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「福島の今を知り、愛媛の防災を考える」活動報告B 福島県川内町からの避難者の話から見えてくること [2013年10月12日(Sat)]

〜避難して来られて今思うことは〜

新妻:今一番問題意識を持っていることは家庭。上の息子が登校拒否で、下もいろいろ問題抱えている。この問題は一朝一夕には解決はしないが・・・
この年まで生きてきて、この愛媛に避難してきて自分のプライドがぐっざり崩された。悲しいが、被災して避難して自分の人生がすっかり変わってしまった。
60の声を聞いて、最初の原発で失って、疎開先の所沢で失って、そして西条でも失って・・・。若ければそんなこともなかったかもしれないが、今は精神的に苦しい。
自分に何かの不具合があってこういう状況に追い込まれてしまったというのであれば納得もいくが・・・。この年になっていったい何ができるのか?
私の今の一番の問題は「どうやって子どもたちを支えていくか。」ということ。この前西条市から「生活保護を受けないか。」と言われた。悲しくて情けなかった。どうしてそんなこと言われないといけないのかと思った。そんな人生を送ってきたつもりはないのに。親としては、子どもに働く姿を見せて育てていきたい。それが親の務めであるとも思っている。でも、最終的には行政の支援を受けることも仕方がないとも思っている。

島のテーブル卵報告書10.jpg

〜川内村には帰るのか?〜

新妻:この前も川内村から連絡があって、除染の状況を聞いた。どんなに除染をしても0.8マイクロシーベルトから下がらないという。それで、再除染をするらしい。だがどれだけやっても下がらないと思う。だから息子を連れて帰ることはできない。

〜3.11以降の日本人の生活の変化〜

角田:震災が起きて、原発が爆発して、これはもう対岸の火事ではないと感じた。愛媛にも伊方原発があり、もしそれが爆発すれば、私たちもココには住めなくなる。だからと言って「原発反対!」と言っているだけでは問題は解決しない。日々の自分たちの生活を変えていく必要性を感じた。自然を大切にして、環境のことを考えた生活をして、今の子どもたちに自然豊かな日本を残してあげたい。その為に、もっと個々が勉強していかないと日本自体が駄目になるんじゃないだろうかと。

山之内:震災が大きな問題として取り上げられるが、実を言うと日常生活の中に小さな災害はいっぱいある。それを気づかずに、あるいは気づいていても全く問題視していないことに危機感を感じている。自然農法で野菜を作っているが、ほとんどの農家は虫が出れば農薬をまき、野菜を早く大きく育てたければ化学肥料を使う。例えば、種なしブドウを作るのに女性ホルモンが使われており、家畜や野菜などにも使われている。男性が女性化し、精子が減少している要因もこういうところにあるのではないか。
ド〜ンと起きたことには政府も対策を立てて、助成金も出すが、じわじわじわじわ日常生活で起きていることの方が、実を言うと私たちの生存を脅かしているのではないだろうか。
 ただ現実問題として、農家は農薬を使わないと生活ができないのも事実。自分自身もその辺りは毎日迷いながら、悩みながら日々暮らしている。それでも昔の人は農薬も化学肥料も使わずに農業をしていたわけで、その為の知恵が日本にはある。しかし70代ぐらいの人に「この虫が出たんですがどうしたらいいですか?」と聞くと「オルトランまいとけば大丈夫」と言う。高度経済成長とともにそうした知恵が伝承されていない現実もある。

重見:さっき言われていた女性ホルモンの問題ですが、きっと知っておられるとは思うんですが、女性用のシャンプーにも入っていて、そのシャンプーを小学生やサラリーマンも使っている。そんな影響がもうすでにじわじわ出てきている。たとえが小学生の初潮の時期がどんどん早くなってきていることとか・・・。こうした小さな問題がいろいろ起きていても問題を共有する場がないということが問題なのではないかと思う。昔は地域や親せきなどいろいろなつながりの中で人間は生きてきたが、今は核家族になり、誰とも関わらない単身世帯が増えてきている。今後もますます孤立した人間が増えるであろうこの社会に違和感を感じないという人間が多いことも不思議である。福島の支援に関わったり、NPO活動をしている人と言うのは、おそらくこうした違和感に危機感を感じられて活動を始めたんじゃないかと思う。

