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ブレーカー [2010年03月05日(金)]


     

            ちょっと 遅ればせながら
            我が家の 雛
            写真では 分からないが
            とても 小さい
            長女から 家内へのプレゼント


・・・僕は 部屋を一通り 見渡し
   ブレーカーを落とし 
   部屋を 出た ・・・

これは ある作家の ある作品に 書かれた
ほんの 部分だ

ブレーカー を 落とす

昔は その部分を ヒューズと言っていた

電気が 各家庭に 入って来る
その入り口に ブレーカーは 有る
当然 ヒューズも そうだった

ヒューズは 瀬戸物の 白い ガイシで 出来ていた
メーターの傍に 有った

家庭で 使っている電気が 容量を越すと
ヒューズが 切れて 電気が ストップ
家の中は 夜なら 真っ暗になり 音も消えた
今は ブレーカーが 落ちて そうなるが
ブレーカーのスイッチを 戻せば すぐ 明かりも 戻る

昔は 白い瀬戸物の ガイシを開ける
と云うか ガイシは 蓋のように 二つに分かれていて
それを 開けると
電気の 通り道が そこだけ むき出しになった

ヒューズは ナマリの線で 熱で熔け 切れるのだ

電気は 容量を超えると 熱を 持つ
そのまま 使えば 熱はドンドン 上がって
火が 出る
ナマリは 熱で すぐ溶けるから 切れて
電気の道をも 切断する

ヒューズを 思いついたのは 誰だろうか
凄いし 素晴らしいアイデアだと 改めて 思う

昔 ヒューズを 付けるのは 厄介だった
何故か 男の 役目だった
女の人でも やっていた人は 勿論 居ただろう

大概 メーターの上 あたりに 
ナマリの線 ヒューズが 置いてあった
無いと「ヒューズ ヒューズ」と言って
家中 真っ暗な中で 大騒ぎをしたものだった

「無い 無い 早く 斉藤電気へ 行って
 買って来い・・・」ってなもんで
騒いだ

クリクリッと 曲げて マイナスドライバーで
ネジを回し ヒューズを 挟み
もう片一方も 挟み つなぐ

本当は 怖い 作業だ

電気だから 線は 当然 プラスとマイナス
二本 通っている
その 片側に ヒューズが 有ったのだが
プラスの線も マイナスの線も むき出しになってるから
万が一 プラス・マイナス 両方に触れれば
感電する

僕も 随分 ヒューズを つないだ
結構 緊張したものだ

ヒューズが 切れた時の あの一瞬の 静寂
そして 蝋燭の光
懐かしく 思い出す事が 有る

     

          昔の ヒューズが写せなくて 残念
          現在 どこの家にもある ブレーカー


今は ヒューズなんて 言わないし
むき出しにも なっていないし
スイッチが 落ちるだけで
そのスイッチを 戻せば 元に戻る

ブレーカーが落ちたら 電気製品の何かを 切り
電気の 容量を 少なくしないといけない
そうしないと 又 ブレーカーが 落ちる

とは云っても 便利になったものだ

ブレーカーも あまり 落ちなくなっている
ブレーカーの スイッチの数が 増えて
家庭で使える電気の容量も 増えているし
電気製品そのものも 出来るだけ 電気が少なくて
動くように なっているのだとは 思う

近頃 ブレーカーが落ちる事が あまり無い

ブレーカーのスイッチの ひとつか ふたつ
全家庭から 減らせば
原子力発電は 要らなくなるのではないか
なんて 素人考えを する事が 有る

幾つかの 電気製品を 同時に使うと ブレーカーが
落ちるから 
これと これは 一緒に使わない とか
エアコンを 入れている時は 
レンジで チン 出来ない とか 
かつて そうであった様に ちょっと 不便に戻る
かも知れないが

エコ エコって テレビで云うけど
全家庭から ブレーカーのスイッチを ひとつ だけ 減らす

・・・ああ でも 電気会社が それは 許さないな

僕は 原子力発電が もの凄く 怖いのだ
核と 人間 の共存
これが 僕には シックリ 来ない

が 嫌か 嫌でないかに かかわらず
既に 共存の中に 僕達は 生きている

僕は この歳まで 生きたが
これからの 人たちは 大変だと 思う

     

          このコンセントにも ヒューズが有る
          コンセントそのものが 電気の容量を感知する
          オーバーすると 黒いポッチが 
          プチッと 出て来て 電気を遮断する
          又 プチッと押せば 戻る
          なかなかの 優れものだ


このところ 東京のお天気が 冬らしくない
晴れる日も 有るが
ドンヨリとした日が 多いような気がする
そんな日々 ゴロリと 横になり 小説を 読む
ほんの 一行 ブレーカーと云う 言葉が 出て来た

ブレーカー なんて あまり 考えた事
無かったなと ふと 思った

 


本の居ずまい [2010年02月28日(日)]

人は 本を 読む

僕も 本を 読む
沢山の 本を 読む

     

             東京の雪景色
             今年 二月始め
             雪が 降った


これまで 本当に 沢山の本を 読んで来た
これからも 沢山の本を 読むだろう

本が 無かったら 本が読めなかったら
本を読む事は 生きる事と同じ だから
読めなかったら 大変な事になる

本を読む 
この行為は 習慣の奴隷
僕にとって ほとんど そう言っていい
・・・習慣の奴隷だ

しかも 僕は 本の読み方が 遅い
本を読み続ける為の 集中力が 短い
おそらく 一時間が その限度かも知れない

休憩が 要るのだ

読み出して 止められなくなって 朝まで
読み切ってしまう
そう云う時が 無い訳ではないが
稀である

面白い本 で あれば あるほど
僕は・・・ 何と云えば 良いのだろう
・・・ブレーキを かけながら 
そう ブレーキをかけながら 読む
そう云う 本の読み方は 僕の 癖かも知れない

ブレーキなんぞ !  要らない !
この本は この本の持っている勢いで 読まなければ
この本の 面白さが 解らないではないか !

