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ディワリの祈り [2011年10月28日(Fri)]

ヒンドゥー教の最大の祭り、ディワリ。



デリー日本人会ホームページより抜粋)

ディワリ
ヒンディ暦(太陰暦)カルティック月の新月の日


 ディーパヴァリ=ディワリ「光のお祭り」は14年間国外追放されていたラーマ王子が、ラヴァナを倒しアョディヤ国に凱旋をした際に、人々が灯りをともし出迎えたことに由来するお祭りで、日本のお正月に匹敵するような一大行事としても知られています。

 家々のまわりには素焼きのディヤという容器にギーを入れ、綿で芯を作って火をともし、飾ります。ディヤの灯によって、富と豊穣の女神ラクシュミーを家に招き入れるのです。

 デリーではラクシュミー女神とガネーシャ神へのプージャが行われます。各家ではディワリのための臨時祭壇が設けられ、(上写真参照)お坊さんやその家の年長者がプージャ(お祈りの儀式)を行います。

 お供えは果物、お菓子など、これもその家の出身地方によりかなり異なります。祭壇に置く小さな屋根のついた素焼きの飾り《ラクシュミー女神とガネーシャ神が奉られている》(左下写真、4本の柱がついたもの)を「ディワリ」と呼びます)。

 ディワリやプージャに使うラクシュミー女神・ガネーシャ神の像も毎年新しいものを買い求めますからディワリの前のマーケットはすごい人出!!プージャが終わったら食事、その後は頃合を見計らってみんなで外に繰り出し「花火大会」で大騒ぎ!!爆竹を一晩中鳴らす人もいて遅くまで賑わいます。

 この日は日本のお正月と同じで離れて住んでいる子供や親戚が帰省する日でもあり、服、サリー、靴など新調します。また決算期でもあり帳簿はディワリを境に新しくするのが慣わしです。家の大掃除や壁のペンキ塗り替えもディワリを迎える準備。

 家を灯りで飾るのと同じように、心も美しいもの・愛・平和で満たし、欲・怒り・エゴ・執着心を捨てて新しい自分に生まれ変わろうとするのです。


・・・


昨年11月末に赴任して、初めて迎えるディワリ。

とはいえ仕事が休みなのは当日1日だけだし、
マーケットはどこも人混みだし、お店も休みだし、外に出るとクラッカーがうるさいし、
どうしようかなぁ、家でふて寝かなぁ、と思っていたところ。

ディワリの4日前に出張で顔を合わせた仕事の関係者から
「ジャイプールのディワリは一番きれいだ! ジャイプールにいらっしゃい!」
と(おそらく8割は社交辞令で)言われ、

「ほんとに行っていいですか?」

と、お言葉に甘えてお邪魔した次第。


とても伝統的で神聖な家庭のプージャに参加させていただきました。

モチベーション [2011年10月19日(Wed)]

充分に自覚していることだけど、もともと私は周囲の影響を受けやすい。

やる気のある人たちの近くにいればやる気がみなぎるし、
やる気のない人たちの近くにいるとやる気が失せる。

前向きな発言をする人と話をしていれば前向きな考え方になるし、
後ろ向きな発言ばかりする人と話をしていれば暗くなる。

インド赴任を決めた背景にあるのは、その頃、特にプライベートでポジティブなエネルギーが満ちている環境にいたからという要因が大きいと思う。
単純ですけど。

そんな環境に身を置けたことは感謝してるし、一時的なものに終わらせずにちゃんと自分の中に絶やさずにとっておきたい。


残念なことに、インドに来てからプラスのエネルギーに触れることがとても少ない。
モチベーションを奪われる機会は毎日訪れるのに。


唯一、モチベーションの源となるのは、地方で草の根で頑張っている州リーダーと出会う時。



過去に受けたインプットを掘り起して、プラスのエネルギーを貯める。

常に降りかかる衝撃と襲撃から、マイナスのエネルギーを奪われないように身を守る。


まるでロールプレイングゲーム。
エゴ [2011年10月19日(Wed)]

