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経済格差 [2012年05月31日(Thu)]

インドで仕事をするようになって初めて得た視点や感覚は色々ある。
中でも一番感じるのが、経済格差だ。

それは道端でビニールシートの家で暮らす人たちの横を車で通り過ぎる時よりも、
コロニーに住む回復者と一緒にいる時よりも、
事務所の中で一番感じる。


インド人9人の少所帯の団体。
お昼は、それぞれ持ってきたお弁当(中身はもちろんカレー)を持ち寄って食べる。

なぜか家賃の話になった。
その流れで、同じテーブルについていた総務・経理担当のスタッフが口を滑らせて、皆がいる場で私の所得税の額を公表してしまった。

彼らからみればそれが桁違いの額であることくらいは私もわかっている。


スタッフは大半が修士号を持っている。
私は学部卒。

インド人スタッフは汗をかいて現場を歩き回る仕事。
かたや私は、原則「オブザーバー」の立場。

経歴や業務内容だけをみれば、明らかにインド人スタッフの方が多い報酬を得るべき。
私が逆の立場だったらやる気をなくす。


なぜ給与の違いがあるかといえば、
(給与の支払元が日本の財団とインドの財団だから、とか、ドナー側と受け手側だから、とか、色々あるけれどもっともシンプルな言い方をすれば)
たまたま私が生まれたのが先進国で、
彼らが生まれたのが途上国だったからだ。

いたたまれない。


インドでは、よく給与の話をする。
飛行機の中で隣り合わせた人、出張先の他のNGOの人、思いもしないところでよく訊かれる。
「給与はいくらもらってる?」と。
その度に、日本は物価が高い、私の給与は日本の物価水準に合わせたものだから、と言葉を濁す。


アメリカに住んでいた中学生の時に、台湾人の友だちがしてくれた話があった。

「手の5本の指の長さが全部違うように、人間も生まれつき皆平等ではないんだ」と。

その話は妙に印象に残っている。



だからといってその格差を解消できるほどの頭脳と影響力は持ち合わせていないし、
インドにいる期間だけ私の給与額をインド水準に合わせたところで誰が得するわけでもない。

私が気にするほどに、同僚は気にしていないのかもしれないけれど。


でもせめて、札束で頬を叩くような真似だけは絶対にしたくない、と思う。
薬がわりに、バエルの実 [2012年05月26日(Sat)]

インドに住むようになってから、めっきり胃腸が弱くなってしまった。
油分が多い料理や慣れないものを食べると、すぐお腹の調子が悪くなる。

昨夜は久しぶりに外でムガールカレーを食べたら、今朝は案の定、きてしまった感じ。
さらに暑さのせいか、めまいが。

でも暑い中ひとりで寝てても気分が塞ぐだけだし・・と思って、予定どおり友人宅へ。
(ほとんどソファーで寝そべってましたけど)


お腹の調子が悪いんだよね、というと、
「これをジュースにして飲むといいよ」といわれたのが、こちら。

imagesCAU114U7.jpg


バエル・パッテャル(bael patyar)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bael

消化を助ける作用があるらしい。

最初はわからなかったけど、割ってみたら見覚えが。

これはマディア・プラデーシュ州のコロニーで子どもたちが投げながら遊んでたやつだ!

001_.jpg


DSC02168_.jpg


(その時の様子はこちらをご参照ください ↓)
http://blog.canpan.info/c_india/archive/105
http://blog.canpan.info/c_india/archive/104


木になっているとこんな感じ。

DSC02158_.jpg



皮が石のように硬い。
硬いもので叩いて、割る。

中は、かぼちゃみたいな感じ。
そのまま食べると、かぼちゃとみかんの皮を足して2で割ったような味。

中身をスプーンでほじくり出して、水、はちみつ(または砂糖)とほんの少し塩を足して、手で実をつぶしながら混ぜて、茶こしで濾してジュースにして飲むと、飲みやすくなる。