そう云った 考えが 無い訳ではない
でも ブレーキをかける
忘れかけて グングン 読んでる時
オッと ブレーキってな 具合に・・・ 

その本の面白さを 出来るだけ 長く 味わう
そんな 想いが 働くのかも知れない

読み終えて 又読んでも ダメだ
ブレーキが いい

ただし 例外も 有る
村上春樹氏の本は なかなか そのブレーキが
利かない事が 多い

     

             もう二月も今日で終わり
             春一番が吹く時に
             雪景色でも あるまいに・・・


でも やっぱり ブレーキは 重要
僕にとって 重要な 本読みの要素だ

勿論 ブレーキではなく 二度 三度と 
読む本は 有る
誰にでも 有るものだと 思う
それは 別な 面白さだ

一時に 三冊くらいの本を 同時に 読んでる事も ある
ひとつ 読んでいるところに 
読まねばならない本が 現れる
同時に 新聞に 追っている作家が 新しい本を 出した
なんて 載っていると 買わずには 居られなくなる

結局 三冊を 交互に 読む事になる

しかし これは 一日か二日で 絞られてくる
その中で 僕にとって だ が 一番面白い本が 勝つ
まず その本を 読み終えて 次へ
そんな具合に 絞られて くるのだ
結局 と云う事は 一冊ずつ 読んでいく事になるのかな

五木寛之と云う作家は 一日に 何冊も何冊も 本を読む
と 何かで 読んだ
本を開くと 二つのページが 姿を 現す
その二つのページを 絵として 一瞬で 捉えてしまう
だから 次々と ページをめくって行く
それで 読める と云うのだ
文字の全てが 絵として 残る と 云う

そう云う 読書方法も 実際 有るらしい

が あまり 人に勧められる方法ではない
と書いて居られたような 気がする
そんな事 出来る人と 出来ない人が居て 当たり前だ

やっぱり 本は 一冊一冊 一ページ一ページ
奪われる時間は 奪われながら 読むものだと
僕などは 思う

それでも 若い頃
本屋さんに入った時や 図書館に入った時
頭に スッポリかぶって かぶったものから出ている
コードの先っちょで 本棚を ツンツンと 突っ付く
そうすると その本棚に入っている本の 全てが
一瞬にして 僕の頭に 入ってしまう

そんな機械が 出来ないだろうか
なんて 馬鹿な事を 思っていた頃があった

     

             しつこく 雪景色
             木の周りは 丸く
             早く 融けていく
             生きているから 暖かいのかな


僕は 作家を 追う

そう云う 読み方をする
同じような 読み方をする人は 多いだろう

ある時 初めての作家を 読む
ひとつの 出会い だと思う
面白いと思ったら その作家の本だけを探して 読む
何らかの方法で その作家の本を調べ
その作家の 本を 読み尽くしたくなる
今 現役で書いている作家なら 追いかける事に なる

二 三冊読んで もうこの作家は いいや
と思う時が 無い訳ではない
一冊読んで 嫌になる作家の 本も有る 

だから 自分の求める 傾向は
当然 偏って来る 
それは 誰でもそうなのではないか
とも 思う
それでも尚 傾向から 外れたものを 読む時は
それなりの 理由に よるだろう

本は 世界だ

本を読む事が 喜び だと 知ったのは
小学校 二 三年の時だった
ハッキリと 覚えているな あれは
あの体験は 素晴らしかったな
「十五少年漂流記」 だった
子供向けに 書かれた ものだ

もの凄く 本当に もの凄く 面白かった
ワクワク ドキドキ したものだった

     

             ここも 綺麗に 丸く 
             融けている
             融ける様子も 雪は綺麗だ


次に 「次郎物語」を 読んだ
これも 子供向けに 書かれたものだった

その後 「次郎物語」は子供向けではないもの
下村湖人の書いた「次郎物語」 を 
繰り返し 繰り返し 読む時期が 有った
あの作品は 次郎が 子供の頃の話は
映画にもなっているが
一部から 七部まで 有って
文庫本にして 七冊 有る
が 「次郎物語」と云う作品は 
未完成で 終っている

一から 七まで 何度 読んだだろうか
事有るごとに 繰り返し 繰り返し 読んだものだ
同じ本を 何回も 読む
僕にとって その事に それほどの意味は無い
ただ 読みたいから 読む
面白いから 読む
あんなに 何度も 読むと云うのは
「次郎物語」には 当時の僕にとって必要な
エキスのようなもの が 有ったのかも 知れない

家に 本が 沢山 有った
何せ 二十人 以上の 大家族だった
叔母や 叔母の子供たち つまり従妹 叔父
みんな一緒に 暮していた

叔父や 叔母たち 長兄 次兄 姉たちの 読んだ本が
我が家には 結構 有ったのだ

今思うと それは 仕合せな事だったと思う

様々な作家の全集も 有ったが
それは 本が大きくて 字も 小さいので
ほとんど 読まなかった
文庫本が 結構 沢山 有った
大人の読むような本まで 読んだ

「ガリバー旅行記」
ガリバーは 漂流し 小人の世界に 流れ着く
これは 子供のために 書き直された「ガリバー」の
ほんの 一部だった

スウィフトの「ガリバー旅行記」を 読んだのは
随分 大人になって からだ
これは 凄く 長い
僕は 長く 感じた 
哲学的でもある 本だ

子供のために 書き直された 作品を 
子供の頃を思い出しながら 元の本を読む
これも又 面白いし 驚く事も 多い 

     

             足跡 子供達かな?
             話の内容とは 関係なく
             二月始めに降った
             東京の 雪景色でした


優れた本には その本の 居ずまい 
みたいなもの が 有るように 思う

そして その中には ひとつの世界 が 有る

僕は その世界を その本を読む事で 旅をする
 



SCARECROWS・LEGからのお知らせ [2010年02月18日(木)]

演技塾 SCARECROWS・LEG 第二回公演のお知らせです



          チラシ 表
          写真に写したので ちょっと暗いですが
          清清しいチラシを 
          宣伝美術の岡見文克氏が 作ってくれました


山本周五郎 作 ─ 小説・日本風道記 ─より
 「 糸車 」 「 二十三年 」
      劇化脚本・演出 上田ボッコ

早いもので 去年 三月
第一回目の 公演から 一年が 過ぎようとしています

さて 今回は 山本周五郎の作品を 演劇化して 上演します

語りと お芝居が 織り成す面白い 試みです

実は 小説を 演劇化する行為は 
僕が ずっと 取り組んで来たテーマでもあります

さかのぼれば 阿佐ヶ谷の 比嘉ビルで やっていた頃
何本も 上演したものでした

特に 多いのは ウイリアム・サローヤンの作品 
でしょうか

今回 上演に選んだのは 山本周五郎作「 日本風道記 」から
ふたつの作品
「 糸車 」 「 二十三年 」 です

     

          稽古風景
          今回も 読み稽古を 丁寧に丁寧にやります
   

普通 日本風土記とします
山本周五郎は 日本風道記 と題しています
ど の字を 土ではなく 道としているのです

「日本風道記」には 十 幾つかの 短編が 入っています
それを まとめて 「日本風道記」と題しているのです
実は どの作品も 魅力あふれ 優れています
全部の作品を 上演する事は 不可能です
今回 ふたつ 選びました

三年前 SCARECROWS では 「日本風道記」の中から
三作品 選んで 上演しようとする動きが ありました
諸条件から 違う作品を 上演する事になったのですが
これから先 SCARECROWS でも 何作か 上演するかも知れません

かつて 「大炊介始末」「よじょう」の二本立てで
SCARECROWS で 上演した事は あります

山本周五郎の作品は 云うまでもなく 魅力溢れています

「日本風道記」は 全ての作品 女性が 主役です
その中で 勿論 男性も 重要な役割を 担っています
でも 女性が 主役です

女性像を 描いているのです

・・・えっ こんな 女 今時 居るかよ!!??

