コーポレートガバナンスと障害者雇用(前編)[2007年04月04日(水)]
特定非営利活動法人 大阪障害者雇用支援ネットワーク理事 久保克己
障害者が「働く」ということ
荒れ果てた状態の真の原因を放置したまま、ほころびた部分を修繕していくようなネットワークではなく、誰もが働きやすく、暮らしやすい地域の生活基盤の源となるような就業・生活支援のネットワークが必要です。
2001年5月に世界保健機関は障害に関する国際定義を大きく変更しました。機能よりも活動という側面を重視し、個人の内側にのみ活動制限の原因を求めるのでなく、活動制限・活動抑制をもたらしている原因が外側の環境・社会・制度等に大きくあることを明確化しました。
従前は、個人の障害受容、リハビリテーション、その次に就労というボトムアップ的な捉え方が主流でした。そのためか、無理をして働かなくてもいいという考えが、本人、医療機関、家族、地域社会には未だに残っています。
障害者が働くために必要なこと
「働くということ」はヒトの最重要特性であり、本来は、これを最終目標としてトップダウン的に要件を捉えていかねばなりません。そうすれば、個々の事例においても、働くために何が必要なのか、できることを増やしていくためには何が必要なのかが次第に明らかになっていきます。
コミュニティーの整備
ヒトは、人類として、私人(個人)として、公人(社会人)として3つの側面を多面的に生きている動物です。本来は、それぞれを満足させるコミュニティーが各地に形成されているべきです。生存権、学習権、労働権という3つの生きる権利を十分保障する公共インフラストラクチュアを国や自治体は少子化等を嘆く前に整備しておくべきではないでしょうか。
できることを見つけて支援する枠組み
従前の考え方でいけば、リハビリテーションは個人の障害を起点としているため、本人のできないことの確認から始まります。できないことをリストアップし、できないことやできていないことを軽減していくことを目的とした訓練が始まります。
しかし、軽減・改善が進まないまま、年月だけが過ぎていき、いつのまにか高齢者になっていたという事例が多々あります。できないことに収束するネットワークは閉鎖系の小さな環となり、個別化し過ぎて、本人、家族、担当職員に負担が集中し、ベテランの専門家でないと対処しきれない構造に陥ります。
unpaid workの中においても、少しでもできることを見つけて支援する枠組みが必要、このような連携の中であれば企業就労につながる関係ができます。
「働くこと」を最終目標とすればpositive assessmentから始まります。外に向かって可能性を探します。就業支援は、利用可能なあらゆる手段を駆使した上での就業能力を重視します。できることをとおして他者との関係力を増やしていくことを目的とします。ここに開放系の発展要素があり、ネットワークを共用化、一般化、社会資源化していくことが可能となります。
道具、機械、情報を活用した障害者の「就労可能性」の広がり
道具、機械、情報を活用すればいくらでも能力は拡大します。
経済学者のセン博士のcapability(ケーパビリティー)という考え方とマウスの考案者エンゲルバート博士のNIC(networked improvement community)という考え方を融合していけば、障害のある人の就業可能性はさらに広がります。習合力というものをもっと尊重しなければなりません。
従来の職業リハビリテーションの考え方とは・・・
個人の身体的な能力(intra ability)には限界があります。
走力、筋力、投げる力などの運動能力、器用さ、知的能力などは努力をしても限界があります。学齢期においては脳内学力が偏重され、検索ソフト・辞書・電卓の活用・友達の活用などは御法度です。産業界においては個人別の作業効率や営業成績などが重視され、こうした尺度への適応力を求めてきたのが従来の職業リハビリテーションでした。適者生存、選別、強者勝ち残り社会を肯定する考えでした。
育ちやすく、学びやすく、暮らしやすい、働きやすい地域社会へ向けて
しかし、道具・機械・情報という外側にある能力資源を有効に活用していけば、個人の能力(inter capability)は飛躍的に拡大します。誰もがいつでも道具・機械・情報等を利用可能であれば、障害のある人の活動能力・就業能力がもっと拡がります。
内側で自分を変えることに四苦八苦するのでなく、道具・機械・情報等の利用、支援者・仲間の活用、組織力の利用などを進めていけば、数々の課題に対処していけるはずです。育ちやすく、学びやすく、暮らしやすい、働きやすい、共有資源が豊富で協同利用が可能な、そういう地域社会があちこちに生まれてくれば、企業就労に対する敷居はぐっと低くなります。
