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鹿児島北限の島“獅子島” [2011年11月10日(Thu)]
獅子島は有明海に浮かぶ、鹿児島県最北の島です。
地理的には天草と水俣(いずれも熊本県)に挟まれていますが、
鹿児島県に属します。


(獅子島)

室町時代までは肥後(現熊本)に属していましたが、戦国時代島津の
攻撃を受け、当時の領主「獅子谷七郎」が島津に敗れ、それ以降
薩摩の領地になりました。

獅子島の名前は領主獅子谷七郎に由来します。また獅子島の最高峰
七郎山も同じく獅子谷七郎から命名されたものです。
いかに領民から慕われていたかわかるエピソードです。

獅子島は白亜紀の頃海から隆起してできた島で、山上からもアンモナ
イトなどの化石が発掘されるそうです。
また首長竜の化石もみつかっています。


             (首長竜とアンモナイトのモニュメント)

獅子島へは、長島町の諸浦港と天草の中田港からフェリーが、水俣港
からは高速艇が運航されています。

獅子島には片側(かたそば)港と幣串(へぐし)港とふたつの港があり、
今回学校公演を実施する獅子島中学校は片側港のすぐそばにあります。


(片側港と獅子島中学校)

フェリーに乗るため諸浦港に着き、港でありながらその海の透明度に
びっくり。ウニがごろごろいるのが見えます。
船着場ではおばあちゃんが3人、仲良く話をしながら釣りをしています。
それが竿を入れるとすぐかかる、ほんとに入れ食い状態です。
釣っているのは小鯵で、30匹ほど釣ると帰って天ぷらにしてじいさんに
食べさせると言っていました。なんと温かい光景でしょう。

諸浦港から20分で獅子島片側港に着きます。
獅子島中学校では11月4日文化祭が行われており、「離島学校公演」は
文化祭のひとつとして行われます。
今回公演を行ってくれるのは「江戸曲芸と大道芸」の“新玉だれ軍団”
の面々です。
松花堂氣楽・・南京玉すだれ
 米ちゃん ・・江戸曲芸
 中嶋さと ・・町娘
獅子島小学校(13名)、幣串小学校(14名)からも生徒が参加し、三校で45名、
また地域の方30名ほど集まっていただきました。
公演の内容は演劇仕立てで、その中に曲芸や大道芸を入れ、子供達は全員玉
すだれ体験をしました。子供達は初めての経験に大変興奮していました。



  (南京玉すだれ体験のあとは・・記念撮影だよ)

日本財団の助成事業として2006年から始まったこの事業も、6年目を迎え
50島以上を巡りましたが、どこの島でも本当に子供達は純粋で心から喜んで
くれます。今後、こういう事業が形を変えてでも継続されていけばいいですね。
三島学校公演その2 [2011年07月11日(Mon)]
硫黄島を出港して黒島までは1時間。
黒島は大里と片泊(かたどまり)の二つの集落からなり、
フェリーも大里港に立ち寄ったあと30分かけて片泊港へ
行きそこで一晩停泊します。翌日来たルートを戻る形で
鹿児島港へ帰ります。


(黒島大里港)

大里港へ着いたのが14時50分、下船後大里小中学校
の校長、教頭先生が公用車で迎えにきていただき、その
まま大里小中学校へ向かいました。
学校公演としては異例の16時開始(普通は14時開始)。
観客は大里小中学校19名、片泊小中学校9名、地域の
方々30名の約60名です。





この日は小雨が降り、湿度90%以上と楽器にとっては
劣悪な環境でしたが、約1時間の演奏と三味線体験
ワークショップなど楽しい時間を過ごしました。
演奏後は子供達がお礼にと全員で「翼をください」を歌って
くれました。



また演奏者を取り囲んでいろんな質問をしている子もいま
した。
特に三味線の勝竜君は不思議といつも女子中学生にモテ
モテで、うらやましい。
男は顔でないというのがよくわかります。

