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Sehore Kushtu Awas Ghar [2011年06月19日(Sun)]

別途列車でやってきたSILFのスタッフと、現地のメンターと合流し、まずはボーパールから西に約50km、セホールへ。
車で約1時間の道のり。



Sehore Kushtu Awas Ghar
セホール・ハンセン病住宅


セホールの町にあるコロニーはここ1ヶ所のみ。

7家族が暮らす小さなコロニー。住人の数は20人。

うち、障害者は5,6人。



機械工の資格を持つ若者が1人、門番の仕事をしている人が1人、
その2人を除いては定職に就いている人はいない。
物乞いで生計を立てている。

物乞いで得られる収入は、月に2000〜3000ルピー(4000〜6000円)。
まずまずの高収入源。

コロニーの住人が物乞いをやめない理由はそこにある。


インドの農村でビジネスを始めるとなると、まず挙げられるのが、ヤギの飼育。
ミルクも採れるし、食用として売ることもできる。

でも高額の収入は見込めないし、伝染病などでヤギが一斉に死んだ場合、損失となりリスクが高い。

このコロニーからの申請も例にもれず、ヤギの飼育を希望してきた。

でも色々なリスクを説明した上で、アクセサリー製造や電池レンタルなど、高い収入が見込める事業をやってみないか? と、他の地域で展開されている事例を紹介。

結局、その場では業種を何にするかの結論は出ず、引き続き住人とメンターとの間で話し合いが継続されることになった。



コロニーリーダーのラム・ショール。



ヤギを飼育するにしても、水源の確保も問題。
コロニーには水ポンプが1基あるが、水源が枯れていて水は出ない。
代わりに雨水を溜めたタンクを生活水に使っている。

周辺を見渡しても乾いた土が続く。



トイレは4つ。でもメンテナンスはされておらず、中には土が埋まって使えないものも。

トイレの前に停められた新品のオートバイ。

(訪問日:2011年6月15日)
Premnagar Colony:BR [2011年05月14日(Sat)]

BKKMの会議が行われたRamnagarのコロニーから、徒歩3分ほどの距離に隣接する、小規模なコロニー。



鉄道駅の近く、整備された道沿いに、ひっそりと住居が立ち並ぶ。



16家族、65人が暮らす。

土地は鉄道省の持ち物で、いつ立ち退きを迫られるかわからないという不安を抱えている。


Ramnagarコロニーよりも、住居の質は悪い。
藁葺、寄せ集めの材でつくられた家が目立つ。



ここでも、物乞いのための手押し車が。



コロニーの裏には貯水池。
水鳥の姿も。

妙に静かで平和な景色。




(訪問日:2011年4月24日)
Kustu Ragi Seva Samiti Ramnagar その3:BR [2011年05月14日(Sat)]



ただ、少し明るい表情の写真を載せておきたかった。

この子には小さすぎるんじゃ? と思うシャツを、母親が頭からむりやり着せて、すとんと服の中に体がおさまる、
その様子を見ていたことを、なんとなく憶えておきたいと思った。

Kustu Ragi Seva Samiti Ramnagar その2:BR [2011年05月14日(Sat)]

ドイツの団体の支援で建てられた、コロニー敷地内にある学校(兼、集会所)。



ヤギを飼っている家も。



水浴びする子どもたち。




赤い服のおじさんがコロニーのリーダー。




牛、ヤギ、鶏(見えないけど)と、インドの農村の代表的な家畜、勢揃い。

Kustu Ragi Seva Samiti Ramnagar その1:BR [2011年05月14日(Sat)]

24日のBBKM会議の会場となったコロニー。






パトナ市内、Khogalの鉄道駅の近く。交通の便は良い。

65家族、約165人が暮らす。

住居はラジャスタンのNGO、SMKからの支援で建築された。

水道ポンプあり、立派なトイレもある。



小さなクリニックもある。




それでも、物乞いのために使われる手押し車がある。
設備が整っていても、生きていくための収入は物乞いに頼らざるを得ない状況。

今回、ビハールで訪問したコロニーの大半で、この手押し車を目にした。
他の州では、目にすることの方が稀だ。




(訪問日:2011年4月24日)
Viklang Kusth Ashram(UP)その2 [2010年12月09日(Thu)]


