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虹の夢

生き難さを抱えている人たちの幸せな未来を願っている「お節介おばさん」の徒然日記です。

自閉症/発達障害のある方など生き難さを抱えスペシャル・ニーズを持つ方々の「未来を創りたい」…そんな大きな夢を叶えるために、「楽しく・嬉しく・明るい」情報発信をしていきます。

2020年度「放課後等デイサービス 評価アンケート」の結果を2021.2.19の記事に掲載しています。
併せてご覧ください。


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「サトルの話」 [2014年06月25日(Wed)]
鳥取在住の「ご本人」井上智さんの心からのお願いです。
お読みください。
そして、叶うなら近くの方に伝えてください。


(以下井上智さんのFacebook投稿から)
発達障害を持つ寅の、心からのお願いです。
僕らは、ご理解いいただければ、診断名などいりません。
診断を受けて何何?でした!は、いりません。
「困ってるんです」
僕らは困っています。
まわりの大人が、できるだけ早い時期に見つけて上げて下さい。「この子は何か困っている」それがわかってもらえれば、診断など後でいいんです。
啓発絵本「サトルの話」は、自分の中のディスレクシアな部分だけを切り取って書かれた絵本です。
実際の自分は「ADHD」も、顕著です。多動性も衝動性も不注意も、持ち合わせています。
そのADHDがさらに学び「読み書き」を困難な物にしてしまいました。
ディスレクシアでつまづいていたこと、ADHDで混乱していたこと、別のスイッチだったのに、ぜんぶまとめて、「アホの上になまけものでどうしようもない」と、切って捨てられていました。
どうか、お願いです!教育関係者の皆様、疑いをお持ちの保護者様、発達障害をひとくくりにしないで下さい。
その子、その子が困っている部分を噛み砕いて考えて上げて下さい。
大変な事では有りません!その子を愛しているなら。
「めんどくさい」などと言わないで下さい。
どうかm(__)mお願いです。
今、困ってるんです。
自分はもういい年の大人です。それでも、あの頃の痛みは消えません。
子ども時代にわかってもらえていたら、、、
どうしても、そう思ってしまいます。
今を生きる子ども達には、自分のような思いをさせたくない。心からそう思います。
だから、知ってほしい。
まず知ってほしい。
どうぞ、コメント「教育関係者の皆様へ」「保護者の皆様へ」「お友達へ」も合わせてお読みになってください。
そんな願いをこめて、今日もシェアします。
http://youtu.be/MuuT2Fi2KXQ



そしてさらに寅さんは訴えています。
聞いて下さった教育関係者の皆様へ
サトルこと私は、ディスレクシアという困難を抱えています。
私は、音と文字の一致の難しいタイプだと言われています。
ディスレクシアといっても、色々なタイプがあるそうです。
あくまでこのお話は、「サトルの場合」ということですので、全てのディスレクシアの子ども達が同じ姿になるわけではありません。
でも、みんな「困って」います。
先生の力を借りたいと願っています。
そのことを忘れずにいてください。

私は、聞く・話すという部分には何も問題がなく、むしろおしゃべりで機転の利く方だったため、「読めない」という状況は、子どもであった自分自身はもちろん、周囲にも全く理解されないものでした。
「なまけている」と言われ続け、その場を凌ぐためのいい訳は「嘘つき」と罵られてきました。
みんなが簡単にできる事が、どうがんばってもできない自分に絶望し、たくさんのことを諦めて生きてきました。
ディスレクシアであるということは、目や足の不自由な人と同じで、本人の努力ではどうしようもない部分がある事を、ぜひご理解下さい。
私たちにとって、自分にあった学び方を求める事は、わがままでもなんでもなく、眼鏡や車いすのように、当たり前に必要なものなのです。
どうかどうか、先生方の目の前にいる、たくさんの「サトル」達が、彼らに必要な学び方で授業に参加する事を、支えてください。
「サトル」達は子どもです。
自分の特性も、周囲の子達との違いも、自分では気づけません。
必死で、本当に必死で、先生の求める方法で学ぼうとしているはずです。
みんなと同じ方法でないといけないと、もがいているはずです。
「サトル」達の慟哭に、どうか気づいてください。
そして彼らを、スタートラインに立たせてやってください。彼らは「方法」なしには、そこにたどりつくこともできないんです。

お話の中の横手先生と設楽先生のエピソードは、どちらも実話です。
ルビを消されて、私は読めるようになったでしょうか?
答えは「否」です。
わずかな「方法」さえとりあげられて、なにもできなくされただけでした。
100回掛けと言われた事も、ため息とともに遮られた事も、何度もあります。
50近くになった今も、思い出すと体が震えるほど苦しくなります。
一方で、サトルの姿に違和感を感じ、その力が出せるように考えてくださった設楽先生のような方とも出会いました。

子どもであるサトルにとって、先生が何を見つけ、何を与えてくださるかというのは、とても大きいです。
今は、たくさんの方法があるとききます。
実際、自分はict機器を使うことで、ずいぶん日常生活が支えられています。
今まで願う事もかなわなかった資格試験にも、挑戦することができました。
50を過ぎた自分でさえ「学ぶ方法」が保証されれば伸びるんだと思うと、まして子ども達にとっての可能性は大きいと思います。

