CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

«舞台裏。 | Main | 閑話休題。»
<< 2013年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Google

ウェブ全体
インド滞在記
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
匿名
クレイアニメが映す「ハンセン病」に当事者から抗議の声 (02/12) awa→ちびすけさん
1年目の振り返り。 (12/23) ちびすけ
1年目の振り返り。 (12/15) awa→KUROさん
1年目の振り返り。 (12/15) KURO
1年目の振り返り。 (12/15) awa
1年目の振り返り。 (11/30) Hena
1年目の振り返り。 (11/28) もりりん
1年目の振り返り。 (11/27) awa→きょこさん
モチベーション (10/27) きょこ
モチベーション (10/27)
月別アーカイブ
ダルマさん [2011年10月05日(Wed)]

笹川会長が敬意を込めて、「ダルマさん」と呼ぶ人がいる。

インドのハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムの影の立役者、
ウダイ・タカール氏。



彼の賞賛されるべきところは、人を育てようとする姿勢。

ナショナル・フォーラムの理事は、全員がハンセン病回復者。
ハンセン病回復者である当事者が決定権を持つ。


ハンセン病患者・回復者の支援をしてきた社会活動家は数多くいる。
でもその中で、この「当事者主権」の理念を、頭だけでなく心の底から理解し、行動できる人は希少だ。
団体にしても個人にしても多くの場合は、ハンセン病回復者を支援する「自分」の功績に重きを置きがちなために、支援者である自分よりも当事者が前面に立つことを好まない。


(個性も言葉も強いので誤解を生むことは多いけれど)
私の周囲で、最もその理念を理解し、行動に移している人が、この人だ。


(2010年5月 ビハール州での面談時)



彼のすごいところは、人を育てるために、失敗を許すことができること。

今回のチャッティスガールでも、プログラムの決定権は一貫して、州リーダーに決めさせた。
時には間違うことがある(それでこちらは振り回されるのだけど)。
優先順位がわからなかったり、時間の読みが甘かったり。
あえて間違えさせ、自分で気づかせ、訂正させる。

要人との面談の際にも、州リーダーを前に座らせ、彼らに口火を切らせる。
自分はひたすら黙り、脇役に徹する。

それでもどうしてもまわらなくなって必要な時にだけ、フォローの手を出す。

そのバランスが、絶妙。


(2011年9月 チャッティスガールにて)


今回、彼のライフストーリを聞く機会があった。

マハラシュトラ州のプネ出身。

親戚に医者が9人もいる家に生まれた。

初めてのハンセン病回復者との出会いは、祖父のもとで働いていた小間使い。
でもハンセン病を特別意識することはなかった。


この世界に入ったきっかけは、偶然。


もともとは軍隊に入るつもりだったが、失格した。
ある日、列車に乗り遅れて1日足止めをくった時に、一緒にいた先輩に「いいところに連れていってやる」と連れて行かれたところが、「アナンダワン(至福の森)」と名づけられた社会活動家ババ・アムテのコミュニティだった。

そこで社会活動に目覚め、ババ・アムテのコミュニティに出入りするようになった。

ある日、別のところでサマーキャンプがあると聞き、シャンティヴァンに来た。
そこは1950年代に設立された、ハンセン病患者の他、障害者などが共存して生活するコミュニティだった。

そこで感銘を受け、「ここで働きたい」と責任者に申し出たところ、
「もしここで働きたいのなら、モンスーン(雨季)の時期に働きに来ると良い」
と言われた。

10日間のキャンプが終わり、一旦はプネに戻った。

そして、言われた通りにモンスーンの時期に再びシャンティヴァンを目指した。

雨季は道路が通行できなくなり、パンヴィールの施設に辿りつくまで7,8時間かかる。
途中までバスで行き、車がそれ以上行けないところまでくると水に浸かりながら3〜4km歩き、夜になってようやく着いた。

へとへとになって辿りついて、
「来るのが大変だとわかっているのに、なぜモンスーンの時期に来るように言ったのか?」

と尋ねると、責任者はこう答えた。

「もし本気で働く気があるなら、苦労を乗り越えてくるだろう。
あなたは困難を乗り越えてやってきた。ここで働くのを認めよう」


それから、仕事を持つ傍ら、ひと月に10日間シャンティヴァンに通った。
働きが認められるようになり、1986年には政府の補助金、寄付などを掌握する会計担当になった。


「シャンティヴァンで働くなら、基礎的なハンセン病の知識を身に着けるべき」といわれ、ガンディー記念ハンセン病財団で6ヶ月の特別トレーニングを自分のために組んでくれた。

著名なハンセン病学者でボンベイ・ハンセン病プロジェクトの創設者でもあるガナパティ博士、微生物学者のシャラド・ナイック博士、など、一流の人々が講師陣を務め、あらゆる知識を教えてくれた。



現在、ヒンドゥ・クシュタ・ニワラン・サン(インド・ハンセン病協会)マハラシュトラ支部事務局長をはじめ、数々の団体の理事・担当職を務める。


なぜこの活動に関わるようになったのか? という質問に対する答えは、

“Where nothing is there, I should be there”
「誰もやる人がいないところに、自分が行く」。


確かに、彼の今の立ち位置を代われる人は、誰もいない。

(写真提供:なつさん
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント