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ばんチャの針箱 [2022年09月23日(Fri)]
ばんチャとは おばあさんのことである

会津の田舎で 小さい頃からぼくは そう呼んでいた

ご近所の人達は お をつけて おばんチャと呼んでいた

IMG_4665.JPG
     ちょっと前の写真ですが
     近頃は 晴れた日が少ない


そのばんチャが針仕事に使う お針箱が
今 ぼくのところに 有る
ここ何年も ぼくのところに有る

本当は 会津の実家に有るべきものなのだが
ぼくのところに収まってしまった

あるお芝居の小道具で その針箱を使った
会津の実家から 借りて来たのだ

返さなくてはいけないものを そのままになってしまい
今や ぼくの所に収まってしまった

小さな古い針箱である

上の方に 針山を入れる なにもない所が有って
その左側に ごく小さな引き出しが有る
その下に 二段 引き出しが有る

抽斗の取っ手などは 古いまま 直さずに置いてある
こう云ったモノは どうも ぼくは 直す気になれない
そのままにしておきたいのだ

こう云うモノは 見ていると
一挙に時代が 蘇って来ることが有る

針山の入れる所には 確か 模様の入った
小さな針山が 入っていたが
いつも 針は 刺さっていなかった
ばんチャが危ないと思って 針を刺しておかなかったのかもしれない
針は その隣の 小さな引き出しに
紙に包まれて 入っていたような記憶がある

IMG_4768[1].JPG
ばんちゃの針箱


さて その針山と一緒に 
そこに 十円玉が 数枚 入れて有った

何気なく置いてあったと 云おうか
ぼくは ばんチャが忘れていると思って
いつも こっそり その中の何枚かを 失敬していた

十円玉が入っていない時は 無かった
いつも 入っていた

小学校へ入る前か 小学校の低学年の頃だと記憶している

ぼくは せこく失敬していた
取ったと分からないように 必ず 数枚は残し
針山の下にも 隠れるよう
いかにも 元通りの様に 指先で動かし 取っていた

これなら 気が付かないだろう
と思うように 取った後を細工したつもりで
せこく 失敬していた

次の日も 見ると また 有る

また 細工して 
せこく失敬した

数日して見ると また 有る

それは随分長いこと しばらく続いた

ばんチャの針箱には 十円玉が いつも有る
ぼくは 随分と お世話になった訳だ

IMG_4770[2].JPG
      懐かしい針箱


ぼくの家は 商売をしていたから
店の レジのところに 籠が下がっていて
子供でも 背伸びをして手を延ばせば 掴みとれる
子供にしては かなりのお金を 掴みとれる

しかし これは ある時 見つかったのだ
あの時は ものすごく叱られ
大変な思いをした
それ以来 店のお金には 一切 手出しをしなかった

ばんチャの針箱の十円玉は その後のことだった
と 記憶している

ぼくの家に 落ち着いてしまった針箱を見ていて
ある日 ぼくは 雷に打たれた
そのくらいの衝撃が 有ったと云うことなのだが

気が付いたのだ

あれは ばんチャが忘れていたのではない
ぼくが持って行きやすいように 置いていてくれたのだ
と云うことに 気が付いたのだ

大人は 分かる
そこに 僅かでも お金が入っていれば 分かる
少なくなっているとか そう云う事も
一見して分かる
分かるモノだ

ぼくが持って行くのは せいぜい二 三枚だったと思う

それぐらいなら この子を(ぼくのこと)悪くはするまい

そう考えてくれたのかも知れない

とにかく 持って行ったあとには 必ず
補充しておいてくれたのである

ぼくに孫が出来ていなければ 気が付かなかったかもしれない
どちらにしても その気付きは
ぼくにとって 衝撃だった

七十も半ばを過ぎて そのことに気付くなんて
情けないが 気付いたのだ

ゆっくりと 針箱に 触れてみたものだった

「ばんチャ おれは この歳になって
 ばんチャの気持ちが 分かったよ」

そして またじっと 針箱を見た
なんとも言葉にはできない気持ちに 包まれた

IMG_4769[1].JPG
     針箱


ぼくは チャンバラ気違いだった
ばんチャが よく芝居に連れて行ってくれたのだ
ぼくの村には 当時 劇場が有ったのだ
芝居小屋 と云ってもいい
あんな小さな村に 文化の拠点が有ったのだ

広田座と云った

芝居と 歌と 踊りと と また芝居と……

あの劇場は ぼくが芝居をすることになった源点
そう言ってもいいだろう

芝居の無い時も多かったが
その時は 映画を上映していた

東映映画の黄金時代
中村錦之助 東千代助 大友柳太郎 ………

「笛吹童子」「紅孔雀」「風雲黒潮丸」「里見八犬伝」「怪傑黒頭巾」………
上げればきりがない
当時の 東映映画は ほとんど ぼくはあそこで観た

十円か十五円の頃からだ
二本立て 時に 三本立て なんてのもあの頃は有ったのだ

ばんチャは「赤穂浪士」四十七士の名前を
なにも見ずに 一人残らず 全て言える人だった
今思えば 本当に 芝居の好きな人だったのだな

IMG_4765[1].JPG
     近頃は雨が多いので川の水が満杯


ぼくの家には 狭いが 廊下が有った
そこで ぼくは 松の廊下のシーンを
一人芝居で よく ゃった

「武士の情けだ 梶川殿 放して下され
 あと 一太刀 あと 一太刀 でござる……」

浅野の殿さまが 刀を振り上げ 絶叫する
まさに 一人芝居を やっていた
障子戸は閉めて有ったが
おそらく ばんチャは 笑いをこらえて聞いていたに違いない

大友柳太郎の怪傑黒頭巾が好きだった
みんなも ぼくも 風呂敷を顔に撒いたりして
チャンバラをしていたのだが

ある日 ばんチャの箪笥をかき回して 頭巾にぴったりの
黒い布を見つけた
これさいわいと ぼくは 鋏で斬って 引っ張り出した

ああ なんと それは ばんチャの羽織だったのだ
ばんチャが気付いた時は すでに 羽織は切られていた

しかし ばんチャは ぼくを𠮟らなかった
「あらららら………」
と云っただけだった

それどころか 結局 ばんチャに
その黒い羽織で 頭巾を縫ってもらうことになった

しかし 羽織の布は ふにゃふにゃである
怪傑黒頭巾の頭巾は ピンと立っている
ぼくは だだをこねたりしたが
これだけは どうすることも できなかった

後になって 今度は 黒い帯を見つけた
それを切って作ってもらおうとしたが
流石に それは 駄目だった

ぼくの黒頭巾は ふにゃふにゃのままだった
が 充分 それで満足し 得意になって
使っていた ような気がする

今 思うと どうしようもないガキだったと思う

その黒頭巾も 今は 探しても見つからない
ああ云うモノは 何処へ いってしまうのだろう

今は 何処にも 無い

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     曇り空






黙ってはいられなくなった [2022年04月03日(Sun)]
全く何もしていないうちに ブログの更新もせず
一年が 過ぎ去り
桜の季節になってしまった

なにかしていた訳ではない
なにもしていなかった
ぼうっと 本ばかり読んでいて
なにもしていなかった

111.JPG
         間もなく春が来る

コロナ禍のなか
油断のできない 厭な戦争が始まってしまった

先を考えると 予断を許さない
厭な予感のする戦争が 始まってしまったのだ

戦争は全て厭なものだが
世界に広がりかねない 厭な戦争だと
思われて仕方がない

そんな風にならないうちに 
僕もできる限り 
声を出さなければならない
僕のブログなんて 何の役にも立たないだろう
それでも 黙っていてはいけない
そう云う気がしている

プーチンは卑劣だ

そう云ってのけることは簡単だが
その先を 少しでも考えなければいけない気がする

ウクライナとロシアの戦争は
そう簡単には 終わらないだろう

114.JPG
       今年のここの白モクレンは
       花が 少なかった


日本のメディアは本当のことを 流しているのだろうか

いや 事実を流そうと努力はしているのだう

メディアが 本質を理解して
本質を 真摯に流しているのかどうか
僕は 知りたいのだ

本質を 知りたいのだ

日々 ニュース番組を 何局か 見る
同じ映像が 何日も 流れる
新しい映像が 入りにくいのだろう

戦場を見る
映画ではない
本当の戦場を見る
難民の人々の悲しみを見る

合間に のー天気に 日本のコマーシャルが流れる
どうしても その時
違和感を感じる

出演しているタレントが馬鹿に見える
コマーシャルに出ることは仕事だから
タレントの責任ではない
とは 思う
それでも 僕にはノー天気な馬鹿に見える

115.JPG
         ついに桜の季節も終わりに近い


本当に熾烈な 残酷さは
その場に行かなければ
本当の戦場に行かなければ 分からないし
感じることもできないのは 事実だろう

こんな 当り前のことしか言えない自分が
情けないのだが

いや 映像に移る戦場は
充分に 熾烈だし 残酷だし 
難民の人々は 大変だ

日本のメディアが 本質を 放送で流しているのかどうか
僕は それが知りたいのだ

スペシャル番組で この戦争を取り上げている
そこで初めて知る事が 僕は 多い

ラジオでも 知る事が多い

しかも スペシャル番組は
深夜に近い時間が多い

       106.JPG
        サギがこんなに群れるのは珍しい
        親子かもしれない

誰もが見られる時間は
あいも変わらず バラエティと称する番組だ

バラエティ
出演している人達 仕事とはいえ
この人たちは 何を こんなにうかれているのだろう
としか 僕には 見えない
見ていられない
まず 僕は バラエティ番組は 見ない

深夜に近い時間に放送するスペシャル番組を
もっと 早い時間に 放送すればいいのに と 思う

テレビと云うモノは そんなとこなのだろう

この戦争の本質を もっと知るべきだと思う

まずはそう思った 僕が知るべきだ
しらなければいけない

何度でも云うが

プーチンは卑劣だ

プーチンは卑劣だ

では どうすればいいのだろう

この戦争をプーチンは何故始めたのだろう

実は先日のスペシャル番組で 
その事を 少し 知ることにはなった

それでも プーチンを許す事はできない
許してはいけない

ロシアの国民を恨んだり 憎んだりすることは
ことの本質とは 違う

ロシアの国民も 本当のことを知らされていない人が多い
・・・らしい

こんなふうに考えていると 
何かどうすることもできないような厚い壁を感じる
そして その壁が 僕には恐ろしい

恐ろしがったり 怖がったりばかりでは 駄目なのだろう

子供たちや 孫たちのことを
近頃は 考えてしまう

僕も いい加減歳を取ったからだろう

僕は原発に反対していた
それでも 僕が生きている時代には事故は起こらないだろう
と のー天気に 身勝手に 無責任に思っていた
しかし 僕が生きているうちに原発事故は 起こったのだ

戦争もそうだと思う
僕の時代に 日本が戦争に巻き込まれる事はないだろう
なんて 勝手に
全く 自分に都合よく考えていたら
罰が当たる様な気がする

戦争に巻き込まれないようにするには どうすればいいのか

歳に関係なく その事は真剣に考えなくてはならない

どんなに小さな声でもいい
今 黙っていては いけない気がする

日本の政治はお粗末だと 僕は思うけれども
それでも なお 政治のことも考えなければならない
戦争と無関係ではないからだ
109.JPG
       このサギは珍しい


戦争の本質を知ろうと努めなければならない

どんな方法でもいいと思う
どんな小さな声でもいいと思う

戦争に反対する声を
出し続ける

そのことを 忘れたくない










マスクの日々 [2021年03月09日(Tue)]
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       近頃の森
       冬は 木々は 丸裸

マスクを外せない日々が 続いている

うかうかしているうちに 一年が 過ぎてしまった

早かったのか どうだったのか よく分からない
 
とにかく 不安な日々が 続く
それは どなたでも 同じだろう

これは いつまで続くのだろうか
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       アホノマスク
       こんなマスクが届いたな
       僕は 使っていない


ある先生の話によると
あと 二年・・・・・

長いなあ 
一年間 我慢したと言っても やはり長い月日だ
年寄りには 余計 辛い
ワクチンが行き渡って
一つの冬が過ぎ 次の冬が過ぎるまで・・・・

そうすると インフルエンザのよう 収まって行く と云うのだ

本当だろうか

でも いつか 終わることは たしかだと思う

IMG_4649.JPG
     前後しているが これも同じ森
     冬前は まだこうだった


非常事態宣言 
それでも 街は 人人 人 だ

僕は ただ 川沿いを 歩く

生活道路ではないので 多くの人は歩いていない
人と接触しないように ただ歩く 歩く
歩く

同じように ウォーキングの人 ジョギングの人
時に 保育園の園児たちが 歩いて行く

保育園の子たちを見ていると 元気が出る 
気持ちが ほんわかしてくるのだ 
元気が出る
子供たちは 元気だ
帽子の色で 園が違うのだろう
いろんな色の帽子を かぶった子たちが 歩いて行く

─元気で行けよ 元気で行けよ─
マスクの中で 口から思わず 出る
そして 僕自身 元気を もらう

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IMG_4649.JPG
         同じ森の写真
         変わっていく森を掲載しようと
         去年 何枚か 写しておいたもの


パソコンの調子が悪く
ついには 違うパソコンで こうして書き始めた
勝手が違うので まだ ぎこちない

元気を出して また ブログに向かおうとしている

実は ようやく こうして向かう気が起きてきたのだが
まったく 情けないと 自分でも思う

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        サギが群れで来ていた
        この辺りでは 一羽か二羽
        がせいぜいで
        こんなに群れていたのは珍しい


元気を出そう 元気を出そう

本当は マスクのことなんか 書こうとしていたのだが
なんだか 書くことが まとまりなく 違う方向へ 行ってしまう

これではいかんな

元気を出して また ブログを書こう

こんな時は ものを考える
必要以上に 考える
いいことかもしれない
自分の考えを 少しでも まとめて書こうと思う

書いていると 書くだけでも 元気が出てくる

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        いつかの空
        また 空の写真を写そう

国難の日に [2020年05月08日(Fri)]


はてさて 去年の八月に更新して以来
何の音沙汰も無く このブログは 沈黙してしまった

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          川沿いに咲く花
          今 ツツジの花は満開だ


そうこうしているうちに 世の中は大変な事になった

新型コロナウィルス

七十年生きてくると やはりとんでもない事に出会う

生きていく という事は 一筋縄では行かない

ここのところ 何もせずに ボウッとしていた

今はボウッとしてはいられなくなった

ブログの事も 頭には有ったが 何を書けばいいのか
全く 分からなかった
実は 今も 分からないのだが

ただただ不安感だけが 自分を覆っている

これではいけないな と ようやく思い始めた

今の政権の体たらくを 今回の騒ぎは明確に暴露した
と 僕は 思う
いきなり政治かと思うかもしれないが
このコロナ禍で 僕が日々 最も感じている事だから
仕方が無い