公演後は教頭先生の車で宿のある片泊へ移動。
途中野生の山羊が群れて歩いていました。



黒島は三島の中で最も大きく、人口は200人あまり。
平地がほとんどない地形で、島なのにそれほど漁業も盛ん
ではなく、主に農業と牧畜が盛んです。

戦時中、知覧飛行場から飛び立った特攻機は、黒島の上を
飛び戦地へ向かったといいます。
その特攻機が故障し黒島へ不時着、住民の助けで生き延び
られた江名さんという方が特攻平和観音像を建立されました。
観音像は知覧の方を向いているそうです。

また黒島を舞台とした有吉佐和子「私は忘れない」の文学碑が
あったり平家の残党狩りで黒島へやってきた源氏の大庭三郎
家政が、平家の娘と恋におちそのまま黒島に住んだという
「イバドンの墓」などがあります。

翌朝8時の船に乗るため、7時半に教頭先生が車で迎えに
きてくれました。港には校長先生もきてくれて見送ってくれま
した。
離島に行くたびその自然や人の温かさに感動して帰ります。
そして今回も同じく心温かくして帰途につきました。
昨日と打って変わって波は荒く、みんな酔い止めを飲んで爆睡
していましたが僕は波間をトンボのように飛んでいくトビウオを
眺めながら、この二日間の思い出を心にきざんでいました。


その後、黒島の片泊小中学校、大里小中学校の子ども達から
お手紙をもらいましたので抜粋して紹介します。

●大里中 2年 H君
  このたびはお忙しいところ黒島に来てくださりありがとう
 ございました。僕は演奏会に行ったことがなくて、とても
 楽しみにしていました。音色がきれいでつい聴き入って
 しまいました。

●大里中 3年 Hさん
  あんなに近くでプロの方々の演奏を聴いたのは初めてだったので
 とても興奮しました。三味線を祖父に習い少し弾いていたので、
 プロの方の音に圧倒され、刺激を受けました。ずっと続けていきたい
 と思います。

●片泊小 5年 Yさん
  生の楽器を見たり、演奏を聴くのは初めてで、目が痛くなるほど
 「じ〜」と見てしまいました。

●片泊中 2年 Y君
  ここは小さな島なのでなかなか生の音楽に触れる事ができません。
 また僕はあまり音楽が好きではないのですが、とてもわくわくする
 演奏でした。僕もいろいろな楽器の基礎だけは出来るようになりたい
 です。
三島黒島学校公演その1 [2011年07月08日(Fri)]
2011年度離島学校公演の第2回目、三島村にある黒島で行いまし
た。三島村は鹿児島県薩摩半島沖50〜60Kmの海域にある、竹島、
硫黄島、黒島の3つ島のことをいいます。以前はトカラ列島の7つの
島と合わせ十島といっていたそうですが、戦後アメリカ占領下で十
島から分離し三島といわれるようになったということです。

今回この三島の中の、黒島から熱烈な要請を受け学校公演を行う
ことになりました。
公演を行うのは津軽三味線の安田勝竜、ヴァイオリンの藤松純子、
ピアノの夏川由紀乃、いずれも福岡を中心に演奏活動を行っている
学校公演にはかかせない和と洋のメンバーです。

三島には鹿児島港から「フェリーみしま」が運航しています。
この村営のフェリーは1196トンと割合大きく約19ノットで航行します。


(フェリーみしま)

我々が乗船した6月30日は薄曇りながら風がない絶好の航海日和。
9時30分に鹿児島港を出港した船は「桜島」の横を抜け南下していき
ます。途中藤松純子と海を眺めていた私は、大きな魚が跳ねるのを
発見。「大きな魚がいるよ」と話をしていたら、その姿が近づきそれが
イルカだとわかりました。5〜6頭はいたでしょうか。船の方向に向かっ
てきたイルカは船に近づくと水中に潜って消えました。
「反対方向だ!」と叫び船の甲板を走って反対方向へ移動すると、イ
ルカ達は船を横切りまた水面に浮かび上がって、そのまま泳いで去っ
ていきました。
突然のことで写真を撮ることも、他の二人に連絡をすることも忘れ、イ
ルカが泳ぎ去った方向をボーっと眺めていました。
過去たくさんの船に乗ってきましたが、イルカが現れたのは初めてで、
とても感動的な出来事でした。