IMG_1363_.jpg


ジュースが効いたのか?、ちゃんとマトンカレー少しだけど食べれました。


気難しいお腹を抱えながらのインド生活、これからもこのジュースにお世話になることが何度かありそうです。
マトンカレーのつくりかた [2012年05月26日(Sat)]

土曜日の昼。
マトンカレーの作り方を教えてもらいに、友人の家へ。

(ほんとはマトン買いに行くところから、、と思ってたけど、40度半ばの暑さにギブアップして買いに行ってもらった)


<材料(4人分)> 分量は適当です。辛さ控えめ。

・マトン肉 ※チキンでも代用可  1s
・ヨーグルト 大さじ2くらい
・玉ねぎ インドサイズでは大4つ (日本サイズでは小3つくらい?)
・トマト インドサイズ2つ (日本サイズ1個半くらい?)
・じゃがいも 4つ

スパイス:
・塩
・ターメリックパウダー
・チリパウダー
・ガラムマサラ
・クミンパウダー
・コリアンダーパウダー
・カルダモン
・クミン


<つくり方>
1.マトンを水洗いし、水気を切る。

2.マトンにターメリックパウダー(小さじ1弱)、チリパウダー(小さじ半)、塩少々、ヨーグルト(大さじ2)を加え、よく混ぜる。15分ほど漬けておく(一晩寝かせるとなお◎)。

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3.玉ねぎはみじん切り、トマトはサイ切りに細かく切っておく。

4.鍋に油を敷き、温める。玉ねぎを全部入れて、金物のフライ返しなどで玉ねぎをつぶしながら、飴色になるまで焦げないようにひたすら炒める。10〜15分くらい。ここで長時間かけて炒めるのが美味しさの鍵、らしい。

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5.玉ねぎが飴色になったら、ターメリックパウダー(小さじ1弱)、コリアンダーパウダー(小さじ3)、チリパウダー(小さじ半)、クミンパウダー(小さじ1弱)、ガラムマサラ(小さじ半)、塩(小さじ1)を入れる。油が弾けてスパイスの香りが出てくるまで、全体的によく混ぜる。

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6.サイ切りにしたトマトを加える。再び金物のフライ返しなどでトマトをつぶしながら、全体的に混ぜつつ、よく炒める。

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7.トマトがとろとろになってきたら、マトンを漬けた汁ごと加える。また5分ほど炒めながら混ぜる。

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8.クミン一つかみと、カルダモン4粒(潰して入れる)を加える。

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9.じゃがいもを加える。

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10.蓋をして煮る。(圧力鍋の場合は約10分、4回蒸気が鳴るまで)

11.できあがり。

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圧力鍋のおかげか、お肉がとろとろでやさしい味でとても美味でした。
素敵な休日をどうもありがとう。

さー、この味をひとりで再現できるかな。
大福! [2012年05月23日(Wed)]

デリーから南に30km下ったところに、グルガオンという近郊都市がある。

日系企業の多くはグルガオンにオフィスを構えていて、おかげで高級ホテルや日本食・韓国レストランのラインアップはデリーよりも大充実。


普段はあまり日系企業とおつきあいがないのでグルガオンまで足を延ばすことはないのだけど、今日は一件打合せがあり、午後、メトロのイエローラインに乗ってMGロードへ。
(事務所&自宅の最寄りのハウズカス駅からはメトロで所要時間約30分)


そして、MGロードまで来たからには手ぶらでは帰れない、と、打合せ終了後、久々にサイクルリキシャ(自転車が引く座席に乗る乗り物)に乗って、メトロのお隣の駅近くにあるSibangへ。

Sibang
DLF CITY COURT106 1st Floor, Sikanderpur DLF CITY Gurgaon
営業時間 11:00〜19:00
定休日 第1、第3日曜日
п@+91-98-1126-8210
http://gekkanchalo.com/Sibang.html


デリー・グルガオン在住の日本人で知らない人はいないでしょう。

日本で買うのと同じようなあんぱん、クリームパン、食パンetcが手に入る、オアシスのようなお店。
初めて友だちにお土産でここのパンをもらった時にはその柔らかさとやさしい味に感動してしまった。(インドは美味しいパンになかなか巡り合えないので…)


そして、前に来たときにはなかった新アイテムを発見。

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大福!!

