子育てに関して、親や地域、学校等が抱える問題は現在
ますます増加の傾向にあります。
そのようなさまざまな問題を解決するヒントが子ども時代
の遊びの中には隠れているのではないでしょうか。
今回私たち団体は、日本で初めての冒険遊び場
「羽根木プレーパーク」の初代プレーリーダでもある
天野秀昭さんの講演会とワークショップを行いました。
子どもたちにとっての遊びの力
〜被災地の子どもたちの今〜
日時:1月29日(日)午前10時〜12時
場所:松山市男女共同参画推進センターコムズ 5階大会議室
講師:天野秀昭
参加費:無料
【講師紹介】
1958 年、東京生まれ。
1980 年、冒険遊び場「羽根木プレーパーク」
で1年間、派遣ボランティアで活躍後、
プレーパーク初代有給プレーリーダーとなる。
その後「
特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会」
「NPO プレーパークせたがや」を開設。
30 年、冒険遊び場活動に関わる。
また18 歳までの子どもの専用電話
「せたがやチャイルドライン」の運営にもあたる。
現在、
大正大学の特命教授として
プレーリーダー養成コースも担当。
現在は3.11で被災した
宮城県気仙沼の冒険遊び場「あそびーばー」の
運営にも関わっておられます。
【講演会の内容】
まず、現在被災地で行なっている遊び場活動の様子や阪神淡路大震災での遊び場活動からの教訓や反省を踏まえた、現在に至るまでの様子が語られました。
仙台にある「海岸公園冒険広場」は今回の被災によりすべてが津波に飲み込まれ、壊滅的な被害を受けました。その海岸公園冒険遊び場でプレーリーダをしていた根本さんから、被災の三日後にやっと安否の確認が出来ました。
その時に天野さんに一番にお願いしたことが
「早く子どもたちの為に遊び場をつくって欲しい!」というものだったそうです!
津波の状況、福島第一原発事故による放射能被害の状況も皆目見えない状況の中で、一番辛い思いをした仲間の切実な願いを叶える形で「気仙沼冒険遊び場あそびーばー」はスタートしました。
(気仙沼あそびーばーの様子です)
最初、地元の子どもたちの遊びにはケンカがたえず、トラブルが続いていたそうです。しかし、長年子どもと関わってきた天野さん曰く、「子どもたちには遊びの中で自分自身を癒す力がある」という言葉通り、半年後には穏やかに元気に子どもたちが遊びだし、地域の人たちの心まで笑顔で癒してくれているそうです。
その様子や状況について読売新聞のサイトに天野さんに記事がありましたので抜粋して掲載します。
地震と津波の衝撃は、被災地の子どもたちにどんな影響を及ぼすのでしょうか。周囲の大人たちは、子どもたちとどのように関わればいいのでしょう。阪神大震災と今回の東日本大震災で、被災した子どもたちと遊びを通して交流してきた大正大学特命教授の天野秀昭さん(日本冒険遊び場づくり協会副代表)と考えてみました。
―― 天野先生は阪神大震災の直後、避難所になった長田区の公園に子どもたちの遊び場を作り上げましたが、活動のきっかけはどのようなことだったのですか。
ぼくは世田谷の「冒険遊び場」で、長くプレーリーダーを務めてきました。危ないことを子どもたちにやらせないという風潮の中で、多少のけがなどお構いなしに、自由に試行錯誤できる遊び場を子どもたちに返してあげたかったのです。
阪神大震災の8日後の1月25日に神戸に入り、最初はほかのボランティアグループと炊き出しなどの活動を行いました。避難所では、子どもたちの居場所がまったくなかった。そのため、避難所内に遊び場を作ろうと考えましたが、施設の内外に避難者や車、救援物資などがあふれ、それどころではなかった。行政に申請しても、許可などとても下りそうにありませんでした。
そこで目をつけたのが、指定外の避難所です。ブルーシートで作った簡易テントなどで、250人以上が生活していた南駒栄公園の一角に陣取り、「子どもたちが駆けずり回れるスペース」を確保してしまったんです。2月3日のことです。たて20メートル、よこ30メートルほどのスペースに、宿泊できるインディアンテントや手作りの遊具を設けました。1日5人ほどのスタッフが常駐して子どもたちと遊び、インディアンテントでお泊まり会も開きました。
大人たちはとても大きな不安の中で生活している。炊き出しの長い列のすぐ横で、私たちは子どもたちと大笑いしながら遊びまわっていたのですから、最初は、かなりけげんな目で見られました。
―― 子どもたちに変化が現れたのはいつごろですか
大人たちは、地震の1か月後くらいから、こちらが聞きもしないのに体験を話し出すようになりました。聞きながら、これが心の回復の過程なんだと感じました。でも、子どもたちは何も話さなかった。変化が現れたのは2か月後のことです。
