CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 日常風景 | Main | コロニー風景»
<< 2013年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Google

ウェブ全体
インド滞在記
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
匿名
クレイアニメが映す「ハンセン病」に当事者から抗議の声 (02/12) awa→ちびすけさん
1年目の振り返り。 (12/23) ちびすけ
1年目の振り返り。 (12/15) awa→KUROさん
1年目の振り返り。 (12/15) KURO
1年目の振り返り。 (12/15) awa
1年目の振り返り。 (11/30) Hena
1年目の振り返り。 (11/28) もりりん
1年目の振り返り。 (11/27) awa→きょこさん
モチベーション (10/27) きょこ
モチベーション (10/27)
月別アーカイブ
飾りじゃない「当事者参画」 [2013年04月04日(Thu)]

3月21〜22日、マディヤ・プラデーシュ州のジャバルプールで開催されたNLEP(National Leprosy Eradication Program;国家ハンセン病プログラム)の蔓延州ハンセン病担当官活動評価会議(Review Meeting of State Leprosy Officers of High Endemic States)に参加した。

一年に一度、各州のハンセン病担当官が集まり、ハンセン病対策の活動成果を発表する評価会議。

RIMG0062_.jpg

(写真:左から、LEPRAマディヤ・プラデーシュ州支部のバンダルカール氏、マディヤ・プラデーシュ州政府保健局長のサフ氏、ジャバルプール県長官のボーワル氏、中央政府保健省ハンセン病担当局次長のアグラワール氏、ハンセン病NGO連盟ILEP代表のアリフ氏、LEPRA本部代表代理のスバナ氏)


障害者の世界で主流となっている「当事者主体」の理念にならい、ハンセン病対策においても、プランニング・実行の過程に当事者の参画を奨励する動きが生まれている。
WHOが当事者参画のためのガイドラインを制定したのは2011年のこと。

徐々に、政府が主催するハンセン病対策会議の場にも、ハンセン病回復者である当事者が招待されるようになってきた。

しかし、表面上の飾りとしてではなく、真の意味での当事者の「参画」を実現することは難しい、と以前にもこのブログで書いた。
http://blog.canpan.info/c_india/archive/187

専門的な議論に、当事者が加わることは難しい。

やや的外れな発言をして、
それを「心優しい」NGOの誰かがフォローし、
「参加したね、良かったね」で終わる。

結果として、表面上の形だけの参画に留まってしまうことが多い。


当事者が、その場に応じた適切な意見を適切な形で伝える術を身につけること、

会議の運営者もしくは他の参加者が、当事者との認識のギャップを補い、かつ彼らの意見を引き出す補佐役を担うこと、

本当の意味で当事者が議論に参画するためには、その二つが不可欠だと思う。

RIMG0106_.jpg


今回のNLEP会議は、ハンセン病回復者の当事者組織ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパ氏が初めて正式な参加者として招聘された。

また、会長だけではなく、開催地の州リーダーであるサラン氏にまで招待枠が広げられたのも、今回が初めて。



会議の一日目が終わった夜、中央政府のハンセン病対策の責任者であるアグラワール次長より、「明日の会議でぜひ発言しなさい」との声がけがあった。

ILEP(国際ハンセン病NGO連盟)インドのナショナル・コーディネーターであるアリフ氏も、「明日は私が進行するので、タイミングをみて指名するから」と言ってくれた。



そして翌日。

発表者がプレゼンテーションのデータをパソコンに移している間、
「ではこの時間を利用して、ナショナル・フォーラムから発言を」とマイクを振られた。

RIMG0120_.jpg


まずマイクを握ったのは、マディヤ・プラデーシュ州代表のサラン氏。

サランが挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病コロニーに在住する回復者のために、潰瘍のケアのための包帯やMCR靴などの物資が支給されるべき。

・障害者証明は40%以上の障害じゃないと対象にならないが、ハンセン病の後遺症の場合、外見に表れない知覚や握力の低下などが勘案されない。障害の度合いに関わらず障害者証明が発給されるべき。


次に、ナルサッパ氏が挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病回復者が政府の支援で手足の変形を直す整形手術を受けても、知覚、神経、手足先を動かす力や握力は治らない。
手術後も障害者証明は発給されるべき。

・州の発表の中で整形手術の例数が強調されているが、整形手術の前に、障害の発生を未然に防ぐことの方が重要。

「自分は9歳にハンセン病を発症して、病気や障害が原因で、人生を通して厳しい差別を経験してきた。
 今、新たに病気にかかる人には同じような苦しみを味わって欲しくない」


RIMG0127_.jpg


真剣な顔で発表を聞く参加者たちの中から、拍手が起こった。

会議の参加者は、患者数が多い州のハンセン病担当官、インド中央政府から配置されている地域保健局長、国家ハンセン病対策に技術協力をするNGOの専門家たち。

ハンセン病対策のエンドユーザーとして伝えるべきメッセージが、対策を担う人たちに伝わった、と感じられた。


「整形手術を受けたハンセン病回復者も、障害者認定を受けられるようにすべき」というナルサッパ氏の発言に対して、
整形手術の専門家であるアトゥール・シャー氏は「手術は外見の変形を治すだけであって、神経と握力は戻らない」と認めた。

整形手術の症例数を、障害防止の「実績」として見てきた多くの参加者にとっては、目を開かせる発言だったかもしれない。


ハンセン病対策局のアグラワール次長は、
「現在15州のコロニーデータは手元にあるが、残りの州のコロニーの場所、在住するハンセン病回復者数などのデータを共有して欲しい。そうすればそのリストをもとに各州に要請を促すことができる」
と、発言。