その名も、「Mochi」。


思わず買う。

プラス、友だちの分も含めて、冷凍保存用にいくつか。

(大量にパンを買い込んだビニール袋を提げたままでヒンディー語学校に行ったのがちょっと恥ずかしかったけど)


貴重な大福を、40度を超える炎天下の中持ち帰ったからには、本日中にいただくしかない。

夕食を少な目にして、デザートにいただきました。

餅とか牛皮の「ふにっ」とした柔らかい触感が時々無性に恋しくなるのだけど、
一時帰国するとなんだかんだお腹いっぱい食べてしまって間食で大福まで辿り着けることなく、
ほんとに久しぶりに食べた。

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中はあんこぎっしり。

美味しかった…。

暑いのに、熱いお茶を淹れてしまうほど。



なんか最近日本食ネタが多いですけど、
それはインド食が当たり前になりすぎて何が珍しいか感覚がもう麻痺しているからで、
…ということで、ご容赦ください。


そして一時帰国の時に各方面からご心配いただいてしまった反省から、こういうゆるいネタを今後は小出しにしてこうかと思います。
ネパール雑景 その2 [2012年05月22日(Tue)]

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研修のあとに地元参加者のバイクの後ろに乗っけてもらい、パタンのダルバール広場へ。
夕涼みに来た家族連れで賑わう。

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生活用水?(飲み水?)となる湧水を汲みに来た人たちの列。
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世界遺産を木馬代わりに遊ぶ子どもたち。
誰もとがめません。
大丈夫ですか、ユネスコ。

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世界遺産が若者のデートスポットなのは、デリーもカトマンドゥも変わらず。

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ネパール雑景 その1 [2012年05月22日(Tue)]

カトマンドゥを走る車。

黒いナンバープレートは、客を乗せるタクシー/ミニバス。
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赤いナンバープレートは、自家用車/バイク。
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圧倒的にスズキの車が多い。
スズキの「S」は「SPORTS」のS?
それとも、「SPEED」のS??
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「現地に行ったら現地のものを食す」という笹川会長のポリシーは原則同意しますが、
1年半も日本を離れるとそうもいってられません。

最終日にいただいた、ヒマラヤそば。
ヒマラヤで栽培された蕎麦を使ったもの。
なかなか美味しい。
天ぷら、小鉢、とろろ(山芋もネパールで栽培)までついて、1人前400ネパールルピー(約360円)。
安い!!

お店はこちら↓
Royal Hana
住所:Royal Palaceの北門通り沿い
Royal Palace Noth Gate(Uttar Dhoka) Kathmandu,Nepal
電話:+977-(0)1-441-0181
http://www.h2.dion.ne.jp/~royalhan/

手入れされた庭の雰囲気も良くて、ほっとしました。

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排気ガスによる汚染はデリーよりカトマンドゥの方がひどい、と皆口を揃えて言う。
確かに少し外を歩いただけで喉が痛くなる。

でも、空や夕焼けは、なぜかカトマンドゥの方がきれい。

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2年4ヶ月ぶりのネパール [2012年05月21日(Mon)]

「参加型モニタリング・事業評価」について学ぶ研修に参加するため、5月13〜19日の7日間、ネパールはカトマンドゥへ。

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日本から出張で行った時はそれほど鮮明にわからなかったが、インドに住むようになってからネパールを訪れると、インドとネパール、2国の違いが前よりもはっきりとわかる。

