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Yo_カッパな毎日

CANPANウェブマスターとしての毎日を綴ります・・・と言いながら更新はかなりゆっくり目なのでご容赦ください・・・


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夕暮れ富士に思う [2008年01月02日(水)]
東京から富士山を見れるのは、朝が多い

夕方は、たとえ雲が少なくても、空気が汚れてしまうためになかなかキレイには見れない。

しかしさすが正月休み、こんなにキレイな夕富士を見ることができた。



現在、日本の各所で人口の一極集中化が問題視されている。
特に東京などは不動産の値上がりが著しいと言われる。
だが、実際に値上がりが本当に激しいのは、その東京であっても一部の地域だけだ。他の地域はそれほどひどいわけではない。(それでも地方都市に比べれば高騰していると言えるが・・・)

この一極集中化の一方で、地方の過疎化とその活性化が大問題になっている。
地方の活性化には日本の人口が平均化することが一番の対策だと思うが、その逆はあっても平均化は起こりそうもない。

むしろ社会のインフラ事情を考えると、日本全国津々浦々に光ファイバー網を敷設するよりも、一極集中したところだけに絞ったほうが経費も抑えられるし環境も破壊しないのではないだろうか。

いっそ思いきって、日本に人が住む場所は「こことここだけ」と限定してしまってはどうかと思う。

住む場所という語弊があるかもしれない。要するに社会のインフラが整備された地域を限定するという意味である。他の地域に住むことももちろんできるけれども、それは小さな島に住むのと同じで、自然は多いけれどインフラ的には脆弱になることを甘受することが前提、というようなことである。

最近、脱サラして沖縄に移住する人が多いというが、こういう方々は、その道をあえて選択した方々なのだろうと思う。

全ての地域で誰もが同じ生活環境を享受できるというようなユートピアの出現など幻想でしかない。にも関わらず、私たちはその理想が実現しないことをいたずらに嘆いているような気がする。言葉を変えると権利ばかりを主張しているような気がする。

だから、人生における環境設計においても、何を選んで何を捨てるのかを考えて生きる方法を一人一人が選択する。それが権利であり義務として当たり前というようなことになれば、政治的・行政的に日本社会が抱えている大きな問題のいくつかはクリアできるような気がしている。(郷土愛的にも、そう簡単に割り切れれば世話はないことは重々承知なのだが・・・)

帰省されていた多くの都民が明日あたりからまた東京へ戻ってくるだろう。
その賑わいと共に失われるキレイな空気を、私は東京に住む以上は惜しむべきではないと自分自身に言い聞かせ、窓を閉めた
あけましておめでとうございます [2008年01月01日(火)]
年末はなんとも静かに過ごし(何もしなかったという話も・・・)、無事に新年を迎えた


   【自宅から見えた元旦の富士山】

2008年はCANPANにとって、大きな意味を持つ一年になる。

一番大きなポイントは、CANPANにいよいよ決済機能が付くということである。

YouTubeが最もわかりやすい事例だと思うが、時代はすでにコンテンツを提供する側とされる側の境目というか、区分は曖昧だ。

つまり、エンドユーザーである視聴者は、ある時はコンテンツ提供者となって、互いに自分が持っているコンテンツを同じ場所に持ち寄る。するとそこに一つの大きな情報共有ネットワークができ、流れができる。そして、それが社会変革に結びついていく。

そのためのインフラをどこかが提供さえすれば、その流れはすぐに作られる。そんな情報社会になってきた。

YouTubeが動画配信なら、CANPANは市民活動情報の集積地である。
その多くは文字情報かもしれないが、それに画像や映像が付加されることで、なかなか社会から見えづらかった市民活動の本当の姿が誰でもいつでも見られるようになってきた。

一つ一つのNPOやボランティア団体が持つ情報量には限りがある。
活動の規模や分野などによっても大きく違うものの、インターネットという巨大な情報の海の中で浮かんでいるということを考えると大差はない。

そこで、そもそもそういう情報に興味のある人同士が集まって作り上げるネットワークに情報を発信するだけで、情報発信にかける労力を軽減しつつも情報は自然と共有されていく、そんなインフラとしてCANPANは機能できるように作られている。

