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ハンセン病回復者の子どもたちが学校に通えるようになるまで [2012年12月15日(Sat)]

「ハンセン病に関する差別は、障がい者に対する差別とはまた違う側面がある」
「住所がハンセン病コロニーであるというだけで、学校に行けない子どもたちがいる」
と、よくいわれる。

Photo0090.jpg

例えば、どういうことか?

実際に2012年の現在にインドで起こった話。

・・・

11月4日、ビハール州リーダーのランバライ氏と、ナショナル・フォーラムの関係者とともに、ビハール州のアリラジ地区にあるコロニーを訪れた。

コロニーには25人の子どもたちが住んでいる。
コロニーのリーダーは訴えた。
「就学を断られて、全員学校に行っていないんだ」。

Photo0066.jpg

3日後、ランバライ氏が再びアリラジに向かう。
コロニーのリーダーとともに、地域の公立学校を回った。
近隣の3つの学校は、どこも就学を断った。
「そこはうちの管轄ではない」と。

ランバライ氏は、社会の関心を惹きつけることでこの問題を解決しようと、ジャーナリストを連れて再び訪れた。

また同時に、自治体の村長にもこの問題を訴えた。

理解を示した村長を連れて、再び就学を断ったある学校を訪問した。

村長の姿を見た校長は、その場で25人の就学を認めた。
そこで事態は解決したかに見えた。


しかしその翌日、子どもたちが学校に行くと、また「ここでは学べない」と言われてしまう。
就学を認めた校長が不在のため、他の職員は子どもたちの就学に関知していないという。

RIMG2781_.jpg

ランバライ氏はあきらめず、今度は県の教育担当官のもとを訪れてこの問題を訴えた。

その話を聞いた県の教育担当官は、12月初旬にさっそく県内120の小学校の校長を集めて集会を開き、そこで同じくハンセン病回復者州リーダーのカムレーシュ氏に、ハンセン病について話す機会を設けた。


ハンセン病は治る病気である。
コロニーの住人は、全員治療が完了した人たちで、彼らが新たな感染源となる危険性はない。
ハンセン病に遺伝性はない。
コロニーに住む子どもたちを受け入れても、他の子どもたちがハンセン病に感染する恐れはない。

教育を受ける権利は、インド国民全員に保障されている権利だ。
今教育を受けられるかどうかが、将来どのような仕事に就けるか、未来の礎となる。
子どもたちに教育の機会を与えて欲しい、と。


同じように、ハンセン病であることを理由に就学を断られる子どもがこの地区で出ないようにという願いを込めて。


そして教育担当官の立ち会いのもと、25枚の入学届を記入し、提出した。
こうして、アリラジに住む25人の子どもたちは学校に通えるようになった。

Photo0072.jpg

制服をつくるために採寸する子どもたち。
教材と制服は、ドイツの団体による寄付によってまかなわれた。

Photo0089.jpg

新聞記事にもとりあげられた。

Scan158.jpg


人権侵害を訴えるための人権委員会は、インド中央政府にも各州にも存在する。
しかし人権委員会に訴えても、関係者へのヒアリングをして具体的な解決に結びつくまでには1年以上の年月を要する。ひどい場合は忘れ去られてしまう場合もある。

一日も早い解決のためには、差別をする人に実質的な影響力を持つ機関(それは場合によっては村長であったり、県の教育担当官であったり、行政官であったり)に訴える方が、確実に迅速な対処が望める。

問題解決の手法はひとつではない。
ひとつの手法でうまくいかなければ、別の扉を叩く。
扉が開くまで。



ナショナル・フォーラムは、ハンセン病コロニーに暮らす人々が直面する問題を「自分たちの力」で解決するためのフォーラムだ。
回復者である州リーダー自身が、問題解決の力をつけることを狙いとしている。

それが実際の成果に結びついた、ひとつの成功例。

問題が発覚してから解決までにかかった期間、1ヵ月。

アリラジとラクソールの間を何度も自慢のバイクで往復して、問題解決のために駆けずり回ったランバライ氏に拍手を送りたい。

DSC_1350_.jpg

(写真提供:ランバライ、なつさん)
人の心から壁をなくす:Santivinova Colonyその2 [2011年09月19日(Mon)]