〜震災で気づかされた本当の問題〜

新妻:男は物事考える時に頭で考える。避難した時に一番苦しんだのは、「子どもをどうやって守るのか。」と言うことだった。子どもを守らないといけないことは分かるが自分の頭の中は生活の事だった。どうやって生活をするのかという先の事ばかり考えてしまう。震災後最初に所沢に避難して農業を始めた。どうしたら安定した生活ができるのか考えて農業経営を必死で頑張った。しかしうまくはいかなかった。その時に、家の隣の庭にいた子猫を見ていて気づいたことがある。子猫が好きだからじっと見ていたら、突然母猫が子猫を連れて逃げて行った姿を見ていたんだけど・・・女は子どもを守ろうとするとき打算がないが、男は打算があるということに気づいた。
その自分の考えが納得できたのは、息子の同級生の友人の家族の避難後の状況を見ていてなんだけど・・・私は村でも役員をやっていた関係でいろいろな人から電話がかかってくるわけだが・・・父親は「村に仕事があったら帰るから」と言う。でも母親はそうじゃない。「こっちに残りたい」と言う。生活の為とかではなく子どもの為に残りたいと言う。でもこの家族は離婚寸前まで言ったけど、お父さんと福島に住む祖父、祖母に押されて結局福島に帰ってしまった・・・。
福島では母親一人が子どもの為に避難させたいと思っていて、それに対して父親と祖父、祖母、親戚が福島に戻そうという確執の問題が本当に多くなっている。それによる離婚も増えている。
この問題は女性と男性の違いをお互いが理解しないとなかなか解決しないことなんじゃないかと思う。今回の震災時にもこうした女性の感性をもっと理解していればこうした問題は起きなかったかもしれない。
自分にとって「守るべきものが何なのか」これが分かっていないといくら防災訓練をしても、話を聞いても何も守れない。学校でやる防災訓練なんかは何にも役に立たたない。

池田:先生が指導するままに子どもたちが行動する防災訓練はなんの役にも立たないと私も思う。自分で自分の身を守る方法を考えて行動できる子どもを育てなければいけないのではないか。

〜これからの日本のありかた〜

重見:「これからの社会は近いエネルギー、近い食事、近い水、近い人へのライフスタイルの転換が必要である」と訴えている滋賀県の嘉田知事の話が興味深い。嘉田さんは日本がドイツよりグリーンエネルギー問題についても30年ちかく遅れていることに危機感を感じている。どのグリーンエネルギーがうまくいって、どのグリーンエネルギーがうまくいかないかということについてドイツでは明確になってきているが、日本のグリーンエネルギーは今から、水にしようか風にしようかバイオにしようか考えている状態。
このような状況下の中、いち早く取り組みを始めている県もある。愛媛の近くでは山口県が山口県内でエネルギー自給を行う計画がある。1千億円のマーケットを考えているという。山口県内でエネルギーを作って山口県内で消費する。そうすることによって輸入を減らし、県内の雇用などの需要を増やすことができる。今後愛媛県も考えていくのではないかと思う。ただ、行政だけに任すのではなく、住民もそのことを真剣に考えていかなければいけないのではないか。

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〜福島県川内村の当時の状況から見えてきたトップの重要性〜

新妻:福島県の知事が3.11以降どう考えてきたかといえば、「地域住民を絶対福島から出さない。」ということ。最初からそうだった。このことは直に耳にしてきたが、なかなか口に出せないことだった。
当時の川内町の村長というのは、自分たちが応援して村長に当選させた経過がある。ずっと川内村の村長はうちの家系が応援してきた歴史もある。だけど、平常時には良い村長だったんだけど、危機的状況下ではなんにも対処ができなかった。だから原発が爆発して、3月13日に川内村の町長に「子どもだけでも早急に避難させてくれ!」と訴えたが、その当時富岡町の住民が川内村に避難していて、1万人の富岡町の住民が川内村を占拠したような状態の中、村長に必死で訴えたが、結局村長は逃げてしまった。
その後、猪狩(いがり) 貢(みつぎ)副村長にも子どもだけでも早急に避難させてほしいと訴えた。副村長は話の内容は理解していて、私の考えにも一目置いているようだったが、最終的には「県も国も避難指示を出していないんだからできない。」と言うわけだ。「それは副村長の言葉なのか」と私は聞いた。「これは村長が逃げる時に指示した言葉だ。」と言うわけだ。この言葉を副村長が言って、この問題は終わってしまった。でも、この言葉がどういう意味を持っているのかそれからずっと考え続けていた。心に残ってどうしようもない。
その年の8月頃、再度福島に戻り、副村長に会う機会があったので、その真意を再度確かめた。そうしたら彼が言うには「あれは福島県知事からの要請だという。」でもそれはオフレコにしてほしいという。福島県の佐藤雄平知事は民主党で衆議院議員の渡部恒三氏と深いつながりがあり、結局福島から人を出さないことを進めているのは渡部恒三なんだと思う。佐藤雄平知事とも対話したことがあるが、こうした最終的な指示を出せる人間とは思えなかった。だとすると自分の中で考えられる人物は渡部恒三しか浮かばなかった。

