「子どもについて」カリール・ジブラン
[2006年10月06日(金)]
息子の10回目の誕生日に、お祝いのメッセージと気持ちを届けてくださった方々に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。ささやかなお祝いの時間を経て、今、ひとりの静かな時間に感じることを・・・と思います。
10年前の出産時を振り返るとき、それまでに経験したことのない痛みをはじめ、「自分でコントロールすることができない」とても原始的な体験が思い出されます。あの時間は、ひとつの命を授かった重さと、育てていく責任を自覚させてくれる序章のようなものだったのかと思います。自分の中から生まれる命であるけれど、自分とは違うひとつの存在、そんな不思議を感じたりもしました。ぬくもりを感じながら、腕に抱いた息子との出逢いの一瞬も不思議な時間でした。おなかにいる間によく話しかけていたせいか、はじめて出逢った感じがなく、目に見える存在として出逢えたときには、嬉しい気持ちと共に懐かしいような気持ちもあり、とても自然に「よく頑張ったね」という言葉が出てきました。そして、この10年間、小さな赤ちゃんだった息子が、ひとつひとつの段階を経て、乳児期から幼児期へ、幼児期から児童期へと、「こころ」と「からだ」の成長を見せてくれるプロセスを共に歩める喜びをかみしめています。親として初めての経験の中、いろいろな気づきがあり、鍛えられ、成長させてもらえる機会がいっぱいです。親としての時間も、仕事をはじめとするさまざまな時間も、今、自分にできるカタチで大切にしていこうとあらためて感じています。
人生の出逢いの中で、何度も逢いたくなる人がいたり、何度も読みたくなる本があります。私にとって、神谷美恵子さん著作集もそのひとつで、20代・30代、そして40代の今も、時々、本棚から手にとってみたくなります。息子の誕生日の前夜は『こころの旅』を手にとり、「壮年期の長さについて」「生み出すこと」「子どもと家庭」「仕事について」「人生の旅路なかばに」
を読み返し、今の自分の日々を振り返りました。その中に引用されている「子どもについて」(カリール・ジブラン『預言者』から)という詩は、その夜、特に読み返してみたかった部分です。
子どもについて カリール・ジブラン
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った
どうぞ子どもたちの話をしてください
(それで預言者は言った)
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない・・・
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが
あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが
彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ
あなたがたは弓のようなもの
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる
射るものは永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって
身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから
『こころの旅』には、この詩のあとに次のような言葉が続いています。
「右の詩には大きな心理が含まれているが、ひとは親としてのつとめを終えたからとただじっとしているわけには行かない。・・・むしろ中年以後が男も女も真に人間らしく生きていけるときとさえ言えよう。一生を貫くほどの生存目標がそれまでになかったひとは、今こそ、少なくとも心理的に一度まったく孤独になってみて、今後の生きかたについて自問してみる必要があるのかもしれない。」
「新しい道、新しい生き方は人によって何かの事業であったり、奉仕であったりするかもしれない。いずれにしてもそれは自分に残されている半生を、ほんとうに自分がやりたいこと、なすべきことにささげようという意味の方向転換であろう。こういう決心をするとき、人のこころには・・・なるべく自分にとって本質的なことをやろう、という思いが満ちあふれていることだろう。」
〈参考・引用文献〉
神谷美恵子、こころの旅 1982、みすず書房
10年前の出産時を振り返るとき、それまでに経験したことのない痛みをはじめ、「自分でコントロールすることができない」とても原始的な体験が思い出されます。あの時間は、ひとつの命を授かった重さと、育てていく責任を自覚させてくれる序章のようなものだったのかと思います。自分の中から生まれる命であるけれど、自分とは違うひとつの存在、そんな不思議を感じたりもしました。ぬくもりを感じながら、腕に抱いた息子との出逢いの一瞬も不思議な時間でした。おなかにいる間によく話しかけていたせいか、はじめて出逢った感じがなく、目に見える存在として出逢えたときには、嬉しい気持ちと共に懐かしいような気持ちもあり、とても自然に「よく頑張ったね」という言葉が出てきました。そして、この10年間、小さな赤ちゃんだった息子が、ひとつひとつの段階を経て、乳児期から幼児期へ、幼児期から児童期へと、「こころ」と「からだ」の成長を見せてくれるプロセスを共に歩める喜びをかみしめています。親として初めての経験の中、いろいろな気づきがあり、鍛えられ、成長させてもらえる機会がいっぱいです。親としての時間も、仕事をはじめとするさまざまな時間も、今、自分にできるカタチで大切にしていこうとあらためて感じています。
人生の出逢いの中で、何度も逢いたくなる人がいたり、何度も読みたくなる本があります。私にとって、神谷美恵子さん著作集もそのひとつで、20代・30代、そして40代の今も、時々、本棚から手にとってみたくなります。息子の誕生日の前夜は『こころの旅』を手にとり、「壮年期の長さについて」「生み出すこと」「子どもと家庭」「仕事について」「人生の旅路なかばに」
を読み返し、今の自分の日々を振り返りました。その中に引用されている「子どもについて」(カリール・ジブラン『預言者』から)という詩は、その夜、特に読み返してみたかった部分です。
子どもについて カリール・ジブラン
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った
どうぞ子どもたちの話をしてください
(それで預言者は言った)
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない・・・
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが
あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが
彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ
あなたがたは弓のようなもの
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる
射るものは永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって
身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから
『こころの旅』には、この詩のあとに次のような言葉が続いています。
「右の詩には大きな心理が含まれているが、ひとは親としてのつとめを終えたからとただじっとしているわけには行かない。・・・むしろ中年以後が男も女も真に人間らしく生きていけるときとさえ言えよう。一生を貫くほどの生存目標がそれまでになかったひとは、今こそ、少なくとも心理的に一度まったく孤独になってみて、今後の生きかたについて自問してみる必要があるのかもしれない。」
「新しい道、新しい生き方は人によって何かの事業であったり、奉仕であったりするかもしれない。いずれにしてもそれは自分に残されている半生を、ほんとうに自分がやりたいこと、なすべきことにささげようという意味の方向転換であろう。こういう決心をするとき、人のこころには・・・なるべく自分にとって本質的なことをやろう、という思いが満ちあふれていることだろう。」
〈参考・引用文献〉
神谷美恵子、こころの旅 1982、みすず書房