こちらが修復工事を待つ小屋。


トイレ。


日常的に差別はまだ残っている。
リキシャに乗ろうとしても、ハンセン病回復者とわかると乗せてもらえないことが多く、外にでかけにくいという。
10台が過ぎ去って、ようやく1台泊まってくれる程度だそうだ。




リトゥが座り込んで話していたのは、10年前から政府がコロニーで行っている夜間教育に通っているというおじいさん。
サンスクリット語を学んでいるという。
深い表情の雰囲気のある男性だった。

(時間も余っていたので)思わずスケッチ。







日がとっぷり暮れたAmroha駅。(蚊が多かった!!!)
Viklang Kusth Ashram(UP) [2010年12月08日(Wed)]

今回のUP出張は、問題案件めぐり。

ナジババードを朝8時に立ち、列車で揺られて4時間、Moradabadへ。
他に客がいない薄暗いホテルの食堂で、微妙なインド風中華料理の昼食をとった後、車で30ほど走ってAmrohaに到着。



Viklang Kusth Ashram Sewa Samiti
ヴィクラン・ハンセン病コロニー

アムロハの列車の駅に隣接する、13家族、26人が暮らす小規模なコロニー。

水道、電気、公衆トイレも整備されている。

障害が重い高齢者の姿が目につく。
中には最近ではあまり会うことがないような重度の人の姿も。


集会に参加したのは22人、うち10人が女性。

(最初は集会所に座っていたのは男性のみだったが、「女性にも声をかけて」とリトゥが呼びかけると、待ってましたとばかりにわらわらと家中から集まって来た)

ウッタル・プラデーシュ州出身者が多いが、中にはビハール州から来たという人もいた。



みんな真剣。



244,000ルピーの融資を受け、ヤギの飼育を予定。

飼育小屋を建設予定だったが、建設業者が動いてくれず、事業着手前の段階で停滞している。

集会には建設業者も数分だが参加。
「人手が足りない」「寒い時期は働き手がいない」うんぬんと言い訳をしていたが、工事は必ず進めると約束してバイクに乗って去って行った。

それ以上特に話す議題もなく、ミーティングはわりとあっさり終了。






帰りの列車までの時間、コロニー内をぶらぶらして時間をつぶす。

ちょうど夕食の準備の時間。
玄関前のスペースで木の枝を燃やして調理をする人が多い。
ある女性は、「ガスを買うお金が欲しい。この調理方法だと、手の感覚がないから火傷をしてしまう」と傷だらけの手を見せながら訴えた。

夫婦の二人暮らしが圧倒的に多い。子どもがいる家族は少なく、2,3軒ほど。



やっぱりみんな写真好き。

載せきれなかった写真はその2に続きます。
Nazibabad Kushtu Ashram その2 [2010年12月08日(Wed)]

翌日に住人を集めてのミーティングを行うことを約束して、その日は辞去。


翌日、再度午後2時に訪問。
午前中は物乞いをするため、2時からにしてくれ、と、時間帯は住人の方から指定があった。

同じようなことは別の場所でもよく耳にする。
「土日は(物乞いの)稼ぎがいいから、土日には来ないでくれ」、など。

それをSILFのスタッフは、「彼らの生活の糧を奪うことはできない」と、尊重する。
(そのポリシーは事業にかかわるスタッフ全員に一貫している)



集会所に敷物を敷いて(私たちが座るところは絨毯を二重にしてくれた)、住人12人が車座になって、ミーティングが始まる。

これまでの経緯について。

ヒヨコを買ったのかどうか?
どこから買ったのか?
育てた鶏はどこに売ったのか?
会計の記録はきちんとつけているのか?

