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Viklang Kusth Ashram(UP) [2010年12月08日(Wed)]

今回のUP出張は、問題案件めぐり。

ナジババードを朝8時に立ち、列車で揺られて4時間、Moradabadへ。
他に客がいない薄暗いホテルの食堂で、微妙なインド風中華料理の昼食をとった後、車で30ほど走ってAmrohaに到着。



Viklang Kusth Ashram Sewa Samiti
ヴィクラン・ハンセン病コロニー

アムロハの列車の駅に隣接する、13家族、26人が暮らす小規模なコロニー。

水道、電気、公衆トイレも整備されている。

障害が重い高齢者の姿が目につく。
中には最近ではあまり会うことがないような重度の人の姿も。


集会に参加したのは22人、うち10人が女性。

(最初は集会所に座っていたのは男性のみだったが、「女性にも声をかけて」とリトゥが呼びかけると、待ってましたとばかりにわらわらと家中から集まって来た)

ウッタル・プラデーシュ州出身者が多いが、中にはビハール州から来たという人もいた。



みんな真剣。



244,000ルピーの融資を受け、ヤギの飼育を予定。

飼育小屋を建設予定だったが、建設業者が動いてくれず、事業着手前の段階で停滞している。

集会には建設業者も数分だが参加。
「人手が足りない」「寒い時期は働き手がいない」うんぬんと言い訳をしていたが、工事は必ず進めると約束してバイクに乗って去って行った。

それ以上特に話す議題もなく、ミーティングはわりとあっさり終了。






帰りの列車までの時間、コロニー内をぶらぶらして時間をつぶす。

ちょうど夕食の準備の時間。
玄関前のスペースで木の枝を燃やして調理をする人が多い。
ある女性は、「ガスを買うお金が欲しい。この調理方法だと、手の感覚がないから火傷をしてしまう」と傷だらけの手を見せながら訴えた。

夫婦の二人暮らしが圧倒的に多い。子どもがいる家族は少なく、2,3軒ほど。



やっぱりみんな写真好き。

載せきれなかった写真はその2に続きます。
Nazibabad雑景 [2010年12月08日(Wed)]



線路に咲く花。
土埃の中で深いえんじ色が映える。





ナージババードの道をリキシャで抜ける。
10分乗って、料金は20ルピーくらい。

道の両脇には、タイヤや自動車修理工場が立ち並ぶ。

道を通るのはリキシャの他に、トラック、バイク、自転車、その脇をのんびり馬車、水牛車までも。





リキシャに乗って通学する子どもたち。
……いや、それにしても乗りすぎでしょ?




こちらはホテルの窓から。

重そうなアルミ?鉄?のコイルを運ぼうとする人たち。

10人がかりで30分くらい努力はしてみたものの、結局、土にはまって立ち往生。
コイルはそのまま道脇に放っておかれていました。


とにかく、インドの道は突っ込みどころ満載です。
見ていて飽きません。



おまけ。



Nazibabadのコロニーの記事に写真を載せきれなかった。

ミーティング中、ずっと周りをウロチョロしていた男の子。
仕草が子どもアイドル並に可愛い! 連れて帰りたいくらいでした。

糸を染色していたおじさんに水をかけて遊んでもらって喜んでたかと思いきや、次の瞬間、びしょぬれになって泣いていた。

Nazibabad Kushtu Ashram その2 [2010年12月08日(Wed)]

翌日に住人を集めてのミーティングを行うことを約束して、その日は辞去。


翌日、再度午後2時に訪問。
午前中は物乞いをするため、2時からにしてくれ、と、時間帯は住人の方から指定があった。

同じようなことは別の場所でもよく耳にする。
「土日は(物乞いの)稼ぎがいいから、土日には来ないでくれ」、など。

それをSILFのスタッフは、「彼らの生活の糧を奪うことはできない」と、尊重する。
(そのポリシーは事業にかかわるスタッフ全員に一貫している)



集会所に敷物を敷いて(私たちが座るところは絨毯を二重にしてくれた)、住人12人が車座になって、ミーティングが始まる。

これまでの経緯について。

ヒヨコを買ったのかどうか?
どこから買ったのか?
育てた鶏はどこに売ったのか?
会計の記録はきちんとつけているのか?

