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 日本財団ROADプロジェクトのサイト
 
ご協力いただいている皆さん、心から感謝申し上げます。ありがとうございます!

インドでのハンセン病関連については、引き続きアップしてまいります。

よろしくお願いいたします。
帰国の日 [2013年04月10日(Wed)]

28ヶ月間のインド赴任を終えて、東京への帰途に着く。

間違いなく、これまでで最も感情が揺さぶられた2年間だった。

2010年から2013年のこの時期、20代後半から30代に差し掛かるこの年齢だったからこそできた、貴重な経験だったと思う。

改めて、インドへの出向という機会をいただいた会長をはじめ日本財団の方々、特に役員、上司、総務、同じ部署の方々に心から感謝したい。

事故や事件が多発し社会情勢が不安定な地域も抱えるこの国で、40回を越す出張を重ねて、一度も大きな事件や事故に巻き込まれることなく帰国の日を迎えられたことは、何か大きな力に守られていたように思う。
2年の間、日本から見守ってくれた方たちにも心からの感謝を。

「五体満足で無事に帰国する」という当初の目的は、おかげさまで達成できそうです。

その他に何を成し遂げられたかは、きっと数年後にわかるのだと思います。

ひとまずは。

さようなら、インド。

また来る日まで。
(多分そう遠くない未来…)
飾りじゃない「当事者参画」 [2013年04月04日(Thu)]

3月21〜22日、マディヤ・プラデーシュ州のジャバルプールで開催されたNLEP(National Leprosy Eradication Program;国家ハンセン病プログラム)の蔓延州ハンセン病担当官活動評価会議(Review Meeting of State Leprosy Officers of High Endemic States)に参加した。

一年に一度、各州のハンセン病担当官が集まり、ハンセン病対策の活動成果を発表する評価会議。

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(写真:左から、LEPRAマディヤ・プラデーシュ州支部のバンダルカール氏、マディヤ・プラデーシュ州政府保健局長のサフ氏、ジャバルプール県長官のボーワル氏、中央政府保健省ハンセン病担当局次長のアグラワール氏、ハンセン病NGO連盟ILEP代表のアリフ氏、LEPRA本部代表代理のスバナ氏)


障害者の世界で主流となっている「当事者主体」の理念にならい、ハンセン病対策においても、プランニング・実行の過程に当事者の参画を奨励する動きが生まれている。
WHOが当事者参画のためのガイドラインを制定したのは2011年のこと。

徐々に、政府が主催するハンセン病対策会議の場にも、ハンセン病回復者である当事者が招待されるようになってきた。

しかし、表面上の飾りとしてではなく、真の意味での当事者の「参画」を実現することは難しい、と以前にもこのブログで書いた。
http://blog.canpan.info/c_india/archive/187

専門的な議論に、当事者が加わることは難しい。

やや的外れな発言をして、
それを「心優しい」NGOの誰かがフォローし、
「参加したね、良かったね」で終わる。

結果として、表面上の形だけの参画に留まってしまうことが多い。


当事者が、その場に応じた適切な意見を適切な形で伝える術を身につけること、

会議の運営者もしくは他の参加者が、当事者との認識のギャップを補い、かつ彼らの意見を引き出す補佐役を担うこと、

本当の意味で当事者が議論に参画するためには、その二つが不可欠だと思う。

RIMG0106_.jpg


今回のNLEP会議は、ハンセン病回復者の当事者組織ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパ氏が初めて正式な参加者として招聘された。

また、会長だけではなく、開催地の州リーダーであるサラン氏にまで招待枠が広げられたのも、今回が初めて。



会議の一日目が終わった夜、中央政府のハンセン病対策の責任者であるアグラワール次長より、「明日の会議でぜひ発言しなさい」との声がけがあった。

ILEP(国際ハンセン病NGO連盟)インドのナショナル・コーディネーターであるアリフ氏も、「明日は私が進行するので、タイミングをみて指名するから」と言ってくれた。



そして翌日。

発表者がプレゼンテーションのデータをパソコンに移している間、
「ではこの時間を利用して、ナショナル・フォーラムから発言を」とマイクを振られた。

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まずマイクを握ったのは、マディヤ・プラデーシュ州代表のサラン氏。

サランが挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病コロニーに在住する回復者のために、潰瘍のケアのための包帯やMCR靴などの物資が支給されるべき。

・障害者証明は40%以上の障害じゃないと対象にならないが、ハンセン病の後遺症の場合、外見に表れない知覚や握力の低下などが勘案されない。障害の度合いに関わらず障害者証明が発給されるべき。


次に、ナルサッパ氏が挙げた点は以下の通り。

・ハンセン病回復者が政府の支援で手足の変形を直す整形手術を受けても、知覚、神経、手足先を動かす力や握力は治らない。
手術後も障害者証明は発給されるべき。

・州の発表の中で整形手術の例数が強調されているが、整形手術の前に、障害の発生を未然に防ぐことの方が重要。

「自分は9歳にハンセン病を発症して、病気や障害が原因で、人生を通して厳しい差別を経験してきた。
 今、新たに病気にかかる人には同じような苦しみを味わって欲しくない」


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真剣な顔で発表を聞く参加者たちの中から、拍手が起こった。

