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「スバーシュ」という名の男 [2012年11月23日(Fri)]

DSC_4172_.jpg

マディヤ・プラデーシュ州の州リーダー、サラン氏のことは前にも紹介した。
笹川会長のブログでも紹介されている。

代表であるサラン氏と並んで、彼と同じインドールに居住する2人がハンセン病回復者の州組織の役員に就いている。

ケラーシュ・セン氏と、その息子だ。

ケラーシュ氏は自分から進んで前に立つタイプではないけれど、いつもサラン氏の隣で静かに耳を傾け、議事録を作ったりコーディネートをするなどの細かい仕事をこなす、働き者。

DSC_3220_.jpg

ケラーシュ氏の息子は、薬屋の会計士としてフルタイムで働いている。
給与は月額8,000ルピーと、平均からしても悪くない水準だ。
(大卒の初任給が約6,000ルピー)

仕事が11時から始まるため、州組織の会合があると仕事前に朝の一時間だけ顔を出し、10時頃になると礼儀正しく辞去する。

パソコン操作が得意で英語もできるため、州組織のメールのやりとりは彼が担っている。

DSC_4169_.jpg

コロニーの第二世代で、「12年生を卒業しても職につけない」という声をよく聞く。

成功している彼と、職に就けない人と、何が違うのか? と父親のケラーシュ氏に尋ねたら、間髪をおかずにこう答えた。

「あきらめないで努力するかどうかだよ」



第二世代の成功談は、苦労話でもある。



12年生(日本でいう高校)を卒業後、すぐには良い仕事は見つからなかった。

インドでは祭りや祝い事などの時に家をマリーゴールドの花で飾る習慣があるが、その仕事に就いた。給与は月たったの300ルピー。
もちろんそれだけでは食べていけず、かけもちで色んな仕事をした。日雇い労働、郵便配達。

そのうち、ミルク屋で夜の数時間だけ事務仕事を手伝うことになった。
給与は月額1,500ルピー。そこで夜働きながら、パソコンの操作を身につけた。

新聞の片隅に求人広告を見つけて、今の仕事に応募した。


現在25歳。
結婚して1歳の息子がいる。



コロニーに住む第二世代の多く(もしくはインドの若者の多くかもしれない)は、卒業後に最初から高い給与の事務職に就くことを期待する。
働くことは、エアコンの利いた部屋でパソコンに向かうことだと。
そしてそのような道が外部の支援によって開かれることを期待する。


彼が、安い給与もかっこ悪さも厭わずに、向上心を持ってこつこつと努力を積み上げられたのは、きっと父親の背中を見て育ったからだろう。
ケラーシュ氏を見ているとそう思う。

DSC_3290_.jpg

8月に笹川会長がマディヤ・プラデーシュ州を訪れた時のこと。
州首相との面談から戻ってきた州組織の役員にかける言葉を探して、笹川記念保健協力財団のヤマグチさんが尋ねた。

「“よくやった、えらい”ってヒンディー語で何て言うの?」

「スバーシュ」


その言葉は、苦労の末に今の地位を手に入れた彼の名前でもある。


(Photo by Natsuko Tominaga
ランバライの悩み [2012年11月23日(Fri)]

ランバライ氏については、以前別の記事でも紹介した。
英文ニューズレターでも紹介されている。

rambarai.jpg


彼が居住するのは、あるミッション系NGOが運営する大規模なコミュニティ。

そのコミュニティにはハンセン病の専門病院がある。
8歳で発病し、家族から家を追い出されて泣きながら掘立小屋で一人で暮らしていたランバライは、この病院で初めてハンセン病の治療を受けた。

子どもたちのための全寮制の学校もある。

機織りの作業所があり、シルクを中心とした布製品を製造することで住人に収入をもたらしている。

障害があっても、病院の門番、電気の配線点検など、何らかの役割を与えられて働く住人には、月2,000ルピー(約3,000円)の給与が出る。

そのように、たくさんのハンセン病患者の人生を変え、支えてきた。
その功績は疑いようがない。

DSC01864_.jpg


が、一方で、設立者である神父は、コミュニティの住人が外に出ていくことを良しとしなかった。

「ハンセン病回復者の生活向上」という目的は共通している。

でも神父が目指したのは、支援者である自分たちがつくったコミュニティの中で、ハンセン病回復者が衣食住を得て、不自由なく暮らすこと。
住人が自立して、支援者のコントロールが及ばない領域に出ていくことには難色を示した。

残念ながら古くから活動するミッション系の団体において、しばしば見られる傾向だ。



「当事者が主役となって問題解決のために働く」という笹川会長が提唱するナショナル・フォーラムの概念は、その神父にとっては受け入れられるものではなかった。

ラン・バライがビハール州組織の役員として、またナショナル・フォーラムの理事として活動するようになると、彼の妻は職を失った。



そのコミュニティの創立者である神父が昨年逝去し、新しく外部から来た女性が代表となった。
代表に就任してしばらく経った頃、彼女はランバライに言った。

「州組織とナショナル・フォーラムを辞めて、コミュニティのために働きなさい」

言葉だけでなく、何が効果があるかを知っている彼女は、順番待ちをしている何人もの住人を抜かして、優先的にランバライの妻を病院の職に戻した。

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ラン・バライは家に併設した小さな日用雑貨屋を営んでいる。
かつてコミュニティに来た欧米人をネパールの病院に案内した際、「ガイド料」としてもらった謝礼を元手に立ち上げた店だ。
店先に座って話をしながら、慣れた様子で客をあしらう。

その雑貨屋で得た収入で、コミュニティの外に家を持っている。
昨年オートバイも購入した。
息子二人はデリーの大学で学んでいる。

コミュニティを出て外で暮らすという選択肢も、手が届くところにはある。
そうすれば州組織やナショナル・フォーラムの活動に専念することに何の支障もない。


が、その選択肢を選ぶことは、コミュニティに住み続けることで得られる利益を手放すことを意味する。

コミュニティに出入りする欧米人との出会い。
月々入ってくる2,000ルピーの給与。
妻の仕事。

どちらも手放さないよう、曖昧なバランスを保ち続けることを彼は選んでいる。


双方の予定が重なる度に、また州組織およびナショナル・フォーラムの方針とコミュニティを運営する女性との方針が相反する度に、彼の足元は揺らぐ。

タイミングを調整して、曖昧に、どちらにも角が立たないように切り抜ける。


いつまでそのバランスを保ち続けられるか。
バランスが崩れた時に、コミュニティに居続けることと、本当の意味で自立して自分の力で困難に立ち向かいながら生活することと、どちらを選ぶのか。


それは他の誰が決めることでもなく、彼自身が決めることだ。