2時間ほどで薩摩半島の象徴開聞岳を過ぎ、佐多岬が見え始めたこ
ろうっすらと2つの島影が見えてきました。ひとつは平らでもうひとつは
おにぎりのような形をしています。竹島と硫黄島です。いよいよ三島が
近づいてきました。


(開聞岳)

佐多岬を過ぎると海の色が変わってきます。これを藍色というので
しょうか。同じ航路で屋久島や種子島行ジェットフォイルで走ったと
きは気づきませんでした。自然を感じながらフェリーでゆっくり行くの
もいいですね。


佐多岬を過ぎて1時間も走ると竹島が近づいてきます。
竹島の海はとても澄んでいて、港の中でウミガメが泳いでいました。
竹島の名は島全体を琉球竹で覆われているからといわれています。
琉球竹は大名竹(だいみょうだけ)といい、この地区の島ではよく生
息し、口永良部島でも食したことがあります。我々が食べているタケ
ノコより小ぶりで、とても味わいがあるタケノコです。とくに天ぷらが
おいしかった。

竹島を出港し30分ほどで硫黄島に到着するのですが、まず目に飛
び込んでくるのは活火山硫黄岳の迫力ある姿。しかも海の中に緑
色の模様が。みるからにバスクリンのよう。
硫黄島は海底から硫黄が吹き出し海の色を変えています。
港に着くとびっくり、海の色が赤茶色になっています。
ほんとうに自然の凄さに圧倒されます。

(硫黄岳)


また硫黄島は、西アフリカギニアの伝統太鼓「ジャンベ」のスクール
があります。三島村ではこのアフリカの伝統楽器「ジャンベ」の奏者
との交流が20年近くあり、子ども達は全員演奏できるそうです。
硫黄島はその中心で、今日は何かイベントがあるのか、フェリーの
乗客もほとんどが硫黄島で降りてしまいました。
昔「俊寛」が流されたり、安徳天皇が落ち延びたなどの平家に纏わる
伝説が残る硫黄島は、その自然とともにジャンベを代表する新しい
取り組みなど、人をひきつける魅力ある島です。
喜界島の温かい人々 Part 2 [2011年01月06日(Thu)]
喜界島では湾小学校と上嘉鉄小学校で学校公演を行います。
最初に行った湾小学校は生徒数300人と喜界島で一番大きな
学校です。そこに坂峰小学校、滝川小学校からも生徒が参加
してくれました。

学校公演では演奏とワークショップを行い、普段三線を見慣れ
ている子供達は、津軽三味線の大きさと音にびっくりしていま
した。最後は子供達の三線とコラボして「島唄」を全員で歌い
ました。


(津軽三味線体験)

公演のあと重野さんがまだまだ見せたいものがあるということで
教育委員会の車で島を案内してくれました。

俊寛僧都の墓
治承元年(1177年)京都鹿ケ谷で平清盛討伐謀議のかどで喜界島へ
遠島された「俊寛僧都」は、他の者が赦免されても赦されず、失意の
まま生涯を閉じました。そのことは「能」の題材にもなっています。
また流された鬼界ケ島は喜界島でなく鹿児島県三島村の硫黄島や、
長崎県の伊王島ではないかという説もあります。



百之台公園
喜界島はサンゴ礁が隆起してできた島です。百之台は最初に海から
現れたところで、今では喜界島の一番高い場所になっています。
標高204mで年間2mmずつ隆起し、10万年かけて今の高さになった
そうです。もっとも景色がいいところです。


(百之台からの景色)

他にもガジュマルの巨木や悲劇の美人「ムチャ加那」を祀った公園
など「ムチャ加那公園」など、ほとんど島を一周してくれました。
そして最後は夕陽を観に。

日没まで時間がないということで、重野さんは広報スピーカー
付き教育委員会車両でどんどん車を追い越していきます。
喜寿を超えられた重野さんの暴走運転に「観れなくても大丈夫
ですよ」と声に出して言いたかったのですが、みんなに夕陽を
みせたいという重野さんの気持ちが伝わり言えませんでした。
おかげで沈む寸前に海に着くことができました。美しい海に
沈む夕陽、本当に美しかった。