ナショナル・フォーラムにも、新たな宿題が増えた。


何はともあれ、初めて会議の場で、当事者と他の参加者との間で会話のキャッチボールが成り立った。

RIMG0122_.jpg



席に戻ってきたナルサッパ氏とサラン氏を、つい子どもを迎える親のような目で見つめてしまう(私の方が遙かに年下なのに)。
「どうだった?」と訊かれ、「とても素晴らしい発言だった」と頷く。


今まで当事者参画の一番の理解者で尽力者だったハンセン病系NGO、LEPRAの代表であるラオ氏が、現在WHOへ出向中のため、本会議には欠席していた。

彼は、手をとって当事者を舞台に引っ張ってくれる人だ。

そのラオ氏がいない会議で、このようなキャッチボールが実現したことが何よりも嬉しかった。

関係者の間で当事者参画を推進する人が、今までの一握りの人たちから、着実に増えていると感じられた。

RIMG0097_.jpg

(1日目の夕食の場で、ナショナル・フォーラムのふたりと議論する中央政府ハンセン病担当局のバルカカティ氏)


一回の会議でこのような対話が成功したからといって、次からの会議でも継続されるとはもちろん思わない。

どこの州でも同じように、場に応じた適切な発言を州リーダーができるとも言い難い。
会議のテーマに合わせて意見を整理し、発言できるよう、州リーダーを育てることは、ナショナル・フォーラムに課せられた課題でもある。

でも、ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパと理事であるサランが一度成功体験を得たことは、今後同じように対話を生むための糧にはなると思う。

これからもこのような真の「参画」と対話が継続され、より多くの場に広がることを、心から願う。
始まりの地・ビハールから届いた朗報 [2013年04月04日(Thu)]

3月20日の朝。
7時前に、1本の電話が入った。

目覚ましかと思って出ると、ビハール州のハンセン病回復者の州リーダー、カムレーシュ氏からだった。

「昨夜、ビハール州議会でハンセン病年金が可決されたよ」

と。


ビハール州に居住するハンセン病回復者全員を対象に、月額1800ルピー(約3070円)の生活手当が支給されることが決定した。
それまで政府から支給されていた月額200ルピー(約340円)障害者年金と比べると、破格の待遇だ。

Scan038.jpg

(ビハール州地元紙に掲載されたニュース)



ことの始まりは、2010年の4月に遡る。


2010年4月、WHOハンセン病制圧大使である笹川会長が、ハンセン病回復者の州リーダーとともに、ビハール州政府の保健大臣らと面会し、多くの人が物乞いに頼らざるを得ない状況を改善するために要望書を提出した。

その時の様子は笹川会長ブログに掲載の「インドにおけるハンセン病回復者との共同活動」に詳しい。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2640

06.JPG



私にとって、ビハール州は始まりの場所だ。


大学卒業後、新卒で日本財団に入職してから、一度財団の外に出て働く経験をしてみたい、という思いは漠然とあった。
一方で、海外で、途上国の現場で働いてみたいという興味も。

それがインドへの赴任という具体的な方向を指したのは、2010年4月と5月、2度のビハール訪問がきっかけだった。


4月に初めて訪問した際、笹川会長とともに政府要人と面談したハンセン病回復者のリーダーたちは、大臣と同じテーブルに着くどころか、部屋に入ることさえためらっていた。

DSC_0137_.jpg


それが保健大臣からハンセン病コロニーのデータを求められ、2週間でビハール州内63ヶ所のハンセン病コロニーを回って詳細の調査報告書をまとめあげ、それを提出するため5月に再度笹川会長とともに大臣を訪ねた際は、表情に自信が満ちていた。
報告書を持つ手は震えていたものの、ためらうことなく一番前の席に座り、目を見て発言するようになっていた。

02.JPG


17.JPG



人は変わるんだ、と思った。

人が変わる過程、
社会的なハンディを持つ人が、どうすれば劣等感を乗り越えて自信をつけることができるのか、その過程をもっと身近で見たい、と思った。



インド赴任の可能性を当時の上司に相談したのも、ビハールでコロニー訪問からパトナに戻る道の車中でのことだった。

それからしばらく進展がなかったので、やはり無理かとあきらめかけた頃、夏前に「あの話、進んでるから」と不意に上司に言われた。

8月、9月と赴任前準備の出張を経て、2010年11月からササカワ・インド・ハンセン病財団への出向という形で、インド赴任の運びとなった。


それから2年と4ヵ月。


帰国前のタイミングで、ビハールから年金可決のニュースが届いたことは、何よりの報酬だ。


インドで試行錯誤しながらやってきたこの2年間、期待を裏切られたことも、批判されたことも、責められたことも何度もあった。

それでも、「あなたがやってきたことは無駄ではなかった」と、
2年間の締めくくりに、この国に言ってもらえたような気がした。

20100412_10_.jpg


2010年4月から3年に渡り、行きつ戻りつの政府との交渉を粘り強く続けたビハールの州リーダーたちに、心から拍手を贈りたい。

(写真提供:なつさん
歌にのせて権利を学ぶ:アンドラ・プラデーシュ州の県リーダー集会 [2013年02月12日(Tue)]

ハンセン病の州リーダーの活動を見たときに、色々な面で、他州と比べて一歩先をゆくアンドラ・プラデーシュ(AP)州。

ナショナル・フォーラムが活動する20州の中で唯一、州レベルから一段下がった県レベルでのリーダー育成に取り組んでいる。

牽引力だったナルサッパ氏が昨年6月、ナショナル・フォーラムの会長に選出され、州リーダーの座を辞して以来、AP州の活動が実質休止していると聞いていたので少し気になっていた。

新たに州リーダーの座を引き継いだナイドゥ氏より、県リーダーのトレーニングプログラム開催の知らせが届いたので、朝4時起きで飛行機に乗って来ました、ハイデラバード。


アンドラ・プラデーシュ州内23地区のうち、Hyderabad, Rangareddy, Nelluru, Nizamabad, Kadapa, Chittoor, Ananthapur, Khammam, Guntur, Krishna, Mahabubnagarの11地区から40人が参加。
うち、SLAPの書記を務めるシヴァマとスーリアマを含めた6人が女性。

