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大川小学校の桜 [2018年02月27日(Tue)]
きずな新聞を発行するアキちゃんが送ってくれた、大川地区を桜の名所にと活動している団体の記録集。
悲しい出来事を決して風化させることなく、花の持つ力で100年後も200年後も語り継がれる活動。

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中心となって活動された阿部棟梁。日本財団の長面番屋を建てて頂いたご縁を感じます。
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Posted by coco at 09:16 | 大川地区 | この記事のURL
番屋の竣工式へ [2014年10月05日(Sun)]
漁業従事者の交流やコミュニティ活動などの地域再生を目的とした「番屋」が完成し、その竣工式を訪ねました。この施設は日本財団とフランスのSecours Populaire Francaisの共同支援によって建てられました。
今後、この番屋は地元の漁業従事者で設立された、一般社団法人長面浦海人が地域の心の拠り所としてカフェなどとして活用される予定です。

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式典を飾った長面伝承太鼓と法印神楽 笹結
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遠く離れた仮設住宅からも送迎バスが出され笑顔の絶えない時間を過ごされました。
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緊急救援のとき以来2年数か月ぶりにお会いした、漁業体験型民宿のんびり村のお母さんもお元気でした。
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Posted by coco at 23:57 | 大川地区 | この記事のURL
大川地区の夏祭りへ [2014年08月14日(Thu)]
午前中はこのところ調子がイマイチの専用車両を整備に。足回りなのでじっくりとメンテナンスを。
そして午後は河北福地の夏祭りへ。
祭りの準備までの間、元RQの仲間達に北海道巡業を前に、講習機材等の整備を行っていただきました。ありがとうございました〜!

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こーのさんが作ってくれた、車載ジャッキを改造した災害救援機材。
これは本当にあらゆる場面で有効に使えます。
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第一次石巻残留隊のメンバー。ななはな組。一年ぶりに復活!
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第二次石巻残留隊の土竜隊長引率のもと、その土竜隊の似顔絵師さんも遠路はるばるお疲れ様でした。
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大川小学校へ通う子ども達が灯す迎え火。天国のお友達もその火を頼りにふるさとに舞い降りてきたでしょう。
そして、子ども達が元気に舞ってくれたソーラン踊り。その元気な踊りとかけ声もきっと見えたと思う。
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我が隊も機材整備と食べて呑んでの見学のようにも見えますが、チェーンソーにて迎え火用の薪づくりや、提灯に絡まる公園の樹木の枝打ち、そして撮影班とそれなりにお手伝いをさせていただきました。
Posted by coco at 23:53 | 大川地区 | この記事のURL
上棟準備 [2014年07月09日(Wed)]
13日の上棟式が行われる長面の番屋を見てきました。
画像は番屋を建てていただく阿部棟梁です。棟梁の工務店は大川小学校の隣にありました。一緒に暮らしていた娘さんのご主人と二人のお孫さんを津波で亡くされました。地区の代表者として翌日から100を超えるご遺体のお顔を川の水で洗い清め識別に立ち会われたとのことです。
あの年から小学校の周りに桜を植える活動をされています。
長面の番屋を棟梁に建てていただくのも何かのご縁のように感じます。

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今日の作業も台風に備えて内壁の固定とトイレ柵づくり。雨の予報が一転蒸し暑い一日でした。
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Posted by coco at 23:08 | 大川地区 | この記事のURL
少年の愛犬 [2014年07月08日(Tue)]
この犬はリュウくん。当時大川小学校6年生だったY君が一番面倒を見ていた家族です。祖父の
軽トラに乗り小学校に来るといつもと様子が違い、興奮するそうです。
大川小学校はこの震災の被災地区の中で、日本全国から最も多くの方々が訪ねて来られた場所かと思います。
Gakuvoに参加した学生たちにも出来るだけこの小学校であったことを伝え、この学校の姿を目に焼き付けていただくようにしています。

この小学校区の集落の多くは消え去りました。住民の方々もてんでんばらばら。あれから三年。その消えたふるさとをちょっと訪ねた時に立ち寄れる場所があっても良いように思うのです。行政には本当に必要とされている箱モノの優先順位を真剣に考えて欲しいと思います。例えば今再建されようとしている市立病院。旧郡部の北上・雄勝・河北の方々の便の良いところにあってこそ、同じ石巻市のように思うのです。

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Posted by coco at 07:14 | 大川地区 | この記事のURL
同じ失敗を二度と繰り返さないために(その7) [2014年03月29日(Sat)]
石巻市立大川小学校
「事故検証委員会」を検証する(ポプラ社)
第1章 調査を投げ出した石巻市教育委員会
から抜粋

子どもを救う方法は十分あった。
体育館脇の山は傾斜緩く、低学年でも登れる。椎茸栽培の体験学習も行われていた。5分あれば入釜谷方面への避難も可能。スクールバスもすぐ出られるように待機していた。地震から津波到達までは51分。地震による倒木はない。

地震発生後、校庭に避難し点呼。津波が来るまで校庭待機。
校庭ではたき火の準備も始まっており、避難する雰囲気ではなかった。たき火のための缶は少なくとも二つ用意されていた。山や道路の様子を見に行った教員はいない。早い段階で校庭にとどまる決定をしたことがうかがえる。もしくは話し合いが十分なされなかったのかもしれない。引き渡しの対応に追われていたわけではない(人数的にも多くない)

