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見義不為無勇也

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真っ白 [2012年01月31日(Tue)]
被災地はどこも雪。現場活動は明日も見合わせ・・・・


このところの寒波で仮設住宅のあちらこちらで水道管が凍って水が出ない。空調機が寒さで故障。ボランティアの拠点も同じようなトラブル続出。
Posted by coco at 23:23 | 東日本大震災 | この記事のURL
M8級が再び [2012年01月31日(Tue)]
太平洋沖、M8級余震も 海洋機構、プレート内の力変化
河北新報 1月31日(火)6時10分配信

東日本大震災の地震により、東北地方に沈み込んでいる太平洋プレート(岩板)の内部で力のかかり方が変化したことを、海洋研究開発機構などのチームが観測で発見し31日、米科学誌に発表した。東北沖の太平洋遠方で起きる地震は、震災前にはマグニチュード(M)7級と考えられていたが、余震として起きる地震がM8級になる可能性も出てきたという。
 遠方の地震が実際に起こる確率は不明だが、チームの尾鼻浩一郎主任研究員は「1933年の昭和三陸地震(M8.1)と似たタイプ。断言はできないが、発生しやすくなっているとも考えられる」としている。

チームは昨年4〜7月、宮城、福島両県の沖合250キロ以上離れた海域に設置した20台の海底地震計で、太平洋プレートの内部で起きる余震を観測、データを分析した。

約1700回の余震のうち、50回分の発生メカニズムを解析したところ、引っ張られる力によってプレート内部の断層がずれる「正断層型」の地震と判明。この型の地震は深さ約40キロのプレート下部でも起きていた。

震災前の観測では、正断層型は深さ20キロまでしか起きていなかった。チームは、それより深いプレート下部では圧縮される力がかかっていたが、震災によってプレートにたまっていたひずみが解放されるなどして、引っ張られる力に変わったと判断した。

震災前は、プレート内の断層で地震が起きても、力の境目で止まりM7級とされた。しかしプレート全体が引っ張られる力に転じたことで、上部から下部まで一気に断層が動くケースも考えられ、M8級になるという。

尾鼻研究員は「プレート内部の地震は研究が進んでいない。十勝沖や房総沖なども調査したい」と話している。 .

南三陸町へ [2012年01月30日(Mon)]
南三陸町へ復興状況調査に。

それぞれの自治体によって復興の進捗状況は様々。進んでいるように見える部分、遅れているように見える部分。
どこでも共通しているのは山のように積まれた瓦礫の最終処分場の問題。

防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、多くの町民の命をすくった町職員遠藤未希さんが詰めていた防災対策庁舎。沢山のお花が手向けられていました(涙)


大津波直後の防災対策庁舎。三階建てのビルをすっぽり呑み込んだ。

Posted by coco at 22:11 | 東日本大震災 | この記事のURL
ご馳走さまでした [2012年01月29日(Sun)]
いただきま〜す(^o^)/


(^3^)v


(^0^)P


(^^;)



ご馳走さまでした(^^)/

初めての贅沢はこちらです。
Posted by coco at 23:13 | 東日本大震災 | この記事のURL
軽トラもいろいろ [2012年01月29日(Sun)]
災害現場で大活躍の軽トラですが、ホイールベースのロングとショートがあります。
直線走行性能をとるか小回り性能をとるか・・・・


Posted by coco at 18:54 | 東日本大震災 | この記事のURL
浜で足湯 [2012年01月29日(Sun)]
今日は牡鹿半島で足湯。午前も午後も大賑わいの足湯でした。




Posted by coco at 18:21 | 牡鹿半島部 | この記事のURL
回復しました [2012年01月28日(Sat)]
先日来の腰痛も大分回復しました。お蔭を持ちましてまだ100%とはいきませんが、現場に復帰することができました。
いろいろとご心配をお掛けしました。

そこで一句。

怪我をして 改めて知る 友の温もり


【被災地雑感】

打ち上げられて未だに海に帰れぬ漁船。


アスベストの建物が無造作に解体されています。子どもたちのの健康が心配です。


造船所で活躍する日本財団補助の大型クレーン車。


子ども遊び場の人気者、め組のゴンちゃん


被災地で見つけたベトナム製のなんちゃってオレオ。なんと88円也

Posted by coco at 20:58 | 3.11団体支援 | この記事のURL
助っ人に [2012年01月28日(Sat)]
NANAHANA組は市内の仮設住宅で足湯活動。


その間、津波で流されてきた醸造元の巨大醤油樽を貰い受け、子どもの遊び場で活用したいとのことで、遊び場づくりをしているめ組JAPANの助っ人に。ニーズ難易度はやや臭いのでカテゴリー3。

まずは樽の中にある大量の瓦礫と、そこに残っている醤油風なぞの液体をサイホンで抜き取り作業。


手巻きウインチで傾け、最後は軍用Gクラスで牽引し横倒し



既に大人が遊んでいます・・・


近所の方も見守る中で無事終了。考案しため組のケロちゃんも大喜び。
お疲れ様でした。


ずっと昔から大切に使われてきたものが瓦礫という名のもとに、なんでもゴミにされ捨てられてしまう被災地。少しでも使えるものは再利用したい。
津波で流されてきた醤油樽も瓦礫にならずに、子どもたちの遊具として活躍してくれるでしょう。

子どもの元気は街の元気。
復興の街に響く子どもたちの笑い声。

Posted by coco at 16:17 | 3.11団体支援 | この記事のURL
足湯のあと [2012年01月27日(Fri)]
毎週金曜日は仮設住宅への支援を行っている団体間の情報交換会。みんな真剣です。


め組JAPANと雪の舞う中打ち合わせ。


ご存じめ組のケロちゃん号

Posted by coco at 22:00 | 東日本大震災 | この記事のURL
天使の声 [2012年01月27日(Fri)]
1万人を救ったあの命のアナウンスが教科書になります。


河北新報 1月27日(金)6時10分配信
避難呼び掛け犠牲 南三陸町職員の遠藤さんが教材に

宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。

埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて同県が独自に作成。公立の小中高約1250校で使われる。

遠藤さんを紹介する文章は「天使の声」というタイトル。遠藤さんが上司の男性と一緒に「早く、早く、早く高台に逃げてください」などと必死で叫び続ける様子が描かれ、「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と語る町民の声を紹介している。

教材ではほかにも、埼玉県深谷市出身で津波に流される車から市民を救出した釜石市の男性職員の話などが掲載される予定。

同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。

遠藤さんの父清喜さん(57)は「娘が生きた証しになる」と話し、母美恵子さん(53)は「娘は自分より人のことを考える子だった。子どもたちにも思いやりの心や命の大切さが伝わればいい」と涙を流した。

遠藤さんが防災無線で避難を呼び掛け続けた南三陸町の防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となった。佐藤仁町長が津波被害の象徴として保存の意向を示したが、遺族の強い反発を受けて解体が決まっている。

◎「天使の声」教材の要旨

遠藤未希さんを紹介した教材の要旨は次の通り。

天使の声

誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。

未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。

突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
「地震だ!」

誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。

はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。

「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。

地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。
「潮が引き始めたぞぉー」
午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。

津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。

未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。

「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。

未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。
町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。
5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。

変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。

出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。

Posted by coco at 21:43 | 東日本大震災 | この記事のURL
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