会場はHASSS(Hyderabad Archdiocese Social service society)。
(空港からのタクシーはハズレの運転手に当たってしまい、何度も前を行き来して、運転手が聞こうとしないものだから車を降りて道端の人に片っ端から道を尋ねて、なんとか辿り着きました)


司会進行は、ナルサッパから州リーダーの座を引き継いだ、ナイドゥ氏。
タミルナドゥ州にほど近い、ティルパティ出身。
小柄だが、声が大きくてよく通る。

RIMG3635_.jpg


まずはお決まりの叡智のランプに火を灯した後、ゲストがそれぞれ挨拶して開会式。

ナショナル・アワードを受賞したナルサッパへの祝福。


初めに、AP州のハンセン病集組織、Society of Leprosy Affected Persons(SLAP)の書記、シヴァマによるチェタナ・プロジェクトの活動報告。

チェタナとは、笹川記念保健協力財団の支援でLEPRAがSLAPと共同で実施しているプロジェクト。
ハンセン病回復者およびその子どもたちを「啓発大使(lokdoots)」として、彼らのエンパワメントとコミュニティの意識啓発を図っています。

RIMG3629_.jpg

彼女、2年前に初めて会った時は人前で話すなんてとんでもないという恥ずかしがり屋だったのに、1年ほど前からSLAPのスタッフとして働き始めてから、どんどん自信がついて人前でも顔を上げて話せるようになりました。
今でも身体の前で腕を組んでしまう癖はなおらないけれど。
立派。


続いて、Network of People with disAbility Organization(NPdO)の演奏隊によるパフォーマンス。
アンドラ・プラデーシュ州内で村々に出向き、楽器と歌と踊りで障害者の権利自覚を促していく活動を長年に渡って続けている。

RIMG3655_.jpg

演奏隊のリーダー、キラン氏は、全盲の父親を持つ。
メンバーは全員身体障害がある。それでも、だからこそ、歌声は力強い。

10時から18時までの会議中、ずっと会場で話に耳を傾け、空気がだれてきたらすかさず気合い
入れの演奏をはさんでくれた彼ら。


そして彼らのボス、NPdOの代表であるスリニヴァスル氏、登場。

彼は、SLAPの創始者であるナルサッパが活動家としていわば「目覚める」きっかけを与えた人。

2003年の12月3日、国際障害者デーにあわせて開催されたマーチで彼と出会い、
ナルサッパは初めて「ハンセン病回復者」がインドの障害者法の中で障害の種類のひとつとして位置づけられていることを知った。

それまでハンセン病回復者と障害者とは別だと思い込んでいたのだ。

「仲間」を得た日。

そして、障害者の権利について、権利回復を求めて闘うことの重要さについて、初めて知った日。

彼との出会いが、ナルサッパの人生を変えた。

RIMG3641.jpg


お昼休みを挟んで、NPdOのサタャム氏による、アンドラ・プラデーシュ州の障害者関連条例と、情報開示法についての解説。

参加者が手にしている冊子は、このワークショップのために作られた解説書(テレグ語)。

インドは、州によって法律が異なる。政府の立場も動き方も異なる。
こういった法令の解説は、複数州の参加者を集めてやるより、州ごとに行う方が絶対に効果的。

RIMG3661.jpg

全部自分にかかわることなだけに、聞く参加者も真剣です。

RIMG3674_.jpg

後半戦につづきます。
ナショナル・アワード授賞式 [2013年02月07日(Thu)]

年に1度、12月3日の国際障害者デーにあわせて、インド政府の社会正義・エンパワメント省が主催するナショナル・アワードの表彰式が行われる。

障害者のエンパワメントに寄与した個人、団体などに対して贈られる賞。
カテゴリは以下の通り。

1. Best Employee / Self Employed with Disabilities
従業員、自営業の障害者
(全盲、弱視、ハンセン病回復者、聴覚障害、肢体障害、脳性マヒ、知的障害、重複障害の8種、大賞および副賞各1人)

2.Best Employers and Placement Officer / Agency
障害者の就労に寄与した雇用者、就職斡旋者
(大賞1人、副賞2人)

3.Best Individual Working for the Cause of Persons with Disabilities
障害者のために尽力した個人
(大賞1人、副賞4人)

4.Best Institution Working for the Cause of Disabilities
障害者のために尽力した団体
(大賞1団体、副賞5団体)

5.Role Model Awards
ロールモデル
(大賞5人)

6.Best Applied Research / Innovation / Product Development Aimed at Improving the Life of Persons with Disabilities
障害者の生活改善に向けた研究、発明、商品開発
(大賞3人)

7.Outstanding Work in the Creation of Barrier-free Environment for Persons with Disabilities
バリアフリー環境創出における貢献
(政府、民間各1機関)

8.Best District in Providing Rehabilitation Services
リハビリテーション・サービスに優れている県
(1県)

9.Best Local Level Committee of National Trust
ナショナル・トラストの最も優れた地域委員会
(1委員会)

10.Best State Channeling Agency of National Handicapped Finance and Development Corporation
障害者経済開発機関の州委託先賞
(1機関)

11.Outstanding Creative Adult Persons with Disability
最も創造性豊かな障害者賞
(男女各1人)

12.Award for the Best Creative Child with Disabilities
最も創造性豊かな障害児賞
(男女各1人)

13.Best Braille Press
点字メディア賞
(1団体)

14.Best Accessible Website
ウェブサイト・アクセシビリティ賞
(政府、民間、各1機関)


で、実際に授賞式に行ってきました。


招待状はこんな感じ。

RIMG3607.JPG

宛名、手書きです。ゆるい。
(一応番号管理はされているらしい? 。。。けど照合チェックはしていなかった)