会議の参加者は、患者数が多い州のハンセン病担当官、インド中央政府から配置されている地域保健局長、国家ハンセン病対策に技術協力をするNGOの専門家たち。

ハンセン病対策のエンドユーザーとして伝えるべきメッセージが、対策を担う人たちに伝わった、と感じられた。


「整形手術を受けたハンセン病回復者も、障害者認定を受けられるようにすべき」というナルサッパ氏の発言に対して、
整形手術の専門家であるアトゥール・シャー氏は「手術は外見の変形を治すだけであって、神経と握力は戻らない」と認めた。

整形手術の症例数を、障害防止の「実績」として見てきた多くの参加者にとっては、目を開かせる発言だったかもしれない。


ハンセン病対策局のアグラワール次長は、
「現在15州のコロニーデータは手元にあるが、残りの州のコロニーの場所、在住するハンセン病回復者数などのデータを共有して欲しい。そうすればそのリストをもとに各州に要請を促すことができる」
と、発言。

ナショナル・フォーラムにも、新たな宿題が増えた。


何はともあれ、初めて会議の場で、当事者と他の参加者との間で会話のキャッチボールが成り立った。

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席に戻ってきたナルサッパ氏とサラン氏を、つい子どもを迎える親のような目で見つめてしまう(私の方が遙かに年下なのに)。
「どうだった?」と訊かれ、「とても素晴らしい発言だった」と頷く。


今まで当事者参画の一番の理解者で尽力者だったハンセン病系NGO、LEPRAの代表であるラオ氏が、現在WHOへ出向中のため、本会議には欠席していた。

彼は、手をとって当事者を舞台に引っ張ってくれる人だ。

そのラオ氏がいない会議で、このようなキャッチボールが実現したことが何よりも嬉しかった。

関係者の間で当事者参画を推進する人が、今までの一握りの人たちから、着実に増えていると感じられた。

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(1日目の夕食の場で、ナショナル・フォーラムのふたりと議論する中央政府ハンセン病担当局のバルカカティ氏)


一回の会議でこのような対話が成功したからといって、次からの会議でも継続されるとはもちろん思わない。

どこの州でも同じように、場に応じた適切な発言を州リーダーができるとも言い難い。
会議のテーマに合わせて意見を整理し、発言できるよう、州リーダーを育てることは、ナショナル・フォーラムに課せられた課題でもある。

でも、ナショナル・フォーラムの会長であるナルサッパと理事であるサランが一度成功体験を得たことは、今後同じように対話を生むための糧にはなると思う。

これからもこのような真の「参画」と対話が継続され、より多くの場に広がることを、心から願う。
始まりの地・ビハールから届いた朗報 [2013年04月04日(Thu)]

3月20日の朝。
7時前に、1本の電話が入った。

目覚ましかと思って出ると、ビハール州のハンセン病回復者の州リーダー、カムレーシュ氏からだった。

「昨夜、ビハール州議会でハンセン病年金が可決されたよ」

と。


ビハール州に居住するハンセン病回復者全員を対象に、月額1800ルピー(約3070円)の生活手当が支給されることが決定した。
それまで政府から支給されていた月額200ルピー(約340円)障害者年金と比べると、破格の待遇だ。

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(ビハール州地元紙に掲載されたニュース)



ことの始まりは、2010年の4月に遡る。


2010年4月、WHOハンセン病制圧大使である笹川会長が、ハンセン病回復者の州リーダーとともに、ビハール州政府の保健大臣らと面会し、多くの人が物乞いに頼らざるを得ない状況を改善するために要望書を提出した。

その時の様子は笹川会長ブログに掲載の「インドにおけるハンセン病回復者との共同活動」に詳しい。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2640

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私にとって、ビハール州は始まりの場所だ。


大学卒業後、新卒で日本財団に入職してから、一度財団の外に出て働く経験をしてみたい、という思いは漠然とあった。
一方で、海外で、途上国の現場で働いてみたいという興味も。

それがインドへの赴任という具体的な方向を指したのは、2010年4月と5月、2度のビハール訪問がきっかけだった。


4月に初めて訪問した際、笹川会長とともに政府要人と面談したハンセン病回復者のリーダーたちは、大臣と同じテーブルに着くどころか、部屋に入ることさえためらっていた。

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それが保健大臣からハンセン病コロニーのデータを求められ、2週間でビハール州内63ヶ所のハンセン病コロニーを回って詳細の調査報告書をまとめあげ、それを提出するため5月に再度笹川会長とともに大臣を訪ねた際は、表情に自信が満ちていた。
報告書を持つ手は震えていたものの、ためらうことなく一番前の席に座り、目を見て発言するようになっていた。

