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虹の夢

生き難さを抱えている人たちの幸せな未来を願っている「お節介おばさん」の徒然日記です。

自閉症/発達障害のある方など生き難さを抱えスペシャル・ニーズを持つ方々の「未来を創りたい」…そんな大きな夢を叶えるために、「楽しく・嬉しく・明るい」情報発信をしていきます。

2017年度「放課後等デイサービス 事業評価アンケート」の結果を2017.10.12の記事に掲載しています。
併せてご覧ください。


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eサービス始動 [2015年05月24日(Sun)]
五月晴れの日に、大阪から中山清司先生にお越しいただき「自閉症eサービス@せんだい」がスタートしました。
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昨日までは知らない同士が出会い、共に私たちのこどもの「特性」と真剣に向き合い、意見を交わし、支援力を磨いていく…とても素敵な時間でした。

改めて「eサービス」の仲間になることを許して下さって、長い時間お話を下さった中山先生には感謝です。
そして、休日にも関わらず熱心に、遠くは神奈川、そして福島、山形、岩手の各地からもご参加下さった皆様、資料作成や受付に活躍してくれたスタッフに感謝します。
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いただいたアンケートからも皆様にご満足をいただき、有意義な学びの提供が叶ったことを確認して安堵。
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いただいたアンケートからも皆様にご満足をいただき、有意義な学びの提供が叶ったことを確認して安堵。
Posted by 伊藤 あづさ at 19:42 | 今日の学び合い | この記事のURL | コメント(0)
お店にだせるかも! [2015年05月23日(Sat)]
今日のしゃ〜れでは、「ぎょうざ」作り!
焼き餃子か水餃子かを子どもたちに選んでもらいました。
子どもたちにとって「選ぶ」ことは大切なことだと思います。
子どもたちは自分の意志で選択をしてくれました。

まずは材料を細かく切っていきます。
白菜を切る手つきもはとても上手です。
手順書をみながらも、餃子を食べた自分の経験からさらに細かく切ろうとしてくれる子もいました。
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そして、お肉とタレをあわせてこねていきます。
ボウルをまわしながら手でしっかりとまぜています。
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餃子のタネが完成したら、今度はつつんでいきます。
つつみ方も今日は2種類に挑戦してもらいました。
1つ目は餃子メーカーを使って。
スタッフの見本と手順書をみながらきれいに作ってくれています。
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次に挑戦したのが、手でつつむやり方です。
やったことのある子もない子も真剣にスタッフの見本をみつめます。
「難しい」と言いながらも手つきはとても素敵です。
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完成したのはとても美味しそうな2種類の餃子。
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子どもたちは、嬉しそうに食べてくれました。
焼き餃子はパリパリの食感、水餃子はツルっとした食感。
保護者の方も試食を喜んで食べてくださいました。
子どもたちの中には、「これ売れますよね?」と嬉しい質問をしてくれる子も。
自分で野菜を切って、こねて、つつんで出来上がったからこその「思い」です。

暑い1日でしたが、しゃ〜れでは子どもたちのさわやかな笑顔にあふれていました。

フローレン

Posted by 伊藤 あづさ at 16:44 | 今日の「しゃ〜れ」 | この記事のURL | コメント(0)
家族に食べて貰いたい [2015年05月21日(Thu)]
製パントレーニングが復活しています。
今日で三回目の実習になるT君。
いろ〜んな出来事があって、ようやく私たちと出会って間も無く三カ月。
以前に飲食関係のアルバイトをしていたこともあって、キッチンの仕事に希望を持って励んでくれています。

昨日トレーナーの牧子さんと一緒に作ったクリームチーズとホワイトシチューのパンを、今日は一人で完成させることをミッションにしました。
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先輩格の千尋さんがとっても気にかけてくれて、二人で一生懸命取り組んでくれました
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そして
出来た!
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形は不恰好だけど、味はBuono!


彼は今、自立に向けて自宅以外の住まいで生活をしています。
出来上がったパンを四つ、持ち帰っていただきました。
迎えにいらしたお母様が
「お世話になっている方達に差し上げる?」
と、尋ねたら、彼は
「一つは自分が食べたい。残りは(自宅にいるお父さん、お母さん、お兄さん)三人に食べて欲しい。」
と、言ったそうです。

お母さんが食べて下さったクリームチーズのパンは、涙で少ししょっばかった…
お父さん、お兄さんにはどんな味だったでしょうか?

