今年の夏空
ボーっとしているうちに 夏も終わりに近づいてしまった
いや ボーっとしていた訳でないか・・・
やっぱり ボーっとしていたのだろうな
と云って 日々の生活 何もしていなかった訳ではない
・・・誰だってそうだな
誰だって ボーっと仕様として してる人は居ない
SCARECROWS・LEG は メンバーの遊佐明史が
今 他のグループへ出演するため 稽古に励んでいる
だから なかなか集まる事が出来ない
彼の稽古に入る前は 定期的に週に一度は会って稽古をしていた
大きな木が四本切られてしまった
どうして 木が切られたのか分からない
9月に 彼の出演している芝居が終わるから
10月から また 始まる
具体的には 次の公演の話から始まるだろう
来年 2020年 4月 か 6月に 次の公演をやろう
と云う処までは 話が 進んでいる
作品が決まらない
「オイディプス」が 上がっているが
配役が 大変だ
しかし 今度は 人集めにエネルギーを使うのは止めよう
とは 言っていられない
大変でも エネルギーが必要になる
僕は 独り コツコツと(?) 作品を探している
今 本当にどんな作品をやったらいいのか
やるべきなのか
明確に 掴めない
この歳まで生きて来て
世の混沌が 不穏だと感じて これほど不安に駆られた事はなかった
そんな想いと 芝居と どう結び付ければいいのか
また 芝居は 芝居 と 割り切ってやるべきなのか・・・
イヤ 無理やり芝居と結び付ける必要はないが
無関係だとは 決して 僕には 思えない
その辺りが 自分の中で せめぎ合っている
焦らず じっくりと 作品を見つけたいと思っている
今年は雨の多い日が続いた
魚や生き物が 川に満ちる
この写真の中に亀 すっぽん等が居る
ここのところ 昔を 思い出す
子供の頃を 思い出すのだ
いやぁ 歳とったのかな なんて思う
やけに細かい事を 思い出すのだ
桑の実を 白いシャツで 採りに行って染みをつけ
母親にしかられた事なんか 思い出す
その時 僕は 白いシャツに 紺の半ズボンをはいていたな
なんて事も 思い出す
何故 白いシャツを着ていたのかも思い出す
カルガモの親子
今年 ちよっと遅い気がする
ここは誰にも見られずに大きくなる
その頃の桑の実取りは 実を入れる袋なんて持って行かなかった
殆ど その場で 食べたものだ
あの頃 腹が減って居たんだろうな
ガツガツ食べた
味わうとかじゃなかった
だから まだ熟していない酸っぱい実でもガツガツ食べた
同じ仲間が 何か入れモノに溜めて行って
一升瓶だったか 四合瓶だったかに入れて
棒で 潰して ジュースにして飲んでいたのを思い出した
その彼の家の縁側で 瓶を抱え楽しそうに棒を突いていた姿を思い出した
杏の実
6月か7月の写真です
杏の実も 食べた
今年は 杏が出回るのが遅かったが
6月 7月 と割と長い事八百屋さんの店先に並んでいた
行くたびに 買い込んで 冷蔵庫に入れ
冷えた杏の実を 心行くまで食べた
勿論 杏ジュース 杏酒 も作った
僕の家には 実のなる木が あまりなかった
柿の木(身知らず柿・これは渋柿) 石榴の木 くらいか
杏の木は有ったが 石杏と云って 食べられなかった
杏より黒っぽくて とにかく硬いのだ
勿論 それでも 採って食べては腹をこわした
杏酒
あの当時 まだ 小学生の頃
梅の実も食べた
青梅は食べてはいけないと言われていたが 食べた
ものすごく酸っぱかった
実は まだ 青い梅の実の種には 猛毒が潜んでいる
若い青梅を食べて 中毒して亡くなった子も 居る
子供たちが まだ熟さない青梅を食べるなんて
今では 考えられない
でも あの頃は みんな腹が減って居たのだと思う
実のなる木が有る家が 羨ましかった
今年も色々な酒を作った
毎年 作り過ぎてしまう
僕は それ程酒は飲まないが
自分で作った酒をほんの少しずつ飲む
サローヤンの「ヒューマン・コメディー」の中に
杏の木 と云う話が入っている
子供たちが 杏の木のある爺さん家に盗みに行く話だ
子供にとっては 冒険だった
しかも まだ 杏の実は 小さく緑色で まゆほどの大きさにしか
育ってはいないのだが 採りに行くのだ
あの話が 好きだった
僕も 子供の頃 同じように忍び込んで盗み取ったものだからだ
実際は どんな実でも ほんの一個か二個くらいしか採れなかった
ドキドキしながら 取った
十五夜の日だけは 盗み取っても 咎められない
と云う 決まりも有った
あれは 僕の住む所だけの習慣だったのだろうか
でも 結局 それ程は取れない
落ちている栗の実か まだ熟さない無花果か
その程度だ
それでも それを十五夜の飾り付けの所に飾って置いたものだ
この辺りはこんな飛行機が
結構 頻繁に 飛んでいる
今年も猛暑が続いた
この二三日 ほんのちょっと気温が下がっている
でも まだ 暑い
ぼくの小学校にプールが出来て
みんなに解放された
五年生か 六年生の頃だったのではないだろうか
それからは
まあ 夏休みは ほとんどそのプールでキャッキャッと泳いだ
唇が紫色にり ガチガチ歯を鳴らすほど身体か冷えても
泳ぎに 泳いだ
泳ぎは 好きだった
それ以前は 川をせき止め 水を増やして そこで泳いだ
河をせき止めたのは 中学生だったか
随分 大きな人達に見えた
せき止めるための 筵とか 丸太とかを持って行かないと
泳がせてもらえない
僕は家から ずるずると滑らして 筵を持って行った記憶がある
ここでも 連日 泳ぎに泳いだ
今 帰省し その場へ行って見て
あまりの狭さに 驚く
こんな狭い所で あれほど沢山の子供たちが泳いでいたのかと
驚いてしまう
殆ど田圃の中にあるのだが 側面が御宮さんの崖だった
その御宮さんから 桜の木が覆うように伸びていたのだが
その桜の木から 飛び込みをする子もいた
僕は ついに 怖くてそれは出来なかった
その行為に 憧れを抱いていたが
ついに 僕にはできなかった
カリンの実
これが12月頃には黄色に色づく
今 多摩川の源流近くにバーベキューに行ったりすると
岩の周りに 水溜まりがあって 結構 深いのだが
水がきれいだし 水中メガネなんかあると 魚が沢山泳いでいるのを
見たりすることが 出来る
あの僕らが泳いでいた 川の水は
あんなに水はきれいではなかったし 広くもなかった
だから 学校にプールが出来て 解放された時は天国だった
泳ぎは あの川と あのプールで覚えた
特に 僕は 潜って水の中で回転したりするのが好きだった
今 暑さも昔と違う
しかし 子供たちは 水が好きだ
保育園の前を通ると ビニールのプールがいくつも出ていて
先生が 笠を持って 子供たちはキャッキャッと騒いで
水と 戯れている
どうしたって 子供の頃の水泳ぎを 思い出す
夏が暑い 暑いと言っているうちに 涼しくなる
毎年そうだが この時期になると ほんの少し集中力が
回復兆しを見せ始める
今年の夏はどんな夏になるかと思っていたが
やっぱり 暑く 集中力に欠ける日々が続いた
ゆっくり じっくりと 力を取り戻さなければと
思う今日この頃だ
夏のある日
半月が うっすらと見えた