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飾りじゃない「当事者参画」 [2013年04月04日(Thu)]

3月21〜22日、マディヤ・プラデーシュ州のジャバルプールで開催されたNLEP(National Leprosy Eradication Program;国家ハンセン病プログラム)の蔓延州ハンセン病担当官活動評価会議(Review Meeting of State Leprosy Officers of High Endemic States)に参加した。

一年に一度、各州のハンセン病担当官が集まり、ハンセン病対策の活動成果を発表する評価会議。

RIMG0062_.jpg

(写真:左から、LEPRAマディヤ・プラデーシュ州支部のバンダルカール氏、マディヤ・プラデーシュ州政府保健局長のサフ氏、ジャバルプール県長官のボーワル氏、中央政府保健省ハンセン病担当局次長のアグラワール氏、ハンセン病NGO連盟ILEP代表のアリフ氏、LEPRA本部代表代理のスバナ氏)


障害者の世界で主流となっている「当事者主体」の理念にならい、ハンセン病対策においても、プランニング・実行の過程に当事者の参画を奨励する動きが生まれている。
WHOが当事者参画のためのガイドラインを制定したのは2011年のこと。

徐々に、政府が主催するハンセン病対策会議の場にも、ハンセン病回復者である当事者が招待されるようになってきた。

しかし、表面上の飾りとしてではなく、真の意味での当事者の「参画」を実現することは難しい、と以前にもこのブログで書いた。
http://blog.canpan.info/c_india/archive/187

専門的な議論に、当事者が加わることは難しい。

やや的外れな発言をして、
それを「心優しい」NGOの誰かがフォローし、
「参加したね、良かったね」で終わる。

結果として、表面上の形だけの参画に留まってしまうことが多い。


当事者が、その場に応じた適切な意見を適切な形で伝える術を身につけること、

会議の運営者もしくは他の参加者が、当事者との認識のギャップを補い、かつ彼らの意見を引き出す補佐役を担うこと、

本当の意味で当事者が議論に参画するためには、その二つが不可欠だと思う。

RIMG0106_.jpg


今回のNLEP会議は、ハンセン病回復者の当事者組織ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパ氏が初めて正式な参加者として招聘された。

また、会長だけではなく、開催地の州リーダーであるサラン氏にまで招待枠が広げられたのも、今回が初めて。



会議の一日目が終わった夜、中央政府のハンセン病対策の責任者であるアグラワール次長より、「明日の会議でぜひ発言しなさい」との声がけがあった。

ILEP(国際ハンセン病NGO連盟)インドのナショナル・コーディネーターであるアリフ氏も、「明日は私が進行するので、タイミングをみて指名するから」と言ってくれた。



そして翌日。

発表者がプレゼンテーションのデータをパソコンに移している間、
「ではこの時間を利用して、ナショナル・フォーラムから発言を」とマイクを振られた。

RIMG0120_.jpg


まずマイクを握ったのは、マディヤ・プラデーシュ州代表のサラン氏。

サランが挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病コロニーに在住する回復者のために、潰瘍のケアのための包帯やMCR靴などの物資が支給されるべき。

・障害者証明は40%以上の障害じゃないと対象にならないが、ハンセン病の後遺症の場合、外見に表れない知覚や握力の低下などが勘案されない。障害の度合いに関わらず障害者証明が発給されるべき。


次に、ナルサッパ氏が挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病回復者が政府の支援で手足の変形を直す整形手術を受けても、知覚、神経、手足先を動かす力や握力は治らない。
手術後も障害者証明は発給されるべき。

・州の発表の中で整形手術の例数が強調されているが、整形手術の前に、障害の発生を未然に防ぐことの方が重要。

「自分は9歳にハンセン病を発症して、病気や障害が原因で、人生を通して厳しい差別を経験してきた。
 今、新たに病気にかかる人には同じような苦しみを味わって欲しくない」


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真剣な顔で発表を聞く参加者たちの中から、拍手が起こった。

会議の参加者は、患者数が多い州のハンセン病担当官、インド中央政府から配置されている地域保健局長、国家ハンセン病対策に技術協力をするNGOの専門家たち。

ハンセン病対策のエンドユーザーとして伝えるべきメッセージが、対策を担う人たちに伝わった、と感じられた。


「整形手術を受けたハンセン病回復者も、障害者認定を受けられるようにすべき」というナルサッパ氏の発言に対して、
整形手術の専門家であるアトゥール・シャー氏は「手術は外見の変形を治すだけであって、神経と握力は戻らない」と認めた。

整形手術の症例数を、障害防止の「実績」として見てきた多くの参加者にとっては、目を開かせる発言だったかもしれない。


ハンセン病対策局のアグラワール次長は、
「現在15州のコロニーデータは手元にあるが、残りの州のコロニーの場所、在住するハンセン病回復者数などのデータを共有して欲しい。そうすればそのリストをもとに各州に要請を促すことができる」
と、発言。