会場は、大統領が出席する式典のお約束、ヴィギャン・バヴァン。

カメラと携帯電話は持ち込み禁止。
招待状とIDカード以外何も持ち込めないというので、若干警戒しながらも、建物の外の特設カウンターで鞄とカメラと携帯電話を預ける。

でもセキュリティチェックは1度だけで、拍子抜けするほど甘かったです。
体もほとんど触っていないし、財布の中身もスルー。
ショッピングモールのセキュリティの方がよっぽど厳しい。
よく見たらハンドバッグを持って入っている人もいた。

でも数百人の人が入って、一度も携帯が鳴らず、カメラのフラッシュが炊かれなかったところを見ると、やっぱりそこは徹底していたのかしら。


18時から始まる式典。

16時には受賞者は会場入りして待機。
会場入り後と式典開始直前の2回点呼して、全員いるかどうか確認。

17:30には全員着席。

主催者である社会正義・エンパワメント省、障害局のスティティ・カカール次官も早めに会場入りして目を光らせます。

昨年11月に着任した社会正義・エンパワメント省クマリ・セルジャ大臣も、受賞者と談笑。
立ち振る舞いがスマートで綺麗な方。

DSC_0260.JPG

そして、大統領登場。
会場のあらゆる方向に向かって、丁寧に「ナマステ」。

DSC_0276.JPG

大統領登場の際は、全員起立してお出迎えです。
そのまま直立不動で、国歌斉唱。

DSC_0277.JPG

国歌をリードするのは、盲学校の生徒たち。

DSC_0282.JPG

インドの式典でのお約束、叡智のランプに火を灯す。

DSC_0286.JPG

さっそく大統領による表彰授与にうつります。

1人ひとりにメダルと賞状を渡します。

DSC_0300.JPG

個人大賞を受賞した、ハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムの会長、ナルサッパも。

DSC_0397.JPG

式典の時間は1時間弱。
受賞者は全部で48人。

1人ひとりの紹介文を超高速早口で読みあげる。
基本ヒンディー語で、南インド出身者の紹介文は英語で。

時間との闘い。

MCも大変だけど、隣の手話通訳者も大変です。


障害を持つ子どもたちによる音楽演奏の小休止を挟んで、後半戦の表彰授与。

48人分すべての表彰を終えた後、大臣の挨拶に引き続き、大統領の挨拶。

式典の最後に、謝辞をのべる全盲の男の子。

DSC_0603.JPG

そして、受賞者と大統領、大臣も一緒に記念撮影。

DSC_0610.JPG

そして最後にもう一度、国歌斉唱。

DSC_0644.JPG

北から南まで言語が異なるのに、国歌斉唱の時だけは全員そろってヒンディー語で歌うのをみると、インドのすごさを素直に感じます。

大統領が退室するのをまた直立不動のまま見送り、「Jai Hind!(インドに勝利を)」の合言葉とともに、閉会。

と、わっと会場中の(300人くらいだろうか)客が、スナックとお茶をめがけて流れ出す。
すごい混雑。

受賞者とそれ以外の参加者でスペースが区切られているのだけれど、とてもその人混みに混ざるエネルギーが湧いてこず、静観。

そして10分後に会場を後にしようとふと目をやると、もう料理は何も残っていなかった。。

食糧を前にした時の人のエネルギーって、すごい。



会場内はカメラ持ち込み禁止。
でも、(自称)カメラマンの業者が10人くらい、押し合いへし合い、シークの人はターバンがずれるのもものともせず前に出て、シャッターを切っていた。

そして会場の外に出ると、路上に並べられた写真たち。

「1枚200ルピー(約350円)だよ」

た、高っ!!

「データが全部入ったCDもあるよ」

「CDはいくら?」

「500ルピー(約900円)」

…写真の値段に比べて安すぎじゃ?

でも、式典終了から参加者が出てくるたった数十分の間に、464枚の写真データが入ったCDを焼いて販売してしまう、このスピード感はすごい。


と、いうことで、ここに掲載した写真は全てそのCDから拝借したものです。



感想。



インドの障害者の扱いは、まだまだ枠に当てはめたものが多いと感じる。
政府が絡む障害をテーマとしたイベントで、必ずといっていいほど登場するのは、障害を持つ子どもたちによる演奏。

「障害があっても生き生きと音楽を演奏する」子どもたちの姿。

そしてそれを賛辞する官僚。

子どもの学芸会ならばそれでもいい。

でも、ここで受賞されているような人たちはもっとその上のレベルをいく、社会で自らの道を切り開いている大人たちだ。

式典の最後のVote of thanksを述べる人が、なぜ賞と何の関係もない全盲の子どもなのか。

どうしても主催者の上からの目線が拭いきれない。
主催者の捉える「障害」の枠内に当てはめたイメージが、舞台の上で見せられる。

その図式を変えるのは、簡単だ。

檀上にあがった受賞者に一人でも喋らせればいい。

そうすれば彼らの言葉自体が、障害があったとしても、健常者と呼ばれる招待客や運営者の多数よりも、並外れた強い意志と情熱と才能と行動力を持った人間であることの一番の証明になるだろう、と思う。
姿を見せないという戦略 [2013年01月31日(Thu)]