家族が家族として感じ合える。

嬉しい日になりました。

Posted by 伊藤 あづさ at 22:27 | 今日のSchale | この記事のURL | コメント(0)
「認定」取得! [2015年05月14日(Thu)]
昨日から出張に出ていました。
留守中にあった、とても嬉しい出来事。
一昨年度、「仙台市中間的就労創出事業」として取り組ませていただいたコピー機清掃という新しい分野への挑戦。
企業さんや間で支援調整をしてくださっていた事業所さんのご都合もありましたが、今年に入ってようやく動き出し、数か月のトレーニングと実習を重ねて、今日「認定試験」。
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たくさん緊張もしたし、本当に真剣に、精一杯。
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でも、みんなキラキラしているね。
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ひとつのことに一生懸命臨む姿は美しいです。
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頑張って来た姿を思い出し、不覚にも人前で涙。彼らに大きな「自信」になってくれたらと、明日からの「変化」が楽しみです。
Posted by 伊藤 あづさ at 19:48 | 今日のSchale | この記事のURL | コメント(0)
一区切り [2015年05月12日(Tue)]
昨年度、いくつかの法人の方々と取り組ませていただいた「仙台市中間的就労創出事業」の最終報告会がありました。
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約一年間、仙台市内の農業法人さんや大規模農家さんと取り組ませていただいた事業。
「アグリジョブトレーナー」という、農業と福祉の両分野に精通した豊富な人生経験を持つ方々を、受け入れ農家さんと私たちの子どもたちとの橋渡し役として活躍してくださる人材育成にも取り組みました。

最終プレゼンの後、委員の方々からは
・手応えを感じた。
・(事業実施後の課題として)"そうなんだろうな〜"と想定していたことが、その通りに浮彫にはなったけど、より1年を通した経験としてさらに深く把握されたと感じた。
しかし、その課題をさらに追及し、「継続」に向かっていこうとすることが嬉しかった。
・予想を上回る結果であった。
・事前のアセスメントや事後の振り返りなどを通して、丁寧に個々人が成果を生みし、一人一人がどう生きてい行くかを掘り下げられたことが良かった。
など、高く評価していただきました。

「農業」というフィールドで、私たちのこどもが糧を得ていくことは並大抵なことではありません。
それでも、長い期間の挑戦の機会をいただき、「やれた」ことは、「次」に繋がる勇気となりました。
「仕組み」として成熟させ、私たちなりの「働くモデル」創りへと発展していけたら幸せです。
Posted by 伊藤 あづさ at 17:32 | 今日の活動 | この記事のURL | コメント(0)
「自立」とは何か? [2015年05月11日(Mon)]
函館おしまコロニーの高橋和俊先生が、ご自身のブログを通してメッセージをくださいました。
その後何人かの方々とのやり取りが、私たち親にも深く考える刺激を下さっていますのでご紹介します。
先生のブログのタイトルは「診察室の窓から」
5月9日の記事です。
28. 『重要な原則ほど普遍性が高い』

私は、難しい問題に突き当たったときには必ず一度「原則」に立ち返ってみることにしています。その場合、その原則がどれだけ幅広い状況に当てはまるか、という「原則の普遍性」を必ず考慮しています。

例をあげましょう。自閉症の人に対して「失敗させてはいけない」ということがよくいわれます。これは完全な間違いではありませんが、原則としての普遍性は低いといえます。なぜなら、当然のことですが自閉症の人でも失敗から学ぶことができる場合もあるからです。ただ、一般論としては自閉症特性を持つ人は失敗体験を通じて学ぶことが苦手なことは多いですし、失敗体験が否定的な辛い記憶としてだけ残ってしまうことも少なくありません。この場合のより普遍性の高い原則は、「自閉症の人にはなるべく失敗させない」というものでも、「自閉症の人にも失敗体験は必要だ」というものでもなく、「ある状況から学べるかどうかは人それぞれに異なるし、同じ人でもそのときの状態によって変化しうる」というものです。言い方を変えれば「ある人に何かを学んでもらいたい場合には、その人がその方法によって学べる状態になっているかどうかを知る必要がある」ともいえるでしょう。そう考えれば、自閉症の人には失敗させるべきかさせないべきか、という結論の出るはずのない議論ではなく、ある状況において失敗を経験した場合、その人がそこから学ぶことができるかどうかを知ることがまず必要であるということになります(どうやってそれを知ることができるか、という問題はそれ自体が非常に重要な問いですが、今回はそこには触れません)。