角田:危機的な状況になった時のトップの考え方と言うのは重要だということですね。愛媛だって伊方原発が爆発することだってありえる。そうなった時、やはり愛媛だって人を出さないようにする可能性はある。もし人が大量に流出すれば、愛媛県そのものが消滅することだってありえる。そこらへんの考え方を今からみんなで話し合っていく必要があるのではないか。そうしないと、東南海地震が起きた時、四国でも同じことが繰り返されることになる。

〜福島の震災当時の避難状況を知って、愛媛の防災を考える〜

新妻:3月11日深夜、公式見解では福島第一原発内でベントは行われていないとなっていた。でも役場の人間は行われているという。それで、結局ベントはおこなわれていたんだけど・・・。そして翌朝の早朝に爆発が起きた。最初に避難指示が出たのは大熊町、双葉町、富岡町だった。その時の線量は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムSPEEDI(スピーディ)でも未だに良く分かっていない。そして12日のお昼に電話が全部ストップした。固定電話も携帯電話も。そして15日の午前11時、川内村にも退避指示がでた。でも、電話が繋がらないから山の中に住んでいる人にはその情報がうまく行き渡らなかった。そしてうちの息子たちもその時、元気に外で遊んでいたわけだが・・・我が家に情報が来たのも、役場の人が一軒一軒歩きまわって伝えてきている。そして避難指示は我が家の場合、祖父に伝わって私に来た。私は地区の役員をしていたので祖父に「息子を二人連れて逃げてくれ!」と言った。でも祖父は「80のじじいに孫二人連れてどこに避難すればいいんだ。」というわけだ。避難するにしても燃料もなかったわけなんだけど・・・。
それで結局、祖父と祖母に背中を押されて私が息子を連れて避難することにしたわけなんだけど・・・今でも思い出すと辛い。

角田:本当に同じことを繰り返さないようにするって言うことが今は大事かもしれない。基本的に人間の考え方がそういうふうになるっていうこと、守ろうとすることとか、隠そうとすること、人間と言うのは危機的状況においてはそのような心理になるっていうことを、福島の事を知って、これからどのような防災を考えていくかってことではないかと思う。

新妻:震災前にやった防災訓練は役に立たなかった。

池田:確かにそうかもしれない。もっと真剣に、もっといろいろな想定で行わないといけない。

新妻:防災訓練は基本的に人の命を守るっていう考えを持っていない。私は今回の事でそう思っている。現実的には非常時には「避難しろ!」ぐらいしか言えない人間がほとんどだと思う。「その山に登れ」とか、その時の状況を判断して的確な指示が出せる人間は1,000人いて1人かも知れない。1万人いて1人かも知れない。そのぐらいの世界だと私は思う。
それから、避難する時に何を持って逃げればいいか、分かっている人間は助かる。それからその時に「守るべきものはだれなのか。」分かっている人間は何を持って逃げたらいいかも分かっている。車で避難するにしても、必要と思うものが全部乗るかって言うとまったく乗らない。

角田:避難訓練って、全員が集団で同じ方向に逃げるわけで、それを支持するのが校長で、でも、危機的状況で「いやそっちへ逃げては危ない!」と違う先生が判断したとしても、判断を変更することは難しい。現実問題、今回の震災でも子どもがたくさん亡くなってしまった学校と、助かった学校がある。つまり、日頃から先生同士、保護者同士でそうした問題を考えて話し合う場が必要なのではないかと思う。決まり切った防災訓練しかやっていないと、危機的状況には対応できない。いろいろな場面を想定し、考えておくことが大事なのではないか。
実際、愛媛で同じようなことが起きれば、学校は避難所となり1カ月以上生活することになる。であれば、水や食料、毛布を学校で備蓄することもやっていかないといけないが、今のところそうしたこともやっていない。

新妻:もし助言できるとすれば、「守るべきものがなんであるか」わかっていれば避難訓練をしていなくても助かる可能性が高い。そして持っていくべき最低のものを持って逃げることができる。避難訓練していることにこしたことはないが、「守るべきものがなんであるか」分からない人間は、避難時にあれもこれも持って逃げたいって思うから途中でダメになる。