ややもすると そんな声が 聞こえてくる気もしますが

それは 違うと 思います

周五郎の描く 女性の像は 深遠です
生半可なやり方をしたら 弾き飛ばされてしまうでしょう

我々 参加者一同 真摯に これらの作品に
取り組んでいます

     

          今回の稽古は 読みの初めから
          着物を着て稽古しています
          この日は 雨で 全員 着物 着ていませんが
          次は 着物姿を 紹介します
          何時になく 楽しい 稽古場です


これから ふた月ちょっと たびたび 
稽古の進み行き 出演者の紹介など 載せて行きます
是非 見に来て下さい

このブログの コメント欄でも
チケットの 受付を 致します
何せ 限られた人数しか 入れません
ご覧になる方には 早めの申し込みを お勧め致します

     

          チラシ 裏面です


概要を 記します

演技塾 SCARECROWS・LEG  第二回公演
  山本周五郎 作 ─ 二本風道記 ─ より
 「 糸車 」 「 二十三年 」
 劇化への脚本・演出 上田ボッコ
 
日時 2010年 4月 22日(木) 〜 25日(日)
場所 ギャラリーTSUKASA (西武新宿線 東伏見駅 北口徒歩三分)
料金 前売り・当日 2000円

開演時間 22日(木)     19:00
     23日(金) 14:00 19:00
24日(土) 14:00 19:00
25日(日) 13:00 

全6ステージ
        開場は 開演の30分前です

    照明・音響  水谷彰利
    照明操作   保科由佳
    音響操作   堀川恭子
    美術     上田ボッコ
    宣伝美術   岡見文克
    題字     うえだみずえ
    舞台監督   藤森綾佳
    制作     LEG制作部

    出演者    内田昌広 早川周
           西村守正 鈴木富夫 成田あすか 高安有紀
           美優 木村恵子 沖山真理 山下舞
    
    協力     ギャラリーTSUKASA
SCARECROWS
演劇工房

    問い合わせ  TEL 090-3003-5419
TEL・FAX 042-392-4812

沢山のご来場を お待ち致しております

            SCARECROWS・LEG

     

          ちなみに これは 去年の公演です
          「りゅうりぇんれんの物語」より




浅川マキ [2010年02月05日(金)]
浅川マキが 死んだ

浅川マキが 死んでしまった

数日前の新聞で 見たのだが しっくり来なかった

     

           浅川マキのレコード


二月二日の新聞 文化欄に 載った
「もっと紫色の音にして」
 浅川マキ 唄い続けた生涯
と題した 玉木正之 と云う方の記事を 読んだ

そこで 僕はようやく 浅川マキの死を 受け止めた

まだ 二十代 中頃
僕の部屋 四畳半は 解放区だった
高円寺 だった

劇団の稽古場が 高円寺に 有った事も
解放区となった 理由かも知れない

解放区 って 大げさだが
稽古が終って 飲んで 終電が なくなって 
帰れない奴らが 常に 泊っていた
泊って 時によっては 朝まで 飲んでいる

僕は その頃 ほとんど 酒が 飲めなかった

四畳半だが 何時も 数人 泊っていた

僕は 当時としては 結構良い プレーヤーを
持っていた

その四畳半で 浅川マキを 聞いた 聞いた 聞いた
劇団の若い連中も 聴きに 来た

コンサートへ 行った

     

         これも 浅川マキのレコード


コンサートは あまり 行かない僕だが
丸山明宏(今の美輪明宏)のコンサート
これは 銀座にあった 銀パリへ
この人の コンサートにも 行った

浅川マキは 十二月 三十日と三十一日
新宿で コンサートを した
大晦日に 聞きに 行くのだった

紀伊国屋でも やったが
新宿アートシアター へ 行く事が 多かった
何時も 満杯だった 気がする

黒のロングドレス
大きな コカコーラの紙コップを持って
舞台に 現れた浅川マキは ピアノの上に 
ふっと そのコップを 置いて
歌いだす
アカペラで 唄う曲も有った

つのだひろ が ドラムを叩いていた

浅川マキは 客と 喧嘩する事も有った
舞台と客席で 言い争う
それも 面白かった

僕は カラオケが 歌えない
これには 理由が有る
たぶん こう云うのを トラウマと 云うのか

小学校六年生の時
卒業式で 蛍の光や あおげば尊し を 唄う
その為に 講堂に 集まって 練習をする
何度も 何度も 練習をする

その練習の 初めの頃 
A・S 先生
(実名を出しても構わないのだが 出さない 女性だった)
歌唱指導をする
キチンと 列を作って 気を付けをして 唄う
A・S先生が 一人一人の口に 耳を近づけ 聞く
そして 何人かが 肩を叩かれる

肩を叩かれた者は 声を出す事を 禁じられる
つまり 唄っては いけないのだ

声が 綺麗じゃなかったり
音が 外れる者は 唄っては いけないのだ

僕も 肩を 叩かれた
だから 小学校の時 
卒業式で 僕は あおげば尊し を 唄っていない
声を 出しては いけないのだから

ただ立っているだけの 練習ほど 
屈辱的なものは なかった

お前の歌は ダメだ と
烙印を 押されたようなものだ

それ以来 人前で 歌を歌う事が 出来ない

     

          これも 浅川マキのレコード


こっそり 唄うのを 家内が 聞いていて
・・・良いじゃないの
と言ってくれたが そんな事では 払拭 出来ない
どんな言われ方をしても 唄えないのだ
あの 小学校六年生 以来
人前で 唄う事は 苦痛であり 苦しみでしか ない

でも 僕は 歌う事が 嫌いな訳じゃない

今なら 先生がこんな事したら 問題になっているかな

そんな経験が 僕には 有るのだが
アカペラで 浅川マキの歌なら 何曲か 唄える
一人で居る時は 何時も 唄う

浅川マキは 自分の歌を 譜面にして出版していた
それも 持っている
ギター・コード も 入っているので
よく 一人でギターを弾き 唄った

芝居の中で 歌を歌わなければならない役が 有った
・・・浅川マキの歌を 唄った

ここ何年も 浅川マキの歌を 聴いていない
テープにして 持っている曲は 聴く

レンタルショップへ行くと CD の並んでいる棚の
「あ」 の コーナーを 見て
浅川マキの CD を 探す事は 今でも よくある
でも 浅川マキのCD は 見つからなかった

どうしているのだろう
何処で 歌っているのだろう
唄っているのだろうか ?