ある喧嘩の仲裁に入った。
とるにたらない些細なこと。

そのことを考えていたら、
なんだか自分がインドにいるミッションそのものが、子どもの喧嘩の仲裁のような気もしてきた。

(語弊を覚悟でものすごく乱暴に一般化すると、)
インド人は自己防衛意識が非常に高い。
自分が不利になると感じると、声を荒げてありとあらゆる手段を使って自分を正当化しようとする。

くだらない喧嘩なら放っておけばいいけれど、
それが双方とも自身の存続がかかっていたり、本気の熱意に基づいた思い入れがあったりすると、放っておくわけにもいかないし、決着点を見い出すのが難しい。

もう少し自分の立場を離れて、客観的に物事を考えてくれれば、

もう少し自らの立場を棚に上げて、相手の立場を理解しようとしてくれれば、

考えの異なる相手を攻撃して封じ込めることより、双方の共通点や利益に通じる点を模索することにエネルギーを注いでくれれば、

きっといろんなことがうまく流れるのに。


毎日毎日、あらゆる場面で、何度もそう思う。


物事を円滑に進めるためには、双方に甘みを用意して、自分の不利にならないと感じさせなくてはならない。
同じ1つの案でも違うパッケージングとプレゼンテーションの仕方をすることも時には必要。



チャティスガールを訪問した時のこと。

到着の瞬間まで渋い顔で自らの立場を弁護していた担当官が、車内で5分会長と言葉を交わして、表情が一変した。

その「人を動かす」才能はすごいと思う。

会長の存在はエゴを超える。
それは肩書の力もあるかもしれないが、それ以上に話術と戦略的な立ち振る舞い方だと感じる。

問題解決のために、どう会長訪問を効果的に生かすか、は、
問題解決の障壁となるエゴを消し去るようなシチュエーションを会長訪問時に合わせてどう効果的に仕掛けられるか、という課題でもある。
ダシャラ祭:本番 [2011年10月07日(Fri)]

そうだ、縁日じゃなくてダシャラ祭を見に来たんでした。

これが今日の主役の魔王たちです。



<ダシャラとは? −デリー日本人会ホームページより−>

ヒンドゥ暦アシュヴィン月(9〜10月)の新月のころ皆様お馴染みのお祭りダシャラはラーマーヤナという古代叙事詩にのっとり10日間にわたって行われます。
アョディヤ国に生まれたラーマ王子(ヴィシュヌ神の7番目の化身)が、王位継承の争いで国外を放浪妻シータ、弟ラクシュマンとともに冒険の旅をすること14年、
最終的に悪の代表・ラヴァナをランカ(現在のスリランカ)で倒したことに由来し、
期間中毎日ラーマーヤナの劇が上演されます。
登場人物の中でも良く知られているのはハヌマーンという猿の神様ですね。
お祭りの最終夜には各地・各村の上演用広場に立てられたラヴァナとその弟クンバカルナ、息子のインドラジット3人の張りぼて像にラーマ王子の放った火の矢があたり、炎上します。
ここで観衆からはやんやの大喝采!!

この劇をラムリーラーと呼んでいて、インドの幼稚園でもラムリーラー劇が園児たちによって上演されるのです。この10日間は「菜食」期間です。肉や魚を断つのはもちろん、タバコやお酒も控える人が殆どです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


張りぼての魔王たちのこの顔の独特のセンスが… なんとも、インドっぽい。
アップにするとこんな感じ。


暗くなって花火が上がり、ようやく本番の始まり。
(今年は花火は見られないと思ってあきらめてたので、ちょっと嬉しい)



そして、突如として右脇にひっそりとあった張りぼての小屋が火柱を上げて燃え始める。

まだかまだか、と観客の期待が高まったところで、
ついに魔王に着火!



燃える、、、というより、爆破…。

爆竹が大量に弾け、かなりの爆音がします。
夜空に舞い上がる火の粉と、紙の破片と、灰。


1体、2体と燃え、ついにラーマ王子の放った火の矢が、悪の代表・ラヴァナ(中央の一番大きいやつ)にも。



どのくらいの音の大きさかは、お父さんに抱かれた少年の仕草から伝わるでしょうか。


なかなか迫力のお祭りでした。
インド版縁日:ダシャラ祭 [2011年10月07日(Fri)]

日本人コミュニティーリーダー的存在のNさんからお誘いいただき、ダシャラ祭を見に行ってきました。

デリーの随所で行われていますが、見に行ったのはグルモハル・パーク。

芝生広場の特設会場に、縁日のように出店が。


わた飴は蛍光ピンク。


もちろんチャート・バザール、軽食の屋台も。
斜めにきれいにもりつけられているのは、炒麺用の麺。


射的のようなゲーム。
「COME KILL THE LION(ライオンを殺せ!)」
って… ちょっと攻撃的すぎやしませんか?

といったら、隣にいた人から「あれ、トラだよね?」というツッコミが。

…確かに。


手動ミニ観覧車。

汽車も、メリーゴーランドも、手動です。

省エネモデルとして先進国に逆輸入、いかがでしょう?


…ミッキーの肌色がグレー…。

いや、ちがう。こんなのミッキーじゃない。


後半へ続きます。
閑話休題。 [2011年10月05日(Wed)]

なぜ長々とウダイ・タカール氏の紹介をしたかというと。


この写真をアップしたかったからです!



手乗りウダイ。

・・・実際は逆で、手のひらで転がされてるのは私の方ですけどね。



だって、寺院に佇む彼の立ち姿があまりにもマスコット的で。
ちょっとなつさんと二人で遊んでみました。




笑ってるけど目がコワーい。


皆が「グル(師)」と仰ぐ彼をつかまえて、
「全員分の荷物、空港からホテルに運んどいて!」とか、
「ドルをルピーに換金して車代精算しといて!」などと言える失礼な人は、世界広しといえども私くらいでしょう。

ムンバイに足を向けては眠れません。


現在の私のミッション、ナショナル・フォーラムの基盤強化は、彼の存在なくしてはできない。


100%菜食主義の彼と一緒に巡る全国行脚、ミッシィーロティ(豆でできたパン)とミックスベジが三日三晩続いても、四日四晩続いても、どこまでもついていきましょう。

(写真提供:なつさん
ダルマさん [2011年10月05日(Wed)]

笹川会長が敬意を込めて、「ダルマさん」と呼ぶ人がいる。

インドのハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムの影の立役者、
ウダイ・タカール氏。



彼の賞賛されるべきところは、人を育てようとする姿勢。

ナショナル・フォーラムの理事は、全員がハンセン病回復者。
ハンセン病回復者である当事者が決定権を持つ。


ハンセン病患者・回復者の支援をしてきた社会活動家は数多くいる。
でもその中で、この「当事者主権」の理念を、頭だけでなく心の底から理解し、行動できる人は希少だ。
団体にしても個人にしても多くの場合は、ハンセン病回復者を支援する「自分」の功績に重きを置きがちなために、支援者である自分よりも当事者が前面に立つことを好まない。


(個性も言葉も強いので誤解を生むことは多いけれど)
私の周囲で、最もその理念を理解し、行動に移している人が、この人だ。


(2010年5月 ビハール州での面談時)



彼のすごいところは、人を育てるために、失敗を許すことができること。

今回のチャッティスガールでも、プログラムの決定権は一貫して、州リーダーに決めさせた。
時には間違うことがある(それでこちらは振り回されるのだけど)。
優先順位がわからなかったり、時間の読みが甘かったり。
あえて間違えさせ、自分で気づかせ、訂正させる。

要人との面談の際にも、州リーダーを前に座らせ、彼らに口火を切らせる。
自分はひたすら黙り、脇役に徹する。

それでもどうしてもまわらなくなって必要な時にだけ、フォローの手を出す。

そのバランスが、絶妙。


(2011年9月 チャッティスガールにて)