たとえそこに集まった情報の一つ一つが小さいものであったとしても、その集合体は大きな力を持ち得る。日本の市民活動の力がそこに見えてくる。

CANPANの様々な機能がユーザ自らの情報発信を前提に作られているのはそのためである。

まだ、これらの機能を有効的に使ってもらえていないなぁと思うことも多いが、それはたぶん我々のほうできちんとケアできていないのと、それぞれの機能がビジュアル的に連動しているように見えないからだと思っている。

今年は具体的事例などを出しながら、皆さんがイメージできる情報発信のあり方などを踏まえ、画面のレイアウトも変更しつつ、活動基盤となる資金獲得のためのツールを用意する。

これらの動きが2008年はどどーっと押し寄せることになるので、大きな意味を持つという冒頭の話につながってくる。

これは、様々な方がCANPANのコンセプトを理解して力を貸してくれることで実現が可能となった市民活動による社会変革プロジェクトと呼んでも差し支えないようなものだと感じている。

つまり、日本の市民活動にはそれだけのポテンシャルがあるということでもある。

2007年、社会全体では「偽」だったというが、今年はせめてプラスイメージの漢字で締めくくれる一年になってほしいなぁと思い、また、ポジティブな意味で市民活動が社会に注目される一年になってほしいと思い、とりあえず元旦は何もしないで寝てしまった。。。
将門首塚 [2007年12月29日(土)]


すっかり夜になった大手町には、このような案内標識が立っている。

「将門首塚(まさかど くびづか)」

そして、70m進むと



「将門塚(しょうもんづか)」

うーむ・・・正式名称はたぶん「将門塚」のほうではないかと思うが、伝説に重きを置くなら首塚が正しいだろう。(案内標識は、首塚のほうが皆にとって通称的に分かりやすいのでそのように記載してるだけかも。)

ただ、どちらも正しくないかもしれない。というのは、ここはどうも古墳であった可能性が高いからである。詳しくは知らないが、ここからは元々石室などが見つかっている。
つまり、誰かのお墓として祀られていたところに将門公が転がり込んだ感じだったら楽しい・・・将門公という人は、なんとなくそういうお茶目なところがあった人であるように私は思うからだ。

戦後の区画整理時に工事関係者が事故に遭うなどして、そのままここに残されることになった将門塚。そういった呪いや祟りなどが実在するとは私には思えない。おそらく偶然やわかれば納得のいく理由があるものだと思う。

ただ、「祟りがある」と生きている私たちが信じることは重要である。そこに畏敬の念が働くからだ。新年への祈りもそうだし、ご先祖への敬いもそうだが、人という生き物はつくづく自分で自身を律するということが苦手な生き物なのだと思う。だから先人や神の力によってそれを正そうとするのだと。



夜の将門塚は、年末のあわただしさを映す周囲のビルの中で、光もあたらず(周囲のビルには将門塚に向かって窓がほとんど無い「見下ろすのは不敬だから」)、ひっそりと佇み、なんだかとても気持ちが良い場所で、上野東照宮 → 神田明神 → 浅草寺 → 将門塚というよくわからないツアーを終えるにはちょうどいい場所だった。

来年はどのような一年になるのだろう・・・

今年、お世話になった本当にたくさんの方々に御礼申し上げます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。


一足早いお参り [2007年12月28日(金)]
今日は、御用納めの日である。

今年一年本当に色々なことがあって、ずいぶん仕事をしたような気がするが、何も進んでいないような気もして、なんとなく何かやり残したような、そんな気分になる。。。

システムメンテの担当だった頃はまさに今日、皆の仕事が早々とはけてからがメンテナンスの本番で早く帰れるなどあり得なかったが、ここ一、二年ほどはその業務から解放されたこともあり早く帰ることができる身分になった。

そこで、自分の決め事として御用納めの日はあちらこちらを歩き回ることにしている。

あちらこちらと言っても、神社と寺社巡りである。

基本的に神様を信じてはいないが、先人が残した気持ち、または文化というものに対して敬意を払う意味でお参りすることにしている。

今年はまず、上野に足を運んだ。

28日とはいえ平日の夕方、人の姿もまばらでとてもいい感じの静寂である。

上野駅の公園口を出て上野動物園方面に歩いていくと遊園地(?)があり、そこから参道が始まる「上野東照宮」がある。



この東照宮は、かの藤堂高虎の建立によるもので徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜の三公を祀っている。家康公は日光東照宮から江戸の地を護るとされているが、ここにも由緒正しく祀られているようだ。