助成財団の担当者として、「なるべく現場に出る」ことを入職当初から言われてきた。
それが良いと自分も思っていた。


原則としては正しいと思う。
書類から読みとれる情報は限られている。

百聞は一見にしかずで、事務所を訪問すると、団体の実情をより明確に把握できる。
事業の現場を見ると、良い点も課題も含めて、より多くのことが理解できる。



が、インドに着任してから現地のカウンターパートに繰り返し言われたことがある。

何かワークショップや会議などを開催する際に、
「あなたはその場にいない方が良い」と。


初めはその言葉の意図がよくわからなかった。



例えば、資金提供者の「顔」である自分がその場にいることで、私に良い顔を見せようとする人が参加者の中から現れる。

または、「自分が良い働きをしている」とアピールする人が現れる。

もしくは、そこまで露骨でないとしても、本音で議論するのではなく、資金提供者の手前、建前としての発言が多くなる。

その結果、本来の議論に集中できなくなってしまう。

DSC01121.JPG

実際に、思い当たるふしは多々ある。

必要以上に連呼される「ササカワ」の名前、謝辞。
発言中、ちらちらとこちらに寄こされる視線。


余分な要素を排除して、本音を引出し、建設的な議論をするためには、「部外者」が(たとえドナーという関係者であっても)その場にはいない方が良いこともある。
何も発言しなくても、ただその場にいるだけで、会議の趣旨や流れを無意識で変えてしまうこともある。

もちろん、それがプレッシャーとなって逆にプラスに作用する場合もあるのだけど。


インドに来るまでは気づかなかった視点のひとつ。
「傍観者ではない視点」‏ [2012年09月03日(Mon)]

8/25〜9/1、ダラムサラ、デリー、マディヤ・プラデーシュの会長出張、無事終了。
とりあえず年末までいくつかある山脈のひとつの峠を越えました。

今回の会長訪印は、サンケイエキスプレスCampus新聞大賞をとった学生記者が全行程を同行するというおまけつき。
皆の期待に反して一度もお腹を壊さなかった、タフガイなユイカワくんが最後に残してくれた感想。

「日本財団という立場も、(卒業後に就職予定の)報道という立場も、当事者にはなれない。
当事者にはなれないけれど、でも傍観者ではない、当事者により近い立場での関わり方があるということを、会長や皆さんがハンセン病回復者と接するのをみて学んだ。
それはこれからの仕事に活かしていきたいと思う」

DSC_3217.jpg


私の中でベースになっている、学生時代の恩師の言葉を思い出す。

「本当に必要な支援は、現場を現地の人と歩きながら考える。
車でもなく、自転車でもなく、歩きながら。
そうすれば答えがみえてくる」

この環境で、この立場で、この距離で、当事者と関われることは、貴重なことだと改めて思う。



詳細の内容は笹川会長ブログからご覧ください↓
http://blog.canpan.info/sasakawa


今回は努力の甲斐あって、メディアにも多くとりあげていただきました。

http://health.india.com/news/who-ambassador-commends-india-on-its-effort-of-lower-rates-of-leprosy/

http://www.dailypioneer.com/state-editions/bhopal/91312-cm-for-action-plan-to-rehabilitate-leprosy-patients-in-state.html

http://www.dailypioneer.com/state-editions/bhopal/91311-why-separate-colonies-for-leprosy-patients.html
ナショナル・フォーラム新会長の誕生 [2012年07月03日(Tue)]

DSC_1319_.jpg

(2011年2月、第1回理事会理事会の写真 写真:なつさん


インド唯一の全国レベルでのハンセン病回復者組織、ナショナル・フォーラム

2005年の設立以来、自身が回復者であり、ソーシャルワークの博士号を持つP.K.ゴパール博士が会長を務めてきた。

ゴパール博士は、保健省のハンセン病対策専門家会議(Technical Resource Group)にも、WHOの世界ハンセン病対策プログラムの内容を協議する会議にも参加する、国際的な場でも専門的な議論の場でも活躍できる「当事者」として、象徴的な存在だった。
(2012年にはパドマ・シュリ賞も受賞)

彼の功績は大きい。
厳しい環境で鍛えられた強者が揃う、政治的な駆け引きが行われる中で、全国レベルでかろうじて人々をまとめあげられてきたのは、中立的で穏やかな態度を崩さない、ゴパール氏の人徳があってこそだ。
彼の存在なくしてはナショナル・フォーラムの設立はあり得なかっただろうし、政府にこれほど立場を認識されることもなかっただろう。


一方で、コロニーで暮らす多くの人たちにとって、ゴパール氏は雲の上の人だった。



タミルナドゥではIDEAインドの会長として、ビジネス立ち上げ支援や奨学金事業を運営しているので、実際にコロニーに足を運び、彼らと言葉を交わすことはある。

しかし、タミルナドゥ以外の州のコロニーに住む人々は、ゴパール氏と直接対話することは少ない。

何よりも、大多数の共通言語であるヒンディー語を、タミルナドゥ出身のゴパール氏は話せないし、理解しない。



ナショナル・フォーラムの事業に関する決定権はすべて、ゴパール氏の手に握られていた。

どのような事業をやるかのみでなく、
どこで、いつ行うか、
そのために誰を呼ぶか、
誰が列車で来て誰が飛行機で来るか、列車のチケット手配などの細かいことまで、すべて。

"It's either G or G"とは、2010年の9月にラジャゴパラン氏から聞いた言葉だ。
「それは、神かゴパールが決めること」。


2011年は、既に70歳を迎えるゴパール氏の健康状態が不安定な時期だった。
体力だけでなく、気力の衰えは誰の目にも明らかだった。

「ナショナル・フォーラムは急激に発展しすぎた、少しペースを緩めたい」
と弱気な発言も目立った。

もし適切な権限移譲がされないまま、ゴパール氏が動けない状態になれば、ナショナル・フォーラムの活動は、事実上休止してしまう。
もしくは、「非回復者」である声の強い支援者に乗っ取られる。


力をつけてきた当事者のリーダーに、少しずつ適切な形で権限移譲を促したい。
日本財団として5年以上投資し続けてきたナショナル・フォーラムを、健全な形で持続させたい。

