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仕事を考える3日間〜向谷地生良さん〜 [2010年01月15日(Fri)]

浦河べてるの家は、
「降りてゆく生き方」とのトークセッションが
立教大学であったと聞いていた。
が、詳しくは知らなかったので、
何も準備せずに行った。
いきなり衝撃を受けてしまった。
RPGでいうと、瀕死の危機。

滔々とした話し方は、
昨年の秋田光彦さんを思い出し、
障害のある人についての話は
大学時代に影響を受けた
竹中ナミさんを思い出した。

「今日も明日も、順調に問題だらけ。」

問題を解決することを良しとする社会において、
順調に問題を引き受けること。
弱さを引き受けることが、強さになる。

出る杭は打たれるが、
凹んだ杭は、地面の中で
その存在価値を発揮している。

私たちは、地上の、見えるもの、を
テーマに普段話をしているが、
地下の、見えないもの、に
広がる世界には何があるのか
想像出来ていない。

そこには、別に希望があるわけでもなく、
残酷があるわけでもないのだろう。
こんぶと、妄想大会のような
ヘンテコなオモシロさがあるように思う。


向谷地生良さん--------------------

浦河べてるの家で、
ソーシャルワーカーとして仕事をしている。

ソーシャルワーカーとは、
スラムの人たちと一緒に暮らしていった
専門のボランティア達が、その仕事を職業にしていった。
ソーシャルワーカーは、
社会の中で起きている様々なひずみ・はざまに
飛び込んでいくエネルギーによって成り立っている。

仕事をはじめるきっかけ

修学旅行をキャンセルして
障害児施設でワークキャンプをしていた。

「たとえ僕に明日はなくとも」

 たとえ短い命でも生きる意味があるとすれば
 それは何だろう
 働けぬ体で一生を過ごす人生にも
 生きる価値があるとすれば それは何だろう
 もしも人間の生きる価値が 社会に役立つことで決まるなら
 ぼくたちには 生きる価値も権利もない
 しかしどんな人間にも差別なく 生きる資格があるのなら
 それは何によるだろうか

学ぶことと生きること
生きることとはたらくこと
が1つにならないと、
エネルギーがでない。

私は学校の体制に反抗していた。
地域の学校に入った途端に
勉強をやめよう。
このまま勉強したら違う自分になってしまう。
だから、赤点の30点を努力するようにした。
卒業日の前日まで部活をしていた。

上っ面のメッセージには
とても懐疑的な幼児期だった。

ナチスのプロパガンダには、
こんな言葉がある。
「今あなたが支えてる遺伝病患者が60歳までに
生きるためには、5万ライヒスかかる。」

そのプロパガンダに大きな流れの中で
ドイツ国民は賛成してしまった。

自分はどのレールにのって、
動こうとしているのか。
社会運動の中で大きなシュプレヒコールがあった。

根本的な生きることの無さに
自分自身はもっと苦労したいと考えた。

大学時代に死刑囚のNさんと文通をするようになった。
死刑囚の人に、色々励ましをもらった。
死刑囚の人は、社会から抹殺されようとしている人だが、
その人から、支えてもらっていた。パラドクス。

浦河は、精神障害率の高い地域
学力が低い地域
→経済力の低さ

先住民アイヌ民族の人たちが
たくさん住んでいる
強制連行をさせられてきた
朝鮮半島の人も集まる。

自分は、その「悪条件」に魅せられた。

自分の中に苦労という軸があった。
働くためのきっかけは、
悪条件が符におちたこと。

べてるの家の活動の原点

自分の、仲間の、地域の中で
自分らしい「苦労の取り戻し」

生きる苦労の主人公になる

日本国内の障害のある人 300万人
年間2500名が訪れる。
彼らの経験から、社会がどう学んでいくか。
何か事を興す時に、中心に一番頼りない人を置く。
キヨシさんとの出会いによってそこが大きく変わった。

プレッシャーか分からないが
キヨシさんが、具合が悪くなった。
いいから、販売行って来いと言った。
すると、油汗をかきながら体調を悪くしながら、
キヨシさんが売っていると、
そこに、会場に来ている主婦の人が、
集まってきてくれて全部売ってくれた。

キヨシさんが帰ってきて発言した一言。
「病気が悪い方がこんぶ売れる。」

べてるの家も、地域と共に生きるから
順調に業績が落ちているが、それも重要。
地域と共に生きて行き、そこで新しいことを
興すことも必要。

三度の飯よりミーティング
病気だから、隠さないといけないではない。
自分達の経験を社会に発信していこう。

幻覚&妄想大会のために
浦河に飛行機で300人が集まる。
そして地域にお金が落ちていく。

人ってどういう基準で動くのか。
→感動や体験で動いていく。
それを実感させられた

1、「知ったかぶり」のすすめ
 →出版関係について、本を集めたりした。
  孤立を防いだ

2、「形」から入る
 →形から入ることで、自分の声が見えてくる。

3、「陰口」ノススメ
 →ちゃんと相手に伝わる。
  でも、悪いことや、ねたみじゃなく、
  いいこと、うれしいこと、ほめることをきちんとささやく。
  (作戦として)

4、「悩み方」の工夫
 →悩むことをしない。悩んだら机の上にそれを貼る。

5、「相談するソーシャルワーカー」のすすめ
 →窓際族になった時に、べてるの人たちに
  心の底から相談できる。それが嬉しい。

6、生きること、働くことの一体化

7、自分が一番手強いクライアント

8、地域をほめる

9、仕事の評価、人間の価値

10、評価の情報公開

11、仕事に人生をかけない


病気を手立てに生きる。
困難さのほうに、その人を取り戻す。

「こうやれば、良い」とい指南書が売れるのは、
「こうやりなさい」という話とつながる。

容易なほうが良いという社会はどうなのか?