私が原則の普遍性について考えるようになったのは、「自立とは何か」という問いに直面したことがきっかけになっています。「自立」を狭く解釈すれば、できるだけ身の回りのことを自分でできる、あるいはできるだけ一般就労する、ということになるかもしれません。もしそうだとすると、決して「自立」できないような重い障がいを持つ方についてどう考えたらよいのか?ということが私の疑問の出発点でした。また、「もっと自立しなければだめだ」と周囲にプレッシャーをかけられ、必死で自立しようとしながらうまくいかずに苦しんでいる人たちに出会ったことも、私に「自立とはいったい何なんだろう?」と思わせたきっかけになりました。狭い意味での「自立」がよいことであるとすれば、様々な側面で支援を必要とすること自体がよくないことになってしまいます。また、仮に苦しい思いをして自立レベルを多少高められたとして、もしそれがその人にとって納得できない辛い体験としてしか残らなければ、その人の人生にとって「自立」は本当にプラスなのかどうか、疑問を持たざるを得ません。私はそこに漠然と違和感を持ち、これは「自立」の定義が間違っているか、「自立=よいこと」という理解の仕方が間違っているかのどちらかだろう、と思いました。

私の疑問は、ある日、あっけなく氷解しました。こんなことを考えていたのは私が初めてではなく、既に幾多の議論がなされてきたのを知ったからです。1950年代には北欧で、そして1960年代には北米で、身辺自立や職業的自立のみを自立と捉える従来までの自立観へのアンチテーゼが巻き起こり、「自己選択・自己決定こそが自立の根本である」という新たな運動が起こりました。その歴史に触れたとき、それまでの私の違和感に一つの明確な回答が示されたと感じたのです。自己選択・自己決定が自立の根本であるとすれば、すべてを自分で行わなくても、自分に必要な援助を自ら求めること自体が自立につながることになります。仮に重い知的障がいがあったとしても、その人がある環境の中で自発的に取る行動が状況にふさわしいものであって、そのことによる困難が少なければ、それを一種の「自己選択・自己決定に基づく自立」であると考えることもできるでしょう。本人が身辺自立や職業的自立を求めて積極的に行動することはそれ自体が重要な自立の要素であり、反対にわけもわからずに「自立」を強要されている状況は本当の自立ではない、ということになります。もちろん、必要な援助を求めることができるためにも、自発的な行動が状況に合っているものになるためにも、やはり一定の援助が必要です。しかし、そのような自己選択・自己決定に必要な援助こそ、社会における一種のインフラでなければならないと私は考えています(この点については以前の投稿「感謝される支援は二流の支援」または「沢山のことは都合よく日常に隠されていて…」をご参照ください)。

無論、身辺自立を高めたり、職業的自立を目指したりすることにも一定の意味があり、私自身その重要性を否定するものではありません。ただ、自己選択・自己決定は自立にとって最も普遍性の高い原則であって、それを欠いた状態を自立と呼ぶことができないということだけは間違いないでしょう。だからこそ、私は自立について考えるときには単なる身辺自立や職業的自立ではなく、自己選択・自己決定という側面を真っ先に考慮することを忘れないようにしたいと思っています。

重要な原則ほど普遍性が高い。私にとっては、これ自体が重要な原則です。
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皆さんはどんな受け取りをしましたか?
この記事を通しての何人かの先生方のやり取りが凄いんです。
私にとっての「自立」のものさしは
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私は【「必要な支援」を受けて「その人らしく」生きていけることを「自立」のイメージにしています。】と、メッセージ。
それに対して和俊先生からは
【いつもありがとうございます。必要な支援を受けることももちろんそうですが、支援を受けること自体をその人が納得して選んでいるのか、ということも大切ですよね。】
と。
さらに私は
【その通りですね。
ご本人の「意思決定支援」も、自立を叶える大切な要素ですね。
有難うございます。】とお返ししました。

