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こんにちは (05/25) 日本財団CANPAN 山田
第9回自立支援協議会 (11/23)
“LAST GIGS”[2018年04月21日(Sat)]
私事ではありますが、そして「突然ナゼ!?」思われるコトでしょうが、今月末であそーとを退職するコトになりました。かねてから切望していた高齢者福祉分野への回帰がようやく叶い、来月から新たな職場で再出発する所存であります。

なお、現時点においては障害福祉の分野に戻る考えはなく(そもそも当方のホームグラウンドは高齢者福祉分野だったのですが、今から考えると信じられないコトに転職活動をしていた平成21〜22年当時、旭川市内で高齢者分野の求人が全くなかったのです)、今後は高齢者福祉のみで残りの社会人生活を全うしたいと考えております。

転職する以外は従来のライフスタイルを維持する予定です。もはや義務となった感があるバンド活動もそのまま継続しますし、生活拠点も旭川で変更なし(ただし、次の職場が自宅から少々遠方になったので、通勤が辛くなったら近場に引越すかも知れませんが)。

あと、当方にとっては至極当然ですが、バンドルネームの由来となったロードバイクにも乗り続けます。さんざん悩んだ結果、諸般の事情により、ロードバイクをさらに楽しむための南方への移住は諦めるコトにしました。今回の退職にあたり、実質上、半年間は雪と氷で閉ざされた凍てつく銀世界からの脱却を夢想しておりましたが、今後も実質2ヶ月足らずという北海道の短い夏を満喫するロングライドを楽しむ生活を続けるコトになりそうです。

縁があって、平成22年4月、あそーと相談員として一度目の転職をしてからというもの、本当に色々なコトがありました。しかも、高齢者福祉分野に留まっていては絶対に有り得ない、実に濃密な人生体験をさせていただきました。良い思い出ばかりとはいえませんが、どれも貴重な体験に違いないコトだけは確かであります。

公式ホームページ直系のブログにもかかわらず、相談支援とはほとんど関係のない個人ネタをひねり出しては駄文乱文を書き連ねてまいりました。もちろん、義務によるものではありません。当方のブログに対するご意見やご批判は想像するしかありませんが(いつの頃からか、すっかり当方の独擅場となってしまいました)、どれも楽しく綴らせていただきました。これもまた、あそーとで仕事をするコトによって得られた貴重な体験のひとつであります。

退職にあたり、担当の相談者やその家族の皆様、そして関係機関の皆様に業務引継やご挨拶に回っているところではありますが、当方の退職を惜しむ声を少なからずいただくコトができました。最初の職場でいただいた言葉「とれっく君、残念だけどまあ、惜しまれて辞めていくうちが華だ」を思い出した次第であります。

なお、挨拶回りの最後となった相談者様から、別れ際に握手を求められ、笑顔とともに励ましの言葉をいただいたコトも付記させていただきます。当方にとっては、何よりもありがたい退職への餞(はなむけ)でした。

末筆になりますが、読者の皆様におかれましては、今後とも旭川市における障害福祉の推進へのご理解とご協力を賜りますよう、ここにお願い申し上げる次第であります。

8年間、本当にありがとうございました。

by とれっく
駑馬十駕(どばじゅうが)[2018年02月22日(Thu)]
ほぼ周期的に訪れる気分のムラで調子を崩し、平日の不眠と日中の
意欲減退、休日の昼間に必ず襲われる眠気(ほぼ100%、午後から
夕方にかけてベッドで爆睡)の連続だった絶不調を克服して数ヶ月。
ようやくマイナス思考の連鎖から脱して平穏な毎日を取り戻した。
10代後半から自覚があったが、こうした脆弱な精神はいつまでも
変わらないらしい。そして現在…。

年明けから図書館で大量に小説を借り、眠るまでのひとときや休日
すべての時間をかけて活字の世界に傾倒する日々が続き、今月から
しばらく遠ざかっていたエレキギターを弾いてみようという気に。
久しぶりの演奏が4月に予定されているコトから、課題曲が決まり
ここ数週間は自宅練習を割とマジメにこなしている。

夢の兆しというものが、これもまたほぼ周期的に訪れるのが当方の
バイオリズムのようで、年明けの初練習の数日前、ある夢を見た。
何度も挑戦したが結局弾けず、あきらめて放置したままだった曲を
縦横無尽に弾きまくっているという縁起の良い夢だった。

転職して手放したエレキギターを再び買い戻すコトに決めた契機も
同様の縁起の良い夢を見たコトだった。練習どころか楽器に触りも
しない期間が長かったにもかかわらず、楽器店で演奏させてもらい、
「ちょっと試しに」と弾けなかった難解フレーズがナゼか弾ける?
余談だが、そこで試奏したブランドのギターが復帰1本目となった。