重度の障害のある高齢者の姿が目立つ。

貧困線以下の家庭には、政府から米の支給があるが、質が悪く、質の改善を申し立てているところだそう。




1軒105,000ルピー(約21万円)で建てられるという低価格住居。
でも屋根瓦はところどころ崩れ落ちそう。


家の中を見せていただいた。
こちらが台所。



寝室もお邪魔します。




他のところからこのコロニーに嫁いできたという女性。
まだ12年生、将来は学校の先生になりたいという。



ハンセン病コロニーに住むことに抵抗はなかった? と尋ねるスタッフに、
「ハンセン病コロニーも他のコミュニティと同じで、何も怖がることはない」と笑顔で話す。

同級生という友だちも一緒に遊びに来た。

こういう人との直接的な交流が、差別をなくすための第一歩。
三頭身のガンディー像とSelf Help Group:Santvinava Bhave Colony [2011年09月19日(Mon)]

Sativinava Bhave Colony
サンティナヴァ・ベーヴ・コロニー



ライプール地区、ラジムにあるコロニー。
3つの川が交差する、宗教的に有名な町。
鉄道駅の近くに位置する。

30世帯が生活する小規模なコロニー。

コロニーリーダーの名前はシャンカー氏。



1970年に設立。
始めは17、8人だけだったが、現在は45人が暮らす。
住人のうち、ハンセン病回復者は11人。あとはその家族の人たち。

祭壇の周りにわらわらと集まって、ミーティング開始。
女性が最初から輪の中心に入ってくるのは、珍しい。



The Leprosy Missionの支援で、2つの自助グループが立ち上がっている。
少額ずつ出資してグループを立ち上げた時の帳簿を見せてくれた。





ところで、ここのガンジー像は、三頭身。
…なんだか微笑ましい。




(訪問日:2011年1月21日)
人々の生業:Ashadeep Colonyその2 [2011年09月19日(Mon)]

機織りに従事している女性が多い。

「家の中に機織り機があれば、家事の合間に機織りができる」



周辺の住人から、着古したサリーと、それぞ素材にしたラグマットの注文を受けることも。
こちらが素材。



完成品はこんな感じになります。
左に立つ男性はThe Leprosy Missionのスタッフのゴスワミ氏。




政府からの発注を受けて作る学校用のラグマット。
(床に座る際に下に敷く)

買い取り価格は、1枚35ルピー。
1日で3枚作れるとのこと。




他の職業はというと、町のゴミ拾いをしている人もいる。
毎朝ゴミを集め、1日120ルピーの収入。

また、子どもを抱えて掃除用のホウキを作る女性の姿も。
材料の長さを揃えて束ねていく手際がいい。



(訪問日:2011年1月20日)
Ashadeep Colony:1 [2011年09月19日(Mon)]


今年の1月、ライプール州で5つのコロニーを訪問した。

まとめていなかったけれど、再訪に向け、写真を拾い出しておさらい。

Ashadeep Colony (Durg地区)

175世帯が暮らすコロニー。
SILFの融資を受けて機織りの事業を行っている。





コロニーの玄関にまず目に付くのが、この胸像群。
ガンジー、ネルー、アンベードカル、マザー・テレサと、勢揃い。
なんかこの「とりあえず有名な人集めてみました」感が、妙に印象に残る…。
なぜネルーとマザーテレサだけ胸像で、他の両氏は全体像なのかも謎。


コロニーリーダーのイングレー氏。


貯水タンク。



地面にチョークで書かれた「Happy New Year 2011」の文字。
そういえばそんな季節でした…



(訪問日:2011年1月20日)
警官の乱入:Ambedkar Kushtu Ashram [2011年06月19日(Sun)]

Ambedkar Kushtu Ashram
アンベードカル・ハンセン病コロニー



ハンセン病患者を手厚く介護したガンジーの名前を冠したコロニーはインド中無数にあるけれど、一方でアンベードカルの名前を冠したコロニーは、それほど多くない。

10世帯、30人が暮らす小さなコロニー。

お盆に載せたスパイスを勧めて、歓迎の意を表してくれた。



木陰にゴザを敷いて、ミーティング開始。

ミーティングに参加した12人のうち、7人が高齢者。

年齢とモチベーションは反比例する。年齢層が高いと、どうも積極的な姿勢が感じられない。
自分たちが働きたい、何かやりたい、というよりも、あなたは私たちのために何を提供してくれるの? と、完全に「受け身」の態度を感じる。