そもそも 政治なんてものを信用しようとする僕が
間違っているのか

ホントウは そうかもしれない

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          これも川沿いに咲く
          名前は知らない


僕は ブログでは 極力 政治的なことを書かなかった
それはそれで 僕の個人的な想いもあったのだが
今回の この災厄の渦中にいては
それは 許されないのではないか
と 思う様になったのだ

やはり 言うべき事は 言わなければならない

大げさではなく
七十年以上生きてきた人間の責任だとすら思う

言いたい事は山ほど有るが 絞ろうと思う

例えば PCR検査という 非常に重要な課題が有る
この検査に関して 僕は すでに3月から
何故もっと出来ないのか と 疑問を持っていた

疑問というより その のろのろ感に腹を立てていた

もっと早く出来ないのか もっと数多く出来ないのか

総理大臣は 一日 二万件出来るようにする
なんて 言っていた
すでに 4月6日のことだ

これも あの人の勝手な言い分で
デマもいいところだった
思いつきで 受けのいい事を言う
あの時 言った時も
二万件できるという 根拠を 全く示していなかった

いまだに 
その半分の 一万件も出来るところまで行っていない
そして 言ったことに対して 今 黙して語らずだ

何故だ! 何故だ! 何故だ! 
と腹立たしく 思っていた

この総理大臣は リーダーとして大変無責任だ

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         これも川沿いに咲く
         かれんな花だ


昨日 今日 ようやくその理由の一端が分かってきた

5月4日の会見で 専門家会議の尾身氏が
「この検査のキャパシィティーを上げると云う事が
外の国に比べて 日本は 遅れた」
と 初めて 認めた

この言い分は 実は 重要だと僕は思う

が 何を今更言うんだ
そのために 亡くなってしまった人は浮かばれまい
何故遅れたのか その事を詳しく説明すべきだ

「PCR検査の不十分な体制は日本の恥」
と 現状を強く批判し 検査拡充の必要性を直言
していた大学の先生も居た

韓国は この検査 かなり進んでいる
昨日のニュースでも報道していたが
韓国では 24人の作業できる人が居れば 9千人の検査が
一度にできる機械も 作られている
しかも その機械は 量産され
既に 諸外国に 輸出されてもいる
しかし 日本は 輸入しようともしていない

韓国とは 確かに 色々な
簡単ではない問題もあるだろう
が 現政権 ハッキリ言って総理大臣には
それを何とか打破する知恵も 勇気も無い

しかも
日本でも 民間では もっと有効な機械が出来ていて
国が 上手くパイプを作れば 出来る
と 言っていた人もいる
ぐずぐず ぐずぐす していて
それも 素早く やろうとしない
その間に 重症化していく人も 居るのに

どうも 官僚と呼ばれる人たちが
素早く動く事を しない らしい
何故かは 分からない

官僚!!! 何をやっているんだ
今こそ しっかりしてくれ!!!

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         これは去年の桜

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          これは今年
          去年と違うのは
          桜の木が 4本切られてしまったのだ
          木が病気になったのかな? 


官僚は書類隠しや ごまかしや 総理大臣への忖度
そんな事は 一切 辞めて
今こそ 実際に 動くべきだ
行動すべきだ

行政機関のみに依存する体制を 破ってでも
早急な建て直しのために 民間検査会社と地方の
国立大学が大きく そのチカラを発揮できるように
すべきだ
未曾有の事態だからこそ 権威にひるまず 権力に盲従しない
真実一路の姿勢が 官僚や 全ての医療者に求められている
(5月6日の朝日新聞の一部を引用しています
 それは 僕自身 全く同じように思うし
 代弁してくれている気がしたので 引用しました)

IMG_4605.JPG

         こんな風に桜の木は切られた


国の専門家会議とか 有識者会議とかを
立ち上げるが 
この人たちは 一体 何をしているのだろう
この人たち ホントウに役に立つ事をしているのだろうか
カメラを入れて もっと もっと オープンに
何を どんな風に 話し合っているのか
僕は 知りたい

そのためには メディアもしっかりしなくては
いけない と 思う

今の日本のメディアも情けなさを暴露していると思う

気骨の有る人は有識者にはなれないのかもしれない
政権におもねっている軟弱な人しか
有識者 とか 専門家会議には 入れないのかもしれない

この3月 4月 5月
日本の政治家 特に 現政権 与党は
何か ボウッとしていないか
あの西村と名乗る大臣の 恥ずかしさったら ない
喋る事を聞いていると
もう ガッカリしてしまう
現総理大臣の 提灯持ちだ
くだらないネーミングなんか 考えている時では無いだろう

こんな状況こそ ホントウの国難と言っていいだろう
こう云うときに ピリッとしないで どうするんだ

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          今年の3月29日
          東京は雪だった
          しばらくブログを更新していなかったから
          写真が 溜まっているので
          掲載しています


メディアも 全く 同じだと 思う

ピリッとするというのは
強権的になるという意味ではない

個が 個の意見を しっかりと言う
言っていく根拠を含めて 納得いくように
しっかりと 言っていく
と云う事なのだが・・・・・

またまた新しいことが分かった
大学の研究室には PCR検査が可能な機器が有るという
しかも 今 地方を含め多くの大学の研究室に頼めば
一日 やろうとすれば 一万人どころか
十万人分でも できると 山中教授が言っているのだ

総理大臣が それを 聞いているのだが
笑って 聞いているのだ

何故 早急に進めないのだろう

メディアは 何故 そこを追求しないのだろう

早急には出来ないのなら
何故 出来ないのか
その理由も ハッキリと 言えばいい

その理由が なるほどと思えることなら
納得もする

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         河川敷が整備されて
         桑の木も かなり伐採された
         クルミの木も 伐採された


今 毎日 出されている 感染した人の数も
だから 僕は 信用できない でいる

感染した人を発表したばかり の あと

PCR検査を受けさせたくても 受けさせてくれない
保健所 言ってみれば 国の役所だ

その事を嘆いている現場の医師の特集番組を
やっている
実際 どの位の感染者がいるのか
正確には 分かっていない と云う事だ
検査しないのだから 分からない訳だ

何故だ! 何故だ! 何故だ! 
と大声を出したくなってしまう

ホントウの感染した人の数を
少なくしておきたいのだろうか
多い事を 世界に知られるのが嫌なのだろうか
そんな事 言っている時ではないのに・・・

そんなテレビを観て
感染している人の数を 信用できるわけが無い

誰の言い分を 何を信用すればいいのだろう

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         この桑の木も伐採された
         この木は桑の実を沢山実らせたのだが


結局 落ち着くのは
自分の身は 自分で守るしかない 
という思い になる

しかし あまりに むなしい

むなしくとも 手を洗い マスクを煮沸し
       うがいをする

そう云ったことを 毎日 毎日
キチン キチンとする
今は それしか出来ない

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          カリンの木とカリンの花





八月もおわるぞ [2019年08月25日(Sun)]
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       今年の夏空

ボーっとしているうちに 夏も終わりに近づいてしまった
いや ボーっとしていた訳でないか・・・
やっぱり ボーっとしていたのだろうな

と云って 日々の生活 何もしていなかった訳ではない
・・・誰だってそうだな
誰だって ボーっと仕様として してる人は居ない

SCARECROWS・LEG は メンバーの遊佐明史が
今 他のグループへ出演するため 稽古に励んでいる
だから なかなか集まる事が出来ない
彼の稽古に入る前は 定期的に週に一度は会って稽古をしていた