とりあえずは、江戸を護る先人に挨拶・・・



続いてどこにするか迷ったが、やはり神田明神じゃないかと思い、そちらに移動。



こちら「天野屋」で甘酒などいただきつつ、神田明神をお参り。
天野屋の甘酒は本当に美味しいので、機会があればぜひお試しのほど

ここは、かの平将門公を祀る神社である。将門公については諸説あるが、私は個人的に彼は関東の民のことを考え続けた立派な為政者であったと思っている。
なので、江戸よりも広域を護り続けた先人ということで、上野から神田に移動したというわけです。

で、次はどうしようかと迷った挙句、なぜか浅草方面に行くことに・・・えらく効率の悪い異動の仕方をしていると自分でも思いつつ、とりあえず移動・・・



すっかり日も暮れた浅草寺はなかなかいい雰囲気である。これがあと数日も経つととんでもないごった返し状態になる。その前にお参りに来るというのは、そんなに悪くない。

もし神様がいるとして、31日じゃないとダメとか、元旦じゃないとダメとか、そんなどこぞの役所みたいな了見の狭いことを言うことはなかろうと思う。だって神だもん。

むしろお店もそうだが、ヒマな時に来てくれた人に手厚くするものだと思うが、神様はどうなのだろうか

それはともかく、要は人の心のけじめとして、個々人がいつがいいかを決めればいいのじゃないかと思う。ぶっちゃけた話で言えば、自分の誕生日がその人にとっての新年でいいんじゃないか?
ポータルサイト風に言えば、「MY 新年」みたいな・・・
最近はそんな風に、思う。

(明治神宮の元旦なんて、駅からお賽銭入れるまでに一時間半以上かかるらしく、しかもお賽銭箱は巨大な青いビニールシート、御利益もへったくれも無いと思うのだが・・・)

で、浅草寺で、もうやめようと思ったが、どうしても夜の将門公の首塚を見たくなって大手町に移動することにした。

この続きはまた明日書くことに・・・ホントにヒマ人みたいな気がしてきた・・・
忘年会トレイル終了! [2007年12月28日(金)]
12月といえば、忘年会のシーズン

自分の場合、アルコールに弱いこともあって、宴会の場でもあまり飲まないので肝臓には悪くないものの、夜の会が続くとさすがに胃が疲れてきます。。。

今年は例年になく、12月に入ってから毎日のように忘年会がありました

それだけたくさんの方々と今年一年を過ごし、お世話になったわけです

みなさま、本当にありがとうございました!そして、来年もまた引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

そんな中、先ほどようやく全ての忘年会トレイルが終了し、なんとも言えない安堵感が漂っています(笑)

最終日の今日は、バンドをやっている友人との忘年会ということもあり、一次会からいきなりカラオケ、ものすごい久しぶりだったので完全に喉が潰れましたが、聖飢魔Uとか、DEADENDとか、アースシェイカーとか、OZZYとか、そんな歌ばっかり唄えるメンツは他にないのではじけてしまいました。。。

・・・それにしても、DEADEND、カラオケで初めて歌ったけど、懐かしかったなー
情報発信がんばろう [2007年11月20日(火)]
しばらくブログを書くヒマもないほどバタバタの日が続いた。。。

気づいたら、とても恥ずかしい記事更新の状況になっていたので、これからは気楽に更新をしていこうと思いつつ、情報発信をがんばろうと、CANPANのブログ大賞を見ながら思った。。。

書きたいネタはたくさんあるのだけども、それを言の葉にのせて世に送り出す状態に構成することが大変なのだ。

自分の言ったことに責任を持つということもあるだろうけど、時間をかけて自分のブログを読んでくれる人に何を提供できるか、それがひっかかりのポイントだったりする。

と、そんな難しいことを考えているとただでさえ頭の回転が鈍いのに、ますます鈍くなってしまうので、あまり考えないことにした

ということで、これからもYo_カッパはただようイルカのようにやんわりいきます(笑)