山之内:先ほど角田さんが言われたことは日本民族の文化の根源にかかわることじゃないですか。ようするに子どもが列を作って奇麗に並ぶというのは日本の子どもだけ。日本では当たり前になってるけど、外国では並べない国が多い。子どもが学校で奇麗に並ぶというのは世界共通ではない。それで、しっかり並んで良い子でいた子どもが教頭や校長や教育委員会の関係者になって今日の日本の文化を守り、今までそれが正しいとされてきた。しかし、震災の時、外国人は素早くみんな引き上げている。それなのに日本人は行政からの指示が出るまで動こうとしなかった。このことに関しても個人差はあるが、日本の文化が必ずしも悪いと言ってるわけでもなく、今後考えていかなければいけないことではないかと思う。
それから「自分の命を守る」ということについても、日本人が考える時代に来ているのではないか。さっき話した「女性ホルモン入りのシャンプー」の問題にしても、テレビのコマ―シャルを鵜呑みにするのではなく、自分で考えて判断するということが大切なのではないか。それで今回思うのは、日本の女性で世界的に有名な人ってほとんどいない。小野小町、卑弥呼ぐらいですか?男では世界的に有名な人物が多い。でも、それは日本の女性が馬鹿だったというわけではない。日本社会では女性が表に出る必要がなかったから。裏で家族の重要な部分は女性がしっかり握り、男性を支えてきた。江戸時代の外国人は日本の見聞録の中で日本の女性をほめちじっている。びっくりするぐらい。だからと言って女性が世界的に有名にならないといけないと言ってるわけではなくて、女性の力、女性の繋がりが今後の日本に求められているということが言いたいわけなんですが。
それから資本主義というのは一つ一つバラバラにして成功している歴史があるんですが、イギリスが植民地時代に大国になれたというのは、スペイン・ポルトガル・オランダ、フランスなどとは違う統治の仕方をしたからで、他の国は直接統治をした為に植民地内で戦争などの問題が多く起き、エネルギーの割に得るものが少なかった。しかし、イギリスは間接統治をした。植民地内の誰かにその国の統治をまかせる。これは部族の首長層に代表される伝統的支配層にどの程度の権限を許容しながら統治をするかという問題はあるが、これにより地域の団結が薄れ、個々がバラバラになっていくことで資本主義が正当化された歴史がある。今の日本社会の国民が団結できずバラバラになっていった歴史にはこうした資本主義にも関係しているのではないかと思う。

新妻:とにかく、女性がもっともっと自分の力を表に出していかなければ、もうこの日本はないかもしれないと思っている。

司会(山本):皆様いろいろなご意見本当にありがとうございました。

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松山市にある興居島の相子ヶ浜より

≪参加者の紹介≫

江刺直樹(福ミカン主催者)
三津浜の子どもたちの心の居場所として長年地域の子ども達と関わり、三津浜商店街で写真屋さんを営んでいます。そして、今回の講演者、鈴木真一さんの大学時代の友人という繋がりから、福島に興居島のイヨカンを送る活動を2年間続け、福島の子どもたちの現状を松山の人にも伝えていきたいという思いから、今回のイベントのコーディネートも行っていただきました。

重見和典(元愛媛県PTA連合会会長)
今年の5月まで愛媛県PTA連合会会長であったことから、福島県PTA連合会の震災当時からの会長である佐藤辰夫会長と親交があり、福島の現状を知ることになるのですが、彼曰く「5年経ったら忘れられる。10年経ったらなかったことになる。」これが彼の震災当時からの心境であり、そうあってはならないという思いから福島で今なお頑張っている佐藤会長や、地域で頑張っている被災者の方々のことを少しでもたくさんの人に知ってもらい、支援していきたいという思いから今回参加してくださいました。

