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ありがたみ [2011年06月29日(Wed)]

インドに来て、これまで7年働いてきた東京の職場環境の有難みを痛感させられることが多い。


・カラー印刷、両面印刷ができること。
・分厚い書類の穴あけパンチャーがあること。
・必要な文房具が必要なだけすぐ使えること。
・自分でスキャンできること。
・インターネットが1日に15回くらいプツプツ切れないこと。
・停電がないこと。
・同じ目的意識と温度を持った上司、同僚と働けること。


ネガティブな愚痴ではなく、今まで当たり前のことと受け止めていたことの有難みを、再確認。

何がしたいの? [2011年06月26日(Sun)]

一番精神的にこたえるのは、助成先の団体の人から
“what do you want?” 何をしたいの?
と尋ねられる時。

主体はあくまでも現地の人たちであって、
彼らが計画通りに物事を運ぶための側面支援なはずなのに、

そう言わせてしまう時点で、私の負けなんだろうな。



空港へ向かう帰り道は、お天気雨。

下準備 [2011年06月26日(Sun)]

再び、チェンナイに来ています。

ハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムの内部会議。

8月に予定されている理事会に向けての下準備。

旧体制から、昨年2月に発足した新理事に実質的な意思決定が移譲される、ターニングポイントとなる次の理事会。


どういう設定で話を持って行くのか、
何の議題をテーブルに載せるのか。


一度の話し合いでは終わらない。

二日間のエンドレスなマラソン・ディスカッション。




チェンナイ常宿のRADHA REGENT。
一階の土産物屋で衝動買い。

“good luck”を運んでくれるそうな。

ぜひとも運んできていただきたい。


お金と人と時機 [2011年06月19日(Sun)]

助成財団のスタッフとして、基本的なことに気づく。


世の中には、お金では解決できない課題の方が多い。

お金を出すだけで解決する問題なんて、大した問題じゃない。

今そのタイミングで、その人でなければ、打開を望めない課題がある。


その適切なタイミングと、適切な人材を見極められるか。

何もないところから、そのポイントに向けて、時機と人材をどう用意していくか。


それが「社会の問題を解決するための」助成財団のスタッフに求められる役割。


新人の頃に文字だけで飲み込んでいた言葉を、なんというか、体で理解している気がする。



奨学金にしても、タイミングがずれてチャンスを失ってしまったら、後でどれだけお金を出しても意味がない。

MP州のハンセン病回復者の生活改善にしても、今、州リーダーのサランのやる気と活動を支えなければ、ただでさえ他州と比べて後れをとっているMPのコロニー状況の改善は5年は遅れる。



自分に時機と人材をつくりあげていくまでの力量があるかはまだ自信がない。
でもこの人だ、と思える出会いと、ここだ、と思えるタイミングは、潰さないように、逃さないようにしたい。
サラン [2011年06月19日(Sun)]


Sarang Gaydhani
サラン・ガイダニ

インドールに暮らす、MP州の州リーダー。
ナショナル・フォーラムの新理事のひとり。


いつも表情が硬い。

英語はほとんど話せない。

物静かで自分から口を開くことはあまりないけれど、発言したいことがある時には堂々と意見をいう。


定職がない彼は、州リーダーとして活動する移動費や携帯電話代を稼ぐために、物乞いをする。
でも物乞いをしていることを、SILFのスタッフの前では見せようとはしない。

状況を理解しているから、SILFのスタッフもそのことについては何も言わない。

繊細で、自尊心が強い。


移動中、駅で突然表情を曇らせた。

後で(本人の了承を得て)聞いた話。


彼には娘が1人いる。

彼女の教育の面倒をずっと見てくれていたミッション系の団体があった。
その団体の支援を受けて、大学に進むはずだった。

ところが、父親であるサランが州リーダーとして活動し始めたことを面白くないと思ったのか、団体が大学進学のための奨学金を出さないと言ってきたのだ。


自分たちの団体が行う支援の枠内に留めておくのを良しとして、
回復者が勝手に外部とコンタクトを持ち、独自に活動を始めるのを良く思わないのは、一部のミッション系の団体に時々見受けられる。


誰に命令されたわけでもなく、ただ自分がそれをすべきと信じて、州リーダーとして他の多くのハンセン病回復者の生活改善のために活動してきた。

それが、こんな形で自分の家族の身に仇となって返ってくるとは。



しんとしてしまった部屋の空気を和ますために、チャイを頼む。

カップを持つのが難しいサランは、運ばれてきたチャイを、カップから半分だけソーサーの上に移して、片手でソーサーを支えて器用に口に運ぶ。


ずっと眉間に皺を寄せているサランが、今回の訪問中、一度だけ笑った。
チャイを運んできたホテルのボーイとアトゥールが交わす会話を聞いた時。



体調が良くない中、松葉杖をつきながらの遠距離の移動は辛いはずだ。

でも無理をおして、本州と北海道を足したよりも広いMP州を歩き回る彼の存在がなければ、MPのハンセン病コロニーの状況改善はいつまで経っても望めないだろう。

彼のような草の根で働く州リーダーの期待に応えられないのなら、回復者の全国組織を支援する意味はないと思う。



話をした後、
「Thank you for coming to MP(マディヤ・プラデーシュに来てくれてありがとう)」
と、サランに言われた。

言葉を返すなら、Thank you for showing me MP. 
私にとっては、州リーダーを通して、その州を見る。


MPを見せてくれてありがとう。
「インドのハート」のこれから [2011年06月19日(Sun)]