スポーツでいうところの「疲労と回復の好循環にハマった」現象か。
夢はその準備が整ったのを知らせる無意識のサイン。そう考えると
数年に1回で訪れる、縁起の良い夢の説明としての辻褄が合う。

もちろん、何の努力も練習もせず楽器を弾けるようにはならない。
「もうダメだ。やってらんねえ。ヤル気なくした」と、いったんは
練習を放棄する。その間、それまで積み重ねた練習の蓄積が熟成し、
努力の成果が現れる。同様の現象を、小説家の遠藤周作センセイが
ご指摘されていた記憶がある。当方だけの現象ではないのだ。

乗り越える困難が大きければ大きいほど、克服した瞬間の感無量な
気分というのは格別だろう。一方で、乗り越えてしまったコトから
明言しがたい喪失感に苛まれるコトもある。欲しかったものを手に
入れたが、あれほど魅力的だったのが一瞬で色褪せてしまう感覚と
似たようなものだ。それでも歓喜の感情の方が勝るのがほとんど。
まだ完全にモノにしたワケではないが、キッチリ弾きこなせるよう
帰宅後の自主練習が楽しくて仕方ない毎日だ。いずれ、聴衆の前で
思う存分、披露したい。あと数ヶ月は先の話になりそうだが。

ちなみにその曲とは、超絶技巧を誇る天才ギタリスト、ポール・
ギルバートが所属した凄腕バンド「Mr. Big」のデビューアルバム、
1曲目を飾る「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」のソロだ。
当方が高校時代にリリースされたアルバムで、当時の同級生が既に
コピーしていた。現在でも難易度が高い曲で(速弾きで魅せる時代
ではない現在だが)、弾き切るコトができれば上級者のお墨付きが
得られる曲でもある。ただし、ソロ以外は正統派ロックンロール、
つまり中級レベルでなくても弾ける容易なフレーズなので、ソロを
弾きこなしてこそギタリストとして価値ある曲と言えるだろう。

才能ゼロ、小さな手、短い指と三重苦を抱えながらエレキギターを
弾きまくり、年甲斐もなくステージで飛び回る40代も悪くない。

なお、駑馬十駕とは、凡庸な人間であろうが、弛まぬ努力を続ける
するコトによって優れた人間に比肩できるという、まさしく当方の
ためにある故事成語だ。世の凡才に勇気を与えるコトバでもある。
※駑馬=走るのが遅いダメ馬のコトで、才能の劣る人の喩え

もちろん、天才のそれをはるかに凌駕する長く過酷な時間と執念の
積み重ねが必要不可欠となるのだが、好きこそモノの上手なれだ。
そんなワケで、当方のギター歴も今年で30年目を迎える。

by とれっく
ノンアルな生活〜A体質改善編[2017年12月20日(Wed)]
春の健康診断、夏の終わりの再検診で血液検査の結果に異常が出た。
その原因としてアルコール摂取が影響している(と思われる)ので
なるべく控えるよう医師から指示され、晩酌をパッタリ止めた件は
以前のブログで綴ったとおりだ。もっとも、完全禁酒が続いたのは
せいぜい3ヶ月程度のコトで、現在は週3〜4回程度で飲む生活に
逆戻りしている。ただし、350mlまたは500mlの缶チューハイ
1本だけ、それ以上は絶対に飲まないという自己ルールを決めた。
たぶん、それが影響しているのであろうという出来事があった。

   *    *    *

使っている歯ブラシが古くてダメになっていたコトが原因だと後で
判明したが(買い換えた瞬間、見違えるようにキレイに磨けた)、
それが災いしたのであろう。数年ぶりに虫歯の治療をするハメに。
定期健診とクリーニングで初期症状を見つけてもらったので、すぐ
虫歯は治った。ところが…

治療の後、全幅の信頼を寄せるセンセイから「あと2時間は麻酔が
効いてると思うので、夕食の時は間違って口の中を噛まないように
気を付けて下さい」と言われ、無痛で治療が終わったコトに安堵して
帰宅したのだが、いつまでたっても治療側の唇と頬の痺れが消えず。
いつものように録画を観ながらロードバイクのローラー台を転がし、
入浴した後になっても麻痺から覚めない。空腹で夕食を摂ったが、
咀嚼中に「ガリッ」と唇を噛んでしまった。痛みはまったくなし。
だが、犬歯の跡がついた唇からはドバドバと血が溢れ返っていた。
結局、唇と頬の感覚がほぼ完全に戻ったのは、麻酔注射をしてから
4時間以上が経過してからのコトだった。