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人は変わるんだ、と思った。

人が変わる過程、
社会的なハンディを持つ人が、どうすれば劣等感を乗り越えて自信をつけることができるのか、その過程をもっと身近で見たい、と思った。



インド赴任の可能性を当時の上司に相談したのも、ビハールでコロニー訪問からパトナに戻る道の車中でのことだった。

それからしばらく進展がなかったので、やはり無理かとあきらめかけた頃、夏前に「あの話、進んでるから」と不意に上司に言われた。

8月、9月と赴任前準備の出張を経て、2010年11月からササカワ・インド・ハンセン病財団への出向という形で、インド赴任の運びとなった。


それから2年と4ヵ月。


帰国前のタイミングで、ビハールから年金可決のニュースが届いたことは、何よりの報酬だ。


インドで試行錯誤しながらやってきたこの2年間、期待を裏切られたことも、批判されたことも、責められたことも何度もあった。

それでも、「あなたがやってきたことは無駄ではなかった」と、
2年間の締めくくりに、この国に言ってもらえたような気がした。

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2010年4月から3年に渡り、行きつ戻りつの政府との交渉を粘り強く続けたビハールの州リーダーたちに、心から拍手を贈りたい。

(写真提供:なつさん
国際線チェックイン荷物重量比較 [2013年03月25日(Mon)]

デリー⇔成田の直行便、預入荷物の個数・重量・超過料金の比較です。

備忘メモと、ご参考までに。

(2013年3月現在)

◆ JAL
http://www.jal.co.jp/inter/service/bag/#anchorlink002

ファーストクラス/ビジネスクラス
 個数:3個
 重量:それぞれの荷物が32kg(70ポンド)を超えないこと。
 大きさ: 3辺(縦・横・高さ)の和203cm以内


プレミアムエコノミー/エコノミークラス
 個数:2個
 重量:それぞれの荷物が23kg(50ポンド)を超えないこと。
 大きさ: 3辺(縦・横・高さ)の和203cm以内


※超過手荷物料金

1)日本・アジア・インド・オセアニア⇔ハワイ・北中南米・ヨーロッパ・中東・アフリカなど
個数超過(1個当たり) 15,000円(150USD)

重量超過(1個当たり)
23kg超〜32kg以下:6,000円(60USD)
32kg超〜45kg以下:45,000円(450USD)

サイズ超過 (1個当たり、3辺(縦x横x高さ)の和)
203cm超:15,000円(150USD)

2)日本⇔アジア・グアム・オセアニアなど

個数超過(1個当たり) 10,000円(100USD)

重量超過(1個当たり)
23kg超〜32kg以下:6,000円(60USD)
32kg超〜45kg以下:30,000円(300USD)

サイズ超過 (1個当たり、3辺(縦x横x高さ)の和)
203cm超:10,000円(100USD)


◆ ANA
http://www.ana.co.jp/int/guide/baggage.html

ビジネスクラス 2個 32kg/個
エコノミークラス(プレミアムエコノミー) 2個 23kg/個

3辺(縦・横・高さ)の和203cm以内

※超過手荷物料金表

(1個あたり) 手荷物をお預かりする区間
日本・アジア・中国・インド⇔北米・ハワイ
個数超過 15,000円(150USD)

日本・アジア・中国・インド⇔ヨーロッパ 日本⇔アジア・中国・インド内(※3)
個数超過 10,000円(100USD)

重量超過
23kg超〜32kg以下:3,000円(30USD)
32kg超〜50kg以下:15,000円(150USD)
50kg超:30,000円(300USD)

サイズ超過
3辺(縦・横・高さ)の和
203cm超〜300cm以下:15,000円(150USD)
300cm超〜:30,000円(300USD)

以下にあてはまる場合、お預かりできない場合がありますので、事前にANA国際線予約・案内センターにお問い合わせください。
・一つ当たりの荷物重量が32kg(70ポンド)を超える大型手荷物
・3辺(縦・横・高さ)の和が203cm(80インチ)を超える大型手荷物
・手荷物の総重量が100kgを超える場合


◆ Air India
http://www.pc99.org/airindia/2011_10ai_kosusei2.pdf

ビジネスクラス

無料受託 2 個
•1 個の重量は32kgまで
•3 辺の合計(A+B+C)は158cm以内

エコノミークラス

無料受託 2 個
•1 個の重量は23kgまで
•A+B+Cの合計は2個合わせて273cm以内
1個のA+B+Cの合計は158cmまで

超過手荷物料金

* 個数超過の場合:1個あたり150米ドル相当額
* 重量超過 1個あたり60米ドル相当額(23kgを超え32kg以下の場合)
1個あたり450米ドル相当額(32kgを超え45kg以下の場合)
(注)1 個あたり45kgを超える手荷物はお預かりできません。
* サイズ超過の場合:1 個あたり150 米ドル相当額(3 辺の合計が158cm 以上の場合)
(注)大阪ー香港、香港ーインド間はウェイトシステム(重量制)が適用されます。
•2 個目のお預け手荷物の大きさの目安
(例)1 個目 158cm/2 個目 115cm

得たものの大きさ [2013年02月28日(Thu)]

今日、インドでの任期が終わって春に帰国することを、ナショナル・フォーラムの中心メンバーに伝えた。
ナルサッパには1月中旬に伝えていたが、他のメンバーにきちんと話したのは今日が初めて。

打合せの場で伝えた後、ホテルの廊下でゴパールさんがそっと近づいてきて聞いた。

「帰国は組織の決断? それとも自分の決断?
来月日本でササカワさんに会う時に、もう少しインドにいられるように私から話をしてもいいか?
もしあなたがそれを希望しないなら言わない」

