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虹の夢

生き難さを抱えている人たちの幸せな未来を願っている「お節介おばさん」の徒然日記です。

自閉症/発達障害のある方など生き難さを抱えスペシャル・ニーズを持つ方々の「未来を創りたい」…そんな大きな夢を叶えるために、「楽しく・嬉しく・明るい」情報発信をしていきます。

2020年度「放課後等デイサービス 評価アンケート」の結果を2021.2.19の記事に掲載しています。
併せてご覧ください。


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「かかりつけ」 [2014年01月03日(Fri)]
昨年末千葉の事件について見解を示して下さった五十嵐正人さんが、ご自身の目指すことについて書いていらっしゃる記事に出会いました。
少し長いのですが引用させていただきます。
Schaleのこの先をどう軸を立てるのか、たくさんのキーワドがあります。
私やSchale、組織本体であるぶれいん・ゆに〜くすを大切にしてくださっている皆さんは、この記事をどう読み、何を気づき、そして何か行動を起こしますか?
近々そんなそれぞれの気持ちを伝え合う集まりがしたくなりました。

以下五十嵐正人さんブログより
「ばおばぶ」と「小島屋」の基礎知識 前編
(『もうひとつの福祉』135号 2013年7月 より)

 この機会なので、「ばおばぶ」と「小島屋」のことなど、ちょっと書いておこうかと思います。僕らは平成元年から仕事として取り組んでいるのですが、当時の社会福祉はまだ措置時代で、障害福祉に関する制度の中に生活に関わるメニューは皆無に近い感じでした。そのころからずっとご利用くださっている方たちは、文字通り「ばおばぶ」と共に歩んでいて、その方たちがご利用してくださる一回一回の積み重ねで、「ばおばぶ」の形ができてきたと言っても過言ではありません。ですから、その方たちには「ばおばぶ」の独自のスタイルについての違和感は少ないと思います。現在日本中でほぼ100パーセントに近いシェアを誇る障害者自立支援法(障害者総合支援法)における生活支援と、圧倒的に小さなシェアの「ばおばぶ」を、しっかりと使い分けてくださっているようです。
 しかし時代は進み今では、ご利用くださるみなさんの中に、自立支援法の生活支援を先に使っていたという新しい方々も大勢いらっしゃいます。その大半の方は、「ばおばぶ」が自立支援法よりも前から活動していて、そのスタイルがずっとそのまま続いていて、つまり自立支援法という制度の仕組みや目的や使い方などと異なっていることを理解してくれているようです。そして、それらの理解の上で、制度としての生活支援と、制度外の「ばおばぶ」をちゃんと使い分けていてくださっています。
 でもその一方で、自立支援法を先に使いはじめた方の中には、それが生活に関わる福祉のすべてだと思い込んでいて、制度外の「ばおばぶ」も同様の感覚でご利用になり、どうもしっくり来ていない方もいらっしゃる様子です。だからといって、特になにか大きな問題があるわけではないのですが、やはり「ばおばぶ」のことをもう少しご理解いただいた方がより豊かな暮らしにつながる使い方ができるような気がします。
 このことについては、なによりも僕らが面倒くさがって、「ばおばぶ」って何なのかをみなさんにお伝えする作業をさぼっていることが原因です。
 思い起こせば、平成元年の事業化から数年の間は、毎年度終了の頃に「ばおばぶ一年の報告」みたいなものを作ってお送りしたりしていました。また、その頃は呼ばれて「ばおばぶ」について話をする講演だけではなく、「ばおばぶ」で主催して活動の報告をするような機会も作っていました。あまりの忙しさに、そうしたことがだんだんできなくなってしまったのですが、やはり、何らかの発信は常に必要です。
 と、いうことで「ばおばぶ」「小島屋」の基礎知識、簡単にですがまとめておきます。どうぞ、ご利用のさいの参考になさってください。