終戦記念日に思うこと [2007年08月15日(水)]
この時期になると、自分が読む本は昭和史的なものに偏る。

それは何回も読んだものであったり、初めて読むものだったりするが、自分なりに60年前の戦争がなぜ起き、あのような結果を招き、そして今の日本につながっているのかを考える必要を感じていて、毎年行う習慣のようになっている。

日本という国は長所も多いが短所も多い。
ビルが空へ向かって高く伸びれば伸びるほど、引く影も長く長くなる。
国の有り様もまた、そのようなものかもしれない。

先の大戦と前回の参院選で似ている点がある。
それは、国の大事が、くだらない政党間の争いによって蓋をされてしまうという事実である。
そして戦前のその蓋は、国を転覆させる腐臭を放ってようやく開けられた。

ロンドン軍縮条約批准時、政友会の鳩山一郎は、統帥権干犯を持ち出して民政党をやり玉にあげた。

当時の日本が置かれた状況を鑑みれば、統帥権干犯など関係なかった。もっと大きな意味を条約は持っており、それに対して日本はどういう国際戦略で乗り切るのかを議論すべきであった。

参院は国家の要諦を決める重要なセクションだ。今回の参院選は問題が山積する現在の日本と、その国民の生活の今後に大きく関わる重要な選挙だったはずだ。

戦争でこそないが、日本が置かれた困難な国政の舵取りをどうしていくのかを国民一人一人が考え、託すべき人を選ぶものではなかったか。

ところが実際には民主党の論点のずれた自民党への攻撃が功を奏し、自民党は歴史的な大敗を喫してしまう。

民主党は参院の持つ意義と共に国家の大計を論じていたか?
赤城氏の事務所費問題、これが国の舵取りと何の関係があるのか?

国の行く末が、一大臣の事務所費の経理処理問題によって容易に論点がすり替えられてしまう。
この日本国民の政治感覚の鈍さ、私たちは過去の戦争から何を学んできたのか?

お金の問題だけにフォーカスして言うなら、日本は先進国一の借金大国、国民一人あたり600万円以上の借金を抱えて国というものが運営されている。民間企業ならとっくに倒産している。

そして、なんと1秒間にその借金は19万円ずつ増えている。
これを財務省がホームページのトップで「借金時計」を掲げ、増える様子をリアルタイム表示するという。この英断には敬意を表したい。

この借金と赤城氏の事務所費問題、どちらが我々国民にとって考えなければならない重要な問題か、そんなことは自明であるはずではないか。

66年前、日本は世界から孤立して勝てないとわかりきった戦争へ突入した。
その際、世論は戦争賛成に傾いていたという。

当時の日本の選挙システムと今のシステムとは若干違うが、世論が味方せずして大きな国の舵取りができない点ではさほどの差はない。

戦争が始まった以降のことは為政者と軍トップにその責を求めうる。
だが、戦争を始めたこと、または始めざるを得ない状況を作ったことに国民に責が全くなかったとは言えないように思う。少なくとも統帥権を持つ昭和天皇は戦争など望んでいなかった。

今は、当時以上に日本国民は国の政治に対して権力と責任を負っている。
よく言われることだが「権利と責任はコインの裏と表」だ。権利ばかりを主張するのはまともな社会での有り様ではない。

終戦記念日、多くの戦没者の方々へ哀悼の意を表すると共に、これからを生きる自分たちが歴史を振り返り、世界と日本と、その将来のために何をすべきであるのか、皆さんと一緒に考えていきたい。


写真はこちらよりお借りいたしました。
「萌え〜が地球を救う」 「うち水っ娘大集合!'07」に参加 [2007年08月07日(火)]
秋葉原の夏に開催されている「うち水っ娘大集合!'07」というイベントをご存知だろうか。

これは、ボランティア団体である「うち水っ娘大集合!実行委員会」が主催するイベントで、今年で四年目となる。

先月、この委員会の実行委員長である真田さんをご紹介していただく機会があり、あれこれと話しをしていて、「イベントが8月にあるのでぜひ遊びに来てください」とお誘いを受けた。

個人的に秋葉原は、真田さんと同じくそれこそ子どもの頃から通っていた大好きな街の一つだが、バブル崩壊後のアキバ革命(個人的にそう呼んでいる)でアニメやフィギュア、トレカの専門店が電気店に取って替わる中で、マンガは好きでもアニメやその他にはあまり興味の無い自分としてはほとんど足を運ばなくなってしまった。

