中越地震被災者の手記【1】 [2008年10月22日(水)]
明日10月23日、中越地震から4年になります。その地震が切っ掛けで多くの友達を得、そして、それ以降の災害被災地で一緒に活動する仲間も増えました。その一人で、以前ブログでも紹介した小千谷の間野棟梁。4年という歳月を経て、ようやく地震の時の状況をご自分の手記として書いてくれています。ご本人の承諾を得て転記し、ご紹介させていただきます。この生の手記を読んでいただき少しでも多くの人々に地震災害というものを再認識していただきたいと思います。 《以下》 【その1】 四年前、10月23日が来るまでは俺自身、割りと普通に生活していた。 どこにでも居る普通の村人?でした。 うーんちょっと違うか。 ちょっと変わった村人の方が正しいか。 地震当日確か土曜日だった。いつもと変わらず仕事にいき。一服の時間にガンダムの話で盛り上がってたな。 「新しいガンダムってガンダムSEEDステファニーだったかね?」 「ステファニーじゃねーよ!!デスティニーだよ!!」 こんな感じで楽しく仕事をしていた。 まさか この後 仲間の大工と電気屋と一緒に地震に遭うとは夢にも思っていなかった。 そして5時56分。 現場の掃除をしてる時にあり得ない揺れに襲われた。 なに〜〜!!これ〜〜!!??? 言葉では表現できない縦揺れ横揺れごちゃまぜみたいな感じの揺れだった!! 立って移動しようとしたけど何回も転んでしまった。 もう一発くるぞー!!! 一階から声がする。 本当にきやがった!! 本当に凄い揺れ、家がギシギシ、足場ガチャガチャ、悲鳴をあげている。 少しおさまった所で外に出る。 足場は倒れてないし家も大丈夫みたいだ。 もしかしたら大した事ないのかも!!と思ったのも束の間。 道は全面ヒビ割れ 陥没 崩落さらに山から水が流れてきている!! ようやく現実を理解した。 これは大変な事になったぞ!! 一刻も早く帰ろう!! ここで仲間の大工と電気屋と別れる。 彼らは山古志へ。 俺は地元、岩間木に向かう。 【その2】 急いで家に向かった。 道は目茶苦茶だったトラック捨てていかんきゃかもだなと思ったけど何とか家に着いた。 隣の家から火がでている。 やばい!! 家の中にかーちゃんや弟がいるかもしれん。 大声をだして呼んだけど返事がない。 タンスかなにかの下敷きになってるかも!! 隣から火が出てるし早く助けんきゃだ!! 声をだしながらタンスや食器棚を持ち上げる 強烈な余震が襲ってくるけどコワイなんて言ってられない。 台所からは夕飯のオカズになるはずだったモツ煮の匂いがする。 本当に家の中が酷いことになってた壁は落ちているし台所の地盤が下がったしテレビや仏壇がありえない所にぶっ飛んでいる。 かたずけるのは大変だけど直すのは楽勝だなと軽く職業病になりながらも かーちゃんや弟を探す。 どこにもいない。 この時間はもしかして牛小屋にいるか!! 近くの牛小屋に向かう途中にウナギ屋のかーちゃんが恐怖で歩けない状態でいた。強い口調で指示をだして安全な所に避難させた。 次は家のかーちゃんだな。 牛小屋は藁が崩れて入り口が塞がれている。 もしかして藁の下敷きか!? 凄い量だけど藁をどかさないと、それにしても暗かった。電気が欲しかった。 隣の家の火がみるみるうちに大きくなっている。まずいな。 だけど今は人命第一。 顔を見るまでは消火には廻れない。 藁を猛スピードで外に出す。 牛が見えた体中油汗びっしょりだった。 つながれて自由がきかないので本当に怖かったんだろうな。 とりあえず牛二頭の無事は確認した。 藁は出したけどまだ、かーちゃんと弟の居場所がわからない。 何人かに聞いたらやっと居場所がわかった。 ウナギ屋のかーちゃんに行くようにと指示をだしたグランドに居た。 肩の力が抜けた。 完全な空振り。 無事でなによりと思ったけど 弟の彼女もいたのにはビックリだった。 次は消火活動か!! 完全に火が消防のポンプ一台じゃ無理のレベルになってしまった。 消火栓も地震でぶっ壊れて使い物にならない。 水源無し。 川まで一人でポンプは運べない。 絶対に本署の消防は来るはずはない。 たとえ連絡がついたとしても、山は全部後回しってのはわかってるから。 この時点で俺は家をあきらめた。 (つづく) ※上の画像は、旧山古志村梶金神社整備でのボランティア活動をしたときの棟梁とのひと時 |


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明日10月23日、中越地震から4年になります。その地震が切っ掛けで多くの友達を得、そして、それ以降の災害被災地で一緒に活動する仲間も増えました。その一人で、以前ブログでも紹介した

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