<参考資料>

出典:大阪労働局報道資料(平成18年12月14日)
障害者が「働く」ということ
荒れ果てた状態の真の原因を放置したまま、ほころびた部分を修繕していくようなネットワークではなく、誰もが働きやすく、暮らしやすい地域の生活基盤の源となるような就業・生活支援のネットワークが必要です。
2001年5月に世界保健機関は障害に関する国際定義を大きく変更しました。機能よりも活動という側面を重視し、個人の内側にのみ活動制限の原因を求めるのでなく、活動制限・活動抑制をもたらしている原因が外側の環境・社会・制度等に大きくあることを明確化しました。
従前は、個人の障害受容、リハビリテーション、その次に就労というボトムアップ的な捉え方が主流でした。そのためか、無理をして働かなくてもいいという考えが、本人、医療機関、家族、地域社会には未だに残っています。
障害者が働くために必要なこと
「働くということ」はヒトの最重要特性であり、本来は、これを最終目標としてトップダウン的に要件を捉えていかねばなりません。そうすれば、個々の事例においても、働くために何が必要なのか、できることを増やしていくためには何が必要なのかが次第に明らかになっていきます。
コミュニティーの整備
ヒトは、人類として、私人(個人)として、公人(社会人)として3つの側面を多面的に生きている動物です。本来は、それぞれを満足させるコミュニティーが各地に形成されているべきです。生存権、学習権、労働権という3つの生きる権利を十分保障する公共インフラストラクチュアを国や自治体は少子化等を嘆く前に整備しておくべきではないでしょうか。
できることを見つけて支援する枠組み
従前の考え方でいけば、リハビリテーションは個人の障害を起点としているため、本人のできないことの確認から始まります。できないことをリストアップし、できないことやできていないことを軽減していくことを目的とした訓練が始まります。
しかし、軽減・改善が進まないまま、年月だけが過ぎていき、いつのまにか高齢者になっていたという事例が多々あります。できないことに収束するネットワークは閉鎖系の小さな環となり、個別化し過ぎて、本人、家族、担当職員に負担が集中し、ベテランの専門家でないと対処しきれない構造に陥ります。
unpaid workの中においても、少しでもできることを見つけて支援する枠組みが必要、このような連携の中であれば企業就労につながる関係ができます。
「働くこと」を最終目標とすればpositive assessmentから始まります。外に向かって可能性を探します。就業支援は、利用可能なあらゆる手段を駆使した上での就業能力を重視します。できることをとおして他者との関係力を増やしていくことを目的とします。ここに開放系の発展要素があり、ネットワークを共用化、一般化、社会資源化していくことが可能となります。
道具、機械、情報を活用した障害者の「就労可能性」の広がり
道具、機械、情報を活用すればいくらでも能力は拡大します。
経済学者のセン博士のcapability(ケーパビリティー)という考え方とマウスの考案者エンゲルバート博士のNIC(networked improvement community)という考え方を融合していけば、障害のある人の就業可能性はさらに広がります。習合力というものをもっと尊重しなければなりません。
従来の職業リハビリテーションの考え方とは・・・
個人の身体的な能力(intra ability)には限界があります。
走力、筋力、投げる力などの運動能力、器用さ、知的能力などは努力をしても限界があります。学齢期においては脳内学力が偏重され、検索ソフト・辞書・電卓の活用・友達の活用などは御法度です。産業界においては個人別の作業効率や営業成績などが重視され、こうした尺度への適応力を求めてきたのが従来の職業リハビリテーションでした。適者生存、選別、強者勝ち残り社会を肯定する考えでした。
育ちやすく、学びやすく、暮らしやすい、働きやすい地域社会へ向けて
しかし、道具・機械・情報という外側にある能力資源を有効に活用していけば、個人の能力(inter capability)は飛躍的に拡大します。誰もがいつでも道具・機械・情報等を利用可能であれば、障害のある人の活動能力・就業能力がもっと拡がります。
内側で自分を変えることに四苦八苦するのでなく、道具・機械・情報等の利用、支援者・仲間の活用、組織力の利用などを進めていけば、数々の課題に対処していけるはずです。育ちやすく、学びやすく、暮らしやすい、働きやすい、共有資源が豊富で協同利用が可能な、そういう地域社会があちこちに生まれてくれば、企業就労に対する敷居はぐっと低くなります。
<参考資料>

出典:大阪労働局報道資料(平成18年12月14日)