しかし、「JAPAN COOL」と呼ばれ、アニメを中心として海外からも注目を集め、古くからの電器系とも共存しながら新カテゴリで復活を果たした秋葉原は、資源立国ではない日本にとって、世界で生き残るための非常に重要な示唆を国内に示していると感じ、別視点でリサーチを続けてきた。

そんな中で出てきた「萌え〜」の文化・・・これは、、、正直に言うと個人的にはだいぶ辛いものがあって、テレビの映像を見ても何も「萌え」ない・・・ということで、秋葉原を代表する「メイドカフェ」には、残念ながら行く機会はなかった。日本はおろか世界に冠たる知名度の秋葉原発のカフェスタイルであるにもかかわらず。。。

で、真田さんがそのメイドさんが大集合するイベントの実行委員長というこの奇縁、猛暑萌え盛るアキバに出かけた。



各メイドカフェから集まったメイド姿の店員さん約60名がずらりと並ぶ姿は、「こりゃ萌えたい人にはたまらないよね〜」という言う以外になかなか筆舌に尽くし難い光景であった。

メイドさん達がずらりと並ぶ周囲にはファン(?)が幾重にも取り巻き、中には全身スターウォーズのストゥームトゥルパーの格好をしてる人(間違いなく中はサウナ状態。。。君の忍耐強さにはダースベーダ卿もお喜びかと)や、たぶん男だけど、なぜかメイドさんの格好してる人とか、「萌え〜」と書かれたヘルメットの人とか、色々とユニークな人がいて、それを見ているだけでも面白い。

そして中心にいる実に様々なスタイルのメイドさんの服装のバリエーションには本当に圧倒されてしまった。(メイドさんスタイルってこんなにたくさんあるのかと。。。)
たぶん個々のお客さんの趣味に応えられるようにできているのだろうと思われ、かゆいところに手が届く細かいアイディアと、その実践には頭が下がる。



オタク文化はこだわりの文化でもあり、その徹底したこだわりは、単にかゆいところに手が届くというレベルにとどまらない。「え? あ、ここ、かゆかったかもー」ということを教えてくれるくらいのレベル感。(いま一つ意味がわからないけど。。。)
「誰かのために何かをしたい」というマインドから見ても見習うべきところがたくさんある。

脱線してしまったが、このイベントは、れっきとした「地球環境を真剣に考えるイベント」である。
このイベントの主旨は『楽しみながら地球のことを考える』であり、『秋葉原も地球環境を考えている』である。


秋葉原環境会議」の様子。秋葉原として何ができるのか活発なアイディアが出ていた。
アキバの雰囲気も満点


環境問題は非常に難しい。単純に「環境にやさしい=善」と言い切れるものではない。再生紙一つとっても、100%の再生のためには化石燃料を新パルプから製造するよりも大量に消費しなければならないという矛盾が指摘されていたりする。

実際のところはわからないが、色々な問題があるということだけは素人の私でもわかる。
とすれば、「市民一人一人として生活の中でできることは何か?」を考える機会をわかりやすい形で、しかも、自分の興味のあるカテゴリに盛り込んで提供するこのようなイベントは、取り組みとして非常に奥深い。

真田さんは若いけれども非常にしっかりしたビジョンを持った公益マインド満点のナイスガイである。彼と一緒に何か仕掛けていけたらいいなぁと思っている。


たくさんのメディアによる取材攻勢・・・この露出の高さがうち水っ娘イベントのキーである。

山崎拓氏、北朝鮮訪問に思う [2007年01月18日(木)]
幕末の鬼才「勝海舟」は、幕府の命令を受け咸臨丸に乗り米国を視察、帰国後、老中安藤信正に「貴殿がアメリカで見てきた日本との違いは何だ?」と聞かれ、「大した違いはなかったが、アメリカではそれなりの地位の人はそれ相応の才覚を持っていました。」と幕府組織に強烈な皮肉を言い、お叱りを受けたと後に語っている。

その幕府がその後どうなったかはご存知のとおりである。

その子孫たる100年後の私たちはどうか?