10人に聞くと、10通りの答えが返ってくる。


「100羽の鶏を買った」

「どこから買ったの?」

「そのとき俺は布織りで忙しかったから、どこで買ったかは知らない」

・・・

「育てた鶏はどこに売ったの?」

「個人に売った」

「なんで市場じゃなくて個人に売るの? 誰に売ったの?」

「ここらの養鶏を一手にまとめている人がいるから、彼に売った」

「その人に会える?」

「150キロ離れたところに住んでいるから、会うのは難しい」

「連絡先は? 電話番号はわかる?」

「知らない」

・・・

「共同の銀行口座を設置しなきゃいけないことは知らなかった」

「事業を開始する前にワークショップで説明したでしょう? 資料にも書いてあったでしょ!」
(この辺りからだんだんリトゥの声が荒くなる)

「鞄から出してない」

「なんで鞄から出してないの? 紙で配ったのは、それをコロニーに持ち帰ってメンバーで共有するためでしょ?
出席したあなたには他の人に説明する責任があるのよ!」

「俺は字が読めない」

「じゃあ読める人に読んでもらえばいいじゃない!」

・・・

(※以上、会話の内容すべてヒンディー語のため、帰り道にリトゥ本人から聞いた解説と、その場の雰囲気からの推測です)


嘘をついているのは、明らか。

リトゥは、SILF事務局長のヴィニータや、理事のノーディーン博士や、選考委員のゴパール博士や、ひいては笹川会長の名前まで出して、説得にかかる。

「私一人で決めるわけじゃない。
数ある申請の中から、選考委員で選んで融資先のプロジェクトを決めてる。
あなたたちを信頼しているからこそ、これだけのお金を出したの。
きちんとした手続きを踏んで、責任を果たさなければ、ゴパールさんやノーディーンさんやササカワさんの期待を裏切ることになるのよ?

彼女(私のこと)は、日本のササカワさんのオフィスから来ている。
私にはお金を出している日本側に報告する義務がある。
きちんとした帳簿もなくて、どうやって報告できるの?」

(たぶん私が今回連れて来られた役割は、このプレッシャーを与えるため?)


だんだん怒られた小学生のように、住人の肩が落ちてくる。

流れる沈黙の時間が多くなる。



今後、養鶏のプロジェクトをどうするか。
継続するのか、それとも中止して返金するのか。


住人同士で話し合う時間をつくるため、一旦席を外す。
30分ほど経って戻ったら、集会所はもぬけの殻。

結局、誰も住人の意見をまとめて結論を出すリーダーシップのある人はいなかった。

結論は宙に浮いたまま、コロニーを後にした。



物乞いは、最も手早く、安定した収入源だ。
このコロニーでは、物乞いによる収入を全員で分配し、1週間で1人約130ルピーを手にすることができるとのこと。

煩雑な帳簿をつけることも、報告も必要ない。

若い住人の表情、目の色は違っていた。

でも、コロニーのリーダーといわれる人は、大体にして長老だ。
障害を持つ、物乞いをすることに慣れてしまった、新しい生業に挑戦するだけの気力も体力も衰えてしまった、高齢の人たち。

「働きたい」という意志を持つ若い人がいても、コロニーのコミュニティで生きていく以上、長老に逆らって自分だけ違う意見を主張することはできない。


SILFが行っている経済的自立のためのマイクロ・クレジット事業。

「インドのハンセン病コロニーから物乞いをなくす」
「経済的自立を実現して、尊厳のある生活を」

回復者を前にして、マスコミを前にして、数々の場面で行われる会長のスピーチで繰り返される言葉。

言うのは簡単だが、実現するのは難しい。

人々の意識を変えること。
長年、収入減となっていた物乞いから、他の生業に生活の基盤を移すこと。


SILFスタッフの苦労を垣間見た2日間でした。



高齢の障害者が歩くのを手伝おうと、杖に手を伸ばす男の子。
日本の療養所と違い、小さな子どもの声が響くのには明るい気持ちになる。

コミュニティーの中に暖かい連帯がないわけではない。
でも、それが新しい事業に関わることとなると、特にお金がからむと、意思形成が難しい。




ミーティングの背後では、注文を受けて絨毯を織るための糸を染める作業をしていた。
働く気がないわけではない。




この数か月間、コロニーで何があったのか。真実を知るのは、水牛のみ?