五十嵐正人&小島覚子
 10年前から夫婦です。二人で「ばおばぶ」をはじめて、今でも二人で家業のように「ばおばぶ」をやっています。五十嵐は大学でフランス文学、小島は江戸川学園豊四季専門学校で心理学を専攻していました。その頃から、それぞれボランティアで障害を持つ人たちと遊びに行ったり、今の「ばおばぶ」の活動に繋がっていくお泊まりなどをしていました。現在の利用者さんの中には、仕事としての「ばおばぶ」創業(平成元年)以前から、30年近いお付き合いの方もいらっしゃいます。そんなわけで小島は仕事上では旧姓の小島のままにしています。
 ちなみに、小島はみなさんと電話でご利用をうけたまわる会話をする事が多く、五十嵐はそこで決まった時間にご自宅にお迎えに行く事が多くあります。そのさいに玄関を開けてくださった親御さんが、家の中のお子さんに向かって「小島さんが迎えにきたわよ〜」と声をかけることがありますが、正解は「五十嵐さんが迎えにきたわよ〜」です。戸籍上も、いちおうそうなっておりますので……。
 ちなみにちなみに、車で送迎をすることがありますが、これは仕事ではなく、五十嵐と小島の「困ってんなら、おじさんが乗っけてってやるよ」というスタンスです。福祉における有償の送迎サービスが制度化されたことはよいのですが、関係者を中心として、良いことがなされた時にも必ず生じてくる間違いの部分について考えなさ過ぎのように思います。有償の送迎が進んでいく一方で、それによって失われつつある「おじさんが乗っけてってやるよ」を同時に並行して取り戻していくこと。僕ら二人のやっていることは、そんなことのような気がします。

ばおばぶ
 五十嵐と小島がそれぞれに行っていたボランティアとしての取り組みでしたが、小島がまず平成元年の5月に「小島お泊まりの家」として事業化しました。これを「ばおばぶ」の事業としての始まりとしています。その翌年に五十嵐も事業化し、最初は別々のものだったのですが、後に一つになり、その時に名称を「ばおばぶ」とあらためて、今にいたっています。
 やっていることは、お預かりしたり、付き添ったり、みたいなことです。車を使っての送迎は「ばおばぶ」の仕事としては行っていません。

制度外
 特に最近多いのですが、障害を持つ人たちのことは「行政が面倒をみる」と思い込んでいる人が大勢います。これは明らかな間違いです。「ベーシックインカムとして、まず行政が対応すべき」とか「セーフティネットとして、みんなでできない部分については行政が責任を持つべき」というのなら、まだよいのですが……。たぶん間違いのないことだと思うのですが、障害を持っている人が困っていたなら、この世で暮らしているすべての人はその思いを大切にしながら、誰もが関わっていいはずなのです。そのことを多くの人に意識してほしくて、僕らは「ばおばぶ」を紹介する時に「制度外」という言葉を使います。あくまでもこれは国の自立支援法などには規制されないという意味です。講演などでご紹介いただく時に「法外施設ばおばぶの五十嵐さんです」などと言われることがありますが、僕らは「施設」でもなければ「法外」でもありません。ブラックジャックみたいに警察に追われているようなイメージを持つ方もいらっしゃいますが、そんなことはないのです。自立支援法外ではあっても、日本国憲法にはしたがっているので「法外」ではないのです。時と場合によっては「制度内」福祉サービスよりも、ずっと日本国憲法を遵守した活動をしていることもあります。