兵庫県立リハビリテーション病院の中井先生からは
【自立とは自分が何が得意で、何が苦手か、できないかを理解していること、そして、不得手なこと・できないことを、誰に・どこに頼めばいいか知っていること、可愛らしく頼めるスキル、やってもらったらありがとうと言えること・・・自分も講義や講演などでお話しています。
もちろんこれらができるためには、社会の成熟度やインフラ、システムの構築とセットですよね。】
それに対して和俊先生からは
【中井先生、コメントありがとうございます。まさにそうだと思います。ただ、自分ではそれを言語という形で認識したり表現できない人たちの自立を考えるときに、その人たちが選べる選択肢自体を社会が準備しているのか、という問題に突き当たるような気がしています。自立は、自立する人の問題であると同時に、自立が成立する場の問題でもあるのかもしれません。】

また、北海道教育大函館校の本田先生からは
【 援助要請の研究でも「自立と依存」の議論が出てきます。中学・高校の学級集団に援助要請スキルの介入をするとき,「援助を求める(相談する)こと」とは「自分で解決できないから(弱い・劣っているから)人に頼る」というよりも,「主体的に援助を活用して自分らしく生きる」という考え方・とらえ方を紹介します(押しつけはしませんが)。その上で援助要請スキルを「自分が傷つかない援助の求め方」と紹介し練習します。記事を読んで,私が援助要請スキルの介入をするときにも,自己決定の尊重が含まれているとはっきりと認識しました。】
和俊先生は
【本田先生、私が初めて先生の「援助をためらう心理」についてのお話を伺ったとき、私が直面している問題に直結していることを感じました。援助を求め続けなければならない状況は、人を傷つけ、無力化します。支援者によっては、そのことをクライアントを支配するための道具として(無意識のうちに、あるいは意図的に、場合によっては善意という衣を着て)使ってしまうことがあります。先生のされている研究は、その問題に切り込んだ、非常に重要なものであると思っています。】

さらに山形県立盲学校の佐藤先生が
【すべての人間が誰の助けも借りずに生きるなど不可能であり、それを前提とするならば、できないことをできるようにすることが自立ではないですよね。確かにそれも必要なことはありますが。
自立ってこのようにまとめた本もあります。
著者は視覚障害者なのでその切り口が多いのですが、時々参考にしています。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784865000047と情報を下さり
和俊先生からは
【いつもありがとうございます。読んでみたいと思います。自立の姿自体は一人ひとり違ったものになるのでしょうが、その背景には誰にでも共通する根幹があるはずですよね。たくさんの「自立」に触れて、その根幹を抽出する作業を続けていきたいと思っています。】
とまとめられました。

保護者の皆様に
「20歳・25歳になった時に、どんなお子さんになっていて欲しいですか?」
と伺うと、皆さんが
「出来れば自立して毎日行ける仕事に就いていて欲しい。」
と仰っています。
「では、その『自立』って、どんなイメージですか?」とさらにお尋ねをすると、実はそこに明確な答えを持っていらっしゃる方はあまり多くはありません。
・仕事に就く
・お金を得る
もちろん大切なことです。
でも、もう一歩踏み込んで具体的にどんな姿で日々を暮しているかを。
何が叶い、何が叶っていなくて。
何を諦めないで、何を諦めているのか…
どれだけ溌剌と毎日を楽しんで生きているのか。
そのための「楽しみ」は何で、その楽しみを持てているのか。
たくさん・たくさんイメージしてみませんか?
そして、一つ一つ明らかにして「自立」を共に目指しませんか?