何時も そう思っていた

玉木正之氏の 書いた様子から
死の直前まで 歌を作り 唄っていた
と 分かった
「もっと紫色の音にして」
と云う言葉は 最近の コンサートで
スタッフに 言った ことだと書いてある

レコードは 持っている
ゴソゴソやって 押入れの隅から 出してみた
プレーヤーは 有るが 
針が無い

多分 CD が出版されているに違いない
これから 探す事になるだろう

当時
浅川マキの歌は 僕を 魅了した

浅川マキを 何度も 何度も 聴いていた頃は
僕にとって 僕の 生きて来た 歴史の中で
ひとつの 色彩を 放っている

明るいとは 言えないし じめっとしていたが
確実に 向かっている 方向が 有ったような気がする
その方向は とんでもない方向だったかも 知れないが

     

          浅川マキのレコード


高円寺を 第二の古里だと 僕が言うのは
あながち嘘ではなくて 
あの頃の 時代を あの地で おくった事は
良かった
真から そう 思う

そして あの時代に 浅川マキは 欠かせない

高円寺には あの頃 いろんな人が 住んでいた

何故 あの頃 僕は そんな 高円寺に 
住んで いたんだろう

それは 今でも 不思議な 気がする
勿論 高円寺に引っ越すには 
それなりの 理由があった
が そう云う事ではなく 
何故 それなりの理由が 高円寺だったのか
不思議な 気がするのだ

解放区だった 僕の 四畳半・・・・・
あまりに多くが 泊って
トナリは 受験生で 可愛そうだった
僕の四畳半が 満杯になると
僕は こっそり 抜け出し
バイトで 働いていた 喫茶店へ行く

その頃の時間 店は 閉まっていたが
僕は 店のカウンターに入っていたから
店の 鍵を 持っていた

椅子を 並べて そこに 寝たものだった
自分の部屋を 抜け出し 電気の消えた喫茶店で
ひっそりと 寝た
寂しさに耐え切れなかったが ひっそりと寝た

こっそり 店のプレーヤーで
暗い店で 一人
浅川マキのレコードを 聴く事も あった

四畳半では 酒盛りが 続いていただろう
僕は 何故か 大勢の中で
何時も 寂しかった

むしろ こっそり 抜け出し
店の椅子に 横になり 
浅川マキを 聞いたりしていると
癒される

浅川マキの歌は 不思議な力を 持っていた

     

          見難いのですが 
          浅川マキのコンサートの知らせ
          71年 12月30日31日 紀伊国屋 と ある
          これは レコードを買った時 ジャケットに入っていた


当時を 青春とは 呼びたくない

青春ではなかった
確実な ひとつの 時代だった

歌は 時代が 変わっても 残る
浅川マキの歌も 残っている

        合掌



[2010年01月29日(金)]


夢を みる

     

           真っ青に晴れ上がった空もいいが
           こんな曇り空も 面白い


朝 夢を 思い出そうとする

断ち切れた 夢の断片を 思い出そうとする

思い出せない

それでも 思い出そうとせずには 居られない

そう云う時の 精神状態は あまり よくない
僕にとって 夢を 思い出そうとする行為は
苦しい
頭が 苦しい

出来れば 日々 寝てしまったら 夢は みたくない
が 僕は もの凄く 夢をみる
そして 覚えている
それも 中途半端に 覚えている
熟睡 出来て いないのかも 知れない

夢は そのほとんどを 忘れる らしい
忘れてしまった夢は 覚えていない訳だから
覚えている以上に 沢山 夢を みている事になる

楽しい夢 なんて 稀 稀 稀

エッチな夢も みる
これは どうなんだろう
楽しい夢に 入るのだろうか ? ? ? 

どんな夢でも その夢の 内容には よらない
内容ではなくて 感じ だ
その感じ 感覚が 朝 残っているのだ
これが 僕には 苦しい

     

          もう 梅が 咲き始めた


夢って 何だろう

夢の中で 泣いていて 
その事で 目が覚め 本当に 泣いている
ってな 事は 誰でも有るのだろうか
僕には 有る
夜中 それで 起きてしまう 事が有る
こんなに 歳を取っても 有る
ちよっと 恥ずかしい

が 夢の中で 泣いていて 実際も 泣いている
これは 必ずしも 嫌な感覚 ではない

こんな事 話してしまうのは 恥ずかしい気もするが
有る意味 泣く事で 自分を 
浄化しているの かも知れない
日常 ほとんど 泣く事が無いからな
ストレスの 解消のひとつ・・・ ? ? ? 
・・・どうだろう
よく 分からない

     

          鳥たち
          鴨に混じっていた鷺が 飛び立った


大きなクモが 枕元に ボトッ と 落ちて来る
ボトッ と云う 音も はっきり 大きく 聞こえる
その瞬間 叫んで 目を覚ます

何度か 有る

これは 怖いんだ 僕にとって もの凄く
その時 心臓が 凄い

本当に 叫んで
脇で寝ていた家内が 起きてしまい
心配そうに 除きこんでいる
そんな事 も 有る
その位 声を出して 叫んでしまう

だって 思っても みて下さい
拳ほどもある 大きなクモが ボトッ と
枕元に 落ちて来るんだよ ! ! ! 

クモは 僕の 天敵だし
ああああ 嫌だ
思い出したくない

ただし その時は 夢の内容は ほとんど
覚えていない

車を 運転している夢は 多い
ハンドルが 十センチ 位しかないのだ
だから 上手く 回せない
この夢も 結構 苦しい
これは よく みる

でも 本当に 苦しいのは
言葉で言い表せる夢の 内容ではない
言葉で言い表せない 夢の 感じ だ

     

          川の水が このシーズンは
          何度か 凍りついた


空を飛ぶ夢の 話が 有るが
生まれてこの方 僕は 空を飛ぶ夢を 
みた事が 無い
全く 一度も 無い

走っている夢は みる

苦しい話ばかりで この話は 面白くないな

色の付いた夢は どうのこうのと言う人が居るが
色の記憶も ハッキリしている事が 多い

理路整然として ストーリーが キッチリしている夢を
みる事も 有る
書き取っておきたいほどだが
覚えていられないのだ
覚えていても 次々と 忘れて行く
追いかければ 追いかけるほど 忘れて行く

夢は 意地悪だ

みた夢を 正確に 人に伝える事は
僕には 不可能に 思える
内容は 伝えられる
その時の 感じ 感覚 は どうも言葉に
出来ない

夢は 脳 で みるのだろう

みた夢の 感じ 感覚を 正確に 見事に
しかも 面白く 
書く事が 出来たら 素晴らしい
と思う

ダリの描いた絵の 一部は 
僕にとって 夢に 近い
が やはり 違う 気がする

絵は 描いた時点で 具体的になる
夢には えもいわれぬ 抽象性がある
ように 思う
もちろん ハッキリ みる夢もある
姿 かたちが やけに はっきりした夢だ
が それも 思い出そうとする時点で 抽象性を
おびてしまう 気が 僕には する