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        大きな木が四本切られてしまった
        どうして 木が切られたのか分からない

9月に 彼の出演している芝居が終わるから
10月から また 始まる

具体的には 次の公演の話から始まるだろう

来年 2020年 4月 か 6月に 次の公演をやろう
と云う処までは 話が 進んでいる

作品が決まらない
「オイディプス」が 上がっているが
配役が 大変だ
しかし 今度は 人集めにエネルギーを使うのは止めよう
とは 言っていられない
大変でも エネルギーが必要になる

僕は 独り コツコツと(?) 作品を探している

今 本当にどんな作品をやったらいいのか
やるべきなのか
明確に 掴めない

この歳まで生きて来て
世の混沌が 不穏だと感じて これほど不安に駆られた事はなかった
そんな想いと 芝居と どう結び付ければいいのか
また 芝居は 芝居 と 割り切ってやるべきなのか・・・
イヤ 無理やり芝居と結び付ける必要はないが
無関係だとは 決して 僕には 思えない

その辺りが 自分の中で せめぎ合っている

焦らず じっくりと 作品を見つけたいと思っている

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       今年は雨の多い日が続いた
       魚や生き物が 川に満ちる
       この写真の中に亀 すっぽん等が居る

ここのところ 昔を 思い出す
子供の頃を 思い出すのだ
いやぁ 歳とったのかな なんて思う

やけに細かい事を 思い出すのだ
桑の実を 白いシャツで 採りに行って染みをつけ
母親にしかられた事なんか 思い出す
その時 僕は 白いシャツに 紺の半ズボンをはいていたな
なんて事も 思い出す
何故 白いシャツを着ていたのかも思い出す

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         カルガモの親子
         今年 ちよっと遅い気がする
         ここは誰にも見られずに大きくなる


その頃の桑の実取りは 実を入れる袋なんて持って行かなかった
殆ど その場で 食べたものだ
あの頃 腹が減って居たんだろうな
ガツガツ食べた
味わうとかじゃなかった
だから まだ熟していない酸っぱい実でもガツガツ食べた

同じ仲間が 何か入れモノに溜めて行って
一升瓶だったか 四合瓶だったかに入れて
棒で 潰して ジュースにして飲んでいたのを思い出した
その彼の家の縁側で 瓶を抱え楽しそうに棒を突いていた姿を思い出した

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          杏の実
          6月か7月の写真です

杏の実も 食べた
今年は 杏が出回るのが遅かったが
6月 7月 と割と長い事八百屋さんの店先に並んでいた
行くたびに 買い込んで 冷蔵庫に入れ
冷えた杏の実を 心行くまで食べた
勿論 杏ジュース 杏酒 も作った

僕の家には 実のなる木が あまりなかった
柿の木(身知らず柿・これは渋柿) 石榴の木 くらいか
杏の木は有ったが 石杏と云って 食べられなかった
杏より黒っぽくて とにかく硬いのだ
勿論 それでも 採って食べては腹をこわした

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          杏酒

あの当時 まだ 小学生の頃
梅の実も食べた
青梅は食べてはいけないと言われていたが 食べた
ものすごく酸っぱかった
実は まだ 青い梅の実の種には 猛毒が潜んでいる
若い青梅を食べて 中毒して亡くなった子も 居る

子供たちが まだ熟さない青梅を食べるなんて
今では 考えられない
でも あの頃は みんな腹が減って居たのだと思う

実のなる木が有る家が 羨ましかった

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       今年も色々な酒を作った
       毎年 作り過ぎてしまう
       僕は それ程酒は飲まないが
       自分で作った酒をほんの少しずつ飲む

サローヤンの「ヒューマン・コメディー」の中に
杏の木 と云う話が入っている
子供たちが 杏の木のある爺さん家に盗みに行く話だ
子供にとっては 冒険だった
しかも まだ 杏の実は 小さく緑色で まゆほどの大きさにしか
育ってはいないのだが 採りに行くのだ

あの話が 好きだった

僕も 子供の頃 同じように忍び込んで盗み取ったものだからだ
実際は どんな実でも ほんの一個か二個くらいしか採れなかった
ドキドキしながら 取った

十五夜の日だけは 盗み取っても 咎められない
と云う 決まりも有った
あれは 僕の住む所だけの習慣だったのだろうか
でも 結局 それ程は取れない
落ちている栗の実か まだ熟さない無花果か
その程度だ

それでも それを十五夜の飾り付けの所に飾って置いたものだ

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       この辺りはこんな飛行機が
       結構 頻繁に 飛んでいる


今年も猛暑が続いた
この二三日 ほんのちょっと気温が下がっている
でも まだ 暑い

ぼくの小学校にプールが出来て
みんなに解放された
五年生か 六年生の頃だったのではないだろうか
それからは
まあ 夏休みは ほとんどそのプールでキャッキャッと泳いだ

唇が紫色にり ガチガチ歯を鳴らすほど身体か冷えても
泳ぎに 泳いだ
泳ぎは 好きだった

それ以前は 川をせき止め 水を増やして そこで泳いだ
河をせき止めたのは 中学生だったか
随分 大きな人達に見えた
せき止めるための 筵とか 丸太とかを持って行かないと
泳がせてもらえない
僕は家から ずるずると滑らして 筵を持って行った記憶がある
ここでも 連日 泳ぎに泳いだ

今 帰省し その場へ行って見て
あまりの狭さに 驚く
こんな狭い所で あれほど沢山の子供たちが泳いでいたのかと
驚いてしまう

殆ど田圃の中にあるのだが 側面が御宮さんの崖だった
その御宮さんから 桜の木が覆うように伸びていたのだが
その桜の木から 飛び込みをする子もいた
僕は ついに 怖くてそれは出来なかった
その行為に 憧れを抱いていたが
ついに 僕にはできなかった

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        カリンの実
        これが12月頃には黄色に色づく

今 多摩川の源流近くにバーベキューに行ったりすると
岩の周りに 水溜まりがあって 結構 深いのだが
水がきれいだし 水中メガネなんかあると 魚が沢山泳いでいるのを
見たりすることが 出来る
あの僕らが泳いでいた 川の水は
あんなに水はきれいではなかったし 広くもなかった
だから 学校にプールが出来て 解放された時は天国だった

泳ぎは あの川と あのプールで覚えた
特に 僕は 潜って水の中で回転したりするのが好きだった

今 暑さも昔と違う
しかし 子供たちは 水が好きだ
保育園の前を通ると ビニールのプールがいくつも出ていて
先生が 笠を持って 子供たちはキャッキャッと騒いで
水と 戯れている

どうしたって 子供の頃の水泳ぎを 思い出す

夏が暑い 暑いと言っているうちに 涼しくなる
毎年そうだが この時期になると ほんの少し集中力が
回復兆しを見せ始める

今年の夏はどんな夏になるかと思っていたが
やっぱり 暑く 集中力に欠ける日々が続いた

ゆっくり じっくりと 力を取り戻さなければと
思う今日この頃だ

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       夏のある日
       半月が うっすらと見えた


時は流れる [2019年06月15日(Sat)]
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         二三日前の青空 
         青空はいいな