※ 同じウッタル・プラデーシュ州のヴァラナシで7日夜に爆発事件がありました。
正確な数字はまだ不明ですが、数人が死亡、40-50人が負傷したと報道されています。
距離が離れていることから特に影響はありません。
(が、引き続き、最新の情報入手と安全確保には細心の注意を払います)
沈黙と宙に浮いた結論 Nazibabad Kushtu Ashram (UP) [2010年12月08日(Wed)]

SILFのプロジェクト・オフィサー、リトゥと一緒に、ウッタル・プラデーシュ州のナジババードにあるコロニーを訪問した。



ナジババード周辺にあるのはここのコロニー1箇所のみ。
1966年に設立されたコロニーで、現在は25〜30人の住人が暮らす。

手足に目に見える障害が残る高齢者は3人ほど。
一見、ハンセン病回復者とわからない30〜40代の健康そうな男性がほとんど。
住人のうち、家族は2組のみ(いずれも2〜5歳くらいの小さな子どもがいる)で、他はすべて男性。

ナージババードの駅から、人力車で15分ほど漕ぎ、線路を越えたすぐのところに所在する。
赤と緑、オレンジに彩られたヒンドゥー教のお寺が目印。



ここでは、SILFの融資(総額166,000ルピー≒約33万円、うち拠出額は102,900ルピー≒約20万円)を受けて、養鶏事業を始めた。

始めた、はずだった。

が、ナショナル・フォーラム北部の有力リーダーのひとりであるヴェヌゴパール氏より、「ナジババードでは何も事業が行われていない」という情報が入り、
コロニーの住人との連絡にも不審な点が多かったことから、
今回の訪問に至った。


今回の訪問は、予告なしの突撃訪問。

「コロニーに行ったら何て言おう? 休暇で近くまで来たって言う? 
でもそしたらまたコロニーの人たちに“自分たちは一生懸命働いてるのに、SILFのスタッフは休暇で遊んでる”って文句いわれちゃう」
と、リトゥ。(結局、仕事で近くまで来たことにしました)

なぜなら、訪問予定を告げると、体裁を整えられてしまうから。
ここでは、お金さえ出せば鶏や豚を借りることも可能なのだ(実際、8月にSILFのスタッフが訪問した時には数十羽のヒヨコがいた)。


着いた当日の夕方に、コロニーの少し手前でリキシャを下車。
周辺の店(といってもほとんどないのだが)、小さな薬局で風邪薬(2錠で3ルピー≒約6円)を買うフリをしつつ、聞き取り調査開始。

「この周辺にKushtu Ashram(ハンセン病コロニー)がある?」

「あるよ」

「養鶏をやってるというコロニーと同じところ?」

「さぁ、わからないな」

・・・白々しいなぁ〜。
ともあれ、数歩歩いてコロニーに到着。

門をくぐり、住人に挨拶。

コロニーリーダーではないが、若手の中心核となっている男性に、内部の施設を案内してもらう。

ハンセン病コロニーで作られた製品を流通させるNGO、MESHから時折オーダーを受けてじゅうたんを織るという布織り機が6台、ふたつの部屋に分けて保管されていた。

コロニーの裏には、広大な土地にマンゴーの木のプランテーションが広がっている。
収穫できるのは夏のみだが、1年で40,000ルピー(約8万円)ほどの収入になるとのこと。

木につながれた水牛が大小あわせて3頭いるが、これらは共有ではなく、個人の所有物とのこと。




最後に案内してもらった養鶏用の小屋には、クモの巣が貼っている。
土の地面には糞ひとつ、羽ひとつ落ちていない。



「餌をやるための機械」といって見せられた鉄のパイプは、錆だらけで、もう何年も使われていない様子。



その2に続きます。
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