想定以上に麻酔の効きが良かったという話なら何の変哲もないが、
実は当方、麻酔への耐性が相当高い体質である。歯科矯正の手術は
途中で麻酔が切れて、地獄を味わった。通常の虫歯の治療でも同じ。
以前、数ヶ所の虫歯をまとめて治療してもらったコトがあるのだが、
すべて同じセンセイが対応している。いずれも治療の途中で痛みを
感じるのはザラ、治療して1時間もしないうちに麻酔が覚めていた。
ところが、今回は痛覚ゼロ。そして4時間を超える効きっぷり…。
その原因は間違いなく飲酒を控えている点にあると思う。ネットで
調べてみたが、飲酒が麻酔を効きづらくする悪影響は科学的に証明
されているらしい。実際に、抜歯の前日に飲酒を控えるよう指示を
受けた知人もいたと聞いている(実話)。

つまり、4ヶ月以上になる晩酌制限生活が体質を変えてしまったと
いうコトなのだろう、と勝手な自己分析をしている次第だ。

   *    *    *

今後、どんなに一生懸命歯を磨いたとしても、磨き切れない場所が
虫歯になってしまうコトは避けられないとセンセイから言われた。
だから定期的なチェックが必要とも。深刻な虫歯に進行して激痛に
見舞われるのはまっぴらゴメンだ。今後も定期健診は受け続けるが、
それでも虫歯になってしまうのは宿命という話だから、早期発見に
早期治療で乗り切るしかないが、そこにも痛みは伴う。新たな体質、
麻酔が良く効く体質をこのままキープするため、晩酌制限の生活を
このまま続けていこう。肉体的苦痛にめっぽう弱いヘタレにつき。

そして、忘れてはいけない、もうひとつの教訓。それは…
虫歯の治療を受ける時は、麻酔が醒めるまでの予測時間を逆算して
予約を入れるコト。いつまでも食事にありつけないという、最悪の
事態を回避するために。

by とれっく
光陰、矢の如く[2017年11月17日(Fri)]
初秋のある日、数年間放置していた野暮用を果たすために、かつての
職場の所在地を訪ねるコトにした。転職して以来、一度も訪れるコト
がなかったのだが、非番の月曜、「よし、これから行こう!」とフト
思い立ち、身支度をした。完全に思いつきである。

平日でなければ対応してもらえない野暮用だったので、かつての友人
と再会する時間は確保できなかった。それでも13年間暮らしていた
土地なので、野暮用先で「あれっ、とれっくさん!? 久しぶり!
元気だった?」といったやり取りを期待して入店したのだが…

窓口スタッフはみな見知らぬ女性。奥にいるスタッフも誰一人として
当方が知るスタッフはいなかった。来訪の用件を伝えたところ、完全
他人モードの営業スマイルとともに丁寧な口調で「わざわざ旭川から
来られたんですか? ご苦労さまです」。落ち着かなさに苛まれつつ
野暮用が済むのを待つハメになろうとは、まったく想定外。
7年という時の流れのなせるワザ、完全アウェーもいいところだ。

くだんの女性スタッフに、かつて大変お世話になっていながら年賀状
を送る以外に何もしていない恩師たちの動向を訊ねた。お二人とも
現役を引退された方々なので止むを得ないものと諦めたが、「はい。
〇〇さんでしたら当店で取引されております」「お名前は存じており
ます」といった返答だった。ご健勝であるというコトだけは確認。

もう二度と会うコトはないであろう、くだんの女性スタッフに礼を
言い、最後に10年以上この地で暮らしていた件を伝え、その場を
後にした。

野暮用が済めば、その日のうちに旭川に帰るだけの話だ。かつての
職場を不意に訪問し、驚かせるのも一興。そう思っていた。しかし
ながら、前職がらみの友人や恩師たちとの年賀状のやり取りの中で、
かつての職場も相当様変わりしているコトを思い出した。大幅な機構
改革、かつて同じ職場にいた後輩の寿退職、そして先輩の定年退職。
さらにいえば、役場がらみの友人たちも当然、人事異動でその場には
もういない。

つまり、今のような居心地の悪さをまた味わうハメになるというコト
だ。誰か1人くらいは当方を知っているヒトもいるかも知れないが、
それ以上のリスクが想定されるのは火を見るよりも明らかだった。
ならば、これ以上長居する必要はない。妙なセンチメンタルに浸る
ガラでもない。こんなに小ぢんまりとした街並みだったのかと思い
ながら、かつての居住地に別れを告げた。7年ぶりの道のりだったが
当然のコトながら迷わずに帰途に着いた。

こんなに小ぢんまりした街並みだったか。あらためて、そう思う。
その感慨が、映画「スタンド・バイ・ミー」の主人公ゴーディーが
冒険を終えて、彼ら4人の故郷キャッスルロックに戻ってきた際の
回想シーンと重なると気付いたのは、それから数日後のコトだ。