今回の山崎拓氏の意味不明な北朝鮮訪問について、議論百出したが、これほど情けないこともない。

与党に与しながら、国策を踏みにじるような独断専行、国益よりも自己主張を優先する身勝手な行動、戦略性のかけらも無い軽挙妄動、山崎氏が政治家としての資質に欠けることは今さら言葉をつむぐのも面倒になる。

さらに、この訪問についてもおそらく税金は使われているだろう(私費だとしても彼は公務員として税金から給与をもらっている。)、やりきれない思いだ。

しかし、問題はこのような政治家が過去に何度も政治家の資質と問われながらも、相変わらず政治家として存在できている事実であり、それを実現させている国民の資質である。

絶対神が専制君主となり善政を布いた場合、そこに住む人間は幸せであろう。
何か問題が起こったら「神さま〜」と、権利を自己主張して泣きつけば「よしよし」ということになって丸く収まるのだから、こんな楽なことはない。
しかし、代わりに人間としての尊厳は捨て去らねばならない。

民主主義が、今の日本は相当に末期的症状ではあるものの、それでも専制君主制よりマシだと思うのは、最終責任は市民が負っているという点にある。

今年は重要な選挙が予定されている。
そろそろ日本国民も自分の村が・・・だけでなく、政治に対して国民として責任を持つ大人になるべきではないか?なれるはずではないか?と思う。

そして、選挙に行くという責任を果たさない人は、「政治を批判する権利も無い」ことをあらためて銘記すべきだ。(テレビでもっともらしいことを言うコメンテーターの人達の投票率を知りたいと思うのは私だけでしょうか?)
戦争にたとえれば [2006年07月07日(金)]
インターネット世界における勢力抗争を実際の戦争に例えた場合、大きく異なる点が2点ほどある。

一番大きな点は、突然降って湧いたような新技術、またはアイディアが出現して勢力図を一気に塗り替える可能性が高いという点だ。

具体的事例で言えば「Google」の出現がまさにそれである。

通常の戦争において、敵の新兵器というものは、味方でも想定している、または研究や開発中であるといった状態で使用されるため、使われた側は唇を噛みしめてその兵器の威力を目の当たりにすることになる。

つまり、実際の戦争において、敵の新兵器使用は「予想できる範囲内の出来事」であり、石器時代にミサイルが出現することはない。

もう一点は、必ずしも金持ちが勝つことはないという点。別な言い方をすれば、商人との結びつきがなくとも勝てると言うこと。

中世ヨーロッパにおいて十字軍を支えたヴェネチア商人、チンギス・ハーンの世界征服を支えたシルクロード商人、織田信長とつながっていた堺商人、最近ならアメリカの軍需産業。戦争の影には常に商人の意思が動いている。

しかし、インターネットの世界では、商人というアイテムは勝つための必須条件ではない。つまり、ある個人が何の制約もない状態で世界を席巻できる可能性を持っている。

この二つの特徴は何を物語るか?

それは、インターネット世界が、「戦略的優位が戦術のみで容易にひっくり返るという別世界」ということである。つまり、リアルの世界での常識である「戦略的勝利が戦術的勝利によって一気に覆るということはまず有り得ない」が、容易に起こり得る世界なのだ。
逆にそれこそがインターネットに大きな可能性を感じる部分でもある。ちょっと意味合いは違うが、アメリカンドリームの世界と言ってもいい。

変な表現ついでに、ジョン・レノンが歌った「イマジン」の世界が実現されるとすれば、それは人間の精神面において、インターネットのバーチャルな世界がリアルな世界を乗り越えた場合か、ドラえもんが「どこでもドア」を出してくれた場合しかあり得ないと思うのだ。

人間はきっと三次元という中途半端な世界を持て余しているのだと思う。「欲」というものは、人間の住む世界が二次元に落ちても四次元に上がっても、一気に減少するだろう。(減少することがいいかどうかは別として)

ちょっと意味のわからないことになってしまったので戻すと、CANPANが、世のため人のために「これはすごい!」というようなアイディアを具現化したとして、それを誰もが使い始めたら、それはGoogleが提言する「インターネットの意思」として、確実に世の中は良くなっていくだろう。

そこには特定の商人の意思だとか、特定の人の政略的な意思だとかの入る余地が無い。

やや逆説的な言い方になってしまったが、だからこそ、CANPANは成功しなければならないのだと最近思う。
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