かかりつけ
 たとえば癌などの大病になった時には大学病院みたいな総合病院に行けばいい。でもちょっと風邪をひいたり、お腹を壊したような時には、混んでいて待たされる総合病院よりも、かかりつけの小さな町医者に行った方がいい。その町医者は僕のことを子どもの頃からずっと知っていて、ちょっとした病気ならササッと対応してくれる……。こんな、かかりつけみたいな福祉をめざして「ばおばぶ」ははじまりました。
 ですから、抱えている問題によって適した福祉のスタイルを使い分けてもらえることが理想なのですが、これはなかなか実現されません。本当なら総合病院のような福祉の場が適していたり、救急病院のような福祉の制度が適しているような場合でも、定員が一杯等の理由で、町医者っぽい「ばおばぶ」をご利用になる方が絶えません。このことの責任は利用者さんにあるのではなく、ほぼ100パーセント、制度を作る側にあることです。そんなこんなで、待合室がガラガラの町医者みたいには、なかなかなれません。
 もっとも、「ばおばぶ」向きではない事情を抱えた方であったとしてもご利用くださり、〇〇くんや△△さんと一緒に過ごせる時間を持てることは嬉しいことです。
 「ばおばぶ」の仕事は今のところ、かかりつけに成りきってはいませんが、四半世紀もやっていると、むかし就学前の頃にはじめてご利用くださった方が、大人になっても来てくれていたりします。この点では、少しばかりかかりつけっぽくできているかな、と思います。

民宿タイプ
 たとえば宿泊業を営もうと思った時、大きく二つの選択肢があるように思います。ホテルタイプと、民宿(ペンション、山小屋)タイプです。ホテルは多くの人に一定以上のサービスを提供します。一方、民宿タイプはそんなに多くの人を泊めることはできませんし、季節やその時々の宿泊人数などでサービスの内容にばらつきが出ます。旬の食材が豊富で景色がいい時季ならラッキーですが、そうでなければ残念な時もあることでしょう。サービスは一定量ではなく、その時々の、できるだけが限界になります。
 こう考えるとホテルタイプの方が良い感じがしますが、民宿タイプにもよさがあります。たとえば、ホテルのような巨大な施設は、山の奥など観光地の中心に近づくことに困難があります。どうしても、その周辺に作られることになります。しかし民宿タイプは海の真ん前でも山の頂上付近でも、その小ささを生かして自在です。このことを、障害を持つ人への生活に関わる福祉に当てはめてみてください。自立支援法の生活支援はホテルタイプ。「ばおばぶ」は民宿タイプ。そして目指す山奥を、福祉が必要とされている街の中の現場。僕らは、その真っ只中にいたいと思っています。そこに暮らす者たちとして。
 ホテルでの働き方はサラリーマンであり、基本として決められた勤務時間だけそこで働くことになります。勤務時間が終われば、それぞれが自分の家に帰っていきます。
 民宿の主は、多くの場合、そこが自分の家です。その気になれば一日中でも、自分の思うまま、自分が誇りを持つ大切な仕事に没頭することができます。
 どちらが良い悪いではなく、大きく分けると、この二つの働き方があるということです。このどちらもが必要であり、ニーズに応じて使い分けられるべきなのです。そして「ばおばぶ」は民宿タイプだということです。

「ばおばぶ」と「小島屋」の基礎知識 後編
(『もうひとつの福祉』135号 2013年7月 より)


家と家庭
 僕らがまだ学生で、ボランティアとして預かりなどをしていた頃、「〇〇の家」という名前をつける施設や作業所がたくさんありました。「家」であることを願っていたり、それをめざしていたり、という気持ちはわからないではありません。しかしそうした所の職員が「うちは家みたいなものです。〇〇の家ですから」みたいに言うのには、違和感を感じました。名前に「家」をつけたからといって、そこが「家」になるわけではありません。なんか、ちょっと嘘っぽいぞ、と……。
 そんなわけで、僕らはずっと家にこだわってきました。本当に「家」がいいのなら嘘をつかないで「家」にしようと……。マンションの一室だったり一戸建てだったり、形態は様々ですが僕ら自身が居住者として暮らす「家」での預かりをしてきました。
 そして、特に小さなお子さんをお預けになる親御さんからは「家庭的な場所にあずけたい」という声をよく聞きました。「家庭的」ではなく、僕らが結婚してからは間違いなく五十嵐夫婦の「家庭」でのお預かりができています。