実に 実に 不思議な現象だと思う

      

          鳥たちは 凄い
          凍っていても ものともせずに 泳いでいる


寝るより楽は無かりけり ってなもので
「極楽 極楽 」
なんて 言って 寝る 
ほとんど 夜だろう

僕は 寝る時 そう思えない
夜 寝る事が ちょっと 怖い

むしろ 昼寝の時 
「ああ 寝るより楽はないな」
なんて 思う
僕は 昼寝が 趣味だし よく寝るのだ

やはり 夜 熟睡 していないのかも知れない

はてさて 今夜は 楽しい夢を みたいものだ



におい [2010年01月23日(土)]

     


今回の話は 考え方によっては
嫌な話 かも知れない
しかし 考え様によっては 自然な事だ 
森羅万象の中では 当たり前の事に 
過ぎないとも 言える

一生の内に そんな体験が 有るか無いか
その稀さは 確か かも 知れない

この何日か
外へ出ようとして ドアを 開けると
におい が した
工事でも しているのかな と思ったが
よく 分からなかった

家内が お隣が変じゃないかと 
言い始めたのは 間もなくの事だった
僕は 別に 変とも 思えなかった

お隣との お付き合いは 一切 無かった

実は お隣で一人 住んでいるのは 男性の方で
○○連合の ○○組 に入っている
いわゆる そのスジの 人らしい とは 聞いていた

だから お付き合いは 無かったし
いや あえて 避けていた所もあった
まず 会う事も 無かった
実は 顔を 合わせた事が 無かった
だから どんな人かも 実は 知らない

その におい は 強くなったり
しなくなったりした

     


家内が お隣の ◇◇の電気が ずうっと ついている
と言い出した
朝も 夜も 消えた様子が無い と言うのだ

その日 帰りが 遅かったので
夜中の 十二時過ぎに ふと思い出し
お隣の ◇◇を見た
確かに 電気が 消えていない

次の日の朝 この住宅の 会長さんと家内が
仕事に出掛けるついでに
警察に 知らせた

人の家のドアを 勝手に 開ける時は 
警察の人が 開けるとしても 立会人が 必要との事で
戻って来た会長さんと 僕は 立会人になった
警察の人が 連れて来た鍵屋さんが
ドアを 開けた

僕は そこまでで 家に入って 
何時も通りの 生活を 始めた

     


お隣の方は 亡くなって 居られた

それからは 警察の人が 何人も来て
調べが 始った

におい は 限りなく 強くなっていた

こんな事が 身近に起こるとは 思ってもいないし
確かに 大変な 事件である

しかし 僕は 不思議と ショックも受けず
ああ こう云う事が 本当に有るんだ
と思った だけだった

嫌だなあ とも 思わなかった
むしろ ショックも何も 無い 自分に
驚いていた

警察は 素早い 
午前中で終わり 午後には 何時もの静けさが
戻っていた

その日の夜
テレビの 洋画を 見ていた
テレビで流す 洋画を 見るなんて
全く 久しぶりの事だ

好きな俳優 ハーベー・カイテルが 出ている
コミカルな 映画だった
ちょっと 感動的なシーンで
ふと 涙腺が 緩んだ

その時 見た事も無い 隣の人を 一瞬 思い出した
その人も 一人で暮らし こうして 
テレビを見て ふと 涙ぐむような 日々を
おくっていたのだろうか・・・
と 一瞬 思ったのだ

一緒に見ている 家内には 話さなかった

偽善的だとも 思ったからだ
普段 付き合いもしていなかった人の事を
不幸な亡くなり方を したからと 云って
その時に限り 話題にするなんて
偽善的だと 思った

     


そう思うと 同時に
僕らは 太古の昔と 変わらない世界に居る事を
突然だが ハッキリと 実感した

におい は きついものだった

が 死は 何時だって 
すぐ 傍に 有る
これは 特別な事 ではない

太古の 昔から 同じだ

例え ビルが 林立しようと 
道路が 舗装されようと
自動車が 走ろうと
飛行機が 空を 飛ぼうと
・・・文明が どんなに 進もうと
死は 隣に 有る

これは 太古の 昔から 変わらない

僕の死だって 分からない

誰にも 分からない

ハイチの地震の事 も 飛び込んで来た
映像からは 分からない におい

あの悲惨な地震の 被害の元では
何万と云う方々 が 亡くなっている
におい は きついが
映像の中に 本当は におい も 想像して
見なくては いけないのだ

太古の 昔から 変わらない 
死は 何時も 隣に 有る

その想いは 深く 静かに 素早く
僕の 中に 入って来て
この出来事を 包んでしまった

次の日 女の方が 突然 訪ねて 来た

奥さんだと 云う
深く 深く 何度も 何度も 頭を下げて
行かれた

僕は ちょっと ほっと した
救われた 気さえ した

付き合いも無く 知らない人だったが
ご冥福を お祈りします 

     



おきゃがれこぼし [2010年01月14日(木)]
僕の生まれ故郷 会津に 十日市
と云う 行事が 有った

一月の 十日に その市は 立つ

     

          我が家の おきゃがれこぼし
          もう随分 前に 会津の 十日市で 買って来た
          五人 居る


会津若松の 一つ手前の駅(東京から見るとひとつ手前)
広田と云う土地で 生まれ育ったから
十日市の日は 汽車で 会津若松まで 行った
ゴム長靴を 履いて 行ったものだ

今は 合併されて 僕の生まれた土地も
会津若松市に 入ってしまった
どうして 合併されてしまったのだろうか

十日市は おそらく 今でも 有るだろう

この十年以上 この季節に 帰省していない

会津若松の 目抜き通りが 云わば
歩行者天国になり 市が 長く 長く 続く
今は 道路が 沢山出来たから
どの辺りの道に 市は 並ぶのだろう

子供の頃 行った

ほとんどが 雪道の中に 市が 並んだ
とても 長いものだった
町中が 市 だったのかも知れない

人が 沢山 出た

こんな 話が 有る

僕が 東京に 出て来たばかりの頃
祖母が たった一度だけ 上京して来た
上野駅から 住んでいた高田馬場駅に 降りた時
祖母は 
「東京は 今日は 十日市か ? 」
人ごみを 見て 言った

今 想うと 祖母を思い出し 少し ほろりとする

十日市の日
つまり 一年に一度 会津は 大変な人出になった

市の中に おきゃがれ子法師(こぼし)が 売っていた
(おきゃがれ ではなくて おきゃがり が 正しい
 のかも 知れないが 
 僕は おきゃがれ と云う方が好きなので
 おきゃがれこぼし と 呼ぶ)
勿論 達磨や 風車 そう云った
正月の 風物が 何でも 売っていた