ありがとうございました。

夜は重野さん行きつけの居酒屋で食事をしましたが、そこに
素晴らしいゲストが。
民謡民舞全国大会「優秀賞」他数々の賞を受賞されている
奄美シマ唄の川畑さおりさんがきてくれました。
目の前で三線を弾きながらシマ唄の「朝花節」や「ムチャ加那
節」を唄ってくれたのですが、その声の響きに圧倒されて
しまいました。感動です。やはりCDで聴くのと生で聴くの
とでは全然違います。

それでこちらは我が隊の安田勝竜君が津軽民謡やじょんがら節を
演奏し、居酒屋が民謡大会になってしまいました。
みんなで意気投合し話がはずみながら食事をしましたが、川畑さん
はとてもかわいらしい人で、みんなで「さおリン」と呼ぶことに
しました。


(熱唱するさおリン)

その後、また重野さん行きつけのスナックへ・・・
                          つづく
喜界島の温かい人々Part [2010年12月06日(Mon)]
喜界島は奄美大島の東にある小さな島です。
11月18日、19日の二日間、学校公演を実施するため、17日に
平戸の的山大島で公演後、大急ぎで福岡空港へ移動し、そのまま
鹿児島空港まで飛びました。

朝8時の便で鹿児島空港を出発し1時間ほどで喜界島へ到着、
まず最初に感じたのはその暖かさ。暑いと感じるほどです。
前日平戸ではヒートテックにコートまで着ていたのですが、
カッターシャツ一枚で十分な気温、まさに“南国”ですね。


(喜界空港)

喜界空港は田舎の電車の駅くらいの大きさで、巨大で無機質な
都会の空港に比べ、なにか人間ぽい温かさを感じました。
空港には教育委員会の重野さんが迎えにきて下さいました。
重野さんの案内でまず喜界町役場へ行き、町長、副町長ほか
多くの方と挨拶をしました。期待されている感がひしひしと伝
わってきます。
役場の中に日本で一番大きな蝶オオゴマダラのサナギがあると
いうので見せてもらいました。サナギの色は金色に輝いていて
本当にびっくりしました。
近くに幼虫もいましたが、黒い体に白の縞模様、赤の斑点と
あまりかわいいものではありません。
これが金色に輝くサナギになるなんて不思議ですね。



                 (オオゴマダラの幼虫とサナギ)

時間が少しあったので重野さんが黒糖工場へ案内してくれました。
途中サトウキビ畑がずっと続き、これをウージの森というのでしょう。
黒糖工場では収穫したサトウキビの茎をしぼり、その汁を炉で熱して
不純物をとり、冷やして黒糖にするのですが、暑いときは大変な作業
でしょうね。
できたばかりの黒糖を割って食べさせていただきました。本当におい
しかった。


(黒糖工場の作業)

また工場のすぐ脇に珊瑚の石垣がありました。
喜界島は珊瑚が隆起してできた島で、今でも年間に数ミリ隆起し
続けているそうです。その珊瑚を利用して、いたるところに石垣が
作られています。


(サンゴでできた石垣)

その後「湾小学校」へ移動し、学校公演を行います。
喜界島で公演を行うのは津軽三味線の安田勝竜君、ヴァイオリニストの
藤松純子さん、ピアニストの夏川由紀乃さんの三人で、学校公演のため
結成したユニットです。和と洋のコラボでとても面白い演奏をします。
湾小学校は生徒数300名、喜界島で一番大きな小学校です。その他に
近くの滝川小学校、坂峰小学校の生徒も来てくれました。
つづく・・
世界自然遺産の魅力 屋久島 [2010年11月08日(Mon)]
屋久島は前回紹介した種子島の隣にあります。
鹿児島港から高速艇トッピ―で約2時間、宮之浦港か
安房(あんぼう)港のどちらかに到着します。

屋久島は1993年ユネスコの世界自然遺産に登録されました。
その自然の凄さに圧倒されます。
屋久島は島の周回道路沿いに人が棲んでいる以外は、全て
山と森と川です。
海抜0mから九州最高峰宮之浦岳(1936m)まで一気にかけ
上がっているため、見上げるような山脈が続きます。


(山脈が連なる屋久島)