思わず目頭が熱くなった。



何かを手に入れるということは、何かを失うということだ。
それはインド赴任の話が持ち上がった時にも何度も考えた。

今、日本への帰国を前にして、また同じことを考える。
そしてこのインドで得たものの大きさに改めて気づく。


インドで得たもの。

途上国で働くという経験、
受益者視点からの金銭感覚、
政府役人への話の通し方、

いくつか挙げられるけれど、何よりも大きいものは、
気が遠くなるほど長時間のマラソン・ディスカッションと、純粋菜食主義の野菜カレーとチャパティの夕食を何度も何度も繰り返して、時間をともにして築いたナショナル・フォーラムのメンバーとの信頼関係。
それ以上に価値のあるものは無い。



この時期の帰国は、組織の判断だけれども、自分の判断でもある。
決して楽しいことばかりではなかったインド赴任を2年前に選んだことを後悔していないように、
今帰国を選んだことも後悔はしていない。



ゴパールさんが上の言葉をかけてくれたことは純粋に嬉しかった。
そしてその語り口と気遣いに、さすが多くの人望を集めてここまで組織を引っ張ってきた方だなと感服した。

自分の娘よりも年が離れた生意気な小娘の言うことに、2年3ヶ月の間、辛抱強くよくつきあってくれたと思う。

他の人が彼に対して口が裂けてもいえないような、気に障るような発言も何度もしたと自覚している。

それでも聞く耳を持ってくれたのは(私がドナーから派遣された人間だということは別として)、その諸々の失礼な発言の背後に、ナショナル・フォーラムをさらに良い方向に持っていきたいという気持ちがあることを理解してくれていたからだろう。

ただひたすら、頭が下がる。

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2年かけて手に入れたものを、帰国後も今までと同じようにとまではいかなくても、なくさないようにするには、インドに住んでいる今以上に配慮と努力を要することを、胸に刻む。
もりだくさんの豪華講師陣:アンドラ・プラデーシュ州の県リーダー集会 2 [2013年02月12日(Tue)]

NPdOのセッションが終わって、ナルサッパが登場。

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数人の州リーダーだけではなく、県レベル、コロニーレベルでリーダーが力をつけていくことの重要性について説く。


ナショナル・フォーラムの会長就任以来、自分には向かない事務職と、逆風の強い中で「ハイレベルの仕事」を背伸びしながら頑張っているナルサッパ。
久しぶりに地に足をつけて、テレグ語で、本来の得意分野での話ができたのは嬉しかったのだろう。表情と口調からも伝わってくる。

本当はこういうことがやりたいんだよね。

でも、これをAP州だけでなく全国に広めるためには、やっぱり彼が会長の椅子に座っている意味は大きいと思う。

恐れずに実践できるだけの自信と、それを支えるチームがきちんと整いさえすれば。

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続いて、ササカワ・インド・ハンセン病財団と共同で若者の職業訓練を実施しているYouth 4 Jobsのサンディープ氏がちょこっと登場。

ハンセン病の差別は、回復者本人のみでなく、その家族にもつきまとう。
10年生以上の教育を経た若者を対象に、特に最近需要が増えているサービス業での就職を目指して、英会話や面接の方法など3ヶ月間のトレーニングを行う。(詳しくはこちら

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こういう各地域からリーダーが集まる機会は、プログラムの参加候補者を募る絶好のチャンス。


そして、最後のスピーカーは、Human Rights Law Network (HRLN)のシャキール氏。

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2005年からSLAPの活動を応援してきた人。
2009年の5月に開催された人権ワークショップでも、スピーカーとして登壇した。

彼はほとんど自分では話さず、参加者から問題を聞き出すことに時間を割いた。

たとえば、貧困線以下の家庭への配給カードの発給が遅れていること。
医療キットがまだ届いていないコロニーがあること。

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最後に、もう一度NPdOのパフォーマンス。


閉会のセッションで私にも話す順番が回ってきてしまったので、振り返りを試みた。

ずっと座りっぱなしなので、まずは一旦立ち上がって、2回大きく背伸びと深呼吸。
そして、目をつぶって一日の流れを朝から思い出してもらう。

私からした質問は2つ。

「今日学んだことで、一番印象に残っていることは何ですか?」

「今後それを生かすために、家に帰って、何を実行にうつしますか?」

まず、1人に手を挙げて話してもらった。

友達に借りて読んだばかりの阿川佐和子の「聞く力」と、

先週のJICAの懇親会でお会いしたNGOの方に聞いた、「受身ではなく自主性を育てるためには、とにかく誉めること。小さなことでも誉めて、自信をつけさせる。そうすれば自分から意見を言うようになる」という言葉を思い出して、
とにかく誉めるポイントをみつけて誉めてみた。

続いて、もう1人。

2人男性が続いたところで、(いけるかな)と迷いながら、

「女性の参加者からも意見が聞きたい」

と振ってみる。

さんざん渋って立ち上がった赤いサリーの女性。

「女性にしかわからない問題がある、女性がリーダーとして外に出ていくよう呼びかけないといけないことがわかりました」

「自分のコロニーで、積極的に外に出ていくように他の女性にも話をします」

ちゃんと前に立って、参加者の方を向いて堂々と話してくれた。



最後まで、一番真剣に話を聞いていた最前列のふたり。

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全体の感想。

州よりもさらに下のレベルの、県ごとにリーダーを育てるという方針はとても良い。
「州組織」といっても、出身地域のバランスが取れていない州は多い。
(中には全員ひとつのコロニー出身という州もある)
県レベルのリーダーを育てることは、カバーされる地域が広がり、発言力を持つ人の数が増え、州組織の民主化を促進することにもつながる。