今回、彼のライフストーリを聞く機会があった。

マハラシュトラ州のプネ出身。

親戚に医者が9人もいる家に生まれた。

初めてのハンセン病回復者との出会いは、祖父のもとで働いていた小間使い。
でもハンセン病を特別意識することはなかった。


この世界に入ったきっかけは、偶然。


もともとは軍隊に入るつもりだったが、失格した。
ある日、列車に乗り遅れて1日足止めをくった時に、一緒にいた先輩に「いいところに連れていってやる」と連れて行かれたところが、「アナンダワン(至福の森)」と名づけられた社会活動家ババ・アムテのコミュニティだった。

そこで社会活動に目覚め、ババ・アムテのコミュニティに出入りするようになった。

ある日、別のところでサマーキャンプがあると聞き、シャンティヴァンに来た。
そこは1950年代に設立された、ハンセン病患者の他、障害者などが共存して生活するコミュニティだった。

そこで感銘を受け、「ここで働きたい」と責任者に申し出たところ、
「もしここで働きたいのなら、モンスーン(雨季)の時期に働きに来ると良い」
と言われた。

10日間のキャンプが終わり、一旦はプネに戻った。

そして、言われた通りにモンスーンの時期に再びシャンティヴァンを目指した。

雨季は道路が通行できなくなり、パンヴィールの施設に辿りつくまで7,8時間かかる。
途中までバスで行き、車がそれ以上行けないところまでくると水に浸かりながら3〜4km歩き、夜になってようやく着いた。

へとへとになって辿りついて、
「来るのが大変だとわかっているのに、なぜモンスーンの時期に来るように言ったのか?」

と尋ねると、責任者はこう答えた。

「もし本気で働く気があるなら、苦労を乗り越えてくるだろう。
あなたは困難を乗り越えてやってきた。ここで働くのを認めよう」


それから、仕事を持つ傍ら、ひと月に10日間シャンティヴァンに通った。
働きが認められるようになり、1986年には政府の補助金、寄付などを掌握する会計担当になった。


「シャンティヴァンで働くなら、基礎的なハンセン病の知識を身に着けるべき」といわれ、ガンディー記念ハンセン病財団で6ヶ月の特別トレーニングを自分のために組んでくれた。

著名なハンセン病学者でボンベイ・ハンセン病プロジェクトの創設者でもあるガナパティ博士、微生物学者のシャラド・ナイック博士、など、一流の人々が講師陣を務め、あらゆる知識を教えてくれた。



現在、ヒンドゥ・クシュタ・ニワラン・サン(インド・ハンセン病協会)マハラシュトラ支部事務局長をはじめ、数々の団体の理事・担当職を務める。


なぜこの活動に関わるようになったのか? という質問に対する答えは、

“Where nothing is there, I should be there”
「誰もやる人がいないところに、自分が行く」。


確かに、彼の今の立ち位置を代われる人は、誰もいない。

(写真提供:なつさん
舞台裏。 [2011年10月05日(Wed)]

インド人はよく、特に役所関係の話をする時に、"move up the file(ファイルを上げる)"という言い方をする。

日本の文脈に言いかえれば、決裁をとる、というべきか。


チャッティスガールは、インドの中でもハンセン病の蔓延率が最も高い州。

州リーダーとともに政策の充実を州政府高官に向けて訴えることに加えて、
州保健省の取り組みの中でハンセン病対策の優先順位を上げてもらうことも、今回のWHOハンセン病制圧特別大使である会長のチャッティスガール訪問目的のひとつ。

そのためには、WHO→連邦政府保健省→州政府保健省の手順を経て、訪問の旨を連絡してもらわなければならない。

ところが、その連絡と手続きにとても時間がかかる。

「公式なレターが州政府に届かないと、ファイルが上げられない」

「ファイルがないと、上司に話を通せない、現地のプログラムを詰められない」


今回は直前まであまりにもプログラムの中身が詰まっておらず白紙だったため、私は会長たちが到着する2日前に諸々の調整のために現地入りした。

まずは関係者とともに保健省を訪問。

そして、納得。

机の上に積まれたファイル、ファイル、ファイルの数々。



保健次官とのアポ入れのために2時間半待合室で待っていたら、
ひとつのファイルを手にした州ハンセン病担当官が、この上なく渋い表情で登場。

そのファイルには、連邦政府保健省からようやく届いたレターが!

