今日の「しゃ〜れ」は、昨年一度行った「新聞バッグ」の製作。
昨年の目標は「手先の細かな作業をやり遂げる」ことでした。
そして1年たった今日は「手順書やジグを使って『一人で』完成する」です。
学生スタッフの皆さんも、子どもたちが来る前に、自分たちも「一人で」出来るか確認。
スタッフのこの「ひと手間」が、担当するこどもたちのスムーズな作業へ導くキモです。
基本の手順書に、もう一工夫必要と思われることなど、こどもたちの顔を重い浮かべながらチェックしていきます。
作業を始めた手元には、一人一人指示書とジグが。
表に出す面を始めに決めて、型紙のようなジグを使いながら指示書も確認。
完成!
イケテルでしょう?
手の使い方の器用さ不器用さ、ある程度の集中力を持って、難しい部分も投げ出さずにやり抜く力。
そして大事な「ヘルプ」を求める力。
プログラムの中でアセスメントできることは山のようにあります。
なぜ「しゃ〜れ」では、こうした支援を「当たり前」に考えているのでしょう。
その答えに導いてくださるやり取りが、ソーシャルネットワークの世界で、先日展開されたばかりです。
「視覚支援をしないのは虐待と同じ!」
こんな強いタイトルで、札幌の支援者でTEACCHの仲間として教えをいただいている大澤隆則さんがメッセージをされています。
(以下大澤さんから)
『 先日は、北九州市で行政、福祉、教育、親の会の関係者が集まった障害者地域生活研究会の会合があったので行って来ました。誰でも参加できる自由でオープンな会ですので、多くの方に混じって私も発言させてもらいました。行政サービスは、誰もが公平に必要最低限のサービスが受けられることが大切だと思います。でも発達障害の分野でそれができていない所があるということです。
たとえば「視覚支援」はその1つだと思いますが、支援者・組織の意向でそれをしないのはいかがなものかと。先日の京都でのPECSのフォローアップセミナーの席で門眞一郎先生が、発言をされました。「自閉症の人に視覚支援をしないのは虐待と同じだ。だからそういう事例があったらぜひ...児童相談所に行きましょう!」
先生の提案は少し過激に聞こえるかもしれませんが、多くの人が声をそろえて積極的に発信していくことは大切だと思います。無知な対応で行動問題を悪化させてしまう、不登校になる、鬱になる、家庭内暴力・・・本人や家族の苦痛を思うといてもたってもいられなくなります。
先日もある保護者の方の相談を涙ながらに受けましたが、簡単に引き下がってしまっているんです。無知なマスコミや無策な政策を変えるために声をあげて当然の権利を勝ち取っていかなければいけない。黙っていてはいけない。
でも個人の訴えでは力にならないことがあります。また特定の個人を攻撃をするだけでは利己的な訴えで終わるでしょう。多くの人の力を借りて多くの発達障害の人の利益になるようなシステム全体を変えるアクションを起こすことを提案します。』
私たちも学びながらの毎日です。
「当たり前」の支援がどの地域でも叶う日が来ると信じて、関わってくださるすべてのスタッフが(視覚)支援のスペシャリストを目指していきます。
Posted by 伊藤 あづさ at 20:11 |
今日の「しゃ〜れ」 |
この記事のURL |
コメント(0)