有名な「縄文杉」や宮之浦岳山頂までは何時間もかかるので
時間や体力に自信のない方は「屋久杉ランド」や「白谷雲水峡」
(いずれも車で1時間程度)でも十分屋久島の自然に触れる
ことができます。
苔に覆われた木々や岩々は、ゆっくりと時間をかけてのみ作り出
される大自然の神々しさをみせてくれます。
「もののけ姫」のスケッチのため、あの宮崎駿監督も何度も
足を運ばれたそうです。


(もののけ姫がいそうな森)

屋久島は人20000、猿20000、鹿20000といわれるほど、猿
や鹿がたくさん棲んでいます。
山道を車で進んでいくだけで、鹿や猿に何度も遭遇します。
特に猿は人に慣れていて、車を停めていると餌を集りにきます
ので注意してください。



                             (猿と鹿が道端に・・)

それと山道を歩いていると蛇と遭遇しますので用心して下さい。
僕も白谷雲水峡で2度ほどでかい蛇とすれ違いました。
屋久島にはハブはいないと聞いていますが、出会った時はさすが
にびっくりしますね。

今回は仕事できたのでゆっくりと回ることはできませんでしたが、
次回は時間に余裕をもってゆっくり屋久島に触れてみたいものです。


(屋久島の海から昇る朝日)
鉄砲とロケットの島 種子島 [2010年10月21日(Thu)]
種子島の名前はみんな一度は聞いたことがあると思います。
1537年ポルトガル船が種子島に漂着し、時の島主種子島時堯が
ポルトガル人が所持していた火縄銃を買い取り、矢板金兵衛に
製造を命じました。金兵衛は苦労のすえ製造に成功し、その数
年後には商人を通じてまたたく間に国中に広がっていきました。
織田信長を筆頭に戦国時代の武将が鉄砲を使いはじめ、戦い方が
大きく変わっていきました。その火縄銃のことを発祥の地から名前
をとり「種子島」と呼んでいました。
そのポルトガル船が漂着したのが島の南端の門倉岬です。

(岬にある鉄砲伝来のモニュメント)

                  (門倉岬からの眺望)

種子島は鹿児島港から高速艇(トッピー、ロケット)で約90分、
南北に細長い形をしています。隣の屋久島が丸い形をし、九州最
高峰の宮之浦岳を中心に山脈が連なっているのとは全く対照的に
最高でも標高280mくらいの平べったい地形です。

(鹿児島港のトッピー)

西之表市、中種子町、南種子町の三つに大きく分かれています。
有名な宇宙センターは南種子町にあります。
ロケット基地に物資を運ぶため道路は島全体整備されています。
ロケット打上時には関係者や見物客で、普段閑散としている店も
人であふれると食事をした店のおかみさんが言ってました。

                          (種子島宇宙センター)

種子島はその地形のおかげで、米、いも、野菜など農産物が豊富
で、食料自給率が300%を超えているそうです。将来食糧難に
なったら種子島移住ですね。なかでもサトウキビは島の特産で
走っている道路沿いにずっとサトウキビ畑が続いています。
またイギリス船が漂着したときに種子島の人達が手厚く介抱し、
そのお礼としてイギリスの鶏をプレゼントしました。
それをインギー鶏として大切に飼育して、今では島の特産品と
なっています。 

(インギー鶏)

また種子島の波はサーファーにとっては素晴しい波とのことで
全国からサーファーが来るとのこと。あのキムタクも来たらし
いですよ。中にはそのまま島に居ついた人もいて、居酒屋で
働いていたお兄さんは名古屋から移住してきたとのことでした。

いろいろな面で種子島は魅力いっぱいの島です。
捕鯨と石炭と電力の島 松島 [2010年08月19日(Thu)]
西海市にある松島は、有名なハウステンボスから西へ約一時間の
瀬戸港から定期船で20分、五島灘に浮かぶ小さな島です。

(松島全景)
                    (松島行き定期船 NEW松島)

江戸時代には捕鯨基地として栄えていましたが、慶長年間に発見
された石炭は、大正から本格的に採炭され昭和初期まで松島炭鉱
として栄華を築きました。現在島民は300名ほどですが、炭鉱最
盛期には13,000人いたそうです。