うかうかしているうちに 今年も早半分が終わろうとしている

ブログの更新が できなかった

怠けていたのも有るが パソコンが開かなくなってしまったのだ

パソコンは 何台か有るのだが ネットに繋いでいるモノは
ブログをしている為のモノ一台だけだった

はてさて 苦労した
パスワードとか ID とか忘れてしまっていて
新しくネットに繋いだパソコンから ブログを書く為の場所へ行きつけない

それでも分かっていれば 訳はないのであろうが
僕は ほとんど セットして行ってくれる人が居て
その人に やってもらっていた
今回は 自分で行き着き 更新する事ができるようになった
・・・と 思う

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          雨が降ると子の川も水が流れる

が こうして書いているうちは まだ分からないぞ

とにかく やってみることだ

今年の 5月 6月は お天気と云うか 気温がおかしかったし 今もおかしいと思う
桑の実を 今年も沢山取ったけれども 実り具合がいつもの年とは違っていた

毎年 咲く 白モクレンが ついに 咲かなかったり
桜の花がなかなか散らずに いたりと 
些細な事が 気になる 4月 5月 6月だ

異常気象と云う言葉も 既に 耳新しくはないこの頃だが
やはり 気になる事は 気になる

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          栗の木
          もう既に小さい栗のいが
          が 成っている

東京 今日は雨が降っている
冷たい雨だ

昨日までは 晴れていた

気温も 上がったり 下がったりが激しい
雨も人々の生活には 必要なものだが 降り方の様相が激しい
災害も 多い

おそらく 雨にしても 風にしても 油断はできない時代になって来た

それは 僕だけではない 誰しも感じている事だろう
地震も 恐ろしい
しかし 自然は 誰にもどうにもできるものではない
正しく怖がり 用心し 覚悟しているしかないような気もする

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          アジサイ
          アジサイも今年はちょっと遅い気がする

歳を重ね 自分の日々を 想う

と同時に 世情をも 想う

自然災害もだが 世情の不安は 70年以上生きて来て
毎日 毎日 忘れることができなくて 頭から拭い去ろうとするが
孫子を 想うと じっとしては居られないほどになる事が 有る
近頃は ますます 僕は うろたえる

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          アジサイの花が小さい
          いつものように咲く所もあるが
          ここのはいつもの年より花が小さい


僕自身は もう70年以上生きて来た だから後は知らん
とは 到底 思えなくなって来た

かと言って 今の僕に何ができるだろうか
その事を やっぱり真摯に考えなくてはならない

僕の子供たちは 僕からこう云った話を聞きたがらない

子供の時から 世情 政治の話 そう云ったことを うるさく言い過ぎたのか
僕の話は 小さい子供の頃から 怖くなるだけだったと 
今頃 子供たちに よく言われる

子供たちの前では 今は だから 言えなくなっている

まあ それぞれがいい歳になった
言わなくても 自分たちで 判断しては居るのだろう

今 こうして書いていても だから 常に思うのは 自分に対して言うのだ
と 若干の反省を込めている つもりなのだが……
自分の中では 底の底の方で 本当はそれもおかしいと
自分に矛盾を感じてはいる

言いたい事は どんな事でも 言いたい方だからな 僕は

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            桑の木
            桑の実の時期も終わった


僕は 芝居を続けて来た
ホントに 今は 小さな小さな 片隅で続けている
それでも尚 やっぱり 今 僕にできることは 芝居を続けることだろう

そして 大切なことは 今 どんな芝居が 良いのか
・・・これが 難しいのだ
が やるからには 今の世情の中で 自分にとって 
この芝居だ ! ! 
と言える 作品を選び取り やる事しかないような気もする

だから 作品選びには 苦労しているし
苦労しても仕方がないような気がする

ちょっと 時間は かかる
かかっても良い と 思っている

じっくり 探している

こうして また ブログの更新をする

その事が 今 何にもまして 凄く 嬉しい

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          桑の木
          この桑の木は
          実をつけて熟するのが
          他の木より 遅い

さあ ブログ 更新するぞ
本当に 嬉しい ! ! ! 


12月公演無事終る [2018年12月17日(Mon)]


SCARECROWS・LEG 11回公演
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
は 無事 千秋楽を迎え 終った

忙しい中 観に来て下さった方々には
心から お礼申し上げます

ありがとうございました

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            「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
             カーテンコール

初めての 三人芝居 
僕は 大成功 だったと思っている

制作的なことには 多少 問題も残ったが
それも たいしたことではない

出演した三人の若い俳優諸氏にも
心から感謝したい

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          マーフィを演じた半野 雅
          この作品で 彼の演技は飛躍的に伸びだ
 

この芝居には 好き嫌いが 有ると思う

好き嫌いの無い芝居は 無い と思うけれども
特に こう云った芝居は 
好き嫌いがハッキリしていると思う

が こう云う芝居は どうも嫌いだ
となれば 話は そこで 終ってしまう

ただ 年末にあたって 心温まる芝居でなかった事は
確かかもしれない

もっと心の和む芝居を望んで ギャラリーに
足を運んでくださった方々には 申し訳ないと思う

今の世情を考えた時 せめて芝居ぐらいは
心の和むものを と 思う気持ちは分かるし
そう云う芝居を やろうという選択肢も
無かったわけではない
でも 「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
という作品に ぶち当たってしまい
取り組む事になった

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              インド人を演じた南雲康司
              彼は 読み稽古の二日目だったか
              いきなり 台詞をヒンズー語に代えて来た
              台本は英語(翻訳された日本語だが
              上演された時 ヒンズー語だったと有る)
              それで かれはヒンズー語をマスターした
              そのエネルギーは賞賛に与えする

僕は この芝居をやって良かったと思っている

今年の五月 暑さがやって来るちょっと前
予定の作品は
「オイディプス」だった

「オイディプス」は ギリシャ悲劇であるが
現代風に戯曲にしてあるものは 僕の知る限り 無い

映画は
「アポロンの地獄」と題された
名画が 有る

上演されている記録を調べると
ほとんどが ソポクレス作 ギリシャ悲劇
として 上演されている
僕達も そうしようと思った

僕が ほんの少し 言葉を変えたり 加えたりして
実は 我々の公演用として 台本も作った

その頃は すでに 暑い夏だった

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          「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
          ひとつのシーン


オイディプスの妻(母でも有るわけだが)
イオカステを演じてくれる人が 居なかった

いつの時も 参加者を募る・・・その事には
かなりのエネルギーを費やす

僕は そのエネルギーを費やす事に疲れていたのか
いや そうではないと 今になってみると分かる

人を募ることへのエネルギーには 
随分前から 疑問を感じていたのだ

人を集められない 

それは 力の無さでも 有る
その事は 認めなければならない
ハッキリしている
情けないと時に思うが これはハッキリしているのだ

我々の芝居に出たい人が 居れば集まるはずだ

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             「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
             ひとつのシーン


大きな問題は ギャラが払えない事にも有る

40人入れば 満席になる
そのお客様の人数で やるのだから
どんなやり方をしても 低予算になる

LEG の公演は 俳優諸氏の 
演技を鍛えるための 場でもある
これは ご都合主義で言っているのではない

お金を頂いて 観てもらう以上 甘えは許されない

しかし 実験的な意味や 
俳優諸氏の それぞれの抱えている問題を解決するため
そう云った方向性で 公演をしている事も否めない

今まで LEG の公演に だからと言って
甘えの構造が有ったとは 決して 思っていない

我々は いつも 必死の想いで上演をしていた
何よりも ギャラリー 
あの空間が 演劇空間になった処が 好きなのだ

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             「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
             ひとつのシーン