旭川に来てから交友関係が爆発的に広がった。仕事だけでも毎日の
ように新たな出会いがあり、配った名刺は千枚を超える。一方で、
本当の意味での友達、知人ではなく、親友といった存在とのめぐり
逢いはないように思う。その意味では、かつての大学の親友、前職で
苦楽を共にした親友だけだ。

小説家となったゴーディーが3人の仲間と冒険に出かけた思い出を
もとに小説を書きながら、最後のナレーションで「この12歳だった
頃のような友達はもうできない」と、ほろ苦く締めくくっている。

1人でもそのような存在がいれば、それはそれで良い思い出だろう。

by とれっく
ノンアルな生活〜健康管理編[2017年09月15日(Fri)]
職員検診の後に結果通知が届いた。中に再検査の指示書があった。
恐らく親父の遺伝によるものだと思うが、職員検診で久しぶりに
血液検査に引っかかってしまった。それも、贅沢病と揶揄される
痛風の引き金になる尿酸値が基準値を上回っていた。

最初の検診から数ヶ月後、最寄りの内科で再度、血液検査を実施。
次こそは大丈夫、運動不足だった前回とは違い、ロードバイクで
早朝ライディングに週末のロングツーリングをこなしてきたし…。
ところが今回、またしても同じ項目で引っかかってしまった。

センセイからは「この基準値だけ突出して悪いというのは…」と
首を傾げながらも、恐らくコレが元凶でしょうと指摘されたのが
飲酒だった。「お酒は控えた方がイイですね」と。

センセイいわく、飲酒が及ぼす悪影響はプリン体の摂取に限った
ものではないという。「プリン体」とは、尿酸値を上げる物質で、
ビールに多く含まれる。ところが、「普段ビールを飲まず、焼酎
飲んでるから大丈夫だ」という話にならないとのこと。むしろ、
プリン体の摂取以外の悪影響の方が深刻で、要は酒の種類の問題
ではなく、飲酒そのものが問題なのだという説明だった。そして、
痛風の症状が出ないから問題ないという話じゃないとの説明も。

基準値は超えていたが、絶対に薬を飲まなければならないほどの
値ではなかったので、生活習慣の改善を図ると返答して終了。

シロウト判断だが、恐らく、1日あたりの適度な量に留めれば、
酒は百薬の長となるのであろう。ビールならば中瓶1本、酒なら
1合、ワインならグラス1杯…。だが、適量で止められないのが
人間の性というか弱さというものだ。だったら100かゼロか、
究極の選択をせざるを得ない。そこで、ゼロを選ぶコトにした。
すなわち、その日の夜から酒を絶つ。それから半月が経過した。

相当難儀な決断をしたようなコトを綴ってみたが、意外なほど、
辛さはなかった。むしろ、「こんなもんか!?」と拍子抜けする
くらいアッサリした毎日だった。むしろ、辛さより快適さの方が
はるかに上回る結果になった。毎晩、自然に眠気が訪れて、熟睡
できる。朝は朝で、起床するまでの気だるさを感じなくなった。
徐々に気温が下がり、ロードバイクで走る時間が短くなったにも
にもかかわらず、体重が増えない。むしろ、微減傾向にある。

眠気やだるさの問題は、すぐに見当がつく。泥酔して意識を失う
コトがないのだから、健全で良質な睡眠が取れているのだろう。
だるさが抜けたのは、肝臓がアルコール分解をせずに済むため、
体内の有害物質や老廃物を分解あるいは無毒化するという本来の
役割を果たせているからだろう。

ただし、体重が減ってきたコトだけはどうにも合点がいかない。
特にここ数日は雨天が続き、自転車通勤すらしていないのだから
謎は深まるばかりだ。そこで、ネット検索で情報を集めてみた。
そこから導き出した推論は、夕食の量が減ったから痩せてきたと
いうものだ。

酒を飲むと、どうしても口が寂しくなる。酒だけを飲んでいると
思っていても、実は、意識している以上に夕食の量が多くなる。
振り返ってみるに、1日のうち、食欲を抑えきれないのは夜だ。
朝は、ほとんど食欲がない。昼も、それほど空腹感は強くはない。
自制が効かないほどの飢餓感を感じるのは、決まって夜だった。
ところが、禁酒生活を始めたら、いつの間にか、あの耐えがたい
飢餓感に苛まれるコトがなくなった。「今日の晩メシはこの量で
止めとこう」といった自制が効くようになった。

ところが、禁酒生活がいったん途切れるコトになるかも知れない。
来週、仲間たちとの宴を控えているので、参加する予定なのだが、
断酒命令までは下されていないのだから、恒例のアルコールでの
乾杯か? それとも、健康上の理由をタテに、ソフトドリンクで
最後まで宴を押し通すコトにした方が良いのか?

