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見義不為無勇也

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木を切れない木こり [2011年09月11日(Sun)]
俺の仕事は木こりです。

福島原発事故の影響で福島・宮城のシイタケのホダ木は売れなくなり、木を切れない木こりになってしまいました。

俺の木こり仲間はみんな木が好きだったり里山が好きだったり・・・。

キレイに伐採された里山を見て、「俺たち地球にいいことしてるよね」が口癖だった。





Posted by coco at 22:27 | 東日本大震災 | この記事のURL
和歌山からのレポート [2011年09月11日(Sun)]
台風12号被災地の和歌山に向かった、北海道のカヌーガイドがってんからのレポートです。

がってんより
9月11日のレポート

とても暑い日が続いている中での復興作業が続いています。暮らしの場になだれ込んで来た土砂や瓦礫は果てしない量です。山間部のため道が狭いコト、道が限られているコト、この二つは復興作業の進行を遅らせている部分があります。

もう一つ復興作業を遅らせている原因と言えば、現地で共に汗を流すボランティアがほとんど居ないと言う事です。
もしかしたら、テレビで報道されていないからですか?
ツイッターでつぶやかれて居ないからですか?

想像してみてください。
山が水と共に怒濤の様に雪崩込んで来たことを。
多くの谷は、20メーター以上の高さの水が集落の中を走り過ぎたこと。





キラキラ屈斜路湖ガイドステーションわっか
台風12号の被災地からの報告 [2011年09月11日(Sun)]
台風12号被災地熊野の救援活動の様子です。




12号救援活動 [2011年09月11日(Sun)]
先に本ブログにてアップさせて頂いた台風12号被災地からのSOSに応え、早速行動してくれた関西のチェーンソーボランティアの仲間

津波被災地の宮城・岩手にもはるばる関西から駆けつけてけれた猛者たち。熟練した彼らならではの難所の流木処理に大活躍です。

お疲れ様です。


※水害流木の処理にあたっては、木そのものにさまざまなテンション(応力)が掛かっています。チェーンソーによる切断処理には熟練した技が必要です。
腕に自信のない方は決して無理をしないように!
おめでとう! [2011年09月11日(Sun)]
・・・・・
パパもママも二人の幸せを祈ってます・・・

Posted by coco at 14:18 | 家族のこと | この記事のURL
半年を振り返って【1】 [2011年09月11日(Sun)]
[やっぱり来たか]

3月2‐3日最上と鶴岡、7‐8日と村山と米沢と大震災が起きる数日前、山形県のNPO主催の防災セミナーで講演を行っていた。そして地震の翌日は神奈川県川崎市で救援活動の訓練講師の予定が入っていた。なので夜18時ごろには仕事を終え、新幹線に乗る予定だった。

山形県では、宮城県はこれから30年の間に、99%の確率で大地震が起きると言われる、日本で最も地震に備えなければならない県で、お隣の山形県においても何らかの影響を受けることになります。なんてもっともらしいことを言いながらも、まさか自分が生きているうちはまず来ることはないだろうと、信じて疑わなかったことは否めない。

しかし・・・・。
この大地震が起きた時、春の湿った雪が降る宮城県南部の椎茸のほだ木の伐採現場にいた。午後の休憩に入る少し前、聞いたことのなり大きな地鳴りがし、長い間地面が大きく揺れ動いていた。突然の経験したことのない大きく長い揺れに、呆然と立ち尽くし、むしろ地震と気づくまで少し時間があったように思う。

ふと我に返り、ツイッターでその時の状況を全国に伝えた。

その後も何度となく大きな余震があった。

山仕事を中断し山を降り、地域を回り倒壊家屋など大きな被害がないことを確認し、日本各地の災害ボランティア仲間と携帯メールにて連絡を取り合った。この時点でマイカーのガソリンがほとんど底をついていたが、幸いなことに11日夜、地震直後に新潟から被災地に向かっていた災害ボランティア「風組」からガソリンの給油を受けることができ、救援機材を車に積み、最初の活動拠点となる宮城県名取市の「NPO法人ドリームゲート」を目指した。

先に被災地に入った風組からの情報が今でもしっかりと覚えている。「黒さん、今回の被災地を見ると中越地震なんて災害とは言えなくなるぐらいの規模ですよ」と。中越地震の被災者である風組が言っていることの意味を噛みしめ被災地に入った。最初に心に決めたこと。感情は入れずに淡々とやろう。感情は入れずに。感情を入れたら自分が潰れるのが分かっていた。2004年、あの年は被災地に90日間。水害また水害また水害。最後があの中越地震。さすがに参った年だった。感情入れすぎ身も心もボロボロ。

翌12日には仲間のボランティアも各地から名取市の拠点に集結し、同市周辺での支援活動を開始した。

ドリームゲートとは本震災以前から大災害を想定した訓練を行っており、有事に際し連携することで合意がなされていたことが功を奏した。

その後、名取市の災害ボランティアセンターの立ち上げを機に、さらに被害が甚大との情報を受けていた宮城県北の石巻に拠点を移し、それから6カ月が経過した。

名取で活動していた他の仲間のボランティアは、石巻以外の被災地である福島県南相馬市・宮城県山元町・気仙沼市・南三陸町、岩手県大船渡市へとそれぞれ活動の現場を違え、現在も活動を継続している。

3.11にやっていた田舎の長閑な山仕事。原発の影響で福島・宮城で椎茸のほだ木を伐採することは出来なくなった。ほだ木が風評被害で売れないからだ。地方の細々と営まれていた林業も消えゆく運命なのか。伐採によって守られていた里山の機能もそれを維持する技も人間の愚かさで消えてしまうのか。


もう覚えていませんが、あの頃のツイッターを見ると、大地震の前に大きめの地震があったんですね。
Posted by coco at 10:18 | 東日本大震災 | この記事のURL
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