何度もお伝えしている言葉です。
「自閉症の方は成人期に幸せでなければならない。
そしてまたそのご家族も幸せでなければならない。」
GAOLに向かって、共に歩んでいけたら幸せです。



Posted by 伊藤 あづさ at 10:54 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
相手を怒らせてしまったら? [2015年05月10日(Sun)]
村上春樹さんと読者との交流サイト「むらかみさんのところ」
の下記のやり取りが、なぜか共感を生んでいます。

「相手を怒らせてしまう私はどうするべき?」

村上さんにちょっと話したいこと
私は注意深くふるまわないと人を傷つける言動を取ってしまいます。
誰でもたまには不用意な言葉を口にすると思うのですが、
私の困ったところは何故相手が傷ついたり怒ったりしたのかがまったく理解できないことにあります。

マナー本を読み、人間関係の厳しい稽古事をし、ホステスのバイトをし、カウンセリングの勉強をしてカバーしようとして参りました。
結果、ある程度までは矯正されたようです。
しかし今でもたまに誰かを意図せず怒らせてしまうことがあります。
そしてその理由がいまもって私には全くわかりません。
その言葉が何故いけないのか、どんな意味を持って相手に受け止められたのか全くわからないのです。人を傷つけるからと言って自分が傷つかないというわけでもなくて、やはり痛い思いはします。自分が痛い思いをしたら、他人の痛みも慮れるようになると思っていたのに。
これは直らない私の根源的な「傾向」だったのかもしれません。
直らないのなら、そこに着目すべきではなかったのかもしれません。
悪いところは目に付きやすいのでそこに気をとられ、マナーだの心理学だの接客だのと勉強してきたわけですが、それ以外の「傾向」で、もっと伸ばすべき点があったのかもしれません。
今更ですが、私のよい「傾向」について考えてみたいと思います。
そこで村上さんに一般論として伺うのですが(私個人のことはご存知無いので一般論として)、他人の感情に鈍く、情愛の薄いタイプの人間にある、よい「傾向」とはどのようなものがあるとお考えになりますか? 
自分でも考えてみたのですが、ぱっとしたものを思いつきませんでした。
村上さんが素敵な「傾向」をお答えくださると嬉しいのですが。
(ユレル、女性、51歳、会社員)

僕はあなたのメールを読んでいて、あなたが「他人の感情に鈍く、情愛の薄いタイプ」であるとは感じませんでした。そういう風にはお考えにならない方がいいと思いますよ。ただあなたの感情システムには何かmalfunction(機能不全)な部分があるのではないかという気がします。部品の一部がもともとうまく動いていないというか。あなたの言う「根源的な傾向」です。これはいくら直そうと思っても、なかなか直らないものです。人の心は機械と違って、簡単に部品を取り替えるというわけにはいきませんから。

だったらあなたが考えるように、その傾向を「変更のきかないもの」とみなし、それをできるだけ良い方向にもっていくしかないですよね。古今東西、芸術家にはあなたのような傾向を抱えた人がたくさんいます。部品がひとつ欠けている(あるいはうまく動いていない)ぶん、社会性には少し欠けるけれど、他の感覚が研ぎ澄まされていることが多いんです。何かそういう能力を見つけて、うまく伸ばされると良いと思うのですが、何か心当たりみたいなものはありますか? 

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さて、皆さんはどんなふうに感じましたか?
Posted by 伊藤 あづさ at 21:19 | この記事のURL | コメント(0)
いつかはお店の商品に… [2015年05月09日(Sat)]
今日のしゃ〜れは「チョコクッキー」作りでした。
子どもたちの大好きなお菓子作りのため、始める前から笑顔であふれていました。
必要な材料を量るところから始めます。
日々の課題でも「計量」に取り組む子どもたちは正確に量ることができています。
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バターと砂糖を混ぜるときもしっかりとボウルをおさえています。
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粉ものの扱いも上手になってきた子どもたち。
今日は粉をふるうことにも挑戦しました。
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ふるいを使ったことのある子も、使っている場面をみたことのある子もとても上手にできています。
そして、ここからが今日の1番の難関です。
チョコレートとナッツをまぜた生地をスプーンでとり、オーブンシートの上にならべていきます。
1人ひとりにスタッフの実演をみてもらい、練習してから本番にのぞみます。
スタッフの実演を真剣に食い入るように見つめる子どもたち。
スプーン2本を使ってどの子もとても上手にならべることができていました。
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焼き上がりの形はみんなそれぞれ個性がありとても素敵でした。
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保護者の方にお持ち帰りをする子も多くいました。
お迎えにきてくださった保護者の方には焼き立てをお渡ししています。
「お店の商品のようですね」
とお話してくださる保護者の方もいらっしゃいました。
子どもたちの想いが形となっているのだと思います。

