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虹の夢

生き難さを抱えている人たちの幸せな未来を願っている「お節介おばさん」の徒然日記です。

自閉症/発達障害のある方など生き難さを抱えスペシャル・ニーズを持つ方々の「未来を創りたい」…そんな大きな夢を叶えるために、「楽しく・嬉しく・明るい」情報発信をしていきます。

2020年度「放課後等デイサービス 評価アンケート」の結果を2021.2.19の記事に掲載しています。
併せてご覧ください。


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新車買いました! [2016年10月03日(Mon)]
昨日、中高生プログラムを経て就労移行を利用し就職した卒業生から電話がありました。

「新車買いました。」

私は直接話が出来なかったのですが、彼のはにかんだ笑顔が浮かんできました。人生初の大きな買い物の喜びを分かち合う一人として私たちが選ばれたことをとても幸せに思います。

就労移行の利用時から、将来一人暮らしをしたいとコツコツ貯金をしていました。卒業生が集まる虹の環クラブでは、仕事で養われた腕の力こぶを誇らしげに披露してくれました。嬉しいニュースに、それを見せられた時の喜びも蘇ってきました。

仕事を続けていくのは大変なことです。
不安の強い性質も持っているし、同僚や先輩とのコミュニケーションの困難も抱えています。それを日々やり過ごしながら、心も体も力をためて、そしてお金も貯めて、マイカーゲット!

本当におめでとう。

父親に自慢の息子だと思われたいと、涙を流していたことがありました。
今はどうなのかな。

生き難さの多い人生を引き受けて、くさらずコツコツと日々を過ごしている君をご家族も応援しています。偉いなと思っていると思います。その気持ちがもっともっと伝わるといいのにと思います。

納車の日が待ち遠しいですね。
定評のある安全運転で楽しんでください。

おめでとう。 スニフ
Posted by 伊藤 あづさ at 10:55 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
まずは10回 [2015年11月17日(Tue)]
先日、床掃除をしていた就労移行のメンバーAさん。
自在箒の扱いも上手になり、掃いた床が以前より輝いて見えます。細かいほこりの掃きこぼしが少なくなってきた証拠です。
そのことをご本人に伝えると
「隅が大事なんですよね。」
と返事が返ってきました。
前にお伝えしていたことが、頭の中に入っていたのですね。スタッフ感動のひと時です。

トレーニングを始めたころのAさんは、返事も「うん。」「わかんない。」
重心の取り方、体の使い方などもまずは続けて10回やってみることをモットーにしてお伝えしてきました。

言葉だけではなく書いて貼るなどの工夫も行いました。

得て不得手はあるにしても、一般的な言い方をすれば、3回も教えればもう覚えるでしょうというようなことを10回教えても怪しいということがたくさんあります。
でもそれは、ご本人が一般的なラインの3倍も4倍も努力をしているということでもあります。この年齢ならこれくらいのことは身についているハズという土台を身に付けるところからのスタートです。

Aさんの強みは「はい。」と返事ができるところ。
働く目的は社会の役に立ちたいから。

支えるご家族も本当に努力しておられると思います。

土台ができてきて、脳内のネットワークが働きだすと10回が9回や8回に減っていきます。最近では自分から、作業精度を上げるために道具の扱いの質問をしてくれることもあります。

もちろん課題もたくさんあります。
スモールステップで、できることを増やしていきます。

「10回やればできるようになるよ。」
これは、私が自分自身にかける言葉です。
10回というのは目安であり、くり返しという象徴でもあります。
10回で伝わるやり方を工夫しなくてはという目標でもあります。

何度やってもできなかったではなく、自分にはできることがあるという気持ちで大人になる事ができる人たちが増えていって欲しいと思います。   スニフ

Posted by 伊藤 あづさ at 18:01 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
「自立」とは何か? [2015年05月11日(Mon)]
函館おしまコロニーの高橋和俊先生が、ご自身のブログを通してメッセージをくださいました。
その後何人かの方々とのやり取りが、私たち親にも深く考える刺激を下さっていますのでご紹介します。
先生のブログのタイトルは「診察室の窓から」
5月9日の記事です。
28. 『重要な原則ほど普遍性が高い』