首都カトマンズでも、整備が行き届かないがたがたの道路。

給油を求めてガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列。

一日数時間に及ぶ計画停電。
昼間は停電、夜にならないと送電が始まらないため、自家発電機がない限り、仕事にならない。

政党が呼びかけるストライキの日常化。
道路をブロックしたり、タイヤを燃やしたり。
投石など暴徒化する危険性もあるので、ストがある日は車では出歩けない。

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同じ研修に参加していたイタリア人の女性の話。

車にガソリンを給油するのは、一日仕事。

調理に使うシリンダーのガスは、1月に注文したのに5月の今になっても未だ届かない。

繰り返すストライキ、ストライキがないかと思えば宗教上の祭日で休み、
仕事ができる日は数えるほど。



月曜から金曜日までの研修中も、木曜と金曜の2日間ストが宣言された。

どうなるのかと思いきや、「研修は予定通りやる」と。

車は使えない代わりに、バイクで移動。
研修センターのスタッフは徒歩で汗だくになって10時頃に現れた。

「We'll manage(なんとかなるよ)」と、慣れた様子のネパール人たち。
たくましい。

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(研修センターの昼食。毎日てづくり料理。美味しかった。
フォークの上、左から、ひよこ豆のスープ、かぼちゃのカレー、チキンカレー、いんげん豆?の親戚のような野菜のカレー、じゃがいもの和え物。)


そして、インド(特にデリー)に比べると遙かに、人はやさしい。
ホスピタリティに溢れている。
ものやお金を渡す時は必ず両手か、左手を添えてそっと。
顔立ちが似ているせいもあるかもしれないけれど、鋭い視線で見られることもあまりない。

人にやさしく、親切にすることがまだ生きている。
人を人として扱うことが、当たり前のこととして認められる。

インフラや停電などのマイナス面を差し引いても、居心地が良い、と思わせる理由はそこにあると思う。

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(ホテルの屋上から見たパタンの街)


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(街中に溢れる薄紫の花をつけた樹)

「当事者参画」の実情と裏側 [2012年05月14日(Mon)]

「当事者主体」という考え方がある。

"Nothing about us without us"(自分たちに関することは、自分たちで決める)

障害者の問題を議論するなら、その問題を最もよく理解している当事者が議論の場に入るべき。

障害者運動の中では既に定着しているこの考え方を、ハンセン病の世界でも根づかせようとしている。



WHOでハンセン病対策への当事者の参画を強化するためのガイドラインが発表されたのは、2010年のこと。
同じく2010年の8月に国連人権理事会で、12月に国連総会で採択された「ハンセン病差別撤廃のための決議・原則ガイドライン」の中にも当事者の参画が謳われていることもあり、ハンセン病に関する会議の場には、当事者であるハンセン病回復者を入れることを、ことあるごとに推奨している。

WHO主催の会議では、担当官の熱意もあり、ほぼ100%実現されている。(国際会議において。各国レベルは各国担当官の意識と、当該国の回復者リーダーの存在有無によって左右されるので一概にはいえないけど)

でもそれ以外の各国および州政府、NGOなどが主催する会議の場合は、実情は実現されているとは言い難い。


政府主催の会議の場合、そもそも関係者に会議の招待メールが届くのは、数日前。
先週のデリー政府主催の会議なんて、案内が届いたのは過去最短の前日の朝でした。
(中核の関係者はもっと前から知らされているけど、一回り外の外部の招待者に連絡がいくのは常にギリギリ)
それについてはインドの役所仕事だから、どうこういっても仕方ない。

デリー市内に在住して比較的予定に余裕がある私などは、スケジュールを調整して部分的に参加することはできるけれど、デリー以外の州から数日前からチケットを手配して参加することは難しい。

特に経済的に余裕のない大多数の当事者やNGOにとっては、高額の飛行機なら数日前でも手配できるけれど、手が出る価格の列車の切符は数日前に予約できる可能性は低い。

結果的に、当事者不在のまま会議が進むことの方が多い。

誰かがプラスαで尽力しない限り。



今回、デリーの会議は、朝、別の予定のため少し遅れて会議場に着くと、運営者のLEPRAの方より、
「デリーの当事者の電話番号を教えて欲しい」
「教えてもらった人がつながらないが、誰か他に来られる人はいないか?」
と、切迫した顔で訊かれた。