このようなリーダーのトレーニングプログラムは、複数州をまとめて開催するよりも、州ごとに地元で開催する方が遥かに効果が高い。
言語の面、法律の面、リソースパーソンとの距離、全てにおいて。



LEPRA(ハンセン病系NGO)とSLAP(州回復者組織)の共催という形をとってはいるけど、ほぼ99%、当事者の主導で運営されていた。

他の州であればNGO側主導で進行されることが多いのに、
同席はするものの最後列で一言も挟まず、動かず、ずっと見守っていたLEPRAスタッフの姿勢は、さすがという他ない。

それは興味がない惰性の沈黙ではなく、明らかに「見守る」、「育てる」沈黙。



アンドラ・プラデーシュ州が他州よりも一歩先を行っているという話は、以前にも記事で書いた。

その時にその理由として、
精力的な州リーダー(ナルサッパ氏)が州都の近くに居住していること、
同じく州都に、「当事者主体」の概念を表面的ではなく心から理解し実現しようとする、ハンセン病関係のNGO(LEPRA Society)があること、
そしてそれに上乗せする形で外部の支援が集まりやすいこと、を挙げた。

けれど、それだけではない。

NPdOとHRLNの存在も忘れてはならない。
LEPRAだけだったら、ここまでSLAPは成長できなかっただろう。

障害者と権利ベースのアプローチに目を開かせたのは、NPdOの存在だ。

そして、まだ活動を始めたばかりのナルサッパが、ハンセン病コロニーに医療キットが届かない窮状を訴えて扉を叩いた時、「高等裁判所に起訴しよう」と提案し、実際に起訴して、高等裁判所から良心的な勧告を出させるまで漕ぎつけた敏腕弁護士のシャキール氏。
(その様子はこちらのChannel4の"Unreported World: India's Leprosy Heroes"から垣間見られます)


そして、それぞれの鍵となる立場に、感度の良い人物が集まっていたこと。


「当事者主体」を頭だけでなく行動で実践する、LEPRAの代表であるラオ氏。

ハンセン病回復者を平等な仲間として微塵も差別しない、NPdOのスリニヴァスル氏。

きりがないような訴えを一つ一つ丁寧に拾い上げる、HRLNのシャキール氏。

それが偶然なのか、ハイデラバードという土地がなせる業なのかはわからない。


そして、「この人が言うことは正しい」というアンテナを頼りに、協力者を惹きつけていくナルサッパ氏。
なぜか彼の周りの人たちは、口先だけでなく、労力も資金も含めて、「協力を惜しまない」。


ナルサッパ氏のこの牽引力を、ハイデラバードが持つこの連帯力を、
ナショナル・フォーラムという土台の上に乗せた時に、他の土地にも複製して広めていけるだろうか。



おまけ。

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ワークショップ終了後、日当の支払いを求めて列を作る参加者の図。

支払いを待つ参加者を廊下に、支払いをするスタッフを教室内に分けて、郵便局の窓口みたいになってるのがおかしかった。


講師陣の皆さんも、運営者のSLAPも、参加者の皆さんも、
濃い内容の長い長い一日、お疲れさまでした。
歌にのせて権利を学ぶ:アンドラ・プラデーシュ州の県リーダー集会 [2013年02月12日(Tue)]

ハンセン病の州リーダーの活動を見たときに、色々な面で、他州と比べて一歩先をゆくアンドラ・プラデーシュ(AP)州。

ナショナル・フォーラムが活動する20州の中で唯一、州レベルから一段下がった県レベルでのリーダー育成に取り組んでいる。

牽引力だったナルサッパ氏が昨年6月、ナショナル・フォーラムの会長に選出され、州リーダーの座を辞して以来、AP州の活動が実質休止していると聞いていたので少し気になっていた。

新たに州リーダーの座を引き継いだナイドゥ氏より、県リーダーのトレーニングプログラム開催の知らせが届いたので、朝4時起きで飛行機に乗って来ました、ハイデラバード。


アンドラ・プラデーシュ州内23地区のうち、Hyderabad, Rangareddy, Nelluru, Nizamabad, Kadapa, Chittoor, Ananthapur, Khammam, Guntur, Krishna, Mahabubnagarの11地区から40人が参加。
うち、SLAPの書記を務めるシヴァマとスーリアマを含めた6人が女性。

会場はHASSS(Hyderabad Archdiocese Social service society)。
(空港からのタクシーはハズレの運転手に当たってしまい、何度も前を行き来して、運転手が聞こうとしないものだから車を降りて道端の人に片っ端から道を尋ねて、なんとか辿り着きました)