LEG の作品が好きだと言って下さる方も
少しでは有るが 増えている
また 一度だけではなく 二度観て下さる方も出て来た
今回も 二度 観に来て下さったも居る

今回 参加者を募るというエネルギーを 捨てたのだ
エネルギーをもっと 真中に集めたかったのだ
ちょっと 抽象的な言い方になってしまいましたが・・・

始めから集まっていた三人で出来る事はないか

そう思ってウツウツしていると 僕が まだまだ若い頃
やりたくても やれなかった作品が
幾つか フウッと 現れて来たのだ

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            「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
            ひとつのシーン


それは まるで 向こうからやって来るように
浮かんで来た

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
は その最も強い想いと共にやって来た作品だった

急遽 「オイディプス」から 
乗り換える事にした

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            「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
            ひとつのシーン


いきなり 稽古場で 作り変えた台本を渡した
いきなり 読み稽古をした
若い三人は 「これ 面白い」
と 三人とも 言ってくれたのだ

上演してみて良かったと 思っている

一見すると まるで救いの無い世界に見える
観終わった後 心が 重くなった方々も多かったと
思う

今 日本と云うこの国も 
この芝居のような世界になっていて 無縁では無い
そして その世界から逃げる事は出来ない

おそらく 世界の何処へ行っても
逃れる事は出来ないだろう
ならば どうすれば 世界が良くなるか
その事に向かう
良くなる方向に 向かう
毅然として向かう 
そして 努力する

どんな努力をすればいい ? ? ? 

・・難しい
・・・・・厄介だ
・・・・・・・・・確かにそうだ

しかし
それしかないような気がする

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             「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
             ひとつのシーン

個として 個の考えをしっかりと持つ
人間は 個であることを決して 忘れない
(これは 僕 個人の考えでしかないのですが)
それがまず出発であり
それを肝に銘じ 全ての モノゴトの始まりを
それを忘れずに 大切に動く 

何を今更 と言われそうで オタオタしている

それでも尚 どこか 心が救われるような
そう云った芝居を これからは 探そうと
思ってはいるのです

何はともあれ
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」は
終った

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             「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
             ひとつのシーン

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              「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
              空舞台





インド人はブロンクスへ行きたがっている [2018年11月25日(Sun)]
SCARECROWS・LEG 11回公演

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

チラシ 表.PNG

            「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
            チラシの表面


当然のごとく 稽古は 詰めに入っている

照明と云っても ギャラリーの照明は大掛かりには出来ないが
それでも 通し稽古を観てもらい
照明の打ち合わせも 既に済んだ

ここに来ての稽古場は 疲れも出て来ている
三人だけの芝居だが 
疲れたとは言っていられない
が ことのほか 疲れるようだ

演出として 観ていても 疲れる

長い芝居ではない

だが 百メートル 全力疾走の感がある

三人共 舞台に現れたら 最後まで舞台に居る

最後の最後は 一人になるけれども
三人の織り成す芝居は 全力疾走だ

観ている方々には 面白いと思っていただける芝居
だと思っている

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          「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
          稽古風景
          一部披露


面白いと感じるのは 個人差がある
好き嫌いが 人それぞれであると同じように
面白さも 人それぞれ 感じ方が 違う

と言って だからつまらないと感じる人もいるだろう
と 今回は 思わない

芝居が 面白いか面白くないか
そんな事の 言い訳をしても始らないな

この芝居は 面白い

はてさて このお芝居には 公衆電話が出て来る
重要な 要素を 占める

アメリカの芝居だから アメリカの公衆電話が
舞台の上に 必要になる

色々調べると もの凄い数が 有る
種類が 時代によっても その場所によっても
全部違うから ホントに すごい種類が有るようだ

しかも 古いカタチ 新しいカタチ
混然として あるようなのだ

始め 何とか 作れないだろうか
なんて 思っていた

いゃぁ 電話は 作れないな
これが 一番の気になっていたことだった

電話ボックスなら あまり変わりないようだが
公衆電話ボックスを作るのは これまた 大変だ

雨ざらしの 公衆電話も 有る事が分かった

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          買い求め 送ってもらった
          アメリカの公衆電話
          外にも もの凄い数の種類が有る


しかし 何と云っても 助かったのは
今 アメリカの公衆電話の形をした レプリカと云うのかな
それが 売っていることが 分かった

時代 カタチ 内臓されているモノによって
値段が もの凄く 違う
高いものでは 30マン円近くする
そんなものは 買えない

日本の家庭電話に 簡単に 取り付けられる

一番安いものを 買い求めた

アメリカから 来るようで
届くのに 二週間以上 かかった

まあ 凄い時代だとは 思う

アメリカの公衆電話は 受話器のコードが
金属で 巻かれている
おそらく 簡単に 切れないように作られているのだと思う

芝居では 簡単に 切れなくては意味がない

台本にも指定が有る
─ 簡単に切れる様工夫されている電話コード ─
と指定されて 書かれている

芝居上のウソになる訳だけれども
こう云う事は 仕方がない面も 有る

電話をむき出しに 置きたくなくて
出来る事を 考え 調べ 
調度 チラシに近い 置き方をする事にして
回りを 作った
これを 壁になる面に 取り付けることにした

最終的に どんな風なものが出来上がるか
これも 楽しみではある

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           回りに有る壁に取りつけるために
           作った ボックス
           はてさて どんな風につくか
           これは 置いて 稽古しているトコロ


バス停も必要なのだが
しかも 町なかの 乗り合いバス停が舞台だ
アメリカのバス停には 場所の名前が無い事が
分かった
バス停には 止まるバスの番号だけが書いてある
と 調べると 書いてある

その番号と 行き先とを調べておかないと
分からないコトになる

乗り合いバスに乗る人は みんな知っているわけである

ちなみに バスの料金は バスによっても違うけれども
乗った距離 乗る距離に関係なく 同じ料金だそうだ
しかも 前払い
多く払っても おつりは出ないし
日本のように 両替機などは 無い

国柄によって 随分違うようだが
日本の そう云ったものは かなり親切というか
きめ細やかになっているようだ 

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            稽古風景
            インド人を演ずる南雲は
            ターバンを巻く稽古から始めていたが
            大分 板についてきた
            それでも 巻き方に失敗すると 取れてしまうし
            きつくすると 頭がジンジン痛くなるらしい


行き先がバス停では分からないし
時間も 書いてなくて 分からない らしい
勿論 利用している土地の人は 知っている訳である

そんな バス停で バスを待っているインド人
しかも 時間は かなり夜遅い
既に 人通りも無い 夜

そこは まるで 忘れられた場所
棄てられてしまった場所のようにも 見える

そんなところで 芝居は 始る

若者が 二人 やって来る
実は この若者二人も バスを待っている

インド人と 若者が 織り成す 芝居

忘れられた場所
棄てられた場所
という考え方は 我々の稽古場が決めた

はてさて
この先は 観ていただくほかはない

緊張感と 期待と 希望と 勇気を持って
本番に向かう

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           稽古風景


今まで SCARECROWS・LEG で上演した作品とは
少し おもむきが 違う芝居かもしれない

皆々様 是非 ギャラリーTSUKASA まで
観にお出でください
お待ちしております

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              チラシの裏面

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

イズレイル・ホロヴィッツ 作
松沢八百 訳
上田ボッコ 演出

2018年 12月6日(木)〜 10日(月)