それが、インド赴任を希望した一番の動機だった。



ゴパール氏の、コロニー出身の回復者に対する信頼は、高いとはいえない。

「政府主催の会議に参加させては?」
「意思決定のプロセスに参加させては?」
「ある集会の運営を任せてみては?」

そのような質問を投げかける度に、眉をひそめてしばらく考え込んだあと、必ず同じ答えが返ってきていた。

「いや、まだ早い」。

RIMG1291_.jpg


そのゴパール氏の態度が変わったのは、今年の2月、ゴアでのこと。

それまで何度話を持ちかけても「会長の座を渡すのはまだ早い、次期候補者はいない」と頑なだったのが、自身の体力に自信がなくなったせいか、
「自分は来年で会長職を退く。体が動くうちに、次期会長を育てたい」
との発言があった。

日本から出張に来た上司たちが到着する前の晩、ホテルの一室でその言葉を聞いた時のことは、強く印象に残っている。



そして、先週末、6月23〜24日の2日間にかけて、第3回となるナショナル・フォーラムの理事会が行われた。

一日目、23日の会議終了直後に、会長および理事退任の旨がゴパール氏自身の口から発表された。

IMG_1465_.jpg


翌24日の朝、理事会が始まる前に、足が不自由なサランを除く理事全員がゴパール氏の部屋に押し掛けた。

ゴパール氏を除く8人の理事たちは、口々に言った。
「私たちにはまだ指導者としてあなたが必要だ」「会長を続けて欲しい」
と。


それに対してゴパール氏は、
「ずっと会長を続けるわけにはいかない。3年後、5年後には体が動かなくなるかもしれない。今の体が動くうちなら、次の会長を育てることができる」
と、退任の意思は揺るがなかった。



ゴパール氏の退任と、シニア・コンサルタントとして残ることが決議された後に、新会長の選出が行われた。

2人の候補者が推薦され、協議の結果、
アンドラ・プラデーシュ州のナルサッパ氏が新会長に選ばれた。


新会長に選ばれたナルサッパ氏は、前日夜に理事のひとりから「あなたを新会長に推したい」と言われてから投票までずっと、かわいそうになるくらい切羽詰まった表情で考え込んでいた。

あまりに張りつめた雰囲気を見かねて声をかけると、
「自分に会長が務まるかどうか、考えているんだ」
と、小声で打ち明けた。



投票後、彼は理事たち全員の前でヒンディー語で挨拶をした。

「会長に選ばれたが、自分が他の理事より高い地位にあるとか、他の人たちが低い地位にあるとか、そういうことは一切ないと思っている。
全員同じ立ち位置だ。
皆で協力して今後も活動を続けていきたい」

と。



ゴパール博士の代わりを務められる人材は、インド中掘り起こしても二度とは出てこないだろう。

けれども、ナショナル・フォーラムの会長は、誰かが引き継がなければならない。



7月1日付で、ゴパール氏は会長からシニア・コンサルタントとなり、
代わりにナルサッパ氏が新会長として就任した。



二代目の会長となるナルサッパ氏が、雲の上の「神」ではなく、
地から足を離すことなく、コロニーの人々の信頼を得られるリーダーとなることを、心から願う。

IMG_1469_.jpg
第二世代の重荷 [2012年06月06日(Wed)]

アンドラ・プラデーシュ州にはある程度のパフォーマンスを見込める州リーダーがいるため、外からの支援が集中しやすい、と前の記事で書いた。

ササカワ・インド・ハンセン病財団も例外ではない。

ハンセン病回復者の第二世代を対象に、安定した職業に就くための職業訓練プログラムを昨年から始め、そのパイロット対象地として選定されたのもアンドラ・プラデーシュ州。

7割〜8割の高い就職率を誇る民間の職業訓練センターと連携し、ハンセン病コロニーの若者が職業訓練を経て一般の職に就くことを目指す。

4人の男女がこれまでにトレーニングを修了し、ハイデラバード近辺で、チェーンのピザ屋、郵便の配達、洋服の販売などの職に就いている。


雇用先は、彼・彼女らがハンセン病コミュニティの出身者だということは知らない。
それは知られることがないよう、職業訓練センターのスタッフも気を遣っている。

RIMG2046_.jpg

(他県のリーダーを案内する、トレーニング受講中のコロニー出身の男性)



ハンセン病の差別がなくなる、
ハンセン病コミュニティ出身であっても、一般の人と変わりなく結婚できる、就職できる、
という社会が目指すべき理想。


少しずつそのようなケースも生まれつつはある。

例えば、マディア・プラデーシュ州リーダーのサラン氏の娘は、ハンセン病コミュニティ出身ではない男性と先月結婚した。
相手の男性と家族は、重度の障害を持ちながら州リーダーとして活躍する父親サランの姿に感銘を受け、結婚話がまとまったという。

例えば、自身もハンセン病回復者であるコリ氏は、マハラシュトラ州の総合福祉施設シャンティヴァンで、外部からボランティアに来る何百人もの学生たちに体験学習を提供するコーディネーターを務めている。

自分自身の背景を隠さずに、周囲に理解してもらい、社会の中で居場所を見つける。

それはそれで素晴らしいことだ。

でも、まだ社会に偏見が残り、受け入れる準備が整っていない中、それをすべての第二世代、第三世代の若者に課すのはあまりにも酷だ。

Mr.Nilkant_Koli__Photo_.jpg

(シャンティヴァンのコリ氏 写真提供:シャンティヴァン)