見てわからない困難です。
本人にも説明がつきません。
どうか、知ってください。
そして、学ぶための方法を、一緒にさがしてください。

みんなに必要でなくても、この子には必要なんだと、先生が心から思ってくださる事が、周囲の友達からの理解にも必ずつながります。

音読が困難をより大きくする子がいるということを、
音の一致が難しくても、読んでもらいながらだと、きちんと意味が取れる子がいるということを、
このお話の中で感じていただければ、幸いです。
39分前 ・ いいね! ・ 7

井上智 寅 聞いて下さった保護者の皆様へ

サトルが苦しんでいるのと同じように、みなさんも悩んでおられることと思います。
知っていていただきたいのは、「同じ方法ではないかもしれない」ということです。
みんなと同じ方法であることが目的ではなく、サトルが学んでいけることが目的ならば、どうか、柔軟に手だてを探ってください。
もちろん、保護者の方だけでは難しい事もあるかと思います。
今は、たくさんの専門機関があります。信頼できる方とつながって、サトルの学びを支える方法を一緒に探してください。

みんなにできる事ができない自分を、サトルは「恥ずかしい」と思っています。はずかしくてくやしくて、「困っている」と言えずにいるかもしれません。
大事な大好きな家族から、「なんで」「こんな簡単な事」というメッセージをうけとってしまうと、もっともっと言えなくなります。
本当は「助けて」と言いたいのに、言えずにごまかしたり逃げ出して1人で泣く事しかできなくなってしまいます。
どうか、「なんでこんなこともできないの」ではなく、「こうするとできるね」を与えて下さい。

理解が進んだとはいえ、まだまだ日々の中で悲しい気持ちになる場面がたくさんあります。
だからこそ、一番の味方でいたください。
みなさんにがっかりされる事が、サトルは何より辛いんです。
大好きなお父さんやお母さんをがさかりさせてしまっている自分は、
なんてダメなヤツなんだと、思ってしまうんです。

サトルは、「わかりたい」「勉強したい」と願っています。
「なんで」と聞かれても、彼にだってそれはわからないんです。
どうかそのことを、忘れないでいてください。

子供達にも、一緒に聞かせで上げて下さい。そして読んで上げて下さい。

お友達へ

サトルの周りのみんな、きっとサトルのことが不思議だよね。
遊びのときは中心で、みんなを引っ張って行くぐらいしっかりしているのに、
音読の順番が回ってくると、真っ赤な顔をしてひらがなまでまちがえる。
みんなからみたら、きっと「変なの」っておもうよね。
あのね、「え」という字を見たら「え」という音が浮かぶ、みんなにとっは、きっと簡単な事なんだろうけど、実はサトルにはとても難しいんだ。
複雑な遊びのルールも覚えられて、友達との会話も普通にできるのに、
そこだけとってできないって、わかりにくいよね。
「サトルくんならできて当たり前」って思うことができないんだ。
みんなが不思議なように、サトル自身も不思議で仕方がないんだよ。
「見えない困難」って、本当にわかりにくいよね。
でも、サトル君と一緒に勉強したり遊んだりしているみんななら、「どうして」がわからなくても、サトル君が何かに困っている事には、きっと気がつているよね。
困っているなら、手を貸せばいい。
手伝える事があるなら、手伝えばいい。
それは、サトル君に対してだけじゃない。
あなたが困ったときも、同じ。
とっても単純な事なのかもしれないね。

お話の中に「ずるい」ってキーワードがでてきたよね。
みんなは、サトルが先生に問題を読んでもらったり、声に出して読む音読てなく、だまって目で読む黙読でOKと言ってもらったら、「ずるい」って思う?
今までだったら、思ったかもしれないね。
でも、このお話を読んだみんなは、それが「ずるい」じゃないって、わかってくれると思うよ。
もしみんなが目が悪くなったら、眼鏡をかけるよね。そうしないと黒板の字も見えないし、近くを見るのだって、とっても大変で疲れきってしまう。
それなのに「眼鏡はずるい」と言われたらどうする?
困っちゃうよね。
サトルにとっての「読んでもらう」ことや黙読は、眼鏡とおんなじなんだ。
それがないと、とっても困ってしまうこと。必要な事なんだよ。
だから「ずるい」と言わないでね。
もし他のクラスの子が「サトル君ばっかり読んでもらってずるい」って言ったら、みんなが教えてあげてほしい。
「違うよ。これはサトル君にとって必要な事だからずるくなんてないんだ」ってね。
そうしたら、どんに心強いことか!!

あのね、仲間がわかってくれるって、スゴイ力になるんだよ。
遠くの誰かさんでなく、サトル君と同じ教室にいるみんなだからこそ、知っていてほしいし、味方になってほしいと思います。

「ずるい」でなく「おっ、サトルがんばってるなあ」と思える仲間でいてください。お願いします。
Posted by 伊藤 あづさ at 23:53 | Autism awareness | この記事のURL | コメント(0)
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