CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2012年06月 | Main | 2012年08月»
<< 2012年07月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
Google

ウェブ全体
インド滞在記
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
匿名
クレイアニメが映す「ハンセン病」に当事者から抗議の声 (02/12) awa→ちびすけさん
1年目の振り返り。 (12/23) ちびすけ
1年目の振り返り。 (12/15) awa→KUROさん
1年目の振り返り。 (12/15) KURO
1年目の振り返り。 (12/15) awa
1年目の振り返り。 (11/30) Hena
1年目の振り返り。 (11/28) もりりん
1年目の振り返り。 (11/27) awa→きょこさん
モチベーション (10/27) きょこ
モチベーション (10/27)
月別アーカイブ
「それでもまだ人生を愛していたし、人間であることを信じる」 [2012年07月18日(Wed)]

2ヶ月に一度発行している、WHOハンセン病制圧特別大使のニューズレター。
2003年4月から欠かすことなく、地道にこつこつと9年間続いている。
(奥ゆかしくて敏腕な編集者のジョナサンは、いつの日かその功績を表彰されるべきだと思う)


第56号(2012年6月号)が届いた。

今月号から印象に残った言葉。


「私はハンセン病に罹ったけれど、それでもまだ人生を愛していたし、人間であることを信じることにした。
常に、自分の中にある劣等感を消すことを第一に心がけた。
だから治療やさらなる障害を防ぐための訓練に精一杯励んだ」


“Although I contracted leprosy, I still loved life and kept my faith in human beings.
"I always acted first to try and erase any feelings of inferiority. I tried my best in having treatment and in practicing to avoid disability."

-Mr. Ngyuen Duc Thin, Teacher, poet and activist in Vietnam
(ニュエン・ドゥック・ティン氏/ベトナム)

教員、詩人、活動家であるティン氏。1979年にハンセン病と診断され、ハンセン病病院で4年間の治療を終えた後、教員として復職した。

ph056_04.jpg



「もしハンセン病のような新たな感染病が発生し、治療薬がなかったら、私たちはどうするのか? 
今となっては強く非難される隔離政策を受け入れて、また歴史上の同じ過ちを繰り返してしまうのか?
それとも、より良い選択肢を選べるのか?
この問いに対する答えは、私たちの歴史認識、個人として生きる患者たちへの態度に表れる」


“If another infectious disease similar to leprosy emerges with no cure, how should we handle it? Should we repeat the mistake in history and accept the policy of segregation that is now bombarded with criticisms?
Or do we have better choices?
This may eventually boil down to our reflection of history and our respect for patients as living individuals.”

―Loh Choy Mun, Compiler of the book "A Valley Where Birds and Insects Sing for Hope: Stories of Sungai Buloh Leprosy Settlement, Malaysia
(ロー・チョイ・ムン氏/マレーシア)

かつて英植民地時代にハンセン病患者を隔離するために建てられたスンゲイ・ブロー・ハンセン病療養所。
開発によって取り壊しの危機にあった施設を歴史的な場所として残そうと、学者や大学生、アーティスト、記者などが「聞き書き」によるオラル・ヒストリーの保存に取り組んだ。
今もそこに暮らす300人の住人の体験談を集めた書籍「希望の谷」の共同編集者であるムン氏の言葉。

ph056_06.jpg



「ハンセン病の治癒率はとても高いのに、ブラジルは世界で最も蔓延率(※人口における患者の割合)が高い。
この残念な事実には、社会的偏見の影響が大きい。
偏見が、患者を診断や保健施設から遠ざけている。
だからこそ、情報が一番の治療薬なんだ」


”Although Hansen's disease has a high cure rate, Brazil ranks first in the world in terms of disease prevalance.
"This sad reality is strongly influenced by stigma, which excludes patients from diagnosis and health facilities. Therefore, information is the best medicine.”

―Artur Custodio, MORHAN's National Coordinator, Brazil

ブラジルでミレニアム開発目標賞の表彰20団体に選ばれたMORHANが、自分たちの活動の意義を振り返って。
MORHANはハンセン病に関する正しい知識を広め、相談に乗るフリーダイヤル「テレハンセン」の活動を日本財団の支援を受けて継続して行っている。
授賞式にはジルマ・ルセフ大統領も出席した。

ph056_11.jpg



「差別についていえば、9割は減ったといっていい。
しかしまだ差別が残る地域もあり、ハンセン病と診断された人が村から追い出される可能性もある」


“With regard to stigma, I would say it has decreased by 90%. However, it still exists in some locations, and may result in a person diagnosed with leprosy being forced out of his or her village.”

-Dr. Laxman Karmi, Jharsuguda District Leprosy Officer, Orissa, India.
(ラクスマン・カルミ医師/インド)

オリッサ州ジャルスグダ県のハンセン病担当官として、コロニーの生活改善に取り組むカルミ医師が、現在の自分が担当する県の状況について語った言葉。

ph056_02.jpg



全文(※英語)のPDFは、こちらからご覧いただけます↓
http://www.smhf.or.jp/e/newsletter/index.html
ナショナル・フォーラム新会長の誕生 [2012年07月03日(Tue)]

DSC_1319_.jpg

(2011年2月、第1回理事会理事会の写真 写真:なつさん


インド唯一の全国レベルでのハンセン病回復者組織、ナショナル・フォーラム

2005年の設立以来、自身が回復者であり、ソーシャルワークの博士号を持つP.K.ゴパール博士が会長を務めてきた。

ゴパール博士は、保健省のハンセン病対策専門家会議(Technical Resource Group)にも、WHOの世界ハンセン病対策プログラムの内容を協議する会議にも参加する、国際的な場でも専門的な議論の場でも活躍できる「当事者」として、象徴的な存在だった。
(2012年にはパドマ・シュリ賞も受賞)

