま引用させていただきました、すいません・・・)

今よりも生きやすい世の中にすること
これは日本財団が掲げる使命を私なりに言葉にしたものなので、オープンになってはいないのですが、これを田中さんへのメールにしたためたことに対するコメントでした

この言葉にリアクションしてくれた田中さんは、すごくいい人です、間違いなく

世の中の全ての人が幸せになるとか、自分だけが幸せになるとか、そんな幻想を抱けるほど楽天家ではない自分は、今よりも少しでも生きやすい世の中になってほしいと、そのためのCANPANなんだと自分の中で位置づけています

「はてな」にも同じ思いの人たちがいて、がんばっているんだということに勇気づけられた田中さんからのメールでした

田中さん、ご多忙の中、素人の我々にアドバイスいただき本当にありがとうございました!これからもこれをご縁によろしくお願いします

今回は先輩の森がおごってましたが、今度は私のおごりで!
ちょいワルおやじはカッコ悪い [2006年01月23日(Mon)]
こんな記事もどうかと思うが、とりあえず最近どうにも我慢ならないことが「ちょいワルおやじ」なるものの出現だったりする

ミドルエイジの男性をターゲットにした雑誌が火付け役となって、俳優のジャン・レノのようなナイスミドルを目指すのだという


数年前、そんな雑誌が出ると聞いて、『あー、今の日本なら売れるな』と、そんな企画を考えた雑誌社に頭が下がった

そしてこれまた、ブレイクしてしまった(らしい)落ち込み

だが、そんなナイスミドルをめざす、いや、ダイレクトに言えば「ちょいワルおやじ」を目指すおやじの皆さんにズバリ言うわよ

「あなたはカッコ悪い」

ミドルと言えば、それなりに経験も積んで、男としての磨きが自然にかかっていていい年代

それなのに「ちょいワル」って何だ
さらにピンポイント、「ちょい」って何だ〓

その歳で「ちょい」とか言ってるのがどうしようもなくカッコ悪い
そんな中途半端な生き方があなたの人生なんですかってこと
中途半端に生きてきたテレ隠しを流行り言葉でごまかすなってこと

男のカッコよさは内から滲み出すもの、ファッションだけ決めたってカッコイイわけないっしょ

おまけに「ワル」、「今更、高校デビューですか?」と言いたくなる
人間、歳を取ったらいいヤツになるんでしょう?ワルくなってどーすんの?

そんなものを目指そうとしているミドルがたくさんいると思うと、目を覆いたくなる・・・日本男児の誇りはどこへいった?

そこで、そんな「ヤバダサおやじ」な皆さん、どうせなるなら・・・

「果てしなくお人好しオヤジ」

「お人好しオヤジ」の心得5か条を超お人好しにもまとめてみました

第1条 人のことを信じ過ぎてしまうのである
第2条 信じた人に裏切られても「いい勉強をした」と笑い飛ばしてしまうのである
第3条 それでも人に「ありがとう」と言えてしまうのである
第4条 知らない人の悲しみに触れた時に臆面も無く泣いてしまうのである
第5条 電車やデパートで見知らぬ子どものオイタをちゃんと叱ることができるのである


そんなオヤジのほうが「ちょい」とか言ってる中途半端なオヤジより100倍カッコイイ
モテますよ、マジで

そして、「お人好しオヤジ」はすばらしいことに、今、これを読んだ瞬間からなることができます!
雑誌を講読する必要も、あり得ない値段のワイシャツを買う必要もありません(ぴしゃり)

見かけを磨くより、今までの人生と自分の中身を振り返って、これから一生懸命生きたっていいじゃないですか、それを誇りに思いましょう

皆さんが誇りを持って歩き出した時、きっと日本にはたくさんのカッコイイおやじが出現して、日本はもっと元気になる
同じ男として、そんな皆さんが見たいまる

・・・と、先週行った表参道のしゃぶしゃぶ屋さんで隣に座っていた「かなりがんばっちゃってる『ちょいワルおやじ』軍団」のかっこ悪い皆さんを見て思った

帰りの夜道が寒かった雪
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