司会進行は、ナルサッパから州リーダーの座を引き継いだ、ナイドゥ氏。
タミルナドゥ州にほど近い、ティルパティ出身。
小柄だが、声が大きくてよく通る。

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まずはお決まりの叡智のランプに火を灯した後、ゲストがそれぞれ挨拶して開会式。

ナショナル・アワードを受賞したナルサッパへの祝福。


初めに、AP州のハンセン病集組織、Society of Leprosy Affected Persons(SLAP)の書記、シヴァマによるチェタナ・プロジェクトの活動報告。

チェタナとは、笹川記念保健協力財団の支援でLEPRAがSLAPと共同で実施しているプロジェクト。
ハンセン病回復者およびその子どもたちを「啓発大使(lokdoots)」として、彼らのエンパワメントとコミュニティの意識啓発を図っています。

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彼女、2年前に初めて会った時は人前で話すなんてとんでもないという恥ずかしがり屋だったのに、1年ほど前からSLAPのスタッフとして働き始めてから、どんどん自信がついて人前でも顔を上げて話せるようになりました。
今でも身体の前で腕を組んでしまう癖はなおらないけれど。
立派。


続いて、Network of People with disAbility Organization(NPdO)の演奏隊によるパフォーマンス。
アンドラ・プラデーシュ州内で村々に出向き、楽器と歌と踊りで障害者の権利自覚を促していく活動を長年に渡って続けている。

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演奏隊のリーダー、キラン氏は、全盲の父親を持つ。
メンバーは全員身体障害がある。それでも、だからこそ、歌声は力強い。

10時から18時までの会議中、ずっと会場で話に耳を傾け、空気がだれてきたらすかさず気合い
入れの演奏をはさんでくれた彼ら。


そして彼らのボス、NPdOの代表であるスリニヴァスル氏、登場。

彼は、SLAPの創始者であるナルサッパが活動家としていわば「目覚める」きっかけを与えた人。

2003年の12月3日、国際障害者デーにあわせて開催されたマーチで彼と出会い、
ナルサッパは初めて「ハンセン病回復者」がインドの障害者法の中で障害の種類のひとつとして位置づけられていることを知った。

それまでハンセン病回復者と障害者とは別だと思い込んでいたのだ。

「仲間」を得た日。

そして、障害者の権利について、権利回復を求めて闘うことの重要さについて、初めて知った日。

彼との出会いが、ナルサッパの人生を変えた。

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お昼休みを挟んで、NPdOのサタャム氏による、アンドラ・プラデーシュ州の障害者関連条例と、情報開示法についての解説。

参加者が手にしている冊子は、このワークショップのために作られた解説書(テレグ語)。

インドは、州によって法律が異なる。政府の立場も動き方も異なる。
こういった法令の解説は、複数州の参加者を集めてやるより、州ごとに行う方が絶対に効果的。

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全部自分にかかわることなだけに、聞く参加者も真剣です。

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後半戦につづきます。
ナショナル・アワード授賞式 [2013年02月07日(Thu)]

年に1度、12月3日の国際障害者デーにあわせて、インド政府の社会正義・エンパワメント省が主催するナショナル・アワードの表彰式が行われる。

障害者のエンパワメントに寄与した個人、団体などに対して贈られる賞。
カテゴリは以下の通り。

1. Best Employee / Self Employed with Disabilities
従業員、自営業の障害者
(全盲、弱視、ハンセン病回復者、聴覚障害、肢体障害、脳性マヒ、知的障害、重複障害の8種、大賞および副賞各1人)

2.Best Employers and Placement Officer / Agency
障害者の就労に寄与した雇用者、就職斡旋者
(大賞1人、副賞2人)

3.Best Individual Working for the Cause of Persons with Disabilities
障害者のために尽力した個人
(大賞1人、副賞4人)

4.Best Institution Working for the Cause of Disabilities
障害者のために尽力した団体
(大賞1団体、副賞5団体)

5.Role Model Awards
ロールモデル
(大賞5人)

6.Best Applied Research / Innovation / Product Development Aimed at Improving the Life of Persons with Disabilities
障害者の生活改善に向けた研究、発明、商品開発
(大賞3人)

7.Outstanding Work in the Creation of Barrier-free Environment for Persons with Disabilities
バリアフリー環境創出における貢献
(政府、民間各1機関)

8.Best District in Providing Rehabilitation Services
リハビリテーション・サービスに優れている県
(1県)

9.Best Local Level Committee of National Trust
ナショナル・トラストの最も優れた地域委員会
(1委員会)

10.Best State Channeling Agency of National Handicapped Finance and Development Corporation
障害者経済開発機関の州委託先賞
(1機関)

11.Outstanding Creative Adult Persons with Disability
最も創造性豊かな障害者賞
(男女各1人)

12.Award for the Best Creative Child with Disabilities
最も創造性豊かな障害児賞
(男女各1人)

13.Best Braille Press
点字メディア賞
(1団体)

14.Best Accessible Website
ウェブサイト・アクセシビリティ賞
(政府、民間、各1機関)


で、実際に授賞式に行ってきました。


招待状はこんな感じ。

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宛名、手書きです。ゆるい。
(一応番号管理はされているらしい? 。。。けど照合チェックはしていなかった)