10人に聞くと、10通りの答えが返ってくる。


「100羽の鶏を買った」

「どこから買ったの?」

「そのとき俺は布織りで忙しかったから、どこで買ったかは知らない」

・・・

「育てた鶏はどこに売ったの?」

「個人に売った」

「なんで市場じゃなくて個人に売るの? 誰に売ったの?」

「ここらの養鶏を一手にまとめている人がいるから、彼に売った」

「その人に会える?」

「150キロ離れたところに住んでいるから、会うのは難しい」

「連絡先は? 電話番号はわかる?」

「知らない」

・・・

「共同の銀行口座を設置しなきゃいけないことは知らなかった」

「事業を開始する前にワークショップで説明したでしょう? 資料にも書いてあったでしょ!」
(この辺りからだんだんリトゥの声が荒くなる)

「鞄から出してない」

「なんで鞄から出してないの? 紙で配ったのは、それをコロニーに持ち帰ってメンバーで共有するためでしょ?
出席したあなたには他の人に説明する責任があるのよ!」

「俺は字が読めない」

「じゃあ読める人に読んでもらえばいいじゃない!」

・・・

(※以上、会話の内容すべてヒンディー語のため、帰り道にリトゥ本人から聞いた解説と、その場の雰囲気からの推測です)


嘘をついているのは、明らか。

リトゥは、SILF事務局長のヴィニータや、理事のノーディーン博士や、選考委員のゴパール博士や、ひいては笹川会長の名前まで出して、説得にかかる。

「私一人で決めるわけじゃない。
数ある申請の中から、選考委員で選んで融資先のプロジェクトを決めてる。
あなたたちを信頼しているからこそ、これだけのお金を出したの。
きちんとした手続きを踏んで、責任を果たさなければ、ゴパールさんやノーディーンさんやササカワさんの期待を裏切ることになるのよ?

彼女(私のこと)は、日本のササカワさんのオフィスから来ている。
私にはお金を出している日本側に報告する義務がある。
きちんとした帳簿もなくて、どうやって報告できるの?」

(たぶん私が今回連れて来られた役割は、このプレッシャーを与えるため?)


だんだん怒られた小学生のように、住人の肩が落ちてくる。

流れる沈黙の時間が多くなる。



今後、養鶏のプロジェクトをどうするか。
継続するのか、それとも中止して返金するのか。


住人同士で話し合う時間をつくるため、一旦席を外す。
30分ほど経って戻ったら、集会所はもぬけの殻。

結局、誰も住人の意見をまとめて結論を出すリーダーシップのある人はいなかった。

結論は宙に浮いたまま、コロニーを後にした。



物乞いは、最も手早く、安定した収入源だ。
このコロニーでは、物乞いによる収入を全員で分配し、1週間で1人約130ルピーを手にすることができるとのこと。

煩雑な帳簿をつけることも、報告も必要ない。

若い住人の表情、目の色は違っていた。

でも、コロニーのリーダーといわれる人は、大体にして長老だ。
障害を持つ、物乞いをすることに慣れてしまった、新しい生業に挑戦するだけの気力も体力も衰えてしまった、高齢の人たち。

「働きたい」という意志を持つ若い人がいても、コロニーのコミュニティで生きていく以上、長老に逆らって自分だけ違う意見を主張することはできない。


SILFが行っている経済的自立のためのマイクロ・クレジット事業。

「インドのハンセン病コロニーから物乞いをなくす」
「経済的自立を実現して、尊厳のある生活を」

回復者を前にして、マスコミを前にして、数々の場面で行われる会長のスピーチで繰り返される言葉。

言うのは簡単だが、実現するのは難しい。

人々の意識を変えること。
長年、収入減となっていた物乞いから、他の生業に生活の基盤を移すこと。


SILFスタッフの苦労を垣間見た2日間でした。



高齢の障害者が歩くのを手伝おうと、杖に手を伸ばす男の子。
日本の療養所と違い、小さな子どもの声が響くのには明るい気持ちになる。

コミュニティーの中に暖かい連帯がないわけではない。
でも、それが新しい事業に関わることとなると、特にお金がからむと、意思形成が難しい。




ミーティングの背後では、注文を受けて絨毯を織るための糸を染める作業をしていた。
働く気がないわけではない。




この数か月間、コロニーで何があったのか。真実を知るのは、水牛のみ?



