子ども向けWSについて [2009年06月01日(Mon)]
午前:こぼんの小石原君、はっぴーと某コンペ向けMTG10時間。。
午後:元青少年会館のKさんとMTG 夕方:矢野紙器Kさん送別会 夜中:はっぴーとMTG 午前:WSD 京都のCSK大川センターのCAMPに参加 午後:WSD 京都のCSK大川センターのCAMPに参加 夜:嫁とMTG 午前:よよこー 午後:よよこー 夜:残り作業 ----------------------------------- えーっと、昨日初めて自分達がやっているイベント以外の 子供向けWSに参加してきました。見たことはたくさんあるのですが、 実際に入ってみるとやっぱり色々ありますよね(^^; やってみたあと、もやもやがあって、 帰りにNHKのNさんと会話をしていて たくさん気づいたことがあるのですが、、 そのうちの1つとして。 ワークショップやイベントの 「初期設定」が重要。 その初期設定がシンプルで、かつ とても明確で分かりやすく ユニークなデザインをされていたときに そのWSというより、その「場」がひとつの作品のようになる。 そんな気がしたのです。 自分はKPO(キリンプラザ大阪)があった頃 ふらっと寄ってみて、その作品と向き合ったときに できる「場」がとても好きでした。 「その場をどんな場にしたいのか」 「参加した人にどうなってほしいのか」 それを全て決めすぎてはいけない。 それだと、学校で行われる学科教育のように 一方方向のものになってしまう。 しかし、まったく決めずに(想定&準備をおこなわず) 行った場合、子ども達が良い体験ができなかったことを ワークショップ的な理由で弁明することにもつながりやすい。 (その環境でも参加者が主体的に学ぶことが重要。のような) 多分、このバランスなのですが そのバランスを考える考えるといいながら、 自分自身が子どもではなく、 親のクレームや何かあったときの問題を考えて このようなプログラムを作っていました。 小学生であれば、遊びの中で 喧嘩するぐらいたくさんあります。 それを止めたりするのは、 結局それが大事になったときに 保護者からのクレームや問題を 意識してしまっている主催者側、代表者側の 勝手な理屈だったと思います。 とはいえ、なんでも悪いことを 放っておくというわけではありません。 ただ、子ども達が飽きない、暇にならない、なれない プログラムを作り、そのプログラムに本気になっている中で 意見のぶつかり合いが生まれて喧嘩になるぐらいであれば それは望ましいものです。 ミニミュンヘンのDVDを何度も見ながら (こぼんを、ミニ大阪を行う全てのきっかけはこれですね。。 「本当のコミュニケーションとは、 そういう軋轢を乗り越えたとこにある。」 というセリフがありました。 もう一度、こぼんに関わる自分の意識を 見直すことが重要ですね。 そんなわけで、先ほどのNさんから教えていただいた 西郷竹彦さんのお話がとても示唆に富んでいて面白いです。 #「国語」を見直すことも、今後こぼんでやっていきます。 (多分、こんな感じで全ての学校教科を再びやることになるんだろうなw しかし、言葉や表現をつかもうとして学ぶ感覚と、 ただ言われたことをやるだけの教育は まったく意味合いが違うんだろうなー) 論文: http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57491/1/eda049_233.pdf 「おおきなかぶ」: http://blogs.dion.ne.jp/tamapi/archives/7565613.html http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/gr1okinakabu.html >自分たちの力だけで出来ないことは仲間の力を借りる。また、仲間に >なっていっしょに大きなかぶを抜く。この反復が、仲間が連帯するという主 >題を強調しています。しかも、この反復は、大きな強いものから、小さな弱 >いものへという変化・発展する反復になっていて、小さな弱いもの(ねず >み)の大きな役割、意味という思想を浮き彫りにしています。 |