私は、難しい問題に突き当たったときには必ず一度「原則」に立ち返ってみることにしています。その場合、その原則がどれだけ幅広い状況に当てはまるか、という「原則の普遍性」を必ず考慮しています。

例をあげましょう。自閉症の人に対して「失敗させてはいけない」ということがよくいわれます。これは完全な間違いではありませんが、原則としての普遍性は低いといえます。なぜなら、当然のことですが自閉症の人でも失敗から学ぶことができる場合もあるからです。ただ、一般論としては自閉症特性を持つ人は失敗体験を通じて学ぶことが苦手なことは多いですし、失敗体験が否定的な辛い記憶としてだけ残ってしまうことも少なくありません。この場合のより普遍性の高い原則は、「自閉症の人にはなるべく失敗させない」というものでも、「自閉症の人にも失敗体験は必要だ」というものでもなく、「ある状況から学べるかどうかは人それぞれに異なるし、同じ人でもそのときの状態によって変化しうる」というものです。言い方を変えれば「ある人に何かを学んでもらいたい場合には、その人がその方法によって学べる状態になっているかどうかを知る必要がある」ともいえるでしょう。そう考えれば、自閉症の人には失敗させるべきかさせないべきか、という結論の出るはずのない議論ではなく、ある状況において失敗を経験した場合、その人がそこから学ぶことができるかどうかを知ることがまず必要であるということになります(どうやってそれを知ることができるか、という問題はそれ自体が非常に重要な問いですが、今回はそこには触れません)。

私が原則の普遍性について考えるようになったのは、「自立とは何か」という問いに直面したことがきっかけになっています。「自立」を狭く解釈すれば、できるだけ身の回りのことを自分でできる、あるいはできるだけ一般就労する、ということになるかもしれません。もしそうだとすると、決して「自立」できないような重い障がいを持つ方についてどう考えたらよいのか?ということが私の疑問の出発点でした。また、「もっと自立しなければだめだ」と周囲にプレッシャーをかけられ、必死で自立しようとしながらうまくいかずに苦しんでいる人たちに出会ったことも、私に「自立とはいったい何なんだろう?」と思わせたきっかけになりました。狭い意味での「自立」がよいことであるとすれば、様々な側面で支援を必要とすること自体がよくないことになってしまいます。また、仮に苦しい思いをして自立レベルを多少高められたとして、もしそれがその人にとって納得できない辛い体験としてしか残らなければ、その人の人生にとって「自立」は本当にプラスなのかどうか、疑問を持たざるを得ません。私はそこに漠然と違和感を持ち、これは「自立」の定義が間違っているか、「自立=よいこと」という理解の仕方が間違っているかのどちらかだろう、と思いました。

私の疑問は、ある日、あっけなく氷解しました。こんなことを考えていたのは私が初めてではなく、既に幾多の議論がなされてきたのを知ったからです。1950年代には北欧で、そして1960年代には北米で、身辺自立や職業的自立のみを自立と捉える従来までの自立観へのアンチテーゼが巻き起こり、「自己選択・自己決定こそが自立の根本である」という新たな運動が起こりました。その歴史に触れたとき、それまでの私の違和感に一つの明確な回答が示されたと感じたのです。自己選択・自己決定が自立の根本であるとすれば、すべてを自分で行わなくても、自分に必要な援助を自ら求めること自体が自立につながることになります。仮に重い知的障がいがあったとしても、その人がある環境の中で自発的に取る行動が状況にふさわしいものであって、そのことによる困難が少なければ、それを一種の「自己選択・自己決定に基づく自立」であると考えることもできるでしょう。本人が身辺自立や職業的自立を求めて積極的に行動することはそれ自体が重要な自立の要素であり、反対にわけもわからずに「自立」を強要されている状況は本当の自立ではない、ということになります。もちろん、必要な援助を求めることができるためにも、自発的な行動が状況に合っているものになるためにも、やはり一定の援助が必要です。しかし、そのような自己選択・自己決定に必要な援助こそ、社会における一種のインフラでなければならないと私は考えています(この点については以前の投稿「感謝される支援は二流の支援」または「沢山のことは都合よく日常に隠されていて…」をご参照ください)。