開演時間  
      6日(木)     19:00〜 
      7日(金) 14:00〜 19:00〜 
      8日(土) 14:00〜 19:00〜 
      9日(日) 13:00〜 
      10日(月) 13:00〜 

                7ステージ

料金 2500円(前売り・当日共)

場所 ギャラリーTSUKASA (西武新宿線・東伏見駅北口徒歩5分)  

   45人ほどで満席になります
   お早目のお申し込みをお勧めいたします
   開場は 開演30分前

出演者
    遊佐 明史
    南雲 康司
    半野 雅

協力  ギャラリーTSUKASA 東京演劇アンサンブル
    SCARECROWS 竹本風太 合同会社サミシガリ
    
    劇中歌作曲 遊佐 克也

    制作 LEG制作部

お申し込みは このブログのコメント欄でも結構です

皆様のご来場を 心より お待ちいたしております

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          稽古が終って帰る頃
          美しい月が 雲間に見え隠れしていた


LEG 12月公演 [2018年10月15日(Mon)]


「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

チラシ 表.PNG

          作品チラシ 表


稽古は 18日から 立ち稽古に入る

今は まだ 読み稽古だが
3人の 出演者のノリが 凄い

僕は ちょっと 抑えるのに四苦八苦 する

この数年 僕の脚色による作品が 多かった
戯曲そのものを上演するのは
岸田國士作「パン屋文六の思案」「隣の花」
以来かも 知れない

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」は
翻訳されているものだが 
イズレイル・ホロヴィッツの作品である

アメリカのブロードウエイは あまりにも有名である
そのブロードウェイが商業主義になってしまい
(僕は商業主義が悪いとは 思っていないが・・・)

OFブロードウェイが 生まれた

間もなく そのOFブロードウェイも商業主義化されたと
云う事で

OF OFブロードウェイが 生まれた

この作品は そのOF OFブロードウェイで上演されていた

映画「ゴッド・ファーザー」で
一躍 世界的なスターになった アル・パチーノ
が まだ おそらく無名だった頃だろうと思う

これまた同じ映画で 出て来たジョン・カザール

この二人 アル・パチーノとジョン・カザールが
若かりし頃 そのOF OFブロードウェイで
演じている作品である
その年の賞を受賞している作品でもある 

秀作である

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          秋晴れ
          近頃は 曇天ばかりだ
          数日前の写真です


ト書きが 多い

ト書き とは 台詞(言葉)と台詞の間に
動きとか 感情とか モロモロの事が書かれている
のを 云うのだが
この作品は 指定するように ト書きが多い

はたして 僕らが そのト書き そのまま 作って行くか
どうかは 立ち稽古に入らないと分からない

台詞の言い回しにも ト書きが 有って
作者のホロヴィッツの 想いが ひしひしと伝わって来る

ト書きは 重要である

作品の解釈

登場人物の解釈

シーン シーン の解釈

台詞と ト書きで書かれている戯曲は
それらで 解釈して 芝居を作って行く

さて 解釈は重要であるし 必要なもの
おそらく 芝居作りにおいて 戯曲の解釈は重要で
絶対 必要なもの だろう

絶対・・・・・

イヤ 解釈が無ければ その芝居を作る事そのものが
出来ないだろう

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          マンジュシャゲ
          これも数日前の写真です


だけれども この解釈と云うシロモノが 実は厄介なのである

例えば ひとつのシーンの解釈が
稽古場では 人によって違う
と云うコトが 起こる

これは 結構 多い

人は みんな 違うから
当たり前 と言えば 当たり前の事ではある

稽古場では 話し合って 
我々の稽古場は
こう云う風に このシーンを解釈する事にしよう
・・・・・最終的には そう云う風にまとめて行く

が この解釈と云うものは 時にとんでもない間違いを
犯す事も 有る
イヤ 解釈が間違うと云う言い方は無いな

解釈によって 我々が間違いを犯す
と云った方が 正しいだろう

僕は僕なりの解釈を 必ず持つ が
解釈を 僕は 鵜呑みにしない
そう 僕はいつも心がけている

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          白いマンジュシャゲ
          今年 はじめて見た
          これも数日前の写真です


解釈と その解釈による俳優諸氏の表現
を 僕は こんな風に 考える

例えば ある俳優さんに
「そこのファミリーマートで
 新聞A を 買って来てくれ」

頼んだとする

この時 店(ファミリーマート)は解釈 
新聞Aは 表現された演技
と 考える事にして・・・・・

ところが 彼は セブンイレブンに行ってしまった
解釈が違っていたのである

それでも 新聞A をちゃんと買って来た

もう一人の彼に 同じ事を 頼んだ
彼は ちゃんとファミリーマートへ行った
解釈は同じだった

しかし 買って来たのは 新聞B だった
表現されたものが 違うのである

これで 困る事が 有る

そして 解釈と 表現の間では
こう云った事が 結構 起こるのだ

稽古場の中で 共通認識としての解釈が必要な事は
当たり前である
そのために 台本は 全く同じものを使うし
始めの稽古で 随分と 本について話し合いもする

しかも 稽古中 
時に 本番に入っても
それは 続く事さえある

しかし 芝居作りにおいては 表現されたものが
最も 重要である
具体的に 表現されたものが 全て と言っても
過言ではないだろう 

だから 僕は 解釈を鵜呑みにしない
表現されたものが 重要なのである

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          ススキ
          毎年 市が依頼した業者の方が
          この辺りの草を 一斉に 刈る
          ススキは 残す
          おかげで ススキは 大分増えたようだ


ホロヴィッツの作品
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
は ホントウに ト書きが多い
作者の 想いが それだけ強い とも言えるだろう

何故 ト書きに書かれているように 動かなければならないのか
俳優諸氏は 
すでに 読み稽古の時から 多くの疑問を持つ

芝居が分かりづらい と云うのではない
むしろ 芝居は 分かりやすい

その分かりやすい芝居を 分かりやすいように演ずるのが
難しいのである

まあ 分かりやすく演ずる必要が無い場合も多いが・・・

作品において ほとんどのト書きを
僕は ヒント だと考えている

ひとつのシーン そのシーンを明確にするための
作者の出したヒントだと 僕は 考えている

だから 最終的にそのシーンが 間違いなく 明確に伝われば
作者の指定するト書きどおりに 作る必要は無い
と 考える訳だ

選択肢が 無数に有って 迷う
と 思うかもしれない
迷っても おそらく 最終的に残るのは ひとつ である

そのシーンの ひとつのカタチが 残るのである
そして それを選び取って行く努力を
僕達の稽古場は 強いられて行く

これは 芝居作りの 面白さ
だと 僕は 思っている

しかも こう云った作品に出会うのは
ホントウに 久々の事である

出演者が 3人 
稽古場は いつに無く 静かだ

面白くなる予感が 既に 満ちている

皆々様 是非 観にお出でください


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          作品チラシ 裏


「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

イズレイル・ホロヴィッツ 作
松沢八百 訳
上田ボッコ 演出

2018年 12月6日(木)〜 10日(月)

開演時間  
      6日(木)     19:00〜 
      7日(金) 14:00〜 19:00〜 
      8日(土) 14:00〜 19:00〜 
      9日(日) 13:00〜 
      10日(月) 13:00〜 

                7ステージ

料金 2500円(前売り・当日共)

場所 ギャラリーTSUKASA (西武新宿線・東伏見駅北口徒歩5分)  