宗教家のような雰囲気を持つコロニーリーダー。

ミーティングの背後で、知的障害を持つ人が2人見受けられた。
コロニーでは、ハンセン病の他にもポリオなどによる身体障害者や知的障害者も一緒に暮らしている姿を時折見かける。
社会で他に行き場のない人を受け入れるという意味では、通じるところがあるのかもしれない。

それまでに訪問した2つのコロニーと同じように、コロニーで行うビジネスの可能性について住人と意見を交わす。


・・・と。


突然、1台のバイクで乗り付けた警官。

普段あまり人が寄り付かないコロニーで集まってミーティングをしていると、野次馬的な近所の人が足を止めて遠巻きに様子を伺うのはよく見るけど、どうやら様子が違う。

ボリウッド映画よろしく、サングラスをかけた警官、バイクから降りるなり、

「お前ら何してるんだ?」

と、つかつかとこちらに近寄ってくる。


(※以下、一部想像を含んだ意訳です)


警官:「お前たちは誰だ、どこから来た?」

アトゥール:「ササカワ・インド・ハンセン病財団というNGOから来ています」

警官:「場所は?」

アトゥール:「デリーです」

警官:(メンターに向かって)「お前は?」

ラケーシュ:「ボーパール」

警官:(私に向かって)「お前は?」

アトゥール:「彼女は日本から」

警官:「よそからきて勝手に集会していいと思ってるのか? 許可はとったのか?」

アトゥール:「住人と話をしているだけです。許可は必要ないはずです」

警官:「今すぐ警察署に来い」

アトゥール:「集会を禁止する厳戒令がこの地域に出てるんですか? もし出てるというのであれば知らなかった、謝ります」

警官:「出てないけど許可が必要なんだ」

ラケーシュ:「ボーパールの上司に確認してみます」(と、おもむろに携帯を取り出して電話をかける。)
 「もしもし? コロニーで集会していたら警官に止められたんですけど…はい、電話代わります」

警官:「お前は誰だ? カトニーで何をしている? 許可なく集会してるぞ。 あ? …いや、そういうわけじゃないが… ごにょごにょごにょ

(電話を切って)

「とにかく後で警察署に来い、いいなっ」




と、捨て台詞を吐いてバイクに向かった 

…ところまではまだ良かったのだけど、

格好良く砂煙をあげて去るはずが、そのバイクのエンジンがなかなかかからず、15分くらいコロニーの入り口でぶんぶん頼りないエンジン音を響かせておりました。
(そのうち聞こえなくなったからおそらくバイクを押してどこかに立ち去ったかと思われる)

そこはご愛嬌。


(ものすごい写真撮りたかったけど、さらに面倒なことになるのを避けるためにガマンしました)



これまで笹川会長とも合わせてインド各地で多数のコロニーをまわって同じように集会をして来たけど、話を中断して割り込んで来られたのは初めて。

冒頭に聞いていた「マディヤ・プラデーシュ州では、元ダコイト(盗賊)の一部がそのまま地元の権力者になっている」という話が、ふと頭をよぎる。
そうかもしれないし、普通の警官でただ汚職が進んでいるだけかもしれない。


傍若無人な警官と、アトゥールたちが話している間、
「まただ…」というような表情で、驚くことも、言葉を発することもなくうつむいていた州リーダーとコロニーの住人達の姿が印象的だった。


「土地の権利を守るために役所に掛け合って、自分たちの権利を主張して」

と、人権ワークショップで言葉を発するのは簡単だけど、
そこで対面しなければならない相手には、大小の差はあれども、一部にはこういう人たちもいる。

私たちは出張の日程が終われば、デリーに戻って、それでこの警官との接点は消える。

でも、コロニーの住人や州リーダーたちは、こういう人たちと日常的に対面して、折衝して、折り合いをつけていかなければいけない。


その苦労は、この十数分の体験から想像できるより、きっとはるかに大変だと思う。



(訪問日:2011年6月16日)
Mahatma Gandhi Kushtu Ashram その3 [2011年06月19日(Sun)]

女性が目立つこのコロニー、人々の表情が明るい。

フォトジェニックな家族が多い。






明るい表情とは裏腹に、
この地域は人身売買や麻薬取引が横行していて、おそらくこのコロニーの人々もそういった犯罪から無縁ではないだろう、というアトゥールの推測。
事実かどうかはわかりません。


次の訪問地、同じカトニーにあるもう1つのコロニーまで、オートリキシャ2台に分乗して移動。

スブラータンの他、住人数人と子どもたちもついてきた。人懐こい。



オイラもついてきちゃった!