無論、身辺自立を高めたり、職業的自立を目指したりすることにも一定の意味があり、私自身その重要性を否定するものではありません。ただ、自己選択・自己決定は自立にとって最も普遍性の高い原則であって、それを欠いた状態を自立と呼ぶことができないということだけは間違いないでしょう。だからこそ、私は自立について考えるときには単なる身辺自立や職業的自立ではなく、自己選択・自己決定という側面を真っ先に考慮することを忘れないようにしたいと思っています。

重要な原則ほど普遍性が高い。私にとっては、これ自体が重要な原則です。
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皆さんはどんな受け取りをしましたか?
この記事を通しての何人かの先生方のやり取りが凄いんです。
私にとっての「自立」のものさしは
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私は【「必要な支援」を受けて「その人らしく」生きていけることを「自立」のイメージにしています。】と、メッセージ。
それに対して和俊先生からは
【いつもありがとうございます。必要な支援を受けることももちろんそうですが、支援を受けること自体をその人が納得して選んでいるのか、ということも大切ですよね。】
と。
さらに私は
【その通りですね。
ご本人の「意思決定支援」も、自立を叶える大切な要素ですね。
有難うございます。】とお返ししました。

兵庫県立リハビリテーション病院の中井先生からは
【自立とは自分が何が得意で、何が苦手か、できないかを理解していること、そして、不得手なこと・できないことを、誰に・どこに頼めばいいか知っていること、可愛らしく頼めるスキル、やってもらったらありがとうと言えること・・・自分も講義や講演などでお話しています。
もちろんこれらができるためには、社会の成熟度やインフラ、システムの構築とセットですよね。】
それに対して和俊先生からは
【中井先生、コメントありがとうございます。まさにそうだと思います。ただ、自分ではそれを言語という形で認識したり表現できない人たちの自立を考えるときに、その人たちが選べる選択肢自体を社会が準備しているのか、という問題に突き当たるような気がしています。自立は、自立する人の問題であると同時に、自立が成立する場の問題でもあるのかもしれません。】

また、北海道教育大函館校の本田先生からは
【 援助要請の研究でも「自立と依存」の議論が出てきます。中学・高校の学級集団に援助要請スキルの介入をするとき,「援助を求める(相談する)こと」とは「自分で解決できないから(弱い・劣っているから)人に頼る」というよりも,「主体的に援助を活用して自分らしく生きる」という考え方・とらえ方を紹介します(押しつけはしませんが)。その上で援助要請スキルを「自分が傷つかない援助の求め方」と紹介し練習します。記事を読んで,私が援助要請スキルの介入をするときにも,自己決定の尊重が含まれているとはっきりと認識しました。】
和俊先生は
【本田先生、私が初めて先生の「援助をためらう心理」についてのお話を伺ったとき、私が直面している問題に直結していることを感じました。援助を求め続けなければならない状況は、人を傷つけ、無力化します。支援者によっては、そのことをクライアントを支配するための道具として(無意識のうちに、あるいは意図的に、場合によっては善意という衣を着て)使ってしまうことがあります。先生のされている研究は、その問題に切り込んだ、非常に重要なものであると思っています。】

さらに山形県立盲学校の佐藤先生が
【すべての人間が誰の助けも借りずに生きるなど不可能であり、それを前提とするならば、できないことをできるようにすることが自立ではないですよね。確かにそれも必要なことはありますが。
自立ってこのようにまとめた本もあります。
著者は視覚障害者なのでその切り口が多いのですが、時々参考にしています。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784865000047と情報を下さり
和俊先生からは
【いつもありがとうございます。読んでみたいと思います。自立の姿自体は一人ひとり違ったものになるのでしょうが、その背景には誰にでも共通する根幹があるはずですよね。たくさんの「自立」に触れて、その根幹を抽出する作業を続けていきたいと思っています。】
とまとめられました。

保護者の皆様に
「20歳・25歳になった時に、どんなお子さんになっていて欲しいですか?」
と伺うと、皆さんが
「出来れば自立して毎日行ける仕事に就いていて欲しい。」
と仰っています。
「では、その『自立』って、どんなイメージですか?」とさらにお尋ねをすると、実はそこに明確な答えを持っていらっしゃる方はあまり多くはありません。
・仕事に就く
・お金を得る
もちろん大切なことです。
でも、もう一歩踏み込んで具体的にどんな姿で日々を暮しているかを。
何が叶い、何が叶っていなくて。
何を諦めないで、何を諦めているのか…
どれだけ溌剌と毎日を楽しんで生きているのか。
そのための「楽しみ」は何で、その楽しみを持てているのか。
たくさん・たくさんイメージしてみませんか?
そして、一つ一つ明らかにして「自立」を共に目指しませんか?

