市内の仮設住宅で足湯活動。
久しぶりに復活した足湯隊に同行し市内仮設へ。もともとボランティアが支援に入りにくそうな小規模仮設で始めた足湯ボランティア。「しばらくだね」「いままでどうしてたの?」と声が掛る。
仮設住宅の生活にも多少慣れたように見える表情。プランターなども増え表面的には明るくなったように見える。
足湯に来られた女性の方が今日が誕生日。ということで、早速ケーキを買って来てみんなでお祝い。
足湯のつぶやき
今回はテーマ【慰霊・供養】
釜石の畑のわきに蕨をうえていて、去年ものすごく沢山とれたので今年はどんなにとれるんだろうと思ってたけど、流されてなーんにもなくなってしまった。杉の木も枯れてしまった。初めは元気そうにみえたけど、だんだん葉っぱが赤くなってきて、枝も落ちたりしてきて・・・木霊じゃないけどお父さんが悔しがって一緒にもっていったのかなぁって。毎月11日の近くにお墓参りにいって、その時に杉の木も見てきたのだけど。本当にもう・・・うちは親戚も含めて7人亡くなって、4人はまだ行方不明のままで。私は杉の木につかまって。津波は来るときは山のようにみるみる盛り上がってくるので、必死につかまって上の方に登って登って、息をつくのも大変だったけど。だけど波が引いていく時は登っていた木がしなって釣竿みたいになった。お父さんは流されたけど、私は・・・与えられた命は与えられた時まであんだよねえ。。
(2月1日 遠野・仮設 70代 女性)
宝来館に勤めていて、皿洗いで右手がむくんでいるので、右手をやってほしい。流されてしまったが、1月から再開して、今は、法事が多い。旅館に泊まる人もいる。親戚の方が見つかったので、法事がある。
(2月24日 釜石・仮設 70代 女性)
松島で亡くなった主人の一周忌を済ませ、娘、息子の家族と1泊してきた。このあたりでも700人ぐらい亡くなった。自分はプールに行っていて助かった。出かけていた方ばかり助かった。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)
仮設は顔見知りばかり(元々ご近所で浜の方の人)だから助かる。家を流された人が多く、自分は家は大丈夫だったが、夫が流された。もうすぐ1年だから一周忌をしようと考えている。家は2Fが大丈夫で直せば住めるが、どうしたらよいかどこから考えたらよいか分からない。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)
先日からお彼岸に入ったから忙しい。うちも(津波で)親類が亡くなったから、先月1周忌を済ませたの。亡くなった人も多いから、法要も混むでしょ。だから2月にやったの。
(3月18日 七ヶ浜・仮設 80代 女性)
親戚の一人がまだ発見されてないから、お墓に行っても意味がない。だから家の跡地に行って拝んできたよ。早く見つかってくれなきゃ、骨もないからお墓も作れない。大事にしていたものが全部流されちゃったよ。何も残っちゃいんべ。仏壇の中にお金(昔から記念にとってあった)を入れといたけど、あんなところからとれなかった。流されちゃった。自分の身を守ることで必死だった。
(3月18日 遠野・雇用促進住宅 60代 女性)
午後からお墓参りに行ってた。息子たちも来てたんだけど、もう帰ったから。お彼岸の料理を作るのに、2〜3日忙しかった。お金もかかるし。いつも10時〜15時まではここ(集会所)にいるから、帰ってから料理の準備してたよ。
(3月18日 七ヶ浜・仮設 70代 女性)
大槌でね、周りの人も46人亡くなったんだよ。僕は、仕事が終わってウニやアワビを採ってたんだよ。大槌には、彼岸の時にお墓参りに行ってきたよ。あまりの変わりように言葉もないね。
(3月23日 遠野・雇用促進住宅 60代 男性)
葬式が簡単なものだったから、1周忌はきっちりやったよ。家も何も流されてしまったけれど、家族は無事だった。水も電気もなく、こんな生活をするとは、思ってもなかったよ。
(3月24日 釜石・仮設 60代 女性)
横浜にずっといたの。子供の所に先月戻ってきた。知り合いが5人も亡くなっているので、祈っているんだ。
(3月24日 釜石・仮設 80代 女性)
日本財団ROADプロジェクト 足湯ボランティア担当
(震災がつなぐ全国ネットワーク)
(東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会)