他人にとっては、どうでも良い話だろうが、場の雰囲気を取るか、
己の健康管理を取るか、けっこう真剣に悩んでいたりする。

by とれっく
アーリーリタイアについて考えてみる[2017年08月21日(Mon)]
趣味の自転車(ロードバイク)が高じて、一年中、自転車に乗れる
地方への移住を考えるようになった。それも、割と本気かつ真剣に。

確かに、本州で過ごすとなれば、北海道の夏どころではないコトは
理解しているが(去年7月、出張で名古屋に行った際は、まさしく
生命の危険を感じる肉体的ダメージを受けた)、旭川のように実質
2ヶ月ほどしか気持ちよく走れる時期がない地方で居続けるよりは
マシだとすら思えてくる。ロードバイクにとって快適な、25℃を
超える日が7〜8月しかなく、それ以外は冷たい風に包まれ、うち
4ヶ月以上は、雪と氷で閉ざされた厳冬の日々が続く。ウィンター
スポーツの趣味が一切ない当方にとっては、毎年9ヶ月以上を室内
ローラー台を転がすしかない退屈な日々ばかりだ。

北海道在住者でない読者のために旭川を含む北海道の四季を綴って
みたが、地球温暖化が叫ばれる昨今にあっても冬威は並々ならない
ものがある。確かに、−25℃を下回るのは昔より少なくなったが。

ロードバイクのコトさえ考えなければ、旭川での生活はとても快適
で不満があろうハズはない。市民は一様に親切で礼節をわきまえた
人たちばかりでストレスがない。子供たちも、屈託ない素直な子が
元気に挨拶してくる(こんな怪しい風貌のオヤジに挨拶をしてくる
コトへの疑問がないワケではないが、挨拶をしてくれるのは素直に
嬉しいものだ)。生活インフラは充実しているし、交通の便もいい。
転職先が旭川市で本当に良かったと、転職の神様に感謝している。
だがしかし、である。ロードバイクを楽しむというコトに注目して
しまうと、これだけ恵まれた旭川の、というより北海道に居続ける
コトへのストレスと苛立ちしか感じなくなる。

こうしている間にも、非レース系サイクリストの楽しみが終わりを
告げる季節に向かっていく。サイクリングロード上では、バッタや
チョウが飛び交う中、すでに秋を知らせるトンボが飛び始めている。
こうなると、気温20℃を超える日が徐々になくなる。冷たい風に
体力を削られ、あれだけ楽しかったロングツーリングが苦行になる。
そして、心身ともに苦痛なだけで何の楽しみもない室内ローラー台
転がしを余儀なくされる。

そうなると、「この際、移住してしまうか?」という気にもなる。
最初の就職先は実家から200キロ以上も離れた縁もゆかりもない
場所だった。寂寥感といったものもなく、住めば都の心境だった。

当方には、この土地でなければ暮らせないというこだわりがない。
新しい土地に行けば、新しい生活が始まる。新たな出会いがある。
昔から、どこかに根を下ろして生きるコトへの執着がなかった。
そこで、移住について真剣に考えるに至る。そして、移住に加えて
もうひとつ、考えなければならない大問題に直面するコトになる。

ロードバイクを楽しめるだけの体力が維持できているうちでないと
移住する意味がない。60歳定年を待てば、それだけツーリングを
楽しめる体力が失われるという高齢化問題だ。つまり移住以前に、
定年まで勤め上げるか、早めに切り上げるか、決めねばならない。
20代の若造ではない。既にその倍以上の年月が過ぎ去っている。

基礎代謝の低下は既に始まっている。ロードバイクがなければ今頃、
過去最大の体重増に悩まされていたコトだろう(今でさえちっとも
痩せないと苦行の日々で、理想体重プラスアルファを維持するのが
精一杯なのだから)。哀しいかな、ロードバイクを楽しめる時間は
自分が想定しているほど残されていないと思った方が間違いない。
ならば、今後の人生設計をどのように描くのが最良なのか考える。

将来の夢を後回しにして、定年退職を待つ生活こそが最良なのか?
それとも、定年を待たずに早期退職し、夢を追いかけるべきか?