何度もお伝えしている言葉です。
「自閉症の方は成人期に幸せでなければならない。
そしてまたそのご家族も幸せでなければならない。」
GAOLに向かって、共に歩んでいけたら幸せです。



Posted by 伊藤 あづさ at 10:54 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
ただいま〜 [2015年05月06日(Wed)]
長いGWをいただきました。

前半は息子と沖縄へ。
(特活)ぺあ・さぽーとの山城さんたちとのご縁をいただいたことで、本当に楽しかったです。
息子は「海」を充分に堪能しました。
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ゆっくりと流れる時間の中、
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息子との付き合い方にもまた新たな発見と課題に気づいたり。
佳い時間をいただきました。
人と人とが繋いで下さったご縁が、今回の旅を豊かなものにして下さいました。
本当に有難く「感謝」しかありません。
私から「次に繋ぐ」ことも意識しています。

そして昨日・今日は名古屋の「草の根ささえあいプロジェクト(草P)」のワークショップへ。
テーマを知った時から、私はこの一年の息子の生活をお伝えしながら、知的障害のある自閉症の青年であっても、私たち健常者が「当たり前」に叶っていることを、彼らにも「当たり前」に叶うことの意味を問いかけてみたいと思い、話題提供をさせていただきました。
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そして、このワークショップを紹介してくれたカイパパさんが、以下のようにまとめてくれました。
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今日明日と、草の根ささえあいプロジェクト主催のOSTワークショップに参加しています。テーマは、「よりどころ〜ホームを探す・創る」。

今日は2つのラウンドがあり、わたしがひとつめに参加したのは「障がいのある人が選べる『ホーム』」について。
ふつうのマンションに、ルームシェアしてくれる人と一緒に暮らす自閉症の青年の暮らし。本人が望み、実現できているが、お金が膨大にかかる。本人の障害者年金や工賃ではとても払えない。親が持ち出しで何とかしている──。

お話を聴いていて、「障害者がそんな暮らしをすることは贅沢だ!」という声が、ずっとこだましていました。行政も、地域も、もしかしたら支援者も、そう叫んでいるんじゃないかな……。いやいや、親の立場にいる人も、ともすればわたし自身も……。
これは一体何なんだろう?

障がいのある人の「身の程を知った暮らし・ホーム」の「相場観」みたいなものが世にはあって、そこにじぶんの感覚も合わせてしまっている。
だけど、障がいがあっても、子どもの間、親と一緒に暮らしていた暮らしと「同レベル」を望むことが高望みすぎるのだろうか? 実現できない絵空事なのだろうか? そういう決め付けのほうがおかしい。
おかしいことはおかしいと言い続けて、変えていかなきゃいけない。そう、勇気ある先輩お母さんの目を見て、思いました。
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「贅沢」とか「身の程」と向き合っていくことは、これからも大きな課題かもしれません。
私にとっての「当たり前」の暮らしが、息子にも「当たり前」に叶い、そして、息子だけではなく、そんな暮らしを願うすべての人たちが叶う世の中を目指し続けて行くんでしょうね。
「贅沢」や「身の丈」という概念も整理しながら、これからも「想い」と「現実」を発信し続けていこうと思います。
その先にきっと「未来は創られる」と信じていきたいというアタシは「青い」ですかね?
単に諦めが悪いんですけど…

近頃ブログが滞りがち。
実はFace BOOKの方が発信が楽になっています。
この7泊8日のことも、そう大したことではないけれど、もう少し詳しく知ってみたいと思われたらアクセスしてみていただければと思います。
https://www.facebook.com/adusa.ito
Posted by 伊藤 あづさ at 23:25 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
ブルーに染まる日 [2015年04月02日(Thu)]
「世界自閉症啓発Day」
仙台放送スカイキャンドルもブルーの灯りを灯しています。
http://www.ox-tv.co.jp/company/sendai-sky-candle.html