ずっと後々まで印象に残る打合せが、1年か半年くらいに1度ある。
そこで話した内容と、その場の空気を、決して忘れてはいけないような。

例えば、去年の8月にヴェヌゴパール氏と2人で話した時
去年の9月、SILFのオリエンテーション・ワークショップの後、ホテルの一部屋で、州リーダー3人と話した時。

そういう印象に残る話をするのは、いつもだいたい、ホテルの一部屋。
(決して怪しい意味じゃないですよ? 邪魔が入らず落ち着いて話せる場所として。)


今回もそうだった。


3つのコロニー訪問を終えた後、サランとラジャ・ラムと、「マディヤ・プラデーシュの回復者組織の活動について話を聞きたい」と持ちかけた。

昼食を頼んでいる間の待ち時間に話をしようかと思ったら、

「ご飯食べてからにしないか、長くなるから」

と、食事の後にホテルの部屋で改めて話をした。



マディヤ・プラデーシュ州の年金は驚くほど低い。

障害者年金が月に150ルピー(約300円)。
デリーのハンセン病回復者年金1800ルピーと比較したら、12分の1だ。

高齢者年金(65歳以上)も、月275ルピー(約550円)。

とても年金だけで生活できる金額ではない。



ハンセン病回復者の州組織といっても、これまで集会を開いたことはない。

2007年に、ある式典に呼ばれたMP州内20コロニーの代表者の間で、始まった。

現在、州リーダーは5人。
サラン・ガイダニ、ケラーシュ・シン(Indoor地区)、ラジャラム・マルヴィヤ(Ujjain地区)、ガンシャム(Khandwa地区)、パルヴァティバ・プレムシン(ラトラム地区)。


州内にあるコロニーのまだ半分しか回れていない。

州政府の保健省が中心となって実情調査が行われているそうだが、全てのコロニーを把握しているか疑問なので、自分たちの手でやりたいという。

資金さえあれば、1ヶ月以内で実情調査をやり遂げる、という。


MP州内のネットワークを強化するために、コロニー代表者を集めてのワークショップもやりたい。
実情把握するために、また政府と年金の交渉をするために、コロニー調査もやりたい。

でも、未だにナショナル・フォーラムからの資金は届いていない。


MPからデリーは遠い。
チェンナイも、ムンバイも遠い。
地理的な距離ではなく、心理的な距離の問題。


警官の乱入:Ambedkar Kushtu Ashram [2011年06月19日(Sun)]

Ambedkar Kushtu Ashram
アンベードカル・ハンセン病コロニー



ハンセン病患者を手厚く介護したガンジーの名前を冠したコロニーはインド中無数にあるけれど、一方でアンベードカルの名前を冠したコロニーは、それほど多くない。

10世帯、30人が暮らす小さなコロニー。

お盆に載せたスパイスを勧めて、歓迎の意を表してくれた。



木陰にゴザを敷いて、ミーティング開始。

ミーティングに参加した12人のうち、7人が高齢者。

年齢とモチベーションは反比例する。年齢層が高いと、どうも積極的な姿勢が感じられない。
自分たちが働きたい、何かやりたい、というよりも、あなたは私たちのために何を提供してくれるの? と、完全に「受け身」の態度を感じる。



宗教家のような雰囲気を持つコロニーリーダー。

ミーティングの背後で、知的障害を持つ人が2人見受けられた。
コロニーでは、ハンセン病の他にもポリオなどによる身体障害者や知的障害者も一緒に暮らしている姿を時折見かける。
社会で他に行き場のない人を受け入れるという意味では、通じるところがあるのかもしれない。

それまでに訪問した2つのコロニーと同じように、コロニーで行うビジネスの可能性について住人と意見を交わす。


・・・と。


突然、1台のバイクで乗り付けた警官。

普段あまり人が寄り付かないコロニーで集まってミーティングをしていると、野次馬的な近所の人が足を止めて遠巻きに様子を伺うのはよく見るけど、どうやら様子が違う。

ボリウッド映画よろしく、サングラスをかけた警官、バイクから降りるなり、

「お前ら何してるんだ?」

と、つかつかとこちらに近寄ってくる。


(※以下、一部想像を含んだ意訳です)