夢と現実のイイトコ取りとはいわないが、自分の中での妥協点は、
55歳での早期退職というものだ。当方の死生観にも関係があり、
その年で急死した親父の件が、のちの人生に影響を及ぼしている。
体力的・経済的にも、この辺りで妥協するのが落としどころだ。

仕事に殉じるだけの人生なんかまっぴらゴメンというのが本音だ。
一方で、社会人としての最低限の職責だけは果たさねばならないと
いうのも本音だ。これらの折衷案として導き出したのが、55歳
までは懸命に仕事をこなし、その後は好きに生きるというものだ。

もちろん、以上はあくまでも、現時点における理想というか妄想だ。
リタイア後の生活設計として、以上の案が最良かどうかは判らない。
だが、リタイアを早めるかどうかはさておき、リタイア後にどんな
生活がしたいのかについて考えるのは、決してムダな作業ではない。
むしろ、避けては通れない絶対に必要不可欠なコトだと思っている。
なぜなら、ジックリ考える時間は若い頃より残っていないからだ。

リタイア後の生活をリタイアしてから考えるというのでは遅すぎる。
在学中に就職活動せず、卒業してから開始するのと同じだからだ。
現役のうちにリタイア後の人生設計を行わなかったら、その末路は
目も当てられないものになる可能性が高くなる。

定年退職か早期退職か? 後者なら、既に準備しなければならない。
いずれにせよ、社会人生活も残り20年を切っている。失敗を伴う
実践を積みながら、最良の結果を導き出すための思考は続く…

by とれっく
「ヒトの本質」について学ぶなら[2017年06月27日(Tue)]
どんなに時代が移り変わろうが、どんなに科学技術が進歩しようが、
扱う道具が変わるだけ。ヒトの本質というものは決して変わらない。
すなわち、ヒトの本質を知りたければ、過去の歴史を学べば良い。

戦国時代を題材とした物語が好きなだけで読み始めた小説だったが、
その後、社会人として身につけておかねばならない対人処理能力に
必要な知識はすべて小説から学んだ。あとは学んだ知識を実践して
考察する。対人関係で躓きがあれば、もういちど小説を読み直す。
しかしながら、単に歴史小説を読むだけでは「面白かった、泣けた、
興奮した、また読み返したい」で終わってしまう。

ヒトの感情の機微を知り尽くした一流の小説家が描く世界観と別に、
かつて実在した主人公を独自の解釈で分析した解説書というものも
ずいぶん読み込んだ。例えば「孫氏の兵法」をそのまま読んでも、
それをすぐに活用できるのは韓信や孔明といった歴史の偉人のみ。
だから、その偉業を紐解く「解説書としての小説」という読み方を
するようにしている。タダの解説書では面白くも何ともないので。

10代の頃は日本の戦国時代が好きで、三英傑の中では豊臣秀吉の
生き方に惹きつけられた。織田信長は酷薄なイメージがどうしても
受け付けられなかった。徳川家康は天下統一の偉業がタナボタ的に
思え、「狡猾なタヌキ」というイメージしかなかった。織田信長へ
忠誠を誓い、謀反を企てた明智光秀を討ち、できる限り敵を殺さず、
下層階級から天下統一を成し遂げた成り上がりのイメージに好感を
抱いていた。ところが、それらを覆す考え方に出逢うコトになる。

20代の頃、遠藤周作氏のエッセイが好きで読み漁っていたのだが、
ご自身が書かれた歴史小説を紹介する中で豊臣秀吉の人物像を分析
する一文があった。まさしく目から鱗が落ちる新たな解釈だった。

遠藤先生によると、豊臣秀吉が天下統一後に行った数々の非道な
行為は、現在で言うところの認知症を発症したとか、成り上がりで
あるがゆえ、豊臣家の永続に対する焦燥に駆られての暴挙だったと
いった見方もあるが、否、そうではないと独自の見解を示した。
それは、豊臣秀吉の本性は「殺さずの人情派」ではなく、太閤に
なってからの非道な行いの数々を当然とする「冷酷非情な独裁者」
こそが秀吉の本性、真の姿だったのではないかという説だ。

すなわち、敵将ひとりの主級と引き換えに部下を赦したといった
殺さずのエピソードの数々は、キレ者として警戒され、あるいは
信長に危険視され、消されてしまわないための保身を目的とした
措置だったのではないか。だが、それらが仮初めの姿だったら?

後に、秀吉が天下統一を成し遂げ、脅威となる敵が誰一人として
いなくなったコトによって、長年抑え続けてきた本性を抑圧する 
理由はなくなる。かくして、文禄の役での朝鮮侵攻といった暴挙、
息子秀次の切腹ならびに眷属全員の処刑といった、魔王のような
真の姿を曝け出し、史実に残る冷酷な所業に至ったのでは…。

このように、史実を引用しながらヒトの本質を鮮やかに描写して
みせた遠藤先生のエッセイと出会ったコトで、ヒトの本質を考察
するための術を学び、対人関係に活用させていただいている。

まずは小説で知識を得て、実践する。あるいは先に実践した上で
小説を読み、実践の振り返りと考察を行う。それが肝要だと思う。
確かに、人生経験の蓄積があれば、小説を読むだけで学ぶコトが
できるのも確かだ。「小説など読んでるヒマがあるなら、その分
生身の人間を相手に、傷つけ、傷つけられながら実践で学べよ」
という考えも判る。だが、やはり学習と実践の繰り返しこそが、
ヒトの本質を知るための最短距離を辿る唯一の方法だと思う。