大概の人は いや ほとんどの人が
おきゃがれ子法師 を 買って 帰った
そして 神棚に 飾る 

これは 家族の数より ひとつ 多く 買う
五人家族なら 六個 買う
十人家族なら 十一個 買う
三人家族なら 四つ 買う

     

         おきゃがれこぼし 一人
         五百円硬貨 と 比べると
         こんなに 小さい


おきゃがれこぼし を 売っている店は
おきゃがれこぼし だけしか 売っていない

もの凄い数の おきゃがれこぼし が 
板の上に 敷いた 白い布の上に 居る訳だ
数を言えば 袋の中に 入れてくれる
しかも おきゃがれこぼし は 選んでもいい

つまり 形の良い奴 顔の良い奴を
客は 選んで 買う

当然 別に箱が 有り その中に 沢山 詰められていて
おきゃがれこぼし が 常に 補充されていたのだろう

子供心に 白い 布の上に 並んだ
おきゃがれこぼし は 壮絶な 数だった

今は 売っている処では 一年中 売っているかも知れない
何せ 観光の土地であり 不景気の中
売れるものは 何でも 作るだろう

当時は 正月の 十日市にしか 手に入らないものだった
その素朴な おきゃがれこぼし は 正月の
もうひとつの 象徴 のようなものだった

     

          これは 瀬戸物です
          これは お土産屋さん で 売っている
          真ん中のものは 白虎隊の格好を している
          これも 数年前に買ったものだ


転がしても 転がしても 起き上がる

しかし よく選んで来ないと
おきゃがれこぼし は 転んだまま 起き上がらない
そう云うのも 実は 多かった

買って来ても それで 遊んだ記憶は 無い
白地に 下が 赤 筆で さっと 描いた 目

その姿は 今 見ても 正月の
何とも言えない 子供心の 日々を 思い起こさせる
これは ノスタルジー である  

初音 と云うのも 有った

持っていないので 紹介出来ない
残念だ

竹で 出来た 小さな 素朴な 笛だ
大した音は 出なかった

これは 元日の朝 売りに来る
寝ていて 初音売りが 行ってしまうと
その年は 買えない

僕は 買えた年の方が 少なかった
おきゃがれこぼし にも ノスタルジーが有るが
この初音にも ノスタルジーが有る
冬休みが終って 友達が 初音を持っていたりする
・・・・・悔しかった あれは・・・

僕は 昔から 早起きが 苦手だった  

     

          これは 二 三年前に買った
          何処で買ったか 覚えていない
          何せ 僕は こういったものが好きで
          ついつい 買ってしまう


おきゃがれこぼし は 女だろうか 男だろうか
子法師と云うから 男なのか ? ? 
実は 僕には 分かっていない

あの下半身の 赤は どうしても 女性を感じさせる

昔ッから あの赤の感じから 女性だと思っていた
あの顔の 目も 女性を 感じさせる

でも 今 ツラツラ 思ってみると
法師 と云うのは 男性かも知れない

これは 調べてみるか 聞いてみれば
すぐに 分かる事かも 知れない
でも 聞かないでおく

僕は 女性だと 思っていようと 思う

東京では どんど焼き と云う が
会津では さいの神 と云った
さいの神の日に 田んぼの中に(冬の田んぼは乾いている)
雪を固め 柱を立てて 藁を 周りに巻き
それを 燃やす
火柱は 大きく 心が 騒いだ
前の年の お札や おきゃがれこぼし も
祈りながら 一年の無事に感謝し 焼いてしまう

その火で もち も 焼く
家に帰って そのもちを 食べる
今年一年 健康でありますようにと
家族全員 その焼いたもちを 一口ぐらいずつ 食べた

     

         これは 随分昔に 会津で 買って来た
         神棚に 飾る 風車(かざぐるま) です
         僕は 神信心をしていない が 買って来た
         この風車は あまり どこでも 見かけない
         会津 独特のものかも 知れない
         とても 華やかな 風車 です

時代の中 全ての事が
今年は 全く 先が 読めない
そう云う 感じが 何時もの年より 強い

既に 正月気分は 遠に 過ぎたが
おきゃがれこぼし を 何故か 思い出した

 

メジロ 来ない [2010年01月08日(金)]

歩いていると メジロを 見る

     

          メジロは こう云った木々の
          こんもりした 緑の 葉の中に 居る


常緑樹と云うのか
緑の葉っぱが 小刻みに 震えている処
チィチィ チィチィ と 声のする処
止まって よく 見ると 葉っぱから 
チョコ チョコ と メジロが 姿を 見せる
群れ と言っても 数羽だが しきりに鳴き 動く

今シーズンは 先月 
だから 去年の年末には 既に 姿を 見た

早速 ベランダに 例年のごとく 
ミカンを 半分に切って かざし
メジロを 待った

来ない
もう 二週間以上になるが 来ない

道を歩けば 色々な木々に メジロは 居る

今日は まだ芽も出ていない木に 一羽で居た

が 我が住家の ベランダには 来ない
ミカンは 既に 干からびて来た
突っついた様子も 無い

三月の声を聞くと もう 居なくなる

わずか ふた月ちょっとの間 山から 下りて来るのだ

     

          我が住家の前の木は 
          刈り込まれてしまった
          メジロだけではなく 他の鳥も
          今年は あまり 見ない
          確かに これでは 身を隠せない


何故 下りて 来るのか

ツガイを作るため 相手を探すため
と思っていた
違うようだ

去年の暮に 初めて見たメジロは 既に ツガイだった
二羽で 動いていたし 二羽で 飛んで行った

兄に 去年 聞いた話によると
メジロは かなり遠くから 次々と 渡って来るらしい
その土地を 通過する と云うのだ
山から 下りて来る と云うより
一休み して行くらしい
一休みにしては ふた月は長いが
かなりの数の メジロが 渡って来る のではないか
と云うのである

山に戻るのは 産卵のためで
メジロの巣と云うのは 面白い形をしているそうだ
僕は 見た事が 無い

餌さえあれば 一箇所に 止まって 居るのかも知れない
確かな事は 分からない

メジロは 仲間が 鳴いていると 
すぐ集まって来る 性質が有って
その為に おとり を使って すぐ捕まるそうだ

当然 野鳥を 捕まえて飼う事は 罪になる
それでも 愛好家(?)が 結構 居て
飼っている人も 多いと 聞く

売り買いしたら 罪になる

     