「仕事に人生をかけない。」

いざ、病院や病むというところから
見る視点は、自分自身を厳粛にしていく。

今日、これが最期になるかもしれない。
そういう色々な可能性が広がっている。

結婚式の当日まで、
自分は本当に結婚するのだろうか。
とずっと考え続けた。

仕事に人生をかけないという言葉は、
若いときに、遺体を礼拝室に運んでいく。
最期、人はこういう形で終わっていく。
という瞬間によく立会ったから生まれた。

始まりの時に、準備をする。
救急病院では大きな事故があると、
たくさんの人が運ばれてくる。

病院で仕事をしていると
終わった後は、関わったスタッフは
充実感がある。
でも、ロビーでは関係者がすすり泣いている。

介護職や援助職をしていると、
結果的にそこに依存していく。

西村さんもワークショップや講演などで、
結局そこに依存しているという構造が
起こりやすいことを危惧している。

向谷地生良さんは、あまり、
そこに対しては潔癖には考えていない。
私の中で完結される嬉しさではない、
浦河の人たちや、地域の人たちに、
つながっていく循環していく。
そういううねりが生まれていく。

私が大事にしていること。

「今日も明日も、順調に問題だらけ。」

でも、それを忘れると、
その場に生きられなくなる。

やろうと思ってやっているわけではなく、
その現実をそのまま受け止めていく。

365日、問題だらけ。
でも、それが活力になっていく。

人が歌い、踊るのは、
困難を昇華させる人の在り方。

時代を体が生きにくくなっている。
自分が抱えた生きにくさを研究している。


■摂食障害になるための方法

親の顔色を伺い、「評価をうけること」にこだわる

人生にできるだけ高い目標を掲げる
子どもであること・

気持ちを隠す

社会の風潮や流行に敏感になる

イメージトレーニング

弱さをにくしむ

※摂食障害にたらない本はたくさんあるが、
摂食障害になるための本はないので。


病気になるってのは手間ひまがかかる。


■色々な人がいることの面白み。

うつ病、この10年間で8倍。
その現実を抱えた人たちが、
ある意味社会の現実を変えていく手段にもなる。

自分たちが自分たちの働きやすさを
自分たちで提案する。


■たとえ、短い命でも生きる意味があるとすれば、
それはなんだろう。
石川 正一さん

25歳までしか生きれなかったが、
ここで紹介されている。

30数年の中でべてるの家では、
300名を超える人が無くなっている。

しかし、こうやって語ることで
その人達はきっとみなさんの中で
生きていく。そのような永遠性・広がりをもっている。

特に無のない人達の存在・営み・
永遠性を語り続けたい。

Q,生良さんという名前の由来は?

私に名前をつけてくれたのは、
統合失調症のおじさん。

べてる祭り 6月

ある種の連帯感を持つこと。
学校の時、みんなが、右を向けという時、
左を向いていた。その中で体罰を受けていたにも関わらず、
そこで自分を持てていたのは、障害を持っている方や
生きにくい人たちとの連帯感。

ユダヤの小説家 リーゼル(ディーゼル?)
アウシュビッツの中で
煙を眺めながら、子どもが
「お父さん、お母さん私は、絶対に幸せに生きないから」
と言っていた。

そのような社会とのつながり、連帯感を感じている。

■固定観念で自立しないといけないと思ってしまう。
人に迷惑をかけてはならない。

弱さの情報公開
勇気を奮って、自分がどう困っているのかをきちんと出す

進化論の研究者 吉村さん

強いものが生き残ってきたのではなく、
弱いからこそ変化する、弱いからこそつながる。
それが生き物の基本にあるものだ。

弱いというものを大事にすることで、
見えてくるものがある。

だからこそ、一億総弱体化は悪い話ではない。

東京大学法学部を卒業しても
→半分が受からない。ユニクロを受けて親が怒った(そんな時代になってきた
でも、正々堂々と弱くならないといけない。

人々の中へ

人々の中へ行き 人々と共に住み
人々を愛し 人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築きなさい
しかし、本当に優れた指導者が仕事をしたときには
その仕事が完成したとき
人々はこう言うでしょう。
我々がそれをやったのだ、と。

Yen Yang Chu ジェームズ・イェン (1890-1990)
同じことを、坂本龍馬も言っている。

自分が7〜8割を頑張ってやっていき
残りの2割〜3割を周りの人ができるようにやってもらう。

※これは、Re:sの藤本さんの60点を目指すのと同じ感覚。
あそび空間を残す。
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