最後に…
どうせ学ぶなら、知的好奇心を満足させ、楽しみながら学びたい。
ときに過酷な道を進まなければならない場面もあるが、楽しみを
見出すコトもまた英知のひとつ。

過去の自分自身にメッセージを送るとしたら、この一言に尽きる。
「ヒトの本質を知りたいのなら、面白いと思う小説を探して読め。
まずはそれからだ」

by とれっく
相談支援者としての優れた資質とは[2017年04月24日(Mon)]
社会人の仲間入りをしてから、ちょうど20年の月日が流れた。
その間、転職を1回だけ経験したが、福祉の業界に留まっている。
ところで、なぜ当方が福祉の仕事を選択するコトになったのか? 
そのルーツは、母方の祖父と高校時代の担任教諭の2人にある。

当方の部屋には、その祖父母とのスリーショットの写真がある。
生前の祖父は優しいまなざしを向け、隣の祖母が微笑を浮かべる。
祖父に溺愛されたコトが、以後の人生を決めた。福祉の仕事へと。
そして、相談支援の仕事をする契機となったのが担任の一言だ。
「とれっく、現場から一歩離れた仕事だって立派な福祉の仕事だ」
「死ぬ気で勉強しろ。そして大学へ行け。それがオマエの道だ」

ないアタマをフル回転させ、文字どおり死ぬ気で勉強し、指定校
推薦のワクを勝ち取った。センター試験を受けずに入学したという
負い目は卒業後もしばらく続いたのだが、三度目の正直で合格した
社会福祉士の資格取得後はどうでも良くなった。少なくとも自力で
資格を取得したという自負があった。それで充分だった。

ホンネをいえば、高齢者と接する仕事がしたくて業界に入った。
だが、現在は真逆といえるほど当初の志とは違う立ち位置にいる。
「同じ福祉の仕事だろ?」といわれるかも知れないが、全然違う。
Jリーガーが、プロ野球の選手に転職してしまうようなものだ。
「どっちも同じ球技だろ?」とは、決して誰もいわないだろう。

高齢者福祉から障害者福祉の業界へ。似て非なる異世界への没入。
その意味では初志貫徹とはいえない。にもかかわらず、今もなお
障害者福祉の仕事を続けているのか。この疑問への答えはいつも
同じだ。「ヒトへの興味が尽きないから」という普遍的な答えに。

ヒトへの飽くなき探求心といえば少々、気取りすぎなのだが…。
この業界にいる限り、思う存分にヒトへの興味を探求するコトが
できる。その点においては、高齢者も障害者もまったく同じだ。

福祉の仕事は、とっかかりやすい。そう思われているのは確かだ。
その一方で、福祉の業界は異邦人をアテにしなければならないほど
人材難であり、また、それを解決するほどの報酬は保証されない。
特に相談支援の仕事は、やるべき仕事をやればやるほど赤字になる
というジレンマに陥るのが、この国における偽らざる現実なのだ。

社会福祉士や精神保健福祉士、そして相談支援専門員の資格を取得
する以上に、相談支援の仕事において大切なコトはひとつだと思う。
それは、ヒトに対する興味が尽きないコトが必須条件であるという
一点に尽きる。

興味というと不謹慎と思われる方もいるかもしれないので換言する。
そのヒトに幸せになってほしいと切に願い、その願望を具現化する
ための原動力となる「そのヒトを知りたい」という支援者としての
想いが尽きないコトこそが、優れた相談支援者の資質ではないか。
あくまでも、当方の独断と偏見に満ちた主観に過ぎないが。

by とれっく
酒席を共に[2016年12月24日(Sat)]
アルコールを嗜むようになって二十数年が過ぎ去ったが、未だに
「独り飲み」というものをしたコトがない。独酌であれば毎晩の
ようにやっているが、飲むコトを目的として独り酒場へ行く気は
しない。誰かと一緒に飲みかつ食らい、そして語らうために行く。
おそらく、これからも基本方針がブレるコトはないだろう。

転職前は田舎だったコトもあって、友人と誰かの家に行く機会が
多かった。最寄りのコンビニで買い出し、割り勘した後は宅飲み
するのが通例だった。そして、空も白々としてきた頃に徒歩解散。
酒席を共にするコトで、自分たちにとってのガス抜きになった。
相手の意外な一面を知った。お互いをどう思っているか、過去は
どうだったかを知る貴重なツールにもなった。