日本の各地でも
東京タワー
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下関
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岐阜
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名古屋
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そして長野のお母さんはご自宅で
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今日から一週間は「啓発週間」。
皆さんの「サムスィング・ブルー」は何でしょう?
何か一つでも見に付けていただけたら幸いです。
Posted by 伊藤 あづさ at 23:19 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
新年度が始まりました [2015年04月01日(Wed)]
4月1日
新年度のスターの日。
私たちの法人も3人のスタッフを迎え入れスタートしました。
就労8名(兼務者含む)
放課後等5名(兼務者含む)
相談支援1名
全13名が「丁寧に・親切に・大切に・誠実に」日々を過ごしていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

そして今日は私の誕生日でもあります。

やられました!

今朝はいつもより皆に早く出勤していただき辞令の交付や、それぞれの決意表明。

で、それぞれの仕事に戻っていただこうと思ったら…
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アルバムの頁にはスタッフ一人一人からのメッセージと写真。

涙腺崩壊。

とっても幸せです。

BOSSとしては課題だらけだけど、こんなに「大切」にして貰って感謝しかありません。

お一人お一人のお気持ちに恥じない60歳になりますね。

有難うございます。
Posted by 伊藤 あづさ at 14:47 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
4年目の日に… [2015年03月11日(Wed)]
雪の舞う寒い朝でした。
「あの日」から4年の月日が…

"あ〜、四年間頑張れたんだ…"
自然と涙がこみあげてきます。

2011年3月1日に開業したCafe。
その10日後の震災で、本来の事業である「就労移行」の利用者の方も集まらなくて…
夏になっても業績は上がらず「廃止/休止」に傾きかけた時、一緒に事業所で働く皆が支え合って。
法人を分け本体の転覆を回避し、それからも必死で守り通してきました。

4年前の昨日のメニュー。
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そして4年前の今日。
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ご提供の仕方も徐々に変わっています。
だけど変わらないのは
「こころとからだにやさしい」お食事をお届けすること。
そして価格。

あの頃は、日本財団さんの「真心絶品」を応援する意味もあってハムや餃子や調味料は、全国の施設商品の中からセレクトされたものを使わせていただいていたので、どうしてもコストがかかっていました。
街に食べるものが無くなった時、全国から応援に来てくださったNGOやNPOの皆さんに、とにかく「あたたかいものを」と、大皿盛りで好きに取り分けていただきながらも営業を続けました。
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「これで一日闘える」と言ってくださった言葉が、Schaleの「役割」を再認識させてくれた瞬間でした。

徐々に地元の八百屋さんやお肉屋さんに協力していただけるようになって、むしろ副菜の品数もボリュームも増えているのかもしれません。
もちろん、まだまだ儲かってはいませんよ。
だけど、もう少し「野菜たっぷりお昼ご飯」は700円(飲み物付)。
「世界で一つだけのカレー(全8種類)」は800円(飲み物付)。
は維持したいと思っています。
支えていただいているのは、お客様の
「ご馳走様。美味しかった〜」の声。
少しずつリピートしてくださる方々も増え、ショコラマダムはお顔とお名前をしっかり憶えてサービスに励んでいます。
そして、少しずつ広がっているお弁当やお菓子への応援。
県議会や東北大の大学院で学ぶ社会人の皆様からは、定期的にお弁当のご予約をいただき喜んでいただいています。

5年目にはちゃんと「黒字」にして雇用も創り出したいな。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by 伊藤 あづさ at 14:23 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
贈る言葉 [2015年02月24日(Tue)]
高三生で、まだ勉強したいこどもたち(進学組)とお茶会をしました。
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専門学校や大学の生活は「そう、甘いもんやおまへんにゃ。」ということを伝えておくことも大事。
もちろん、この先の夢を壊さないように。
そしてお金の管理や履修届けのこと、運転免許の取得のこと、買い物の仕方…まだまだ伝えたいこと、確認しておきたいことが次々と。