現在では捕鯨も石炭もなくなりましたが、島の東側にはこの素朴な
島に似合わず火力発電所の巨大なプラントがあります。

(石炭火力発電のプラント)

11月に学校公演を行う西海市立松島小学校は児童数11名、中学校は
1975年に統合され現在はありません。だから子供達は小学校を卒業
すると船で対岸の中学校へ通学しなければなりません。
さらに小学校も統合の候補になっているようです。港にある「松島小学校
の廃校絶対反対」の看板が印象的でした。

(「廃校絶対反対」の看板)
宝の島「高島」 [2010年08月04日(Wed)]
佐賀県の唐津湾にどこから見ても帽子のようにみえる特徴
ある形をした島があります。それが高島です。

(マテバシイが群生する高島の山)

小さな島ですが、とても人気がある島です。
それは「宝くじ」にご利益があるといわれる『宝当神社』が
あるからです。
現在は少し減ったそうですが、それでも年間7万人もの宝くじ
ファンがお参りに訪れます。宝くじ当選祈願がほとんどですが、
お礼参りにくる方もいらっしゃいます。なんとうらやましい。


(宝当神社)

高島へは唐津城の駐車場から桟橋を渡ったところに渡船場が
あり、一日6便定期船(運賃200円)が所要時間10分で運行され
ています。他にも海上タクシーがひとり500円で運行しています。


(唐津城)
                   (高島行き渡船)

島には約300人住んでいますが、そのほとんどが「野崎」姓です。
これは豊後大友氏に仕えていた野崎隠岐守綱吉という人が、肥前
草野から高島へ移り住み、吉井の海賊から島民を守ったことより、
その偉業をたたえ、綱吉死後「綱吉神社」を建て氏神として祀り
ました。その「綱吉神社」が現在「宝当神社」となり、また島民
は野崎姓を名乗るようになったそうです。

今年8月に学校公演を行う高嶋小学校には11名の生徒がいますが
全員「野崎」姓で、先生は出席をとるときは下の名前でとります。
島民どうしが名を呼ぶときも、どこどこの誰ちゃんというそうです
が、大変なのは下の名前も同じときで、さすがにややこしくなって
しまうそうです。

(野良ねこに餌をやるおばちゃん この人もきっと野崎さん)
平成19年度離島学校公演概要 [2010年07月22日(Thu)]
平成19年度離島学校公演概要 が公開されました。

平成19年度「離島の小中学校における芸術・芸能公演と
ワークショップ」の実施
  
 平成19年度も引き続き離島の学校での芸術・芸能公演とワークショップを実施する
ことになった。
2年目ということもあり、教育委員会や学校への連絡も比較的スムーズに行えるよう
になった。
 実施した島や学校・生徒数は下記の通りである。 

1.福岡県北九州市 藍島  
 平成19年11月1日 藍島小学校 小学生15名 住民31名
 【実施内容】江戸大道芸と落語及び南京玉すだれ体験

 藍島は北九州市に属する島のうち、唯一学校がある島である。人口300人程度の
小さな平らな島であるが、江戸時代に密貿易を監視する番所が置かれていた。昨年
からそうであるが、子供達には落語や江戸の大道芸はめったに実物を観る機会がなく、
大変興味をもってくれる。
 
2.佐賀県唐津市 加唐島
 平成19年11月6日  加唐島小中学校 小学生14名 中学生13名
     〃      松島分校 小学生12名
  【実施内容】津軽三味線

 加唐島は唐津市呼子から定期船で約25分の位置にある。日本書紀に神功皇后伝説
や武寧王伝説の「各羅島」として登場するほど歴史のある島。また隣にある松島は島民
80名が全員キリシタンという島で、子供達はスクールボートに乗って聴きにきた。
 津軽三味線の演奏体験などおこなった。


3. 長崎県佐世保市 黒島
 平成19年11月16日  黒島小学校 小学生28名
  【実施内容】江戸文化「落語」と「大道芸」

 佐世保から定期船で約1時間の距離にある黒島は、九十九島の中で最大の島である。
江戸期の迫害を避け多くのキリシタンが移住してきた。
 明治以降禁教令が解かれ、長崎の浦上と同じく信徒発見のため訪れたフランス人神
父達の中心基地であった。
 島の中央に位置する「黒島天主堂」はフランス人マルマン神父によって建立され、現在
国の重要文化財になっている。
  公演では子供達に大道芸の「南京玉すだれ」を体験させた。


