2018年03月24日
めざしていたものへ向かって
大変久しぶりの投稿です。
サボっていたわけではなく、コチラで何かを発信することはもうないだろうな
と、半ば自然消滅して行くつもりだったのが正直なところなのです。じつは。
「あさひ 郷土の資源を活かす会」などと、壮大な名前を付けて始めたわりには
ひとつの通過点のはずの「旧佐藤医院」のことを、結局、整備・管理する以外に
何の発展も展開も実現できずにいる無力感。
何かを発信しようとすれば、愚痴や弱音を吐くこと、過去を振り返っての
感傷ばかりが去来して、そんなものを読んで楽しい人が居るでしょうか。
そう思うと、かえって何も書けなくなってしまっていたのです。
10年という歳月は、状況が変化するには十分な時間です。
一緒に走ってくれていた仲間は、当然のことながら高齢化し
体力的な無理が出てくるのは仕方がないことです。
一人はまちを離れ、一人は他界し…
余人を以て替え難かった仲間の喪失は
活動の終焉を感じるのに十分すぎる変化でした。
一緒に走ってくれる仲間が居ない中での活動の継続に
正直、意味も情熱も感じることは難しくなっていました。
活動の大きな転換点であったNPOれきけんとの出会い。
そして「れき・まち・ひろば in あさひ」の開催から始まり
その後には、飛躍的とも言える、様々な出会いを経験することが出来ました。
その10年間を総括する「ちいきしげん研究座談会」を無事に終了できた時
一つの大任を果たし終えた様な気がしました。
私一人でできることはここまで。
私ひとりではこれ以上は何もできないし、個人の力でやれることはここまで。
幸いにして、拠点としての「旧佐藤医院」は
活用に