警官:「お前たちは誰だ、どこから来た?」

アトゥール:「ササカワ・インド・ハンセン病財団というNGOから来ています」

警官:「場所は?」

アトゥール:「デリーです」

警官:(メンターに向かって)「お前は?」

ラケーシュ:「ボーパール」

警官:(私に向かって)「お前は?」

アトゥール:「彼女は日本から」

警官:「よそからきて勝手に集会していいと思ってるのか? 許可はとったのか?」

アトゥール:「住人と話をしているだけです。許可は必要ないはずです」

警官:「今すぐ警察署に来い」

アトゥール:「集会を禁止する厳戒令がこの地域に出てるんですか? もし出てるというのであれば知らなかった、謝ります」

警官:「出てないけど許可が必要なんだ」

ラケーシュ:「ボーパールの上司に確認してみます」(と、おもむろに携帯を取り出して電話をかける。)
 「もしもし? コロニーで集会していたら警官に止められたんですけど…はい、電話代わります」

警官:「お前は誰だ? カトニーで何をしている? 許可なく集会してるぞ。 あ? …いや、そういうわけじゃないが… ごにょごにょごにょ

(電話を切って)

「とにかく後で警察署に来い、いいなっ」




と、捨て台詞を吐いてバイクに向かった 

…ところまではまだ良かったのだけど、

格好良く砂煙をあげて去るはずが、そのバイクのエンジンがなかなかかからず、15分くらいコロニーの入り口でぶんぶん頼りないエンジン音を響かせておりました。
(そのうち聞こえなくなったからおそらくバイクを押してどこかに立ち去ったかと思われる)

そこはご愛嬌。


(ものすごい写真撮りたかったけど、さらに面倒なことになるのを避けるためにガマンしました)



これまで笹川会長とも合わせてインド各地で多数のコロニーをまわって同じように集会をして来たけど、話を中断して割り込んで来られたのは初めて。

冒頭に聞いていた「マディヤ・プラデーシュ州では、元ダコイト(盗賊)の一部がそのまま地元の権力者になっている」という話が、ふと頭をよぎる。
そうかもしれないし、普通の警官でただ汚職が進んでいるだけかもしれない。


傍若無人な警官と、アトゥールたちが話している間、
「まただ…」というような表情で、驚くことも、言葉を発することもなくうつむいていた州リーダーとコロニーの住人達の姿が印象的だった。


「土地の権利を守るために役所に掛け合って、自分たちの権利を主張して」

と、人権ワークショップで言葉を発するのは簡単だけど、
そこで対面しなければならない相手には、大小の差はあれども、一部にはこういう人たちもいる。

私たちは出張の日程が終われば、デリーに戻って、それでこの警官との接点は消える。

でも、コロニーの住人や州リーダーたちは、こういう人たちと日常的に対面して、折衝して、折り合いをつけていかなければいけない。


その苦労は、この十数分の体験から想像できるより、きっとはるかに大変だと思う。



(訪問日:2011年6月16日)
舌が慣れる [2011年06月19日(Sun)]


"Developing the taste"という表現がある。

舌が味に慣れてきて、初めは美味しいと思わなかったものを、美味しく感じるようになること。

独特のスパイスが効いたインド料理は日本にいた時から好きだったけど、どうしても馴染めない味はあった。
でもいつの間にか、味覚が慣れている。


初めは、砂糖たっぷりのチャイ。
会議の休憩に甘いチャイが出ないと頭に糖分が回らず集中力がもたなくなる。

次に、つけあわせのチャツネ。
最初は申し訳程度に舐めては顔をしかめていたけど、機内食についてくるチャツネもつい開けてしまうようになった。

野菜売りから野菜を買うと、必ずといっていいほどオマケでどっさりもらうグリーンチリ。
なんの違和感もなく、朝ご飯、玉ねぎと一緒に刻んでオムレツに。


体のインド化は着実に進んでます。

Mahatma Gandhi Kushtu Ashram その3 [2011年06月19日(Sun)]

女性が目立つこのコロニー、人々の表情が明るい。

フォトジェニックな家族が多い。






明るい表情とは裏腹に、
この地域は人身売買や麻薬取引が横行していて、おそらくこのコロニーの人々もそういった犯罪から無縁ではないだろう、というアトゥールの推測。
事実かどうかはわかりません。


次の訪問地、同じカトニーにあるもう1つのコロニーまで、オートリキシャ2台に分乗して移動。

スブラータンの他、住人数人と子どもたちもついてきた。人懐こい。



オイラもついてきちゃった!

Mahatma Gandhi Kushtu Ashram その2 [2011年06月19日(Sun)]

他のコロニーでもよく見られる、典型的な日常風景の一部をご紹介します。



水浴び。

(服の上から堂々と水浴びをしている女性もいたけど、さすがにカメラに収めるのは遠慮しました)




洗濯。




ミーティングとなると、どこからともなくプラスチックの椅子を持って登場。

どこから持ってくるのか、とても不思議。


そしてミーティング中盤になると、どこからともなくおつかいに行った子どもがチャイや瓶ソーダを持ってきてくれたりする。

今回はファンタとThumbs Up(インド版コーラ)を皆で回し飲みしました。



狭い路地に干された洗濯物。

雨が降った後にぬかるんだ道。
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