会場は、大統領が出席する式典のお約束、ヴィギャン・バヴァン。

カメラと携帯電話は持ち込み禁止。
招待状とIDカード以外何も持ち込めないというので、若干警戒しながらも、建物の外の特設カウンターで鞄とカメラと携帯電話を預ける。

でもセキュリティチェックは1度だけで、拍子抜けするほど甘かったです。
体もほとんど触っていないし、財布の中身もスルー。
ショッピングモールのセキュリティの方がよっぽど厳しい。
よく見たらハンドバッグを持って入っている人もいた。

でも数百人の人が入って、一度も携帯が鳴らず、カメラのフラッシュが炊かれなかったところを見ると、やっぱりそこは徹底していたのかしら。


18時から始まる式典。

16時には受賞者は会場入りして待機。
会場入り後と式典開始直前の2回点呼して、全員いるかどうか確認。

17:30には全員着席。

主催者である社会正義・エンパワメント省、障害局のスティティ・カカール次官も早めに会場入りして目を光らせます。

昨年11月に着任した社会正義・エンパワメント省クマリ・セルジャ大臣も、受賞者と談笑。
立ち振る舞いがスマートで綺麗な方。

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そして、大統領登場。
会場のあらゆる方向に向かって、丁寧に「ナマステ」。

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大統領登場の際は、全員起立してお出迎えです。
そのまま直立不動で、国歌斉唱。

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国歌をリードするのは、盲学校の生徒たち。

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インドの式典でのお約束、叡智のランプに火を灯す。

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さっそく大統領による表彰授与にうつります。

1人ひとりにメダルと賞状を渡します。

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個人大賞を受賞した、ハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムの会長、ナルサッパも。

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式典の時間は1時間弱。
受賞者は全部で48人。

1人ひとりの紹介文を超高速早口で読みあげる。
基本ヒンディー語で、南インド出身者の紹介文は英語で。

時間との闘い。

MCも大変だけど、隣の手話通訳者も大変です。


障害を持つ子どもたちによる音楽演奏の小休止を挟んで、後半戦の表彰授与。

48人分すべての表彰を終えた後、大臣の挨拶に引き続き、大統領の挨拶。

式典の最後に、謝辞をのべる全盲の男の子。

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そして、受賞者と大統領、大臣も一緒に記念撮影。

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そして最後にもう一度、国歌斉唱。

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北から南まで言語が異なるのに、国歌斉唱の時だけは全員そろってヒンディー語で歌うのをみると、インドのすごさを素直に感じます。

大統領が退室するのをまた直立不動のまま見送り、「Jai Hind!(インドに勝利を)」の合言葉とともに、閉会。

と、わっと会場中の(300人くらいだろうか)客が、スナックとお茶をめがけて流れ出す。
すごい混雑。

受賞者とそれ以外の参加者でスペースが区切られているのだけれど、とてもその人混みに混ざるエネルギーが湧いてこず、静観。

そして10分後に会場を後にしようとふと目をやると、もう料理は何も残っていなかった。。

食糧を前にした時の人のエネルギーって、すごい。



会場内はカメラ持ち込み禁止。
でも、(自称)カメラマンの業者が10人くらい、押し合いへし合い、シークの人はターバンがずれるのもものともせず前に出て、シャッターを切っていた。

そして会場の外に出ると、路上に並べられた写真たち。

「1枚200ルピー(約350円)だよ」

た、高っ!!

「データが全部入ったCDもあるよ」

「CDはいくら?」

「500ルピー(約900円)」

…写真の値段に比べて安すぎじゃ?

でも、式典終了から参加者が出てくるたった数十分の間に、464枚の写真データが入ったCDを焼いて販売してしまう、このスピード感はすごい。


と、いうことで、ここに掲載した写真は全てそのCDから拝借したものです。



感想。



インドの障害者の扱いは、まだまだ枠に当てはめたものが多いと感じる。
政府が絡む障害をテーマとしたイベントで、必ずといっていいほど登場するのは、障害を持つ子どもたちによる演奏。

「障害があっても生き生きと音楽を演奏する」子どもたちの姿。

そしてそれを賛辞する官僚。

子どもの学芸会ならばそれでもいい。

でも、ここで受賞されているような人たちはもっとその上のレベルをいく、社会で自らの道を切り開いている大人たちだ。

式典の最後のVote of thanksを述べる人が、なぜ賞と何の関係もない全盲の子どもなのか。

どうしても主催者の上からの目線が拭いきれない。
主催者の捉える「障害」の枠内に当てはめたイメージが、舞台の上で見せられる。

その図式を変えるのは、簡単だ。

檀上にあがった受賞者に一人でも喋らせればいい。

そうすれば彼らの言葉自体が、障害があったとしても、健常者と呼ばれる招待客や運営者の多数よりも、並外れた強い意志と情熱と才能と行動力を持った人間であることの一番の証明になるだろう、と思う。
姿を見せないという戦略 [2013年01月31日(Thu)]