同じハンセン病コミュニティ出身の結婚相手をみつけ、日雇い労働などでなんとか食いつなぐのが大多数の若者の辿る道。

貧困の連鎖を断ち切るのは難しい。
それに加えて、「ハンセン病コミュニティ」というレッテルが、面接の度、住所を尋ねられる度ににつきまとう。


障害のあるハンセン病回復者である祖父母、親が生きているうちはまだいい。NGOやミッション系団体からの支援も届く。

が、年老いた祖父母と親はいつかいなくなる。

障害のあるハンセン病回復者がいなくなれば、それまで食べものや毛布を運んできた寄付者も来なくなる。


近い将来、「ハンセン病コロニー」というレッテルと、障害のない第二世代、第三世代だけが残される時がやってくる。

RIMG2038_.jpg


就職先で修了生の一人に話を聞いた。

トレーニングの中で最も重要なことは、「就職先を自分で探すこと」。

誰かにしてもらうのではなく、自分で道を切り開く力をつける。
それは、自己肯定感と自信につながる。

学んだ知識よりも何よりも、しゃべり方や表情が変わった彼女の姿をみて、同じコロニーから何人かがトレーニングの受講を希望しているそうだ。


「社会参画」は、言い換えれば、これまで暮らしてきたコミュニティの外に出て、ハンセン病のレッテルがつきまとわない世界に足を踏み入れること。

親や仲間が暮らす、外からの寄付への依存心が定着したコミュニティから、外に踏み出す勇気と行動力が本人なければ、実現しない。


仕事場は、生活の一部分だけであることは確か。

たとえばもし恋愛して、結婚して、親と会うということになれば、家族のことを隠し続けることはできないだろう。

でも仕事場では少なくとも、ハンセン病というレッテルを忘れることができる。

そして望むらくは、その背景も含めて理解してくれるような異性と出会うきっかけが、その世界にあれば。



ハンセン病という重いラベルは、もう背負わなくてもいいんだよ。

掴む気があれば、コロニーの外の世界に出るステップは、開かれているから。
一歩先をゆくアンドラ・プラデーシュ州 [2012年06月06日(Wed)]

6/1〜3の間、出張でアンドラ・プラデーシュ州(ハイデラバード)と、タミルナドゥ州(エロード)へ。

タミルナドゥに向かう前にハイデラバードに立ち寄ったのは、アンドラ・プラデーシュ州の回復者組織SLAP(Society of Leprosy Affected People)が新しく設置した事務所を見ておきたかったから。

RIMG2066_.jpg

(SLAPの事務所がある建物。2階の一区画、3部屋がSLAPの事務所)


ハンセン病回復者組織のナショナル・フォーラム。
全国20州に回復者組織があるが、中でもアンドラ・プラデーシュ州の活動の充実度は他を抜きんでている。

数ではインド一多い、州内99ヶ所のハンセン病コロニーの情報は、住人数やコロニーリーダーの連絡先も含めて、きちんとリストにまとめられている。

州よりもうひとまわり下の県単位で県リーダーを選出し、地元主体で問題解決をしようと試みている。

RIMG2061_.jpg

(壁に貼られた活動指針と年間計画。英語が読めないメンバーにもわかるように、テレグ語訳を作成中)



AP州の州組織が他と比べて優れている、その要因はいくつかある。
最も精力的な州リーダーであるナルサッパ氏が、州都ハイデラバードの近くに居住していること。
同じく州都に、「当事者主体」の概念を表面的ではなく心から理解し実現しようとする、ハンセン病関係のNGO(LEPRA Society)があること。

コーディネーターとしてある程度のパフォーマンスが見込める州リーダー、支援NGOの体制が揃っていると、自然と外からの支援が集まる。
資金が集まれば、それだけ活動は充実する。

RIMG2058_.jpg

(写真右から、州リーダーのナルサッパ氏、LEPRAスタッフのサティラジュ氏、事務担当のクマール氏、啓発スタッフのラジマ、LEPRAスタッフの…最後の人名前訊き忘れました。)

日本財団の助成金が使われている、ナショナル・フォーラムから各州組織に出される活動補助には、今のところ事務所の運営費は含まれていない。

運営費を出したとしても、例えばSLAPがFCRA(外国からの資金提要許可を受けられるようにするためのインド政府内務省からの許可)取得のための手続きなど、日々の事務をサポートできる人材は、ナショナル・フォーラムの本部にはいない。

全国組織がどうあるべきか、各州組織がどうあるべきか、
ビジョンやそれに向けた具体的な事業計画が明確に打ち出されていない。


その遅々とした本体を横目に、AP州は実質的な実をとりながら、一歩先を歩んでいる。

事務所の運営費と事務スタッフの人件費は、現在LEPRAが支援している。


他からの支援状況を把握し、必要に応じて線を引くことは必要。
でも動き始めているその歩みを止めるべきではない、と感じた。


ここから、何かが変わるかもしれない。

DSC_7007_.jpg

(州リーダーのナルサッパ氏 写真提供:なつさん


ナルサッパ氏に関する記事はこちら(英文)
WHO Goodwill Ambassador's Newsletter No.52 pg.4
HUMAN STORY "Non-Stop Activist"
http://www.nippon-foundation.or.jp/eng/media/publications/2jcahj000005bps8-att/8f0j6k00000b8pv4.pdf
「当事者参画」の実情と裏側 [2012年05月14日(Mon)]

「当事者主体」という考え方がある。

"Nothing about us without us"(自分たちに関することは、自分たちで決める)

障害者の問題を議論するなら、その問題を最もよく理解している当事者が議論の場に入るべき。

障害者運動の中では既に定着しているこの考え方を、ハンセン病の世界でも根づかせようとしている。



WHOでハンセン病対策への当事者の参画を強化するためのガイドラインが発表されたのは、2010年のこと。
同じく2010年の8月に国連人権理事会で、12月に国連総会で採択された「ハンセン病差別撤廃のための決議・原則ガイドライン」の中にも当事者の参画が謳われていることもあり、ハンセン病に関する会議の場には、当事者であるハンセン病回復者を入れることを、ことあるごとに推奨している。

WHO主催の会議では、担当官の熱意もあり、ほぼ100%実現されている。(国際会議において。各国レベルは各国担当官の意識と、当該国の回復者リーダーの存在有無によって左右されるので一概にはいえないけど)