4.佐賀県唐津市 神集島(かしわじま)
 平成19年11月18日  神集島小学校 小学生13名
  【実施内容】日本の歌とクラシック

「松浦拾風土記」に神功皇后が三韓征伐の折、神々を集めて軍議を謀ったのが名前の
由来とされている。また万葉集に島の歌が収められその歌碑が立っている。
島全体の文化祭があり、その中で学校公演を行った。子供達がバイオリンやコントラバ
スに触れ、音を出すなどの体験をした。


5. 長崎県佐世保市 高島
 平成19年11月19日 相浦小学校高島分校 小学生12名
  【実施内容】日本の歌とクラシック
 
佐世保高島は九十九島のひとつにあたり、江戸時代に平戸藩の沿岸警備のための
番所が置かれていた。
  平地が多く漁業のほか農業も行われている。とくに「高島のちくわ」は有名である。
本当に素朴な島で、子供達は初めて聴く楽器の音に驚いていた。
 

6. 長崎県新上五島町 中通島(なかどおりじま)
 平成19年12月3日 奈良尾中学校 中学生90名 
 平成19年12月4日 仲知・津和崎小学校合同開催 小学生24名
     〃     東浦小学校 小学生99名
 平成19年12月5日 崎浦小学校 小学生25名
【実施内容】江戸文化「落語」と「大道芸」
 
 五島列島は大きな五つの島(中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島)とその他
140の島から形成されている。面白ことに島によって行政区域が分かれている。中通
島は新上五島町に属する。
 中通島は五島の中でも隠れキリシタンの遺産が多く残されており、現在でも信者の
率が高い。島の中に実に29もの教会(天主堂)があり、これらの内いくつかは世界遺
産暫定リストに登録された。
 島全体平地は少なく、多くは漁業に頼っている。しかし長崎県や町は、暫定リスト入
りを契機に、過疎化対策として観光面で産業を活性化しようとしている。
 4校(合同実施を含めると5校)で公演を実施したが、いずれも大歓迎を受けた。


7. 長崎県五島市 福江島
平成19年12月11日  富江小学校  小学生196名 
平成19年12月12日  山内小学校  小学校82名
平成19年12月13日  玉之浦小学校 小学校54名
 【実施内容】日本の歌とクラシック
 
 福江島は五島列島の最南端に位置している。宇久島に興った宇久氏が福江島に
渡り江戸期には五島藩となった。江戸末期に築城された石田城は日本で最後に築
城された城である。 
最も大陸に近い福江島は、遣唐使最後の寄港地として、空海や最澄も福江島も訪れ
ている。現在ではすぐ上位置する奈留島、久賀島と合併し五島市となった。人口も
38,000人と多く、他の島に比べると都会である。しかし、他の離島と同様に過疎化が
進行し、毎年800人ずつ人口が減少している。
 小学校ではクラシック演奏と日本の四季の歌を全員で合唱、バイオリンの演奏体験
など行った。


8.佐賀県唐津市 馬渡島(まだらしま)
 平成20年2月21日  馬渡島小中学校 小学生21名 中学生17名
 【実施内容】津軽三味線

 馬渡島は長崎県平戸のすぐ近くに位置し、佐賀の離島の中では最も大きな島である。
松島とともに隠れキリシタンの痕跡が残る。現在でも島の中央にある馬渡島教会では
ミサが行われている。
 

 以上、平成19年度は8島13校で学校公演を実施した。
 この事業を始めるまでは、佐賀に離島があることすら知らなかったし、五島は列島と
いうだけで、それぞれの島の特徴など見ることはなかった。
 そういう意味でいい勉強をさせて頂いた。
 また公演を行って印象的だったのは、日頃芸術・芸能を見る機会が少ない子供達の
真剣な眼差しと、豊な自然や優しい人々に守られ育ったであろう純朴な心である。
 まさに昭和がまだ息づいているような感じがした。


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平成18年度離島学校公演


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