「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
作品チラシ 表
稽古は 18日から 立ち稽古に入る
今は まだ 読み稽古だが
3人の 出演者のノリが 凄い
僕は ちょっと 抑えるのに四苦八苦 する
この数年 僕の脚色による作品が 多かった
戯曲そのものを上演するのは
岸田國士作「パン屋文六の思案」「隣の花」
以来かも 知れない
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」は
翻訳されているものだが
イズレイル・ホロヴィッツの作品である
アメリカのブロードウエイは あまりにも有名である
そのブロードウェイが商業主義になってしまい
(僕は商業主義が悪いとは 思っていないが・・・)
OFブロードウェイが 生まれた
間もなく そのOFブロードウェイも商業主義化されたと
云う事で
OF OFブロードウェイが 生まれた
この作品は そのOF OFブロードウェイで上演されていた
映画「ゴッド・ファーザー」で
一躍 世界的なスターになった アル・パチーノ
が まだ おそらく無名だった頃だろうと思う
これまた同じ映画で 出て来たジョン・カザール
この二人 アル・パチーノとジョン・カザールが
若かりし頃 そのOF OFブロードウェイで
演じている作品である
その年の賞を受賞している作品でもある
秀作である
秋晴れ
近頃は 曇天ばかりだ
数日前の写真です
ト書きが 多い
ト書き とは 台詞(言葉)と台詞の間に
動きとか 感情とか モロモロの事が書かれている
のを 云うのだが
この作品は 指定するように ト書きが多い
はたして 僕らが そのト書き そのまま 作って行くか
どうかは 立ち稽古に入らないと分からない
台詞の言い回しにも ト書きが 有って
作者のホロヴィッツの 想いが ひしひしと伝わって来る
ト書きは 重要である
作品の解釈
登場人物の解釈
シーン シーン の解釈
台詞と ト書きで書かれている戯曲は
それらで 解釈して 芝居を作って行く
さて 解釈は重要であるし 必要なもの
おそらく 芝居作りにおいて 戯曲の解釈は重要で
絶対 必要なもの だろう
絶対・・・・・
イヤ 解釈が無ければ その芝居を作る事そのものが
出来ないだろう
マンジュシャゲ
これも数日前の写真です
だけれども この解釈と云うシロモノが 実は厄介なのである
例えば ひとつのシーンの解釈が
稽古場では 人によって違う
と云うコトが 起こる
これは 結構 多い
人は みんな 違うから
当たり前 と言えば 当たり前の事ではある
稽古場では 話し合って
我々の稽古場は
こう云う風に このシーンを解釈する事にしよう
・・・・・最終的には そう云う風にまとめて行く
が この解釈と云うものは 時にとんでもない間違いを
犯す事も 有る
イヤ 解釈が間違うと云う言い方は無いな
解釈によって 我々が間違いを犯す
と云った方が 正しいだろう
僕は僕なりの解釈を 必ず持つ が
解釈を 僕は 鵜呑みにしない
そう 僕はいつも心がけている
白いマンジュシャゲ
今年 はじめて見た
これも数日前の写真です
解釈と その解釈による俳優諸氏の表現
を 僕は こんな風に 考える
例えば ある俳優さんに
「そこのファミリーマートで
新聞A を 買って来てくれ」
頼んだとする
この時 店(ファミリーマート)は解釈
新聞Aは 表現された演技
と 考える事にして・・・・・
ところが 彼は セブンイレブンに行ってしまった
解釈が違っていたのである
それでも 新聞A をちゃんと買って来た
もう一人の彼に 同じ事を 頼んだ
彼は ちゃんとファミリーマートへ行った
解釈は同じだった
しかし 買って来たのは 新聞B だった
表現されたものが 違うのである
これで 困る事が 有る
そして 解釈と 表現の間では
こう云った事が 結構 起こるのだ
稽古場の中で 共通認識としての解釈が必要な事は
当たり前である
そのために 台本は 全く同じものを使うし
始めの稽古で 随分と 本について話し合いもする
しかも 稽古中
時に 本番に入っても
それは 続く事さえある
しかし 芝居作りにおいては 表現されたものが
最も 重要である
具体的に 表現されたものが 全て と言っても
過言ではないだろう
だから 僕は 解釈を鵜呑みにしない
表現されたものが 重要なのである
ススキ
毎年 市が依頼した業者の方が
この辺りの草を 一斉に 刈る
ススキは 残す
おかげで ススキは 大分増えたようだ
ホロヴィッツの作品
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
は ホントウに ト書きが多い
作者の 想いが それだけ強い とも言えるだろう
何故 ト書きに書かれているように 動かなければならないのか
俳優諸氏は
すでに 読み稽古の時から 多くの疑問を持つ
芝居が分かりづらい と云うのではない
むしろ 芝居は 分かりやすい
その分かりやすい芝居を 分かりやすいように演ずるのが
難しいのである
まあ 分かりやすく演ずる必要が無い場合も多いが・・・
作品において ほとんどのト書きを
僕は ヒント だと考えている
ひとつのシーン そのシーンを明確にするための
作者の出したヒントだと 僕は 考えている
だから 最終的にそのシーンが 間違いなく 明確に伝われば
作者の指定するト書きどおりに 作る必要は無い
と 考える訳だ
選択肢が 無数に有って 迷う
と 思うかもしれない
迷っても おそらく 最終的に残るのは ひとつ である
そのシーンの ひとつのカタチが 残るのである
そして それを選び取って行く努力を
僕達の稽古場は 強いられて行く
これは 芝居作りの 面白さ
だと 僕は 思っている
しかも こう云った作品に出会うのは
ホントウに 久々の事である
出演者が 3人
稽古場は いつに無く 静かだ
面白くなる予感が 既に 満ちている
皆々様 是非 観にお出でください
作品チラシ 裏
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
イズレイル・ホロヴィッツ 作
松沢八百 訳
上田ボッコ 演出
2018年 12月6日(木)〜 10日(月)
開演時間
6日(木) 19:00〜
7日(金) 14:00〜 19:00〜
8日(土) 14:00〜 19:00〜
9日(日) 13:00〜
10日(月) 13:00〜
7ステージ
料金 2500円(前売り・当日共)
場所 ギャラリーTSUKASA (西武新宿線・東伏見駅北口徒歩5分)
45人ほどで満席になります
お早目のお申し込みをお勧めいたします
開場は 開演30分前
出演者
遊佐 明史
南雲 康司
半野 雅
協力 ギャラリーTSUKASA 東京演劇アンサンブル
SCARECROWS 中川香果 合同会社サミシガリ
劇中歌作曲 遊佐 克也
制作 LEG制作部
お申し込みは このブログのコメント欄でも結構です
皆様のご来場を 心より お待ちいたしております
秋晴れの日
赤とんぼが 群れて飛んでいた
電線に止まる 赤とんぼ