でもそれ以外の各国および州政府、NGOなどが主催する会議の場合は、実情は実現されているとは言い難い。


政府主催の会議の場合、そもそも関係者に会議の招待メールが届くのは、数日前。
先週のデリー政府主催の会議なんて、案内が届いたのは過去最短の前日の朝でした。
(中核の関係者はもっと前から知らされているけど、一回り外の外部の招待者に連絡がいくのは常にギリギリ)
それについてはインドの役所仕事だから、どうこういっても仕方ない。

デリー市内に在住して比較的予定に余裕がある私などは、スケジュールを調整して部分的に参加することはできるけれど、デリー以外の州から数日前からチケットを手配して参加することは難しい。

特に経済的に余裕のない大多数の当事者やNGOにとっては、高額の飛行機なら数日前でも手配できるけれど、手が出る価格の列車の切符は数日前に予約できる可能性は低い。

結果的に、当事者不在のまま会議が進むことの方が多い。

誰かがプラスαで尽力しない限り。



今回、デリーの会議は、朝、別の予定のため少し遅れて会議場に着くと、運営者のLEPRAの方より、
「デリーの当事者の電話番号を教えて欲しい」
「教えてもらった人がつながらないが、誰か他に来られる人はいないか?」
と、切迫した顔で訊かれた。

そもそも、当日の朝よりも前に余裕をもって招待の根回しをしておくべきで、そこは運営者(メインの主催者はデリー政府)の落ち度ではある。

でも他の人であればそのまま知らんぷりして会議が進行するのをゆるすであろうところを、間に合わせでもいいから当事者を入れようとする彼らの真剣さと熱意がわかったから、心当たりのデリーのカディル氏に電話をかけて、午後からかけつけてもらった。

翌日には、旅先のパトナから戻ったナショナル・フォーラムの理事の一員でもあるヴェヌゴパール氏も参加した。

コロニーから会議場までの往復のオートリキシャ代2日分、600ルピーは、一瞬ためらったが財布から出して渡した。



同時進行で、来週開催予定のジャルカンド州のワークショップの話もあった。

こちらの方は余裕をもって、2週間前に案内が届いた。

NGO関係者に招待が届いていたが、回復者(ナショナル・フォーラム)には招待が届いていなかったため、上述2つのガイドラインを紹介し、「ナショナル・フォーラムにも招待を出してはいかがか」とメールしたが、返信はない。

主催者に電話して再度説得したところ、「来たい人は来るのはかまわない、参加者が決まったら名前を教えてくれ」との返答に、ナショナル・フォーラム側と相談して参加者を確定し、名前を伝える。

会議の場にはジャルカンド州のハンセン病回復者組織から、2人のリーダーが参加する予定となった。



先月、日本帰国中に催した報告会で、数少ない「1年半の赴任期間で見えてきた変化」のひとつとして、「政府のハンセン病関連会議に当事者が招かれるようになったこと」を挙げた。

でも実際は、自負するつもりはないけれど、私がいなかったら二つの会議に当事者の参画はなかっただろう。

もちろん、会議への招待が送られることすらなかった以前に比較したら、大きな進歩ではある。

でもそれだけじゃいけなくて、私がいなくなった後も、当事者が参画できるようにならなければ意味がない。

もっというと、当事者が飾りとして会議の場にいるのではなく、議論に参加できるようになることが目指すべき姿だ。


誰がこのプラスαの部分をやるのか。

情報が回復者まで届いていない時に、誰が届けるのか。

届いた情報を、参加者を確定し、必要に応じてチケットや宿泊手配までは誰がやるのか。

参加する当事者に、事前のブリーフィングは誰が行うのか。

知識が足りない部分を補い、かつ彼らの意見を引き出す補佐役を、誰が担うのか。


「うん、必要だ」「うん、やるべきだ」の他人事でなく、「うん、やるよ」とのうわべだけの口約束だけでなく、
誰が当事者の参画を実現させるために使命感をもって動いてくれるだろうか。


本気で当事者の参画を実現しようとしている人が、何人いるだろうか。

IMG_1267_.jpg


今回の会議中、ポストイットで現状の問題点を書いていくプロセスがあった。

壁に貼られたポストイットの中で目に留まった一枚。

「ハンセン病回復者を参画させるといっても、うわべだけでは?」


本音が出た、と思った。

本音が出て初めて、現状を変えるために話し合いが始まる。

(残念ながら今回の会議中にこのポストイットが取り上げられて議論が掘り下げられることはなかったけれど)



「当事者参画」と、文字にしてみればただ5文字の言葉だ。

でもそれを現実に実現するのは、双方向で難しい。


まず、主催者側。

当事者を同じ議論のテーブルに着かせる価値、重要性を認識している主催者は、残念ながら少ない。

例え主催者がそのような意識に立っていたとしても、
公式な会議の場に出る経験も、知識も、語学力も劣る回復者を会議に参画させようと思うと、事前にある程度時間と労力を割いてブリーフィングを行う必要がある(もちろん背景知識や語学力が劣るからといって、それで彼らの当事者としての専門性の価値が損なわれるわけではないけれど)。
場合によってはそのために通訳の手配や、全資料の現地語への翻訳も必要になるかもしれない。

当事者を招くことで、準備の手間が増えることは確かだ。



一方で、当事者側の課題も多くある。

セルフ・スティグマ(自己偏見)が強い回復者が、いわゆる「専門家」と呼ばれる人たち、政府の有力者と、同じ議論のテーブルに着くには、またそこで口を開き発言するためには、相当の覚悟と勇気がいる。

勇気は、成功体験の積み重ねによってしか得られない。


加えて、当事者のネットワークと謳う団体の事務局に、対応の迅速さとコーディネート力が欠如していること(こちらの方が火急の課題)。



これらの課題をクリアして、本当の意味で「当事者参画」が根付くのには、まだまだ数年はかかるだろう。

数年後に根付くように祈りながら、一段一段を埋めていく。
| 次へ