この「お茶会」のためにスニフさんが用意してくださったメッセージ。

高校卒業おめでとう!
3年間、良い出会いがあって、部活、生徒会、学習、しゃ〜れ、家庭、ボランティア、職場体験、アルバイトなど、それぞれの場所でみなさんが力をつけ、挑戦し、活躍できたことを私たちはとても嬉しく思っています。
高校に入学したころに比べると、自信がついたことも沢山あるでしょう。
進学し、新しい生活を始めるみなさんに伝えたいことがあります。
少しおつきあいください。

・報連相(報告・連絡・相談)を大切に
高校を卒業し、進学すると生活範囲が格段に広がります。
アルバイト先などで知り合う人もこれまで以上に色々な価値観の人に出会います。良い出会いもありますし、そうでないこともあります。良いことも、そうでないことも、面倒くさいと思わずに、家の人にその日にあったことを小まめに連絡しましょう。何気ない会話が、締切り忘れや忘れ物の防止になることもあります。

・3の節目をやり過ごす
3日目、3週間目、3か月目など、3の節目で気持ちがざわついたり、疲れたりすることが起きるといわれています。
「こんな日もあるさ」と、やり過ごす力をつけることが大切です。
人生、辛いと思う日も、気が重いことも起きるでしょうが、その状態がそのまま2週間続くことはありません。大丈夫!

・スタートダッシュは飛ばしすぎない
新生活は、今までできていたことの6割できればいいという気持ちで計画を立てましょう。優先事項を意識して、それ以外のゆったりと過ごせる時間を意識して作ってください。
そのためにも、翌日の準備は前日夜に済ませる事を今日から習慣づけてください。

・買い物はお金を貯めてから
今もっている現金で買えないものは、今のあなたには身の丈に合わない品物です。
学生でもインターネット上でクレジットカードを作り買い物をすることができます。キャッシングといって、クレジットカードから現金を借りることもできます。
親に内緒でクレジットカードを作ったり、分割で買い物をしたりすること等は絶対にしないでください。

聞いたことがあるかもしれませんが、クレジットカードを作る際の名義貸しなどにも巻き込まれないように注意してください。
在学中に20歳を迎えます。学生ですが、成人となります。自覚をもって生活してください。
誘惑に負けず、計画的に貯めたお金で夢をかなえる大人になってください。
忘れないでください


お母さんは、あなたのことが大好きです。
お母さんとお話をしたことがあるから分かるのです。
お父さんもあなたを応援しています。
あなたは、家族に愛されている幸せな人なのです。忘れないでください。

自信をもって自分を大切にしてください。

卒業式の日には、ご家族に「ありがとう。これからも応援をお願いします。」とあなたの言葉で伝えてください。

みなさんと過ごした時間は、私たちの宝です。
気持ちを伝える相手に私たちが選ばれた時。
新しいことに挑戦することを応援できた時。
できた瞬間に立ち会えた時。
日常の積み重ねの上に贈られたあの時を私たちはこれからも大切にして、皆さんを応援していきます。

ご家族にも相談しながら、新しい学校で相談できる人を見つけてください。
もちろん、「しゃ〜れ」にも遠慮なく連絡してください。


平成27年2月24日
ぶれいん・ゆに〜くす スタッフ一同


チョットお節介かもしれないけれど、この先も振り返ると私たちがいることを頼りにしてくれると嬉しいなと思っています。

Posted by 伊藤 あづさ at 16:07 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
社会変革に挑む姿 [2015年02月18日(Wed)]
名前だけは存じ上げていても、その「ひととなり」に触れることの少ない方々もおおいものです。
いざお目にかかってみると"チョット違うな…"と自分の感覚を直してみたり、"あ〜、想った通りの方だった…"と、惹かれる理由がより深く感じられたり。

湯浅誠さんと出会ったのは直接には震災直後。
もう少し身近なところでは二年前から名古屋の「草の根ささえあいプロジェクト」のワークショップで。
今月初めに大津でもご一緒でした。
でも湯浅さんの記憶に残る存在ではないと思います。
「片想い」の相手のような存在です。

そんな湯浅さんの「TED」でのスピーチ。
http://olive.bz/art/mix/2a5c05101d907a2c3edf64e3b82823dc?genck=1
久しぶりに魂が揺さぶられました。