そもそも、当日の朝よりも前に余裕をもって招待の根回しをしておくべきで、そこは運営者(メインの主催者はデリー政府)の落ち度ではある。

でも他の人であればそのまま知らんぷりして会議が進行するのをゆるすであろうところを、間に合わせでもいいから当事者を入れようとする彼らの真剣さと熱意がわかったから、心当たりのデリーのカディル氏に電話をかけて、午後からかけつけてもらった。

翌日には、旅先のパトナから戻ったナショナル・フォーラムの理事の一員でもあるヴェヌゴパール氏も参加した。

コロニーから会議場までの往復のオートリキシャ代2日分、600ルピーは、一瞬ためらったが財布から出して渡した。



同時進行で、来週開催予定のジャルカンド州のワークショップの話もあった。

こちらの方は余裕をもって、2週間前に案内が届いた。

NGO関係者に招待が届いていたが、回復者(ナショナル・フォーラム)には招待が届いていなかったため、上述2つのガイドラインを紹介し、「ナショナル・フォーラムにも招待を出してはいかがか」とメールしたが、返信はない。

主催者に電話して再度説得したところ、「来たい人は来るのはかまわない、参加者が決まったら名前を教えてくれ」との返答に、ナショナル・フォーラム側と相談して参加者を確定し、名前を伝える。

会議の場にはジャルカンド州のハンセン病回復者組織から、2人のリーダーが参加する予定となった。



先月、日本帰国中に催した報告会で、数少ない「1年半の赴任期間で見えてきた変化」のひとつとして、「政府のハンセン病関連会議に当事者が招かれるようになったこと」を挙げた。

でも実際は、自負するつもりはないけれど、私がいなかったら二つの会議に当事者の参画はなかっただろう。

もちろん、会議への招待が送られることすらなかった以前に比較したら、大きな進歩ではある。

でもそれだけじゃいけなくて、私がいなくなった後も、当事者が参画できるようにならなければ意味がない。

もっというと、当事者が飾りとして会議の場にいるのではなく、議論に参加できるようになることが目指すべき姿だ。


誰がこのプラスαの部分をやるのか。

情報が回復者まで届いていない時に、誰が届けるのか。

届いた情報を、参加者を確定し、必要に応じてチケットや宿泊手配までは誰がやるのか。

参加する当事者に、事前のブリーフィングは誰が行うのか。

知識が足りない部分を補い、かつ彼らの意見を引き出す補佐役を、誰が担うのか。


「うん、必要だ」「うん、やるべきだ」の他人事でなく、「うん、やるよ」とのうわべだけの口約束だけでなく、
誰が当事者の参画を実現させるために使命感をもって動いてくれるだろうか。


本気で当事者の参画を実現しようとしている人が、何人いるだろうか。

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今回の会議中、ポストイットで現状の問題点を書いていくプロセスがあった。

壁に貼られたポストイットの中で目に留まった一枚。

「ハンセン病回復者を参画させるといっても、うわべだけでは?」


本音が出た、と思った。

本音が出て初めて、現状を変えるために話し合いが始まる。

(残念ながら今回の会議中にこのポストイットが取り上げられて議論が掘り下げられることはなかったけれど)



「当事者参画」と、文字にしてみればただ5文字の言葉だ。

でもそれを現実に実現するのは、双方向で難しい。


まず、主催者側。

当事者を同じ議論のテーブルに着かせる価値、重要性を認識している主催者は、残念ながら少ない。

例え主催者がそのような意識に立っていたとしても、
公式な会議の場に出る経験も、知識も、語学力も劣る回復者を会議に参画させようと思うと、事前にある程度時間と労力を割いてブリーフィングを行う必要がある(もちろん背景知識や語学力が劣るからといって、それで彼らの当事者としての専門性の価値が損なわれるわけではないけれど)。
場合によってはそのために通訳の手配や、全資料の現地語への翻訳も必要になるかもしれない。