彼の功績は大きい。
厳しい環境で鍛えられた強者が揃う、政治的な駆け引きが行われる中で、全国レベルでかろうじて人々をまとめあげられてきたのは、中立的で穏やかな態度を崩さない、ゴパール氏の人徳があってこそだ。
彼の存在なくしてはナショナル・フォーラムの設立はあり得なかっただろうし、政府にこれほど立場を認識されることもなかっただろう。


一方で、コロニーで暮らす多くの人たちにとって、ゴパール氏は雲の上の人だった。



タミルナドゥではIDEAインドの会長として、ビジネス立ち上げ支援や奨学金事業を運営しているので、実際にコロニーに足を運び、彼らと言葉を交わすことはある。

しかし、タミルナドゥ以外の州のコロニーに住む人々は、ゴパール氏と直接対話することは少ない。

何よりも、大多数の共通言語であるヒンディー語を、タミルナドゥ出身のゴパール氏は話せないし、理解しない。



ナショナル・フォーラムの事業に関する決定権はすべて、ゴパール氏の手に握られていた。

どのような事業をやるかのみでなく、
どこで、いつ行うか、
そのために誰を呼ぶか、
誰が列車で来て誰が飛行機で来るか、列車のチケット手配などの細かいことまで、すべて。

"It's either G or G"とは、2010年の9月にラジャゴパラン氏から聞いた言葉だ。
「それは、神かゴパールが決めること」。


2011年は、既に70歳を迎えるゴパール氏の健康状態が不安定な時期だった。
体力だけでなく、気力の衰えは誰の目にも明らかだった。

「ナショナル・フォーラムは急激に発展しすぎた、少しペースを緩めたい」
と弱気な発言も目立った。

もし適切な権限移譲がされないまま、ゴパール氏が動けない状態になれば、ナショナル・フォーラムの活動は、事実上休止してしまう。
もしくは、「非回復者」である声の強い支援者に乗っ取られる。


力をつけてきた当事者のリーダーに、少しずつ適切な形で権限移譲を促したい。
日本財団として5年以上投資し続けてきたナショナル・フォーラムを、健全な形で持続させたい。

それが、インド赴任を希望した一番の動機だった。



ゴパール氏の、コロニー出身の回復者に対する信頼は、高いとはいえない。

「政府主催の会議に参加させては?」
「意思決定のプロセスに参加させては?」
「ある集会の運営を任せてみては?」

そのような質問を投げかける度に、眉をひそめてしばらく考え込んだあと、必ず同じ答えが返ってきていた。

「いや、まだ早い」。

RIMG1291_.jpg


そのゴパール氏の態度が変わったのは、今年の2月、ゴアでのこと。

それまで何度話を持ちかけても「会長の座を渡すのはまだ早い、次期候補者はいない」と頑なだったのが、自身の体力に自信がなくなったせいか、
「自分は来年で会長職を退く。体が動くうちに、次期会長を育てたい」
との発言があった。

日本から出張に来た上司たちが到着する前の晩、ホテルの一室でその言葉を聞いた時のことは、強く印象に残っている。



そして、先週末、6月23〜24日の2日間にかけて、第3回となるナショナル・フォーラムの理事会が行われた。

一日目、23日の会議終了直後に、会長および理事退任の旨がゴパール氏自身の口から発表された。

IMG_1465_.jpg


翌24日の朝、理事会が始まる前に、足が不自由なサランを除く理事全員がゴパール氏の部屋に押し掛けた。

ゴパール氏を除く8人の理事たちは、口々に言った。
「私たちにはまだ指導者としてあなたが必要だ」「会長を続けて欲しい」
と。


それに対してゴパール氏は、
「ずっと会長を続けるわけにはいかない。3年後、5年後には体が動かなくなるかもしれない。今の体が動くうちなら、次の会長を育てることができる」
と、退任の意思は揺るがなかった。



ゴパール氏の退任と、シニア・コンサルタントとして残ることが決議された後に、新会長の選出が行われた。

2人の候補者が推薦され、協議の結果、
アンドラ・プラデーシュ州のナルサッパ氏が新会長に選ばれた。


新会長に選ばれたナルサッパ氏は、前日夜に理事のひとりから「あなたを新会長に推したい」と言われてから投票までずっと、かわいそうになるくらい切羽詰まった表情で考え込んでいた。

あまりに張りつめた雰囲気を見かねて声をかけると、
「自分に会長が務まるかどうか、考えているんだ」
と、小声で打ち明けた。



投票後、彼は理事たち全員の前でヒンディー語で挨拶をした。

「会長に選ばれたが、自分が他の理事より高い地位にあるとか、他の人たちが低い地位にあるとか、そういうことは一切ないと思っている。
全員同じ立ち位置だ。
皆で協力して今後も活動を続けていきたい」

と。



ゴパール博士の代わりを務められる人材は、インド中掘り起こしても二度とは出てこないだろう。

けれども、ナショナル・フォーラムの会長は、誰かが引き継がなければならない。



7月1日付で、ゴパール氏は会長からシニア・コンサルタントとなり、
代わりにナルサッパ氏が新会長として就任した。



二代目の会長となるナルサッパ氏が、雲の上の「神」ではなく、
地から足を離すことなく、コロニーの人々の信頼を得られるリーダーとなることを、心から願う。

IMG_1469_.jpg