今日はさらに素敵なことが・・・
見学のお母様とお子さんが、とても楽しい時間を過ごせたとお話してくださいました。
子どもたちの温かい雰囲気がとても素敵な時間を作ってくれたのだと思います。
本当に嬉しいことです。

そして、お手伝いにきてくれている大学生の方が今日も素敵な写真をたくさんとってくださいました。
子どもたちのベストショットを撮りつづけてくれています。
帰るときに次回も来ることを告げてくれる姿はとても頼もしく感謝の気持ちでいっぱいです。

調理の課題を楽しみにしてくれている子どもたちにとって、さらにこの時間が素敵になれるよう努めていきたいと思います。

フローレン
Posted by 伊藤 あづさ at 17:58 | 今日の「しゃ〜れ」 | この記事のURL | コメント(0)
ただいま〜 [2015年05月06日(Wed)]
長いGWをいただきました。

前半は息子と沖縄へ。
(特活)ぺあ・さぽーとの山城さんたちとのご縁をいただいたことで、本当に楽しかったです。
息子は「海」を充分に堪能しました。
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ゆっくりと流れる時間の中、
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息子との付き合い方にもまた新たな発見と課題に気づいたり。
佳い時間をいただきました。
人と人とが繋いで下さったご縁が、今回の旅を豊かなものにして下さいました。
本当に有難く「感謝」しかありません。
私から「次に繋ぐ」ことも意識しています。

そして昨日・今日は名古屋の「草の根ささえあいプロジェクト(草P)」のワークショップへ。
テーマを知った時から、私はこの一年の息子の生活をお伝えしながら、知的障害のある自閉症の青年であっても、私たち健常者が「当たり前」に叶っていることを、彼らにも「当たり前」に叶うことの意味を問いかけてみたいと思い、話題提供をさせていただきました。
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そして、このワークショップを紹介してくれたカイパパさんが、以下のようにまとめてくれました。
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今日明日と、草の根ささえあいプロジェクト主催のOSTワークショップに参加しています。テーマは、「よりどころ〜ホームを探す・創る」。

今日は2つのラウンドがあり、わたしがひとつめに参加したのは「障がいのある人が選べる『ホーム』」について。
ふつうのマンションに、ルームシェアしてくれる人と一緒に暮らす自閉症の青年の暮らし。本人が望み、実現できているが、お金が膨大にかかる。本人の障害者年金や工賃ではとても払えない。親が持ち出しで何とかしている──。

お話を聴いていて、「障害者がそんな暮らしをすることは贅沢だ!」という声が、ずっとこだましていました。行政も、地域も、もしかしたら支援者も、そう叫んでいるんじゃないかな……。いやいや、親の立場にいる人も、ともすればわたし自身も……。
これは一体何なんだろう?

障がいのある人の「身の程を知った暮らし・ホーム」の「相場観」みたいなものが世にはあって、そこにじぶんの感覚も合わせてしまっている。
だけど、障がいがあっても、子どもの間、親と一緒に暮らしていた暮らしと「同レベル」を望むことが高望みすぎるのだろうか? 実現できない絵空事なのだろうか? そういう決め付けのほうがおかしい。
おかしいことはおかしいと言い続けて、変えていかなきゃいけない。そう、勇気ある先輩お母さんの目を見て、思いました。
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「贅沢」とか「身の程」と向き合っていくことは、これからも大きな課題かもしれません。
私にとっての「当たり前」の暮らしが、息子にも「当たり前」に叶い、そして、息子だけではなく、そんな暮らしを願うすべての人たちが叶う世の中を目指し続けて行くんでしょうね。
「贅沢」や「身の丈」という概念も整理しながら、これからも「想い」と「現実」を発信し続けていこうと思います。
その先にきっと「未来は創られる」と信じていきたいというアタシは「青い」ですかね?
単に諦めが悪いんですけど…

近頃ブログが滞りがち。
実はFace BOOKの方が発信が楽になっています。
この7泊8日のことも、そう大したことではないけれど、もう少し詳しく知ってみたいと思われたらアクセスしてみていただければと思います。
https://www.facebook.com/adusa.ito
Posted by 伊藤 あづさ at 23:25 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)