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クレイアニメが映す「ハンセン病」に当事者から抗議の声 [2012年01月19日(Thu)]

3月公開予定のアニメーション映画が議論を巻き起こしている。


ウォレスとグルミット」シリーズで人気のAardman AnimationsSony Pictures Animationが制作したストップモーション・アニメ映画「ザ・パイレーツ!(The Pirates! Band of Misfits)」の予告編に含まれるシーンが、ハンセン病に対する間違った認識を助長するものと抗議の声があがっている。



(以下、日本財団ブログマガジン1/19記事より抜粋)
---------------
 
同映画はアードマン・アニメーションズ(本社・英国)とソニー・ピクチャーズ・アニメーション(同・米国)の共同製作で、3月にも米国のコロンビア・ピクチャーズから世界に配給される予定。予告編はウエブに公開されており約2分。

メインキャラクターの海賊が船に乗り込み、乗組員に対して金(GOLD)を要求すると、
「金なんてない。この船は“らい病患者(LEPER)”の船だから」
と答え、
「ほらね」の一言とともに乗組員の左腕が落ちるシーンが盛り込まれている。

---------------

ハンセン病患者の「腕が落下する」ということは、ありえない。

「ありえない」と、ハンセン病について一定の知識を持っている人は断言できるけれど、

「あるのかもしれない」と、ハンセン病について知らない人は受け取るかもしれない。


また、「LEPER」という言葉自体が、差別用語として国連で定められたガイドラインにおいて使用が禁じられている。


基礎知識について説明すると、

・ ハンセン病は、らい菌(Mycobacterium Leprae)によって起こる細菌感染症。

・ 感染力が弱く、感染しても99%以上の人は自然免疫をもっているため、めったに発病することはない。
免疫の弱い人が、治療を始めていない有菌状態の患者と緊密で頻繁な接触を続けた場合には、感染する可能性がある。

主に皮膚や神経に、斑紋、感覚がなくなるなどの初期症状が表れる

・ リファンピシン、ダプソン、クロファジミンを同時併用する多剤併用療法(MDT)によって、ほぼ半年〜1年の期間で完治する。(MDTはWHOを通じて全世界で無償で提供されている)

適切な治療がなされないと、顔面、四肢等の変形や、眼等様々な組織に障害が起き、後遺症が残る可能性がある

・ 後遺症があっても、治療が完了し無菌状態となっていれば、緊密な接触を続けても病気に感染することはない



(→ より詳しく知りたい方は笹川記念保健協力財団ウェブサイトモグネット等をご参照ください)


・・・


もし、母親が、兄妹が同じ病気を患ったことがあったなら、このような描写ができるだろうか。

もし肉親が同じ立場の場合、このような発言ができるか。
このような行動がとれるか。
政策がとれるか。

ハンセン病の問題に限らず、すべての人権問題の根本には、この問いが自問できるかどうかにかかっていると思う。



現在も世界で年間約23万人の新規患者がいる。
世界には推定約110万人の回復者(病気が治った人たち)が暮らしている。

このシーンが病気を経験した人たちに、その家族に、どのようなショックを与えるか。

その意識と想像力の低さに愕然とする。



問題となるシーンの削除と謝罪を求める声が、回復者の中からも挙がってきている。

アメリカ在住のホセ・ラミレズ氏

インド南部のアンドラ・プラデーシュ州のハンセン病回復者組織SLAP代表者、ナルサッパ氏


このような問題が起きた時に、ハンセン病回復者自身が抗議の声をあげることは、最も説得力がある。

当事者の声を社会に反映させるためには、問題に気付く「感覚の鋭さ」と、立ち上がって「公的に発言する自信」を備えた当事者を奨励していく必要がある。



イギリスにあるレプラ(英国救らい協会)が抗議キャンペーンを展開し、英国メディアを中心に取り上げられている。

WHOハンセン病制圧特別大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使でもある笹川陽平日本財団会長も、アニメ制作会社二社および配給会社宛に抗議文書を出した。



この問題のシーンが予告版および本編から削除されることを望むと同時に、
今回の一件が、ハンセン病についての正しい知識を広めるためのきっかけになればと願う。
外国のお菓子 [2012年01月12日(Thu)]

最近、よく通うスーパーマーケットの店頭で、急速に「外国(風)のお菓子」が充実してきた。



赤紫のパッケージは、日本が誇るスナック菓子の代表、ポッキー。
ミルク味は前から店頭でちらほらみかけたけど、チョコレート味は最近見るようになった。
ちなみに、箱にはハートマークに添えて「With love from Japan」とのメッセージが。
これはタイで製造された輸入もの。
1箱55ルピー。


時計回りに、QUAKERのオーツ入りクッキー。
ヘーゼルナッツ・チョコレートと、ハニー・オーツの二種類の味がある。
カルナタカ州のバンガロールで製造。
12枚入りで、1箱40ルピー。


インドでおなじみのCadburyのチョコレート。
これは前からあります。ムンバイで製造。
小さいパック(69g)で50ルピー。


最近目にするようになった別ブランドのチョコレート、Cioccolato。
こちらはハリヤナ州のグルガオンで作られてるそうです。
小さいパック(40g)で80ルピーと、やや高め。