誰もやらないから

私たちの社会は私たちの手で変えられる。そう信じています。

“あ〜おんなじだ…”
そう感じたことはとても嬉しかった。
震災後厚労関係のMTGで初めてお目にかかった時にはチョット近付き難かった。
その後名古屋の草Pで二度程同じ課題と向き合う時間を共有させていただき、人としての温かさ、深さに惹かれていきました。
湯浅さんの穏やかな語り口が心に迫ります。

「待っていても何も変わらない。それなら自分たちの手で」
8年前にこの仕事を選んだのはそんな単純な動機です。
後先も何も考えていなかったと思います。
大切に思ってくれた大塚先生や一緒に法人を立ち上げてくれたお父さん・お母さんがいてくれました。
方向性を修正するために違うステージを選びましたが、「自分たちの手であったらいいなを叶えたい」は変わりのない「こだわり」です。
8年前から変わらず支えてくれているお母さんたちが、背中をずっとやさしく撫でてくれている感覚を感じるから、どんなことがあっても諦めずに進んできているのだと感謝しています。

時々は挫けそうになることはあるのです。
この2月は寒さむあってちっとも前向きになれずにいました。
それでも変わらず支援の下手くそな私たちを的確に導いてくださる中山先生や水野さんたちの刺激もあって、春からもっと役に立つ組織になろうとプチ改革中です。

「自閉症eサービス@せんだい」の年間予定(案)も決まりました。
eサ@仙台2015年度の予定(2015.2)R.doc

自閉症eサービスからのメッセージ
▽私たち自閉症eサービスは、自閉症支援に関する知識・技術・アイデア・資源が一部の人たちにのみ占有され、クローズドに限定されて取り扱われるものではないと考えています。
▽自閉症の人たち、家族、支援者にとって意味のあることは、すべてがオープンになり、いつでもアクセスできるようにすることが大切で、そのことで、さらなる創造と可能性が生まれると確信しています。
▽専門家集団のおごりを排し、常に、ユーザー(当事者・家族と支援者)のニードに応える姿勢を持つて、生活のすみずみにサービスを提供していきたいと思つています。
▽自閉症の人たちが普通に受け入れられる社会を目指し、自閉症eサービスは活動を続けています。

私たちの社会は私たちの手で変えられる


年間パスの仕組みなど詳細は改めてお知らせをさせていただきます。
自閉症の方々の未来を創るために、諦めない私たちの仲間になっていただき、共に社会を変えていく方々との出会いを楽しみにしています。
Posted by 伊藤 あづさ at 14:00 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
制度は使いこなしてナンボ [2015年02月12日(Thu)]
息子や利用者の方の件もあって「障害支援区分の認定調査員マニュアル」を熟読中。
知ってました?
・できたりできなかったりする場合は「できない状況」で判断する
・普段過ごしている環境ではなく「自宅・単身」の生活を想定して評価
・行動上の障害が生じないための支援や配慮、投薬の頻度も含めて評価
です。
例えば
「健康・栄養管理」は
○ 「健康・栄養管理」の目的や内容を理解していない場合。
「薬の管理」は
○ 「一連の行為」の目的や内容を理解していない場合。
は「全面的な支援が必要」って判断することになっているんですよ。

「自閉症ありき」の調査認定が出来る方が増えないと、本当にいざと言う時に必要な支援を受けられるだけの「支援区分」やサービス受給量は叶わないんだなって、つくづく感じています。
「制度が変わったばかりで良く解らないですよね〜」(ウチの利用者さんの実例)なんておっしゃる調査員の評価で生活が左右されたら残念なことです。

評価された資料と家族の視点で評価してみた物とは相当祖語があるものです。
そこを一つ一つ「根拠」を持って理論的に潰していく営み…"なんだかな〜"って思うけど、後に続く方々のためにもチョイと頑張ってみている今日この頃。
そして昨日お知らせしたとおり、一人の知恵では解決できないこともあるので、内閣府で制度設計などに携わって来られた又村あおいさんにお越しいただいて、勉強会をしていただくことになりました。
4月11日(土)10:00-16:00
長丁場ですが、制度のこと・権利擁護のこと・合理的配慮のこと
たくさん知恵をいただきます。
詳細は後日改めて。
Posted by 伊藤 あづさ at 20:30 | 今日の感慨 | この記事のURL | コメント(0)
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