          メジロは この花の花粉も 食べる
          この花に たかっている 数羽のメジロを
          すでに 今シーズン 見た


特に メジロには ボスも 居るらしい
メジロの ボスに なるのは
目の周りの 白い色の部分が 太いそうだ
そう云ったメジロには 高値が付く らしい

僕は 飼わない
買うルートも 知らないし
知りたくも 無い ! ! 
ベランダにやって来るメジロを 捕獲しようとも 思わない

飼うのは せいぜい 水槽に 手長エビ で いい
・・・これは 釣って来る

ただ この ふた月でいいから ベランダのミカンを
啄ばんで 楽しませて 欲しい
・・・・・人間の勝手な気分ではあるが・・・  

去年は 確か 一月の後半から 来 始めた
まだ 来ている数が 少ないのかも 知れない

それと 住んでいる周りの木々が 
落ち葉が 迷惑とかで 去年の秋
刈り込まれた

どう云う訳か 分からないが
常緑樹の 木々まで 間引いてしまった
木々は スカスカに なってしまった

     

          我が住家のベランダが見えるはずの木
          この木も もっと葉で こんもりしていたのに
          木が 間引きされて スカスカ


メジロは 緑の葉っぱに 溶け込む
そうして 身を隠す
葉の色に メジロの身体は そっくりだから
保護色になる訳だ
スカスカに なってしまった木々には 来ないのか

仮に ミカンが 見えても 
直接 ベランダに 来る様な事は しない

随分と こちらを 見ているのだと思う
保護色になる 木々の 葉の中から 見ている

これは 安全・・・? ? ? 
と 思っても 一羽で来る事は あまり無い
徹底して 用心深い 
ツガイで 啄ばみに 来る
しかも 必ず 一羽は 見張りをする

これは 必ず そうする

野生の 生き物の 用心深さ
見ていると 感心してしまう

なかなか来ないのは 回りの木々が 
安全では なさそうに 見えるからかも 知れない
周りの木々 ほとんどが 刈り取られた

そうすると いくら 全体 メジロの数が増えても
今年は ベランダには 来ないのか
ちょっと 寂しい 気がする

人の気配に 気がつくと すぐ 飛び去るが
隠れて 見ていると 結構長い事 止まっている 
心が 和む

次から 次から 来る事も 有った
一羽のメジロ 又は ひとツガイのメジロが 来ると
その後は よく来る
アリの様に 仲間に 場所を 教えるのだろうか
それとも 仲間の様子を 見ていて
真似をして 来るのだろうか

そこのところは よく 分からない

     

          これは 金柑の木だろうか
          この中に メジロが 居る
          写真では よく分からない
          鳴き声も 聞こえるし 木々が震える
          時に ヒョイと 姿を見せるが
          すぐ 中に入ってしまう


とにかく 諦めずに まだまだ
メジロの 訪れを 待つ事にする
やって来たら また 写して 紹介したい


人を想う [2010年01月04日(月)]

人を しる

     

          これは 2009年 大晦日の空です


一人の人間を しる

あまりにも 膨大で とらえどころの無い
言い方だけれど
 
そ の 人 を しる なんて 到底出来ないのだから
とても ムリな事を 言っている
だから 考えても 無駄だ

そう かも 知れない

自分の妻 娘たち その子供たち その旦那たち
自分の親 もう既に 亡くなってしまった親
祖母 叔母 叔父・・・・・
そう云った人たちの事でさえ しっては いなかった

その事に ハッと 気付く瞬間が ある
実は しょっちゅう ある

     

            寒い朝
            川は 凍った
            一面に 凍っている処も有る


この年末 年始 なーんにも しなかった
本当に こんなに なーにも しなかったのは
初めての事かも 知れない

沢山の方々が 年賀状を 下さった

その一枚 一枚を 見 読み しているうちに
人をしる と云う事の意味を 考える 
想いが 沸き起こって 来た
今年に入って していた事は その事だけだった
頭の中で・・・ 

その人の 或る面を 理解する

それは 出来るかも知れない

その人を しる
しる事が出来る なんて 思うのは 
むしろ 傲慢 だろう

が やっぱり しろうとしている自分が 居る

こう云う場合の しる は どんな漢字を 使うのだろう

辞書で 見ると
しる は 知る で 良いようだ

     

          こう云う 不適な面構えの猫が 僕は好きだ


例えば 或る友人の住所が 変わっている
凄く 遠い所へ 引っ越してしまっている
たぶん 土地を購入して 仕事をリタイアして
その土地へ 越したのだろう

── エッ あいつ ! ! 
     そう云う事を するんだ ! ! ! ──

その人の そんな所を その年賀状で 始めて 知る

思っている以上に ショックを 受けたりする

── ああ 俺は 人を 知っていない ──
・・・と 思ったりする

人は 変わる
変わるもの でも ある
知っていた姿と 違う姿に 変わる事も ある
こんな事は 当たり前の事だ
その変わってゆく 様相を 知る事は 勿論出来ない
・・・出来る場合も ある
が ほとんどが 出来ない

いや そんな事を 言えば
一体 僕は 自分の事を 知っているのだろうか

これは すこし やばい

迷宮に 入り込む
こう云う迷宮は 嫌いだ
抜け出したい
でも この年始 年賀状を 一枚 一枚 見 読み 眺め
住所を見 眺め 顔を 思い出し 
結局 迷宮に 入り込み そうになった

入り込まない
必死で 止める 止める 止める

     

          何時も写すのですが 分かりにくい
          ここだけ 富士山が 見える
          実際は かなり 大きく 見える


なーんにもしない日々が 続く

焦りは 変わる
歳を取ると 確実に 焦りの様相が 変わる
若い頃のようには 焦らない
が 焦らないのが良い とは 限らない

年甲斐も無く 焦る事も 必要だ
── まっ いいか・・・ ──
そう 思えれば 何の事はない

なかなか そうは 行かない
 
年寄りの焦り なんて みっともない事この上ない
とも 思う

でも どこかで 
── もっと 歳なんか忘れて 焦らないと
   お前 ダメなんじゃないか・・・! ! ──
ってな声も 聞こえて来る

焦るのは 若者の 特権かも知れない

負けては 居られない

しかし 今年は 本質的な優しさを 失わない様にしたい

年頭に当たって とか こう云うのって嫌いだ
が 今年は 思う
焦るなら ゆっくり 焦ろう
本当に 本質的な優しさを忘れない様にしよう

     
 
          空 雲
          これだけは 見てて 飽きない
          今年も よろしく お願い致します
    

はてさて 今年も 楽な 年ではない

それは 確かだ



冬の手長たち [2009年12月23日(水)]

クリスマスだ
でも あんまり 関係ないな
いや ほとんど 関係ないな

まあ 町を歩くと 細っかい 粒々の 電気
何だろう あれは・・・
・・・普通の家の前にも 飾ってある
すっごい ビラビラ と 飾っている家も有る
サンタクロースが ソリに 乗っていたりする
子供は 喜ぶだろうな