Mahatma Gandhi Kushtu Ashram その2 [2011年06月19日(Sun)]

他のコロニーでもよく見られる、典型的な日常風景の一部をご紹介します。



水浴び。

(服の上から堂々と水浴びをしている女性もいたけど、さすがにカメラに収めるのは遠慮しました)




洗濯。




ミーティングとなると、どこからともなくプラスチックの椅子を持って登場。

どこから持ってくるのか、とても不思議。


そしてミーティング中盤になると、どこからともなくおつかいに行った子どもがチャイや瓶ソーダを持ってきてくれたりする。

今回はファンタとThumbs Up(インド版コーラ)を皆で回し飲みしました。



狭い路地に干された洗濯物。

雨が降った後にぬかるんだ道。
線路の脇の女性大国 [2011年06月19日(Sun)]


Mahatma Gandhi Kushtu Ashram
マハトマ・ガンジー・ハンセン病コロニー


カトニーの鉄道駅から徒歩3分のところに位置するハンセン病コロニー。

寄せ集めの素材でできた家々が並ぶ中に、約30世帯が暮らす。



狭い路地を抜けて、案内されたのは、その中の1軒の家。

コロニーで住人とのミーティングを行う場合、だいたいは集会所を使う。
集会所がない場合は、木陰にゴザを敷いて。
個人の家の中でミーティングをすることはほとんどない。
(雨だからか、それとも別の理由からか?)

狭い家の中、ぎゅうぎゅうすし詰めになって座って話をする。

(ちなみにアトゥールとラケーシュ、私が座っているのはベッドの上。)



コロニーのリーダーは、なんと女性! しかも若い。
だいたい長老男性のリーダーが多い中、珍しい。

リーダーのスブラータン。
7人の子持ちという、肝っ玉母さん。
(一番上の子は妊娠してて、もうすぐおばあちゃんになる)



リーダーが女性だからというのもあるのか、女性陣の勢いがとにかく強い。
集まった人たちの前面はずらりと女性が占めている。
そして皆が遠慮の微塵もなく、積極的にしゃべる。

30分ほど家の中で話した後、「もう少し人を集めて」と、場所を外に移して話をすることになった。




駅の近くという場所柄、人の出入りが激しいのか、それともわりと規模が大きいからか、全体の統一感にはやや欠ける印象を持った。
半数以上の人たちをまとめるグループはできているが、住人全体の意思統一がはかれているかというと、やや疑問。

でも、目をキラキラさせながら熱心に話を聞く。
「事業をやりたい人?」と訊いたら、ミーティングに集まった大半の人が手を挙げた。

女性が中心になっているグループが行う事業は、成功することが多い。
このコロニーでも立ち上がる事業がうまくいくことを願う。


水道ポンプあり。
トイレはなし。



古いサリーの布で覆われた場所が、「女性のためのバスルーム」。


(訪問日:2011年6月16日)
Sehore Kushtu Awas Ghar その2 [2011年06月19日(Sun)]

コロニーの裏には、廃業になった病院の建物がある。
文字通り、デスクも書類も寝具もそのままに、放ったらかし。



敷地内にある果物の木(名前わからない…)。

地面から石をぶつけて、実を落として、硬い殻を割る。



中はこんな感じ。
ミカンの皮とかぼちゃを足して2で割ったような味。


子どもの手にかかれば、なんでも遊び道具です。
雪合戦のように後ろからぶつけて遊ぶ。

樹液のような粘り気のある蜜が出て、もろにぶつけられると結構とるの大変だと思うのだけど。
(手についた蜜もなかなか取れなかった)



コロニー周辺の風景。

「やっぱりハンセン病コロニーは差別のせいで人里離れたところに…」

いえいえ、この辺りはハンセン病コロニーに限らず、ずっとこんな風景です。



屋根の上にはテレビのアンテナがぽこぽこと。
だいたいのコロニーはテレビ完備。

ここのコロニーは冷蔵庫がある家もありました(わりと珍しい)。



トタン屋根を押さえるための重しは、車椅子。

…正しい活用方法?


水準からいくと、家もコンクリート建てだし、電気も通じてるし、施設面ではわりと充実している方。
それでも、物乞いのための手押し車はやはりある。

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