ナショナル・フォーラムにも、新たな宿題が増えた。


何はともあれ、初めて会議の場で、当事者と他の参加者との間で会話のキャッチボールが成り立った。

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席に戻ってきたナルサッパ氏とサラン氏を、つい子どもを迎える親のような目で見つめてしまう(私の方が遙かに年下なのに)。
「どうだった?」と訊かれ、「とても素晴らしい発言だった」と頷く。


今まで当事者参画の一番の理解者で尽力者だったハンセン病系NGO、LEPRAの代表であるラオ氏が、現在WHOへ出向中のため、本会議には欠席していた。

彼は、手をとって当事者を舞台に引っ張ってくれる人だ。

そのラオ氏がいない会議で、このようなキャッチボールが実現したことが何よりも嬉しかった。

関係者の間で当事者参画を推進する人が、今までの一握りの人たちから、着実に増えていると感じられた。

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(1日目の夕食の場で、ナショナル・フォーラムのふたりと議論する中央政府ハンセン病担当局のバルカカティ氏)


一回の会議でこのような対話が成功したからといって、次からの会議でも継続されるとはもちろん思わない。

どこの州でも同じように、場に応じた適切な発言を州リーダーができるとも言い難い。
会議のテーマに合わせて意見を整理し、発言できるよう、州リーダーを育てることは、ナショナル・フォーラムに課せられた課題でもある。

でも、ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパと理事であるサランが一度成功体験を得たことは、今後同じように対話を生むための糧にはなると思う。

これからもこのような真の「参画」と対話が継続され、より多くの場に広がることを、心から願う。
始まりの地・ビハールから届いた朗報 [2013年04月04日(Thu)]

3月20日の朝。
7時前に、1本の電話が入った。

目覚ましかと思って出ると、ビハール州のハンセン病回復者の州リーダー、カムレーシュ氏からだった。

「昨夜、ビハール州議会でハンセン病年金が可決されたよ」

と。


ビハール州に居住するハンセン病回復者全員を対象に、月額1800ルピー(約3070円)の生活手当が支給されることが決定した。
それまで政府から支給されていた月額200ルピー(約340円)障害者年金と比べると、破格の待遇だ。

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(ビハール州地元紙に掲載されたニュース)



ことの始まりは、2010年の4月に遡る。


2010年4月、WHOハンセン病制圧大使である笹川会長が、ハンセン病回復者の州リーダーとともに、ビハール州政府の保健大臣らと面会し、多くの人が物乞いに頼らざるを得ない状況を改善するために要望書を提出した。

その時の様子は笹川会長ブログに掲載の「インドにおけるハンセン病回復者との共同活動」に詳しい。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2640

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私にとって、ビハール州は始まりの場所だ。


大学卒業後、新卒で日本財団に入職してから、一度財団の外に出て働く経験をしてみたい、という思いは漠然とあった。
一方で、海外で、途上国の現場で働いてみたいという興味も。

それがインドへの赴任という具体的な方向を指したのは、2010年4月と5月、2度のビハール訪問がきっかけだった。


4月に初めて訪問した際、笹川会長とともに政府要人と面談したハンセン病回復者のリーダーたちは、大臣と同じテーブルに着くどころか、部屋に入ることさえためらっていた。

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それが保健大臣からハンセン病コロニーのデータを求められ、2週間でビハール州内63ヶ所のハンセン病コロニーを回って詳細の調査報告書をまとめあげ、それを提出するため5月に再度笹川会長とともに大臣を訪ねた際は、表情に自信が満ちていた。
報告書を持つ手は震えていたものの、ためらうことなく一番前の席に座り、目を見て発言するようになっていた。

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人は変わるんだ、と思った。

人が変わる過程、
社会的なハンディを持つ人が、どうすれば劣等感を乗り越えて自信をつけることができるのか、その過程をもっと身近で見たい、と思った。



インド赴任の可能性を当時の上司に相談したのも、ビハールでコロニー訪問からパトナに戻る道の車中でのことだった。

それからしばらく進展がなかったので、やはり無理かとあきらめかけた頃、夏前に「あの話、進んでるから」と不意に上司に言われた。

8月、9月と赴任前準備の出張を経て、2010年11月からササカワ・インド・ハンセン病財団への出向という形で、インド赴任の運びとなった。


それから2年と4ヵ月。


帰国前のタイミングで、ビハールから年金可決のニュースが届いたことは、何よりの報酬だ。


インドで試行錯誤しながらやってきたこの2年間、期待を裏切られたことも、批判されたことも、責められたことも何度もあった。

それでも、「あなたがやってきたことは無駄ではなかった」と、
2年間の締めくくりに、この国に言ってもらえたような気がした。

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2010年4月から3年に渡り、行きつ戻りつの政府との交渉を粘り強く続けたビハールの州リーダーたちに、心から拍手を贈りたい。

(写真提供:なつさん