   45人ほどで満席になります
   お早目のお申し込みをお勧めいたします
   開場は 開演30分前

出演者
    遊佐 明史
    南雲 康司
    半野 雅

協力  ギャラリーTSUKASA 東京演劇アンサンブル
    SCARECROWS  中川香果 合同会社サミシガリ
    
    劇中歌作曲 遊佐 克也

    制作 LEG制作部

お申し込みは このブログのコメント欄でも結構です

皆様のご来場を 心より お待ちいたしております

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           秋晴れの日
           赤とんぼが 群れて飛んでいた
           電線に止まる 赤とんぼ




LEG 作品変更のお知らせ [2018年09月11日(Tue)]
 

SCARECROWS・LEG 12月公演の作品が 変更になりました

始め「オイディプス」を予定していたのですが

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

と云う作品に変わりました

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          何時ものように 台本を作り
          声を出して 参加者(出演者)三人
          読んでみました
          面白い作品です
  

イズレイル・ホロヴィッツの作品で
アメリカの OF OFブロウドウェイで上演されていたものです

日本でも 結構 アチコチで上演されていた作品です

はてさて 5月 6月 7月 と「オイディプス」のために
参加者を 募り エネルギーを使っていました

今 参加者を募る事が 我々のグループでは
大変 難しくなってきました

三ヶ月以上 そのエネルギーのため 疲れた中
自分自身の これまでの演劇活動をあれこれと思い
何か 違う方向へ 向かっているのではないか
と 僕自身は 思い始めたのです

その時 その時で 一所懸命 考えた結果で
本当は 違う方向と云うのは 無いのかもしれません

単に そう云う具合に 曲がりくねって来た
今も 曲がりくねっている中で 活動をしている
と云うに 過ぎないことかもしれません

この歳になって ふと 立ち止まった時 
考えた結果に 過ぎないことかもしれません

たぶん そうでしょう

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          LEG所属
          遊佐明史
          今回三人の参加者の一人です


8月 ふと 若い頃 やりたくて出来なかった作品のことを
思い出しました
やりたくて やりたくて仕方がなかったのに
やれなかった作品が 幾つか あります

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

この作品も やりたかったのに実現出来なかった作品です

すぐさま 本棚を 探すと その本は有りました

ずうっと以前 劇団を辞めて 
独りになった時 もう芝居は出来ない と 思っていました

今のように 小劇場 など云うモノは 無かったし
芝居をする と云えば
劇団に入るしかなかった 
劇場も 一番小さい劇場といわれていたのが
俳優座劇場
400人 お客様が 入る劇場で
当時 演劇を観るには そのくらいの人数が最適などと
言われていたものです

今は 20人 30人 で満杯になる劇場も有ります

それ以外に 演劇をやるとすれば
アングラ と 呼ばれていた
紅テント(状況劇場)
黒テント  
寺山修二氏が 主催していた天井桟敷

そのくらいでした

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          本棚に有った
          というより 眠っていた本
          「OF OF」


それでも 僕は ある映画をキッカケに知り合った Tさんと
阿佐ヶ谷にある Hビル の三階を借りて
エドワード・オルビー作の
「動物園物語」(二人芝居)の稽古をシコシコとやっていました

この芝居は 一年以上 稽古しました

そして 赤坂に有った
東京映像芸術学院 と云う映画のための学校
(この学院は今は有りません
 当時 既に 廃校になっていた所です)
既に 壊れかけている 試写室を借りて
その「動物園物語」を 
まさに おっかなびっくり しかし 思い切って
上演したのでした

上演料金 900円でした
しかも 黒字でした

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           当時 作ったチラシ
           「動物園物語」
           仕切り場 と云うグループ名を
           つけていた


その時 初めて

演劇は 何処でも出来るのだ ! ! !   

と云う事を 知ったのです

それから活気付き 元気付いたのです

そして それが 今の原点になっている
と云っても いいと思います

そして 不思議な事に 時を同じくして
まるでニョキニョキと キノコが 生えるように
東京のアチコチに 小劇場が 建ち始めたのです

僕が 30代初めの頃だから
既に40年は経つわけです

その頃から 十年 二十年は
様々な人と組んで 芝居作りをしたものですが
ほとんどが 二人芝居 三人芝居
せいぜい 四人 か 五人で
芝居作り をしたものです

北村想・作「十一人の少年」も上演しましたが
その作品は 出演者が11人
それが 一番多く出演した 作品だったと思います

ここ十年 10人体制 15人体制 と参加者が増えて行ったのは
作品も有りますが
制作上の問題も有ったのだと 思います

人数が 多いと それだけチケットが売れる
と云ったような事です

しかし 経験的に云うと チケットが売れる
と云うのは 参加者の数の問題だけではありません

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          やはり 当時 作ったチラシ
          「十一人の少年」


今回 やる事になった
「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
は 3人芝居です

アメリカのブロードウェイが商業主義になっている事は
今 云うまでもありません

ハッキリ 言っておきたいのは
僕は 商業主義が 悪いと 思っていません

それは それです

要するに 実験的な試みなどが 出来なくなれば
それは それで 出来る所で やればいいのだと
単純に 考えています

ブロードウェイが商業主義になってしまったことで
OFブロードウェイ が 生まれました

しかし 間もなく OFブロードウェイも
商業主義に染まってきた
と云うことで
OF OFブロードウェイが生まれたわけです

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」
の載っている 「OF OF」と云う本の解説には
既に そのOF OFブロードウェイも商業主義化している
と書いてあります

1970年初頭に 出版されている本です

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

何故 こう云う 作品を 僕は 忘れていたのでしょうか

分かりません
正直のところ 分かりません

この8月 雷に打たれるように と云うと大げさですが
本当に ふと 気が着いたのです

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            参加者のひとり
            半野 雅


読み返しました
実は 台本も作ってありますが
本を 読み返しました
少しも 古くない ビリビリ 来るものがありました

優れた作品には 普遍性が あるのです

この作品は
オビー賞を獲得しています

映画「ゴッド・ファアザー」で一躍世界的なスターになった
アル・パチーノ が 
おそらく まだ無名の頃でしょう
ジョン・カザール などと 一緒に
OFOF の舞台で 上演しているのです

僕は その時の写真を ある先生の処で見ています

「アメリカの演劇」と云う本だったかな と思います
(違う本だったかもしれません)

沢山 沢山 上演写真が載っている本です
一面の大きな写真から 一センチほどの小さな写真まで
その本には 埋められていたのですが
2センチくらいの 小さな写真だった思います

アル・パチーノ と ジョン・カザールの顔は
ハッキリと 分かりました
「ブロンクスを目指すインド人」とタイトルだけが
印刷されていました

僕は すでに 40歳を越している時で
その写真を見て ショックを受けたのを覚えています

もう自分は 出来ないなと云う想いが
強かったからです

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           「OF OF」の中に有った写真
           アル・パチーノ と ジョン・カザールが
           分かる


八月 十日間かけて パソコンに打ち込み
台本を 作って 三人の参加者に集まってもらい

作品を こちらに変えたい
コトを話し
早速 三人で その台本 声を出して読んでみました 

そして その場で 変える事を決めました

今は チラシ作りに かかっています
稽古は 9月25日から 開始です

「インド人はブロンクスへ行きたがっている」

面白い作品です

ご期待ください

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            参加者のひとり
            南雲康司

三人の参加者は 結構 猛者です
しかも この作品において この三人は最適だと思います

これから 掲載していきます
よろしくお願いいたします


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