ある日、私たちがベニヤ板で作った机の上に男の子6、7人がスクラムを組んで乗り、「震度1じゃ、2じゃ、3じゃ」といいながら大きく揺すり始めました。彼らは「震度7じゃ!」と叫ぶと同時に揺れを最大にして、机の脚は折れてしまいました。壊した子たちは「ワーッ」と歓声を上げ、喜んでいました。
小さく丸めた新聞や木の葉を灰皿に入れ、火をつける子も現れました。その火をぱたぱたとあおいで大きくしながら、「燃えろ燃えろ!まちを燃やせ!学校を燃やせ!」と叫ぶのです。「震災ごっこ」の始まりでした。
── 子どもたちは、避難している大人の目の前で震災ごっこをやっていたわけですよね。それを許した天野さんも怒られたんじゃないですか。
震災ごっこは長期間続いたわけではありませんが、始まった時は大変だったですね。「なんて遊ばせ方をさせているんや!」と、怒られてばかりでした。遠方から来た私たちが、子どもたちを使って被災者をおちょくり、楽しんでいると思われたのです。
── 子どもたちにとって、震災ごっこは必要だったのですか。
はい。最初は私たちも驚き、戸惑ったのですが、それは子どもたちが、自分自身を癒す行為だったのです。大人は、地震の体験を話すことで不安や恐怖を解消します。ですが、言葉でうまく語れない子どもたちは、代わりに遊びで心を癒すんです。
テーブルを揺らす行為や火遊びは、一見、衝動的でとんでもない行為に見えますが、実は子どもたちは、自分の意思で揺れや火の大きさを操っていたのです。受け止めきれないほど大きな地震、大火の記憶を、遊びの中で自分自身がコントロールしながら、理不尽な体験を受け入れようとしていたんです。
── 子どもの力、あなどれませんね。
そうです。子どもたちには本来、自分自身を癒す力が備わっている。その力を邪魔しなければ、相当量、治っていくものなんです。ところが、大人は子どもの自由な活動を抑え、コントロールする方向に走ってしまう。子どもたちが自分を癒すためにとる行動は、大人には不愉快にうつることが多いからです。
今回の震災でも、自由に遊びまわっている子どもにうつ状態やPTSDの心配はありません。自分を自然に出せず、いい子でいる子どもこそ、注意が必要です。子どもたちの心のケアで最も大切なのは、子どもたちの自然な表現そのものを保障することなのです。
東日本大震災の被災地では、子どもたちのがんばりがたくさん報道されています。大人が大変な時、子どもたちは心配をかけてはいけないと健気にがんばります。人の役に立つ体験は、悪いことじゃない。人から感謝されることで、アイデンティティーが育ちます。ですが、大人から喜ばれれば喜ばれるほど、子どもたちは自分自身の痛みを出せなくなる。だれかが「君も無理しなくていいんだよ」と言ってあげないといけない。
── 子どもの教育にも非常に重要な視点ですね。
はい。大切なのは、例え悲しみや苦しみであっても、子どもたちをきちんと主役においてあげることです。「自分は自分の命の主体なんだ」という思いを持つことが、心の健康につながります。
大人の顔色ばかりうかがって過ごしていると、主体が育たない。その結果、自分自身を殺す「自傷行為」を行う子どもが全国で急増しています。子どもたちが安心して自分を出せる場が必要で、大人の規制から逃れられる遊び場の確保が大切なのです。
私たちが作る遊具は、誤って使うと危険もあります。でも本当の教育とは、子どもたちから危険をすべて遠ざけることではなく、危険をいち早く察知して身を守る術を身につけさせることです。
── 東日本大震災の被災地での活動を教えてください。
日本冒険遊び場づくり協会が、4月以降、宮城県気仙沼市を拠点に活動しています。自然が豊かですから、ザリガニを取りにいって湯がいて食べたり、棚田に勢ぞろいして合唱したりと、楽しくやっています。それまでおとなしくしていた子どもたちが、「一気に目覚めて野生化した」と喜んでくれる父母が多く、活動を継続していきたいと思っています。
【編集後記】
私たちの街で、もし大きな震災が起きたとき、私たちはちゃんと子どもたちを守ることがができるのだろうか?津波が来ないにしても、おそらくすべてのライフラインは寸断されることは想定していかなければいけない。
きっと、そうなったら私たち大人の大多数が肉体的または精神的なダメージを受けるだろう。
そして子どものことは後回しになるのが現実なんだと思う。
しかし、そんな被害に遭った街を救い出してくれるのは「未来への希望の光」なのではないだろうか。その光になるのが、私は子どもたちの元気な笑顔なんだと思う。エネルギッシュな体力と想像力と瞳を輝かながら生きる子どもの未来はどうしても守っていきたい。
今回の東日本大震災の教訓を私たちは身をもって感じ、自分たちの街と仲間たちを守るために、今みんなで一緒に動いていくことが大切なんだと思っている。(山本良子)