そしてちょっと感動したのが、中央のワッフル。
裏を見ると、ご丁寧にイラスト入りで「美味しい召し上がり方」の説明が。


コーヒーや紅茶のマグカップにフタをするように載せると、中のキャラメルクリームが柔らかく溶けて美味しくなるのです。
オランダとアメリカの会社からライセンスを取って製造してると書いてあるけど、ほんとかな。
製造はUP州のモラダバードだそうです。
何がどう転んで、UP州の片田舎でこんなハイカラなお菓子をつくることになったのか。本が一冊書けそう。
1枚40ルピー。


輸入品のお菓子はケタ違いに高いけど、国内製造版はがくんと値段が下がる。
ラインアップが充実してくれるのは、うれしい。

職場のティーブレイクと休日のコーヒータイムのおともに、少しずつ試食していきます。
(糖分とらないと頭が働かないので…)

日常生活の中の、ささやかな楽しみ。
ふたつの日常 [2012年01月11日(Wed)]

ある土地で1年も暮らせば、意識せずとも自然とその土地での生活が日常になる。

年末年始にかけて、11泊11日で日本に一時帰国した。


7ヶ月ぶりの帰国。
今回は、帰国前になぜか少し緊張した。
ここのところずっとインド服に身を包んでいたせいで、どの服を着ていけばよいかでまず悩む。


1週間未満の帰国だと単なる息継ぎという感じから抜け出せないけれど、10日以上となると日本のペースでの呼吸の仕方を思い出す。

帰国中ずっと体調も良く、「飲めなくなったかも」と思っていたお酒も、「食べられなくなったかも」と思っていたお肉も、日本に住んでいた頃と同じように飲食できた(食べ過ぎるほどに)。


多少違和感を覚えつつも、待ち合わせする友人に分刻みで電車の到着時間を連絡し、
一日にいくつもの予定を、計画した通りにこなす。
日本に住んでいた頃と同じペースで、日々の時間が流れる。




異質であり続けるということは、やはりどこか疲弊する。

向けられる視線、
慣れ親しんだものとは異なる言葉を話さなければいけないプレッシャー、
周囲の大多数と異なる文化的背景を背負った上で、大多数の文化に適応しなければならないプレッシャー。


周囲と同じ顔立ち、肌の色というだけで、肩の力が抜ける。

周囲の人たちが話す言葉も、口の中で呟く独り言のような濁った交通機関のアナウンスさえも、自然と耳に入ってきて内容が理解できる。



安全面の違いも大きい。

(一部のアウトローな人たちを除いて)車はたいてい赤信号で、停止線の前で停まる。
どんなに混んでいても、車は車線を守って通行する。

タクシーに乗って、告げた行先がわからないんじゃないかと疑惑の目で運転手と周囲の住所表示を睨むこともない。

日本特有の危険や狂気はあるけれど、それでもやはり日本の路上よりもインドの路上の方が、安心して歩ける。
歩道はきちんと舗装され、穴が開いていないか、障害物がないか、常に足元を見ながら、野犬を踏まないように注意しながら歩く必要はない。

駅や電車・バス内の電光掲示板は、常にアップデートされ、信頼できる正しい行先と時間を表示する。
表示が正しいかどうか、行先とプラットホームの番号が合っているかどうかを係員や周りの乗客に確認する必要もない。

弛緩しきってぬくぬくと地下鉄のシートに座っていれば、ほぼ確実に自動的に行先まで連れて行ってくれる。





そしてサービス業大国・ニッポンのホスピタリティの質の高さ、客目線で整えられたシステムの効率の良さに、改めて感動。

時計の電池交換ひとつをとっても、所要時間が告げられ、電光掲示板で受け渡しのタイミングを見ることができる。
バンド交換をしたければ、時計幅のサイズごとに分かれたバンドが壁に見えやすいディスプレイで並び、こちらから何も尋ねなくても時計幅をすっと測って棚の場所を案内してくれる。
狭いカウンター内で働く複数のスタッフ全員が、いち早く客にサービスを届けるために、それぞれの役割を察知してテキパキと動く。
なんて無駄のない。


インドと日本のホスピタリティの違いが際立つ最たるものは、空港のセキュリティチェック。

「恐れ入ります、反応が出ましたのでこちらで靴を脱いでスリッパに履き替えていただけますか?」
(インドだったら「靴脱げ」の一言で終わり)

「ブーツと携帯電話をもう一度通させていただきます」
(インドだったら無言で戻ってもう一度通してこい、と指差されるだけ)

「ご協力ありがとうございました」
(インドだったら不機嫌そうなむっつり顔で行け、とアゴで合図されるだけ)

極めつけには別の係員が「お待たせいたしました」と、他の荷物をまとめて待っていてくれる。
(インドだったら係員は私語を交わして談笑しながら、乗客がレールの上に溜まった荷物を「それ私の。こっちにちょうだい」と言いながら腕を限界まで伸ばさないと荷物を収集できない)