角田智恵(「ふくしま・とうおん笑顔の交流プロジェクト」実行委員長)
愛媛県松山市生まれ。医療の分野で仕事をしながら働く女性の支援サポートを目指して起業し女性向けの講座、イベントを企画しながら地域活性化のための活動を開始。東温市内小学校のPTA会長、愛媛県PTA連合会副会長を経て保護者らとともに子どもたちの未来を考える父母の会を設立し、その代表を務める中で子どもたちへの健全育成に関わってきた。
そして今回の震災により福島第一原発が爆発し放射能で汚染された「がれき問題」が国全体で問題になった当時、その震災がれきを愛媛県東温市の西日本最大規模の廃棄物処理施設に持ち込む話が出てきて、保護者らとともに放射能汚染について調査し、もしがれきが持ち込まれた場合のことを考え、これは大変なことになると思い受け入れの反対署名活動を開始しました。活動のおかげで、がれきは東温市で受け入れることはなくなりましたが、この活動をきっかけにして、放射能による子どもへの健康被害のことを知り、福島の子どもたちを支援していきたいという危機たる思いを感じるようになりました。そこで、昨年と今年、福島から一時疎開する家族の支援を行ってきました。関わった福島の人たちから現状を聞くと、まだまだ復興は進んでいないし、放射能の値も一定の高さからは下がらない、だから子どもは外で遊べない。そんな現実を少しでも松山の人に知ってもらい、福島の支援に繋げていきたいと思い今回は参加してくださいました。

池田美恵(Hug育(はぐはぐ)代表)
Hug育の代表として、そして2人の子どもの母として、地域の中でいろいろな人と関わりながら、自然、食育、子育て、不登校など・・・子どもたちの社会環境をより良いものにする為に活動をしておられます。そして自分ができる範囲で、福島の問題ともかかわっていきたいという思いで今回参加してくださいました。

新妻秀一(福島県川内町より西条市への避難者)
福島県川内町から震災後二人の息子を連れて避難をし、現在西条市に移住しておられます。3.11以降に家族に起きた出来事を自分の胸中を合わせて語っていただけたことは、今回の震災による本当の問題を投げかけ、防災についての考え方を覆すこととなりました。

山之内良文(西条市で自然農園「愚禿山」を経営)
西条市丹原町で自然農法による野菜やくだものの栽培を行う傍ら、地域の高校などに出向き季節に合わせた出前授業を行ったり、11軒の観光園をしている農家で「丹原もぎたて倶楽部」という活動もしておられます。また、地元の高校とコラボして野菜を売ったお金を被災地へ送ったり、岩手県の施設に毎年柿を送っていたり、新妻さんが西条へ避難することを支援するなど、復興支援にも関わってこられました。そうした関わりから、福島の現状や、これからの日本のあり方などを語っていただきました。

山本良子(司会)
NPO松山冒険遊び場代表・日本冒険遊び場づくり協会四国地域運営委員・まつやま子育て支援NPO協議会理事。子ども達が元気にのびのびと遊ぶための環境を地域住民と共に育てていき、地方自治体・企業との連携を図りながら、子ども達の「生きる力」となる、創造性や自主性、社会性を身につけ、松山の未来の担い手となる子ども達の健全育成を図ることを目的として活動しています。
 基本活動としては自分たちの住む地域の子どもたちを対象とした継続的な冒険遊び場活動を、平成18年8月より平成24年6月まで毎週土曜日(合計開催日数241日)行い、平成25年5月からは「松山総合公園プレーパーク」と「ボールあそび」事業を継続的に開催しています。



≪主催者としての感想と今後の方向性について≫
今回この企画を行うことに際し、たくさんの方々にご支援いただき本当に感謝いたしております。その中でも、角田さんにご紹介いただき、当初は参加予定ではなかった福島県川内町からの避難家族である新妻さんのご意見はとても貴重なものとなりました。私たち愛媛に住む者が、被災地の現実を知る機会は本当に少なく、ほとんどの人がテレビの情報のみを鵜呑みにしている現実に気づかされたパネルディスカッションでもあったと思います。それと同時に、震災の体験を知ることで、これからの愛媛の防災を考える上でとても貴重なお話が聞けたことは最高の成果であったと考えています。

今後もこの活動を継続させ、愛媛における防災のあり方について、いろいろな方と考えていく機会をたくさん作っていこうと思っています。そして、今なお続く被災地の厳しい現実をたくさんの人にお伝えし、5年、10年先までの継続的な支援を目指し、活動していこうと思っています。

★9月22日の活動内容は下記3部でまとめています。
1.「福島の今を知り、愛媛の防災を考える」
  講演会&パネルディスカッション開催しました!活動報告@ 

2.「福島の今を知り、愛媛の防災を考える」活動報告A
  3.11以降の福島県郡山市について(鈴木夫妻の講演より)

3.「福島の今を知り、愛媛の防災を考える」活動報告B
  福島県川内町からの避難者の話から見えてくること 

Posted by 山本良子 at 09:53
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