だが、転職後は宅飲みをする機会が全くなくなった。徒歩圏内で
住んでいるワケでないし、それこそ、選べる店なら無限にある。
飲食代にタクシー代と多少は高くつくが、片づけをする必要なく、
お互い気を遣わずに解散できるのは、飲み会が長く続く秘訣なの
だろう。ある意味、カネでケリをつける割り切った関係だ。

昇格してから、意図的に飲み会を企画して誘い出す機会を数多く
設けてみた。異業種交流会への参加も、多忙あるいは体調不良で
欠席した分を差し引いても、コンスタントにこなしている。その
結果が給料に反映されるワケではない。むしろ、サイフの中身は
寂しくなる一方。しかしながら、その分の見返りはある。酒席を
共にした場所でしか成し得ないひとときを作り出すコトができる。
酒席でしか話せないネタや、酒席でしか見られない表情…。

昇格を機に、これまで仕事でしか面識がなかった関係者と酒席を
共にする機会が増えた。役職上の義務としての想定はしていた。
すべてが経費で請求できるワケではなく、むしろ自費がほとんど
なのだが、誘った側も自費で酒席を設けるというコトであれば、
それは相手の好意そのもの、断るようなヤボはしない。むしろ、
感謝をもって酒席に参加させてもらう。耳に心地よい話ばかりが
入ってくるワケではない。だが、すべて聴き切るコトによって、
それまで抱えていた課題が解決に向けて前進するキッカケになる。

今後もサイフの中身を勘案しながら酒席を設け、あるいは酒席に
招かれる機会を大切にしていきたいというのが新年への抱負。

もちろん、美味い酒とサカナを存分に楽しめる大義名分として、
多分に自己正当化している意図があるのは、言うまでもない。

by とれっく
ライト・マイ・ウェイ[2016年11月24日(Thu)]
何かの目的を達成するために欠かせないのが、情報収集だ。
思うがまま、あるいは、見よう見マネで目的を達成してしまう
例外的な天才もいないコトはないかも知れない。だが、確実に
成功者は地道かつ合理的な努力、すなわち基礎訓練の反復と、
正しい方向性に基づく練習メニューをこなしているハズなのだ。
全く意識せずに、本能的に正しい方向性を嗅ぎつけた感覚派は
少数だろう。大多数は正しい道へつながる情報を収集している。

すなわち、やみくもに数をこなすだけでは、確実な結果を出す
コトはできない。時間も能力も限られた凡人であればなおさら、
最初から最後まで、目指す方向性が正しいコトが求められる。
では、方向性を見誤らないために必要な存在とは何か?

その答えは決まっている。
正しい道を指し示し、導いてくれる「指導者」だ。

「指導者」と書いたが、場合と状況によっては「人間」である
必要はない。「人間」が書き記した英知の凝縮「本」もアリだ。

血の通った人間がまとう空気、そして熱い言葉がヒトを動かす。
独学では得られない何かというものが確実にある。指導者から
学ぶという選択肢は、確かに血となり肉となる。否定はしない。
だが、情報収集の能力を鍛え、高めなければ、どれだけ優秀な
指導者を選んだとしても、そこから先へは行けない。

「いつか、指導者を超え、さらなる高みに行かねばならない」

それくらいの気迫と度量がなければ、その先へ到達できない。
指導者とは、かりそめの存在と心得なければならない。いつか
別れの時がくる。予定調和的に。あるいは、決裂という形で。
不慮のアクシデントという予期せぬ未来もある。

だから、指導者から学ぶべきコトを習得した後は自ら学ばねば。
アタマの良い者だけが成功者になれる。自らにとっての最良を
選び取れる聡明さがなければトップには立てない。

かのイチローが既存の指導を是として受け入れていたとすれば、
あの振り子打法は決して世に出なかっただろう。当時の指導者に
「矯正」されるのを徹底的に拒否し、あの唯一無比のスタイルを
確立したと聞く。基礎を父から学び、そこから先は自ら学んだ。

ここからは推測だが…
イチローは、徹底的に独自の情報収集に取り組んだのだと思う。
単にゴーイングマイウェイでストイックを貫いただけではない。
自らの身体能力や技能、そこから得られる成果を吟味し、当時の
指導者に従うのではなく、自らの情報収集の結果を信じた。
そして現在、世界で唯一の「振り子打法」の体現者となった。

アメリカで「イチロー」を知らない国民は、恐らくゼロだろう。
世界で最も「メジャー」なメジャーリーガーの1人になった。
稀有な天才の長年にわたる快進撃は、今さら語るべくもない。
そして、当時の指導者がイチローに示した道が最良ではなかった
コトについての「負の証明」がなされたともいえる。

何とも皮肉な話だが、億人に1人という超絶な天才を指導できる
ほどの指導者は、それ以上にごく少数しか存在し得ないのだ。

by とれっく
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