民間個人
 ここまで書いてきた「かかりつけ」でいることや「民宿タイプ」であることや「家庭」であることにも繋がることです。僕らは法人格を持たないことにこだわっています。制度としての福祉事業とは異なる選択肢であるために。
 「ばおばぶ」に来た人の前にどのように立つのか、ということです。組織のメンバーの一人として立つのか。それとも一人の人間として立つのか。後者でありたいと思うのです。そしてこのことは、僕らがその人の前に立った瞬間に、大きな差を生じるのです。目の前の人を「障害者の一人」にするのか、「〇〇くん、△△さん」にするのか。組織の場合にはその組織の約束事やルールの中で、利用してくる人を障害者として想定しています。たとえ現場において一人ひとりの職員は、〇〇くんとみているつもりだったとしても……。
 「ばおばぶ」には、「障害者」という一まとまりの言葉を使った定款のようなものはありません。毎日毎日、そのつどきてくれた人と過ごすのです。僕らがその人の前にどう立つかによって、その人は障害者にも〇〇くんにも変わっていくのです。障害を持つ人の人間性を取り戻し、高めていく、おそらく最良の方法の一つは、その前に立つ僕ら自身が人間性を回復することなのだろうと思います。

支援者ではなく
 僕らが支援者としてその人の前に立つと、その人は支援される人になってしまいます。
 僕らが支援者とか、施設職員とか、相談支援員とか、そうした名前のない一人の人間としてその人の前に立つと、その人は一人の人間であることを失わずにいられます。

自由な福祉
 そんなこんなを、社会福祉と区別して言うなら、「ばおばぶ」は「自由な福祉」でありたいと思っています。
 このことは、もちろん「社会福祉」を否定することではありません。両方必要なのです。ただ、圧倒的に「自由な福祉」が少ないことが心配です。「社会福祉」を減らすのではなく、それ以上に沢山の「自由な福祉」が街中に溢れること。たとえば「社会福祉」は障害を持つ人の暮らしを「権利」から考えたがります。「自由な福祉」は「自由」から考えることができます。社会福祉の制度が進めば進むほど失われていく「自由」。とっても心配です。

「隙間を埋める」のではない
 よく「ばおばぶ」は制度福祉の隙間を埋める存在、と思っている人がいますが、これは本当は間違いです。現状として、「ばおばぶ」は圧倒的に少数側なので、現実としてはそうなっています。自立支援法のサービスが使えないから「ばおばぶ」みたいな……。ですから、措置制度の時代から、公的サービスで断られた人たちが「ばおばぶ」を頼ってくることが何度となくありました。嫌な例ですが、総合病院がみれないからと町医者に癌患者を送り込むようなものです。
 本来、街のかかりつけでは対応できない場合に、より専門性があり、なおかつより税金が投与されている自立支援法の事業所や公的施設が対応するべきなのです。一番正しい流れは、ご本人が対応できないことを、その一番近くにいる家族が対応し、それが難しければ周りの知人や隣近所。それでも無理なら地域のボランティアや、それでもダメなら「ばおばぶ」みたいな民間個人のかかりつけ。そこが対応できなかったら自立支援法の事業所が対応し、それでもだめなら地方自治体、さらには国の政府が絶対に対応する。それがまっとうな流れだと言えます。
 しかし現実には坂道を転がるように、本人の困難が国から家族に向かって「わが市ではみれません」「わが事業所ではみれません」と、落ちてくる。加速度をあげながら。そして家族が最後の砦になって支えなければならない……。この異常な状態は、何とかして変えていきたいと思います。だから、僕らは社会福祉の後に控える「制度の隙間を埋める」存在でなくなりたいと思っています。
 「ばおばぶ」をご利用の方の中には、僕らを自立支援法の事業所よりも先の選択肢として使ってくれている方もいらっしゃいます。ありがたいことです。