※画像は子ども達でも容易に登ることのできる裏山から小学校を望む

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Posted by coco at 16:31 | 大川地区 | この記事のURL
同じ失敗を二度と繰り返さないために(その6) [2014年03月29日(Sat)]
大川小学校事故検証報告書から抜粋

校長及び石巻市教育委員会の被災直後の対応

校長が大川小学校の現地に初めて入ったのは3月17日である。地震翌日には何らかのルートにより釜谷地区に到達することができたと推定され、校長はより早期に大川小学校の現地に入り、学校の状況を自ら確認するとともに、児童の状況について情報を収集し、石巻市教育委員会に正確に伝えるべきであったと考えられる。もしそれがなされていれば、石巻市教育委員会の認識も違うものになったと推定され、事故に対する対応体制を整えてその対策をとることができた可能性は否定できない。

震災当時、教育長が病気休暇中であり、教員出身ではない事務局長が教育長代理を務めていたことが、各学校の状況の把握、迅速な意思決定、学校現場への指示などに一定の否定的な影響を及ぼした可能性がある。震災の約1週間後には大川小学校の被害状況が特に大きいことが明らかになってきたのであるから、石巻市教育委員会はその被害状況に対応した対策本部を立ち上げ、対策を打ち出すべきであったと考えられる。そして石巻市教育委員会がそのような対策をとっていれば、遺族・保護者との関係ももっと変わったものになっていた可能性がある。

大川小学校及び石巻市教育委員会による被災直後の対応については、数多くの児童・教職員が被災した事故への対応としては、到底十分とは言い難いものであったと評価せざるを得ない。そこには、石巻市全体の震災による被害が甚大であったことが大きく関与したものと推定されるとともに、同校及び市教育委員会において、こうした重大事故時、特に教職員のほとんどが死傷する事態への対応が想定されていなかったことが大きな要因となったものと推定される。

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Posted by coco at 16:29 | 大川地区 | この記事のURL
同じ失敗を二度と繰り返さないために(その5) [2014年03月28日(Fri)]
石巻市立大川小学校
「事故検証委員会」を検証する(ポプラ社)
第1章 調査を投げ出した石巻市教育委員会
あの日、大川小学校で何が起きたのか?から抜粋

※生き残った児童、只野哲也君(当時5年生)の証言

ゴーッと、人がうなっているような、津波の音がそういう音なんです。ゴォーー、ゴ、ゴ、ゴ、みたいな。水の音じゃない。火山でも噴火するのかっていうような。オオオオオっていうよう音で、「こりゃまずいんじゃない?」って思いながら、おいは必至で走って、ここの山を登ったんですよ。雪も積もっていて、すべったんですけど、土に指突っ込んでガスガス登っていって、自分でも凄いと思ったくらい、火事場のバカ力っていうか」
哲也君は山にたどり着いたものの、津波に飲まれて気を失った。身体が半分ほど土砂に埋まっていた哲也君を掘り出してくれたのは、同じ場所に流れ着いた同じ五年生の友達だった。
「いまだにみんなで言っているんですよ。あの時、帰りの会で『さよなら』まで言えなかったことが悔いだなって」

※四人の生存児童のうち、過酷な被害当時の状況を証言し続けているのはこの哲也君だけです。その時、妹さんを亡くしておられます。
そして、お母さんもです。

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Posted by coco at 16:26 | 大川地区 | この記事のURL
同じ失敗を二度と繰り返さないために(その4) [2014年03月27日(Thu)]
石巻市立大川小学校
「事故検証委員会」を検証する(ポプラ社)
第1章 調査を投げ出した石巻市教育委員会
事実・考察《9》から抜粋

15時14分大津波警報。「10メートルの津波が来る」というラジオからの情報が、先生方に入り、輪になって会話をしている。子どもも状況をを察知し、「ここにいたら死ぬ」「山に逃げよう」と訴えた。先生は答えず。志津川出身の先生は「絶対山だ」と泣きながら訴えていた。

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Posted by coco at 16:22 | 大川地区 | この記事のURL
同じ失敗を二度と繰り返さないために(その3) [2014年03月25日(Tue)]
教職員の養成・教育に関する分析
(大川小学校事故検証報告書から抜粋)

大川小学校においては、一部の教職員は津波防災に関する経験・知識を積み関心を持っていたものの、それが共有・活用されず、教職員全体としての津波・防災や危機管理に対する知識は必ずしも十分ではなかったと考えられる。これは、当日の行動を適切に判断できなかった要因であったのみならず、事前対策としての災害対応マニュアル・防災訓練の検討が進捗しなかった要因の一つにもなっていたものと推定される。

このように大川小学校の教職員が津波防災や危機管理の知識・経験を十分に持ち合わせていなかった背景要因の一つとして、教員養成課程における防災・危機管理教育が十分ではないことがあると推定される。また、宮城県としての学校現場における津波防災対策の推進は、取り組みが新たに始められていたが、必ずしも十分に定着した状態までには至ってはいなかったものと推定される。

震災当時の大川小学校では、同校における勤務年数の短い教職員が多く、学校周辺の地域の状況(地理的条件、災害履歴をはじめとする災害環境、社会環境等)を必ずしも熟知していなかったものと考えられ、これが事前対策、当日の行動のいずれにおいても学校裏山を避難先として選択できなかったことの背景要因となった可能性がある。

※推定される=ほぼ間違いない場合の文末表現

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Posted by coco at 21:38 | 大川地区 | この記事のURL
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