助成財団の担当者として、「なるべく現場に出る」ことを入職当初から言われてきた。
それが良いと自分も思っていた。


原則としては正しいと思う。
書類から読みとれる情報は限られている。

百聞は一見にしかずで、事務所を訪問すると、団体の実情をより明確に把握できる。
事業の現場を見ると、良い点も課題も含めて、より多くのことが理解できる。



が、インドに着任してから現地のカウンターパートに繰り返し言われたことがある。

何かワークショップや会議などを開催する際に、
「あなたはその場にいない方が良い」と。


初めはその言葉の意図がよくわからなかった。



例えば、資金提供者の「顔」である自分がその場にいることで、私に良い顔を見せようとする人が参加者の中から現れる。

または、「自分が良い働きをしている」とアピールする人が現れる。

もしくは、そこまで露骨でないとしても、本音で議論するのではなく、資金提供者の手前、建前としての発言が多くなる。

その結果、本来の議論に集中できなくなってしまう。

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実際に、思い当たるふしは多々ある。

必要以上に連呼される「ササカワ」の名前、謝辞。
発言中、ちらちらとこちらに寄こされる視線。


余分な要素を排除して、本音を引出し、建設的な議論をするためには、「部外者」が(たとえドナーという関係者であっても)その場にはいない方が良いこともある。
何も発言しなくても、ただその場にいるだけで、会議の趣旨や流れを無意識で変えてしまうこともある。

もちろん、それがプレッシャーとなって逆にプラスに作用する場合もあるのだけど。


インドに来るまでは気づかなかった視点のひとつ。
ハンセン病回復者の子どもたちが学校に通えるようになるまで [2012年12月15日(Sat)]

「ハンセン病に関する差別は、障がい者に対する差別とはまた違う側面がある」
「住所がハンセン病コロニーであるというだけで、学校に行けない子どもたちがいる」
と、よくいわれる。

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例えば、どういうことか?

実際に2012年の現在にインドで起こった話。

・・・

11月4日、ビハール州リーダーのランバライ氏と、ナショナル・フォーラムの関係者とともに、ビハール州のアリラジ地区にあるコロニーを訪れた。

コロニーには25人の子どもたちが住んでいる。
コロニーのリーダーは訴えた。
「就学を断られて、全員学校に行っていないんだ」。

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3日後、ランバライ氏が再びアリラジに向かう。
コロニーのリーダーとともに、地域の公立学校を回った。
近隣の3つの学校は、どこも就学を断った。
「そこはうちの管轄ではない」と。

ランバライ氏は、社会の関心を惹きつけることでこの問題を解決しようと、ジャーナリストを連れて再び訪れた。

また同時に、自治体の村長にもこの問題を訴えた。

理解を示した村長を連れて、再び就学を断ったある学校を訪問した。

村長の姿を見た校長は、その場で25人の就学を認めた。
そこで事態は解決したかに見えた。


しかしその翌日、子どもたちが学校に行くと、また「ここでは学べない」と言われてしまう。
就学を認めた校長が不在のため、他の職員は子どもたちの就学に関知していないという。

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ランバライ氏はあきらめず、今度は県の教育担当官のもとを訪れてこの問題を訴えた。

その話を聞いた県の教育担当官は、12月初旬にさっそく県内120の小学校の校長を集めて集会を開き、そこで同じくハンセン病回復者州リーダーのカムレーシュ氏に、ハンセン病について話す機会を設けた。


ハンセン病は治る病気である。
コロニーの住人は、全員治療が完了した人たちで、彼らが新たな感染源となる危険性はない。
ハンセン病に遺伝性はない。
コロニーに住む子どもたちを受け入れても、他の子どもたちがハンセン病に感染する恐れはない。

教育を受ける権利は、インド国民全員に保障されている権利だ。
今教育を受けられるかどうかが、将来どのような仕事に就けるか、未来の礎となる。
子どもたちに教育の機会を与えて欲しい、と。


同じように、ハンセン病であることを理由に就学を断られる子どもがこの地区で出ないようにという願いを込めて。


そして教育担当官の立ち会いのもと、25枚の入学届を記入し、提出した。
こうして、アリラジに住む25人の子どもたちは学校に通えるようになった。

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制服をつくるために採寸する子どもたち。
教材と制服は、ドイツの団体による寄付によってまかなわれた。

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新聞記事にもとりあげられた。

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人権侵害を訴えるための人権委員会は、インド中央政府にも各州にも存在する。
しかし人権委員会に訴えても、関係者へのヒアリングをして具体的な解決に結びつくまでには1年以上の年月を要する。ひどい場合は忘れ去られてしまう場合もある。

一日も早い解決のためには、差別をする人に実質的な影響力を持つ機関(それは場合によっては村長であったり、県の教育担当官であったり、行政官であったり)に訴える方が、確実に迅速な対処が望める。

問題解決の手法はひとつではない。
ひとつの手法でうまくいかなければ、別の扉を叩く。
扉が開くまで。



ナショナル・フォーラムは、ハンセン病コロニーに暮らす人々が直面する問題を「自分たちの力」で解決するためのフォーラムだ。
回復者である州リーダー自身が、問題解決の力をつけることを狙いとしている。

それが実際の成果に結びついた、ひとつの成功例。

問題が発覚してから解決までにかかった期間、1ヵ月。

アリラジとラクソールの間を何度も自慢のバイクで往復して、問題解決のために駆けずり回ったランバライ氏に拍手を送りたい。

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(写真提供:ランバライ、なつさん)
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