※ 同じウッタル・プラデーシュ州のヴァラナシで7日夜に爆発事件がありました。
正確な数字はまだ不明ですが、数人が死亡、40-50人が負傷したと報道されています。
距離が離れていることから特に影響はありません。
(が、引き続き、最新の情報入手と安全確保には細心の注意を払います)
沈黙と宙に浮いた結論 Nazibabad Kushtu Ashram (UP) [2010年12月08日(Wed)]

SILFのプロジェクト・オフィサー、リトゥと一緒に、ウッタル・プラデーシュ州のナジババードにあるコロニーを訪問した。



ナジババード周辺にあるのはここのコロニー1箇所のみ。
1966年に設立されたコロニーで、現在は25〜30人の住人が暮らす。

手足に目に見える障害が残る高齢者は3人ほど。
一見、ハンセン病回復者とわからない30〜40代の健康そうな男性がほとんど。
住人のうち、家族は2組のみ(いずれも2〜5歳くらいの小さな子どもがいる)で、他はすべて男性。

ナージババードの駅から、人力車で15分ほど漕ぎ、線路を越えたすぐのところに所在する。
赤と緑、オレンジに彩られたヒンドゥー教のお寺が目印。



ここでは、SILFの融資(総額166,000ルピー≒約33万円、うち拠出額は102,900ルピー≒約20万円)を受けて、養鶏事業を始めた。

始めた、はずだった。

が、ナショナル・フォーラム北部の有力リーダーのひとりであるヴェヌゴパール氏より、「ナジババードでは何も事業が行われていない」という情報が入り、
コロニーの住人との連絡にも不審な点が多かったことから、
今回の訪問に至った。


今回の訪問は、予告なしの突撃訪問。

「コロニーに行ったら何て言おう? 休暇で近くまで来たって言う? 
でもそしたらまたコロニーの人たちに“自分たちは一生懸命働いてるのに、SILFのスタッフは休暇で遊んでる”って文句いわれちゃう」
と、リトゥ。(結局、仕事で近くまで来たことにしました)

なぜなら、訪問予定を告げると、体裁を整えられてしまうから。
ここでは、お金さえ出せば鶏や豚を借りることも可能なのだ(実際、8月にSILFのスタッフが訪問した時には数十羽のヒヨコがいた)。


着いた当日の夕方に、コロニーの少し手前でリキシャを下車。
周辺の店(といってもほとんどないのだが)、小さな薬局で風邪薬(2錠で3ルピー≒約6円)を買うフリをしつつ、聞き取り調査開始。

「この周辺にKushtu Ashram(ハンセン病コロニー)がある?」

「あるよ」

「養鶏をやってるというコロニーと同じところ?」

「さぁ、わからないな」

・・・白々しいなぁ〜。
ともあれ、数歩歩いてコロニーに到着。

門をくぐり、住人に挨拶。

コロニーリーダーではないが、若手の中心核となっている男性に、内部の施設を案内してもらう。

ハンセン病コロニーで作られた製品を流通させるNGO、MESHから時折オーダーを受けてじゅうたんを織るという布織り機が6台、ふたつの部屋に分けて保管されていた。

コロニーの裏には、広大な土地にマンゴーの木のプランテーションが広がっている。
収穫できるのは夏のみだが、1年で40,000ルピー(約8万円)ほどの収入になるとのこと。

木につながれた水牛が大小あわせて3頭いるが、これらは共有ではなく、個人の所有物とのこと。




最後に案内してもらった養鶏用の小屋には、クモの巣が貼っている。
土の地面には糞ひとつ、羽ひとつ落ちていない。



「餌をやるための機械」といって見せられた鉄のパイプは、錆だらけで、もう何年も使われていない様子。



その2に続きます。