できるだけ
 そんな「ばおばぶ」ですが、質量ともにできることは限られています。得意な分野もあれば不得意な分野もあります。たとえば苦手なのは、定期的なご利用です。「ばおばぶ」はその誕生の頃からずっと、緊急時への対応をみなさんから望まれてきました。また現在においても、この点は自立支援法の事業所よりも期待されていたりします。この特性をいかすために、毎週〇曜日、みたいな予約は無しにしています。ご利用の方がそれを望んでいたとしても、一回一回、ご利用を決めていく事にしています。いつ飛び込んでくるかわからないご利用への対応を大切にしたいからです。
 そしてご利用の方が大勢いたり、何らかの事情で自立支援法の事業所や公的施設がお断りした方を受けて五十嵐がその人にかかりっきりになったり、そんな時にはご利用くださっているみなさんに本当に貧弱な対応しかできなかったりします。
 「ばおばぶ」はいつでも、できるかぎりしかできません。申し訳ありません。
 でもこのことは悲観するばかりでもないのです。我が家で一緒に暮らしている森山裕子さんなどは、およそ20年前に事情があって一緒に暮らしはじめました。その時もできるだけでした。そして毎日毎日のできるだけの積み重ねで、ずっと一緒に暮らしています。この「できるだけ」は現在も進行中です。

小島屋
 千葉県の単独事業の「生活ホーム」です。
 森山裕子さんと一緒に暮らしはじめたのが平成4年。その後平成12年に生活ホームになりました。
 平成18年には村上弓子さんが加わって、我が家は四人になりました。

もうひとつ
 福祉は、あれかこれかの二者択一であってはならないと思います。近年最大の愚行は、措置から契約への移行です。それをわけのわからない人たちが会議室で決めたという愚かさ……。
 現代日本という民主主義国家において、本当の意味での利用者の意思決定が、まったく入る余地がなかったのです。措置と契約を並行させて、その利用によって一つひとつの事業メニューを措置と契約に振り分けていけばよかったのです。契約への移行は選択の権利を口先でうたいながら、選択によってメニューが決まっていくというルールを無視して出発したのです。
 僕らは、自立支援法の事業を否定しません。それと並行して「ばおばぶ」みたいなのがあれば、いいと思っています。それがたとえば「もうひとつ」の一つの形です。
 あるいは社会福祉も否定しません。並行して自由な福祉があればいい。
 そして「ばおばぶ」を利用しているすべての人に、「ばおばぶ」以外の「もうひとつ」としての自立支援法の事業所があればいいな、と思っています。すでにそんな暮らしを見つけている人には、さらに「もうひとつ」、その人を大切にしてくれる誰かがいてくれたらいいな、と思います。そしてもっと、もっと「もうひとつ」を……。
 「もうひとつ」は名詞みたいに固まっているものではありません。動詞のように、常に新しい「もうひとつ」を、求め続ける行為なのです。

感動
 卒業式のような行事もなければ、充実感を伴うようなイベントも、「ばおばぶ」にはありません。毎日毎日、淡々と過ぎていきます。その中で、とっても困難な事態を迎えることもあれば、とっても素敵な場面が表れることもあります。日々の喜びや悩みが繰り返されて一日一日が過ぎていきます。ですから、制度外で四半世紀とか、自宅で障害者をお預かりして……、みたいな言葉から連想されるような、愛と感動の物語的なものはありません。
 ご利用くださるみなさん、感動は期待しないでくださいね。
 ちょっとしたムフフなこととか、いい感じのことだとか、そんな日常はたくさんあります。
 それがけっこう、僕らにとっては幸せだったりしています。

参考になるもの
ブログ「裕子ねーんね・弓ちゃんオハヨー」 http://yuuko-nenne.seesaa.net/
 我が家の暮らしをなんとなく書いているブログです。
小説「三人暮らし」
 「ばおばぶ」のはじまった頃から、森山裕子さんとの暮らしあたりまでを書いてあります。
Posted by 伊藤 あづさ at 20:25 | 今日の知恵 | この記事のURL | コメント(0)
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