イエス・キリストを 信仰しているんだろうか
それとも マリア信仰 だろうか

僕は ひねくれているんだな きっと
ああ云うの 楽しめない
あんまり 綺麗だと 思わない

考えてしまう

・・・・・

マッ いいか

     

          冬の水槽


冬 手長エビは どうしているのだろう

いきなり 話が ぶっ飛んで すいません

冬 手長たちは どう 過ごしているのか
確か 去年も 書いたような 気がする
いや 確かに 書いた

今年も 思う

水槽の中の 手長エビで 想像してみる
でも 水槽の中の 水温と
自然界の 川の中の 水温は 全く 違う
何せ 川の水面は 凍る
僕の住んでいる町の 川の水面が 
昨日 今日 凍っていた

手長エビを釣る川は もっと 川幅が広い
それでも 水温は 手も 痺れるほどだろう
いや 潮の 満ち 引きが 有る
海の水は 以外と この辺の川より 暖かいのか
そこら辺りの事は よく 分からない

水槽の中よりは 冷たいだろう

水槽の中の 手長エビたちも 冬は 大人しい

あまり 動かない
動きが 活発ではない
あまり 餌を 食べない
餌が 水の中で かびてしまう

     

          冬の手長エビ・オス
          ジッとして あまり 動かない
          メスを 追いかけたりも しない


釣りに使う 餌 赤虫
あれは 蚊の 幼虫だ
ボウフラに なる前 真っ赤な小さなミミズのようなものだ
大きくても 一センチ
太さは 一 二ミリ
・・・二ミリまでは 無いかな

歳を取ると 釣るために 餌を付ける時
老眼鏡を かけて 慎重に 付ける
赤虫は 小さいから これが 厄介

赤虫に 釣り針が 刺さったとたん
真っ赤な 血の様な 液が出る

実は 釣りの時 あの匂いに 手長は
敏感に 反応して 食い付くのだ

バケツを 何時も 二つ用意して 
餌を付けた後は 手を洗う 
洗わないと 赤虫の赤い液は べたつく

釣具屋さんから 赤虫を 買って来て
水槽に 入れる
生かしたまま 入れる
生餌は かびない 腐らない
赤虫は 水の中でも 生きている

冬場 餌を 食わない今 仕方ないので 
赤虫を 入れる
釣りの時は 釣り針で 刺さっているから
赤虫の 匂いが 水中に 広がるのだろう
水槽の中では ヒゲか 足か 身体に触れないと
手長エビたちは 赤虫に 気付かない

その代わり 気付くと 食いつく

冬でも やはり 腹は 減っているのだ
生餌ではない餌は 入れると すぐに寄って来る
匂うからだ
でも ポイッと 放り出すように 放してしまう
赤虫でないと 冬は 食わない

全く 贅沢な奴らだ ! ! ! 

     

          一箇所に かたまっている
          暖かい時 こんな事は 有り得ない
          こんなにかたまっていると 喧嘩したり
          食い合ったりしてしまう
          冬は 以外に こうして 静かにしている事がある
          フラッシュを作動して写すと こんな風に 写る


が 赤虫は 土に 潜っていく
身体を グリグリして 潜る
潜る 性質が ある

買ってきた時は お互いの身体に
お互いが 潜りあって いる

エビたちが 気付かないと
水槽の底に 敷いてある 小石の中に
潜ってしまう

潜っていて 暑い夏に 出て来て 
ボウフラになり アッと云う間に 蚊になる

夏 水槽の中に 蚊が 飛んでいたり
ガラスの上部に 止まっていたりする
それは エビや 魚たちから 逃れ
潜っていた 赤虫達だ

赤虫も 必死なのだ

そう云う時 蚊取り線香で 攻める
エッ 大人気ない ? ? 
そうです 大人気ない事も 必要なのです

水槽は 浄化槽が半分 明かりが半分
意外と 外には 出られない
蚊取り線香を 針金に付け 水槽の中 水面を
煙で 充満させる

もう 大人気なさ の 極致・・・

糸ミミズと云う 餌も 有る
糸ミミズを入れる 餌入れも 有る
糸ミミズも 生餌だから 良いのだが
糸ミミズの中には 細い ヒルが 結構な数
入っている
水槽を 掃除すると もの凄い数の細いヒルが
小石の中に 生きている
ヒルも オスとメスで ドンドン 増える

これが 厄介 
だから 糸ミミズを 僕は 買って来ない

例えば ハムを 三ミリ位 ちぎって
水槽に 入れる
それも 食う
ただし 同じ餌は 結構 すぐ飽きる
数日して かびたハムが 水の中に 見つかる

だから ほんの少ししか 入れない

生餌以外は 足りない位が いい

     

          冬は 動きも ゆったりしている


手長エビの釣りは 五月末から 九月までと 聞いていた
今 四月に行っても 釣れる
実は 芝居が終って 
だから 十一月に 二回 行った
普通の人は 行かない
我慢 出来なくて 行った
釣れた

勿論 シーズンの様に パカパカは 釣れない
二 三匹・・・
でも ゼロ ではない
ただし 大きいのは 釣れない

ただ 寒かった
水面から 吹いてくる風は 以外に 冷たい
晴れていてもだ
手が かじかんだ感覚を 久しぶりに 味わった

白状すると 十月にも 行った
稽古の 合間だ
その時は 普通に 釣れた
そこそこ 釣れた

やはり 暖かくなっているせいだろうか
それとも もともと 釣れるものなのだろうか

冬 どうしているのだろう
と云うのは そこが 知りたいのだ

他の場所へ 移ってしまうのか・・・・・
いや 居るのだと 思う
テトラや 石の下に ジッとしているのだと 思う
潮の 満ち引きに合わせ 移動するが
それ以上は 動かずに ジッと 居るのだ

動きも 鈍い
オスは メスを 追わない
餌もあまり 食わない
だから 釣れない だけなのだと 思う

十月 日の当たるテトラに 潮が満ちて来た
一センチか 一センチ数ミリの 小さいエビが
そこに ビッシリと居るのを 見た
網で 取ろうとしたが 素早い
一かきで 二 三匹 しか 取れない
しかも 一度網を入れた場所には なかなか来ない

あの小さい エビたちは 何を食べているのだろう
この数ヶ月で あの小さいエビたちが
それなりの大きさになって 来年のシーズンに 
釣れるのだと 思う

手長エビ なんて 興味の無い人には 
面白くない かも知れない

僕は 水中の生き物には 興味がある
ただし 魚は あまり 興味が 無い

     

         冬の水槽は 静かだ
         これも また いい


それも 自分で 捕って来られるモノがいい
海水を 作って 小さい蛸なんか 飼えたら 面白い
と 思うが 海水は やらない
ちなみに 蛸は 難しいと 聞いた

まあ やはり 手長エビ位が 
僕には 調度 いい
ほとんど お金も かからない
それも また いい



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