当事者を招くことで、準備の手間が増えることは確かだ。



一方で、当事者側の課題も多くある。

セルフ・スティグマ(自己偏見)が強い回復者が、いわゆる「専門家」と呼ばれる人たち、政府の有力者と、同じ議論のテーブルに着くには、またそこで口を開き発言するためには、相当の覚悟と勇気がいる。

勇気は、成功体験の積み重ねによってしか得られない。


加えて、当事者のネットワークと謳う団体の事務局に、対応の迅速さとコーディネート力が欠如していること(こちらの方が火急の課題)。



これらの課題をクリアして、本当の意味で「当事者参画」が根付くのには、まだまだ数年はかかるだろう。

数年後に根付くように祈りながら、一段一段を埋めていく。
首都デリーのハンセン病対策 [2012年05月14日(Mon)]

インドの首都・デリーでのハンセン病状況と対策は、さてどうなっているのでしょう?


デリー保健省主催で5月10〜11日の2日間で行われた「デリー首都圏・都市部ハンセン病対策モデルプロジェクトのためのコンサルテーション・ワークショップ」に部分参加してきました。

(バナーには中央政府保健省の国家ハンセン病撲滅プログラム、医療面の支援を行うNGOのILEP各加盟団体、なぜかナショナル・フォーラムなどありとあらゆるロゴが表示されていて、誰が主催なのかよくわからなかったけど、おそらくデリー保健省主催だと思う)

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以下、デリー・ハンセン病担当官Dr.Baghotiaのプレゼン資料より抜粋。

・・・・・・・・・・

◆ デリーの概要

デリーの人口:約1700万人
面積:1483q2

東、北東、北、北西、西、南西、南、ニューデリー、中央の計9つの区域(Districts*)に分かれる。

*他の州だとDistrict=県と訳していますが、デリー首都圏に関しては適切な訳でないと思われるので区域とします。

スラムの人口は400万人以上。


◆ 都市部の定義(2001年人口調査の定義による)

・人口が5千人以上であること
・人口の75%以上が農業以外の職業に従事していること
・1q2あたりの人口が400人以上
 (デリーは1q2あたりの人口が11,500人)


◆ 都市部ハンセン病対策の目的
1.新規患者発見率の向上
2.ケースマネジメントと治療後のケアの向上
3.社会的偏見の削減
4.ハンセン病(医師/病院など)の専門性が維持されること
5.研究に基づいたプログラムの実行
6.モニタリングと評価システムの改善
7.ハンセン病回復者の社会参画の増加
8.プログラムマネジメントの確保


◆ 州ハンセン病対策のポイント

・各区域(District)がまず計画を作成。
・前区域の計画をまとめ、中央政府に州の計画を提出。
・各区域/州の計画を作成する過程で、国家農村部/都市部保健計画(National Rural / Urban Health Mission)の責任者と協議および承認を受ける。
・州の計画書には、ILEP(世界救らい団体連合)インド加盟団体NGOの支援を受けて行う活動も含まれ、支援の対象となる事項、数量、期間と予算が明記される。


◆ デリーのハンセン病診断センター
1. Lok Nayak Hospital (NCT)
2. Hindu Rao Hospital (MCD)
3. Lal Kuan Dispensary (MCD)
4. Leprosy Home Tahirpur, Shahdara (MCD)
5. Swami Dayanand Hospital, Shahdara (MCD)
6. RML Hospital
7. AIIMS
8. Safdarjung Hospital
9. Smt. Sucheta Kriplani Hospital
10. Hind Kusht Nivaran Sangh (Vol.)
11. Skin Institute Greater Kailash (Vol.)