名刺を渡して挨拶するも、「大使の公式訪問なのに、直前まで自分は何も聞いていない。準備の期間が少なすぎる」と、終始むっつり顔。目を合わせようとすらしてくれない。

いや、実は訪問自体が急に決まったんです。

ほら、連邦政府の担当局長は忙しい方だから、きっと連絡が遅くなったんですよ。

でもササカワはチャッティスガール州への訪問をとても楽しみにしているんですよ。

インドのしきたりを破って何か失礼なところがあれば謝ります、申し訳ありません。

ひたすら低姿勢で機嫌をとる。


きっと正規ルートで回したらさらに1週間はかかったであろうファイルを手で持って、直に一緒に保健次官の部屋を訪問。
訪問目的を説明して、訪問時の面談のアポをとる。
(結局当日の予定がずれて面談はかなわなかったけれど)


(段ボールの板のようなものの上に紙を置き、布テープのようなもので覆った上から紐で結んである。
チャッティスガール独特の流儀なのか、全国共通なのかは不明。機能的なのかはどうかは??)


そりゃあ、このファイルの山の中から、一つの書類を読んでもらうことは大変だわ。

そりゃあ、面会のアポをとって手渡さなければ、いくら手紙送っても、陳情書を出しても、紛れるはずだわ。


その中で手紙を高官の目まで届けてもらう、
アポイントをとる、
返事をもらう、って、ものすごく大変な労力を伴うんだなぁ、と。

改めて実感を持って感じました。
温度差を埋める [2011年10月04日(Tue)]

今回の会長訪問は、他の業務と重なったためササカワ・インド・ハンセン病財団(SILF)のスタッフは事務局長を除いて同行できなかった。

彼らの普段の仕事が、ドナーである設立者(日本財団会長)の目にどう映っているかを共有したかったので、訪問終了後に事務所全員宛に簡単な報告メールを出し、写真を共有した。

ふと思いつきで、広報担当と総務担当者も宛先に入れておいた。


そうしたら、普段仕事に関する話しかしない総務担当者から、ぽんと返って来た、長めのメール。


「現場の情報を共有してくれて嬉しかった、ありがとう」、と。


(AP州ニザマバードでSILF融資事業実施者に小切手を渡す笹川会長)



非営利団体において、総務、経理担当の人は事業の中身を実感する機会が少ない。
うまく情報を共有しないと、広報担当の人もそうかもしれない。

どこの組織でも同じこと。


事業部の担当者は業務に追われて必要最低限の書類しか出さないし、
総務や経理や広報の担当者は面倒くさがる事業担当者をせっついて必要書類や情報を要求する。

何のために日常業務があるのか。
目の前でこなしている業務が、どういう結果に結びついているのか。
本当に人々のためになっているのかどうか。

同じ温度で、ミッションを共有することは難しい。


1通のメールの宛先に加えるだけで、モチベーションを保つきっかけになるのなら、たやすいことだ。


出してよかった。
少し、報われた気がした。
チャティスガール州、アンドラ・プラデーシュ州訪問 [2011年10月04日(Tue)]

9月21日〜29日、日本財団会長・WHOハンセン病啓発特別大使、笹川のチャッティスガール州、アンドラ・プラデーシュ州およびデリー訪問。

こんな日程でまわってきました。


チャッティースガル州のビラースプルでは州保健大臣他の要人面談、ヘルスセンター訪問、首都・ライプールでは州人権委員長他の要人面談、メディア・ワークショップ。

アーンドラ・プラデーシュ州の州都・ハイデラバードではSILF(ササカワ・インド・ハンセン病財団)融資先贈呈式、コロニー訪問、要人との面談、ハンセン病人権セミナーなど。

デリーでは、WHOのハンセン病マネージャー会議で挨拶、コロニー訪問、インド医師会、法令大臣などと面談。


(一部、日本財団会長 笹川陽平ブログより抜粋。)


各日程の詳細は会長ブログをご参照くださいませ。

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