なんて素晴らしいんでしょう、日本。





一方で、久しぶりに戻った日本の価値観に違和感を感じたことも少なくない。



まだ使えるのに、新しいものが欲しいからと買い換える習慣。

インドでは、「物を捨てる」ということはほとんどない。
古くなっても、機能する限りは、使い続ける。
機能しなくなれば、直して使う。
もし何らかの事情で自分が使わなくなれば、周囲で必要とする誰か他の人に譲る。

そして、必要なもの以外は買わない。(買えない、という現実ももちろんあるが。)



12月、シャンティヴァンを訪問した際に寄らせてもらったパンヴィールの知人の家を思い出す。
そこには驚くほど、物が少なかった。

ムンバイで働く夫婦と、大学生の息子ひとりの3人家族。

2ベッドルームとキッチン、バスルームがついたシンプルなアパートの一室。

きちんと整理されたベッドルームには、簡易なベッドと、身の回りのものを収納するための小さなクローゼット、ヒンドゥー教の神様を祭るための小さな祭壇があるのみで、余計なものは全て排除された居住空間だった。

人間が暮らしていくために本当に必要なもの、大切なものが何かをわかっている人の部屋だ、と感じた。



日本の電器店やデパートに、これでもかと溢れ返る、生活を「豊か」にするための商品、デザインの数々。

インドで売られているものは、大都市の一部には先進国と同じようなショッピングモールができたといっても、一般的にはまだまだ生活に必要最低限のものが基本だ。
まずは必要な品物が店にあるかどうか。
デザインやバラエティは二の次で、あったとしてもせいぜい2,3種類。壁一面に並んだ種類の多さに圧倒されることは、まずない。



食べものもそうだ。
日本で、全員とはいわないが、ある程度選択肢が揃う街に暮らす、一定以上の生活レベルの人たちにとって、食事は単に腹を満たすためのものではない。
その時の気分と嗜好に合わせて、舌と気持ちを喜ばせるために、食べる。
街には、多種多様なレストランがこれでもかと扉を開き、ネオンを照らして待っている。

インドでは、その場で手に入るものを食べる。
選択の基準があるとすれば、自分の宗教上の制約に合うかどうか。



軽く、表面だけを撫でて過ぎる会話。

真面目な話題、深い話題は避ける空気が日本にはあると思う。
「議論」や意見の対立は、避ける。
そういう場を意識してセッティングしなければ、なかなか核心に触れるような話はできずに終わってしまう。




11日ぶりに戻ったデリーの冬空は、分厚い霧に覆われていた。


女子度や身だしなみに気を遣う日々から、ただ生活することのみに集中する日々にまた戻る。

必要な食材や物資を確保すること。
無事に目的地に到達すること。
やるべき仕事を終えること。

到着ゲートを出て空港内を歩きながら、ひとりで生活して身を守るためのシールドを、再びオンにする。
顔つきと声が少し険しく冷たくなるのが、自分でもわかる。



少しの間国外に離れて、再びデリーに戻ると、その度にインドの生活への浸透度がまた一段深いレベルになっていることを強く実感する。

言葉で表現し難いけれど、
2011年の1月にインドネシア出張から戻って来た時、
5月に日本への一時帰国から戻って来た時、
そして今回、2012年1月に戻って来た時。

自分の中で感じる「異文化」感は着実に減り、「日常」感が増している。


飛行機から降り立つと、乗継便の乗客に呼びかけるインド英語の癖のある発音が耳をつく。
空港の外では、布にくるまった人々が焚火で暖をとる。
交差点では物乞いの老いた手が窓ガラスを叩く。

道を知らないドライバーは散々迷い、家に辿り着いて、冷え切った部屋でなかなか利かないパネルヒーターにかじりつきながら、日本で買ったばかりの沖縄そばをすする。


11日離れても、インドの風景と呼吸のペースは、私にとってもはや違和感なく戻ることができる日常になっていた。

水戸の夕焼け [2012年01月11日(Wed)]



それが異国の地であっても、国内の別の町であっても、
今まであったものを手放して、ひとりで新しいことに挑戦しているのに変わりはない。

それぞれのタイミングで、
それぞれの道を選んで、
得たものを手のひらに握りしめながら。


都心よりも震災の影響が色濃く残る水戸で、
同期もがんばっています。
新年のはじまり [2012年01月11日(Wed)]





大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

1年前に宣言したとおり、今年の年始は日本で迎えました。


7ヶ月ぶりの一時帰国。


やはり時々インドを離れることは必要だ、と感じた。

どっぷり浸れば浸るほどに見えてくるものもあるけれど、逆に見えなくなってしまうことも多い。

大小様々な情報が入ってくるなかで、フォーカスすべきポイントが何なのか。
臨機応変に対応しながらも、ずらしてはいけない本筋は何なのか。


特に仕事面で行き詰まった時は、
東京の空気を吸って、初心に戻ること、
東京との温度差を把握すること。

少しだけ霧が晴れて、頭がクリアになる。



そして今年は、年始め早々にひとつおめでたいニュースが。

3つ年上の姉が、ようやっと結納しました。


(本人の許可を得てないので、豆粒サイズで。)

おめでとう。