都市部の場合、専門医療病院に診断に行くケースが多い。専門医療病院のマイナス面は、患者の記録が適切に管理されないこと、また患者の住所がきちんと記録されていないこと(→治療途中での来院中止、中断、未治療のケースにつながる)


◆ デリーのハンセン病概況・特徴

年間新規患者数:1295人(2011年度)
うち多菌型(MB):852人(65.8%)
子ども:93人 
女性:342人(26.4%)※女性の方が病院に来にくく、潜在的な患者がいる可能性が高いため、女性の患者数の割合は高い方が望ましい。
障害II以上:98人(7.6%)

年間新規患者数のうち66%がニューデリー区域で診療を受けるため、ニューデリー区域の患者数がずば抜けて多い。
これを住所別に直すと、だいたいどこの区域も同じ割合になる。

全ての区域にハンセン病担当官(District Leprosy Officer)が配置されている。

新規患者のうち約半数の48%はデリー以外からの移民。うち23%はウッタル・プラデーシュ州、18%はビハール州出身者。

治療完了率は55〜60%と低い。主な理由は、仕事を求めて移住する人口が多いため。

・・・・・・・・・・

会議には、9区域のハンセン病担当官全員の他、ハンセン病診断センターとして指定されている病院のハンセン病担当スタッフ、地域保健ワーカー(ASHA)、中央保健省ハンセン病対策局、WHO、ILEP等のNGOなど約50名が参加。

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以下、私見です。


一列目にはWHOやILEPからいつもの顔ぶれが座り、二列目に他の参加者が座る。

本来であれば、デリーのハンセン病対策を前線で担う病院スタッフやヘルスワーカーに前列に座ってもらい、課題の提起や解決方法の提案など、議論の中心になってもらうべきだと思う。


「あるエリアでハンセン病回復者が悲惨な状況で生活している、それについて政府は対策を検討して欲しい」と参加者の一人が呈した疑問に対して、「そこにはとても優秀な担当者がいるからそんな問題はない」とスピーカーが一蹴したのが印象に残った。

政府側の人間が話すと、具体的な問題をなかなか炙り出せない。
問題が炙り出せなければ、解決策を見出して、予算を充当して実行できるはずもない。
政府のメンツを潰さずに、問題を解決する方法を考え抜いてさりげなく実行する多面的な器用さが、NGOには求められる。



サフダルジャン病院のハンセン病補佐官(Leprosy Assistant)の話を聞いた。

治療未完率が高いのは移民が多いという理由もあるが、ハンセン病に対する差別がまだまだ高いからだという。

デリーで報告される新規患者には、ドメスティック・ワーカー(中上流家庭の家事手伝い、サーバントなど)が多い。

多くの場合は、雇用主が病院に連れてきたり、問い合わせの電話があったりする。

「きちんと治療すれば治る病気だ、解雇する必要はない」と説明するが、診断した次から患者が来院しなくなる。
どうなったかと家に電話をすると、雇用主から「彼は田舎に帰ったからもうここにはいない」との返答。つまり病気を原因に解雇されたということだ。

もともと固定住所すら定かでないのに、州をまたいでフォローするシステムなどあるわけがない。

故郷に戻ったその人が治療を続けるかどうかは誰にもわからないし、可能性は半々よりも低いだろう。

「差別をなくすことは、患者数を減らすことにつながる」
とは、こういうことなのだ。

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全員参加型にしようと、グループワークで色々なテーマについて話し合ってもらう。現システムの問題点について、サービスの中にハンセン病回復者の参画をどう実現するか、など。

でもあまり議論は掘り下げられることなく、目新しい案が出ることもなく、うわべを滑っただけで終わってしまった。
まるで過去の会議のビデオを巻き戻し再生で見ているかのように。


会議室の二列目に座った、ハンセン病対策を第一線で担う人たちの間では、私語が目立つ。
意見を求められても、当たり障りのない答えしか出てこない。

隣に座ったヘルスワーカーの女性は私のアジェンダをのぞき込み、「何時まで? えっ、5時までやるの? 最悪…」と死んだような顔。

こういう人たちが、デリーのハンセン病対策を担っている。

会議室で、現状を垣間見た。
ネブラスカからデリーに舞い降りたフォトジャーナリストの卵たち [2012年05月11日(Fri)]

今日はいろんな人に会った日だった。

午前中は保健省主催の都市部ハンセン病対策に関するコンサルテーション会議に部分参加。

それについては追って詳しく報告するとして。



午後に少し事務所に戻って打合せを終えた後、夜はネブラスカ大学のフォトジャーナリズム専攻の学生たちの集いへ。


ネブラスカ大学のコースで、フォトジャーナリズムを専攻している学生たち11人によるインドツアー。

それぞれ興味のあるテーマを選び、18日間の滞在期間の中で、そのテーマをもとに写真を撮る。


そのうちの一人が「ハンセン病をテーマに撮りたい」と、ネットサーチからササカワ・インド・ハンセン病財団を見つけてコンタクトしてきたのが発端。


昨晩デリーに到着したばかりの一行、翌日の今晩、それぞれ学生がコンタクトした団体の人たちを呼んでのレセプション・ディナーが催され、そこに招待されて行ってきた。

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(写真はプログラムのウェブサイトより http://www.unl.edu/photojournalism/)

そのレセプションの雰囲気が、なんともアメリカらしい。

外国人記者クラブを会場に催されたレセプション。

ディナー開始にあたり、引率教授が引率スタッフ・学生メンバーを簡単に紹介。



学生任せだけにして放置するのではなく、先生がぎちぎちに管理するのではなく、最低限の枠組みだけ用意し、目の届く範囲で泳がせて、外に出て探検させる。
その距離の取り方がとても上手いと思った。

団体へのコンタクトは全部学生の個人任せ。

HIV/AIDSをテーマに選んだ学生は、HIV患者ではなく「高いリスクにさらされているヘロイン使用者」を被写体に選び、
ある学生は立ち退きを迫られている路上パフォーマーを被写体に選ぶ。

社会性のあるテーマをトピックに選ぶと、自然と現地側コーディネートを依頼するための窓口はNGOなど社会的な活動をしている団体となる。

ジャーナリズムの実践とともに、社会的課題を解決する活動についても垣間見て学び、理解を深めることにつながる。



ハンセン病をテーマに選んだ学生がコンタクトしたのは、経済的自立のための小口融資を行うSILFと、ハンセン病コロニーや障害者団体でつくられた製品を売るMESHの2団体。

MESHから来ていたのは、30年以上インドに身を浸して活動している創設者&代表の女性、ジャッキー。

もともと顔見知りの間柄なので、同じテーブルで、「何を撮りたいのか」「どこに行くのがいいか」「何を伝えたいのか」と議論が白熱する。


ハンセン病をテーマに活動するNGOは大小たくさんある。

その中で、おそらくMESHとSILFに共通していえるのは、
「自立できるハンセン病回復者の成功例をつくりだす」
「ハンセン病のポジティブなイメージを世に打ち出す」
ことを目指していること。


「ハンセン病のスティグマ(社会的偏見)を撮りたい」という学生に、

「スティグマを撮りたいなら、交差点や寺院の近くで物乞いをしている回復者の写真を撮ればいい。一番象徴的でわかりやすい。
でも、差別された、哀れな回復者の写真は社会にあふれかえっている。そのような写真は差別を強調するだけだ。

私たちが活動を通して伝えたいのは、ハンセン病を経験しても、尊厳をもって働くことができる、というメッセージなんだよ」

と語る言葉に、ついつい皆熱が入る。


どんな作品ができあがるのか。
今から楽しみです。


ちなみにこのツアーをスポンサーしている篤志家は、他にもカザフスタンやアフリカなど様々な地へ学生が行くのを支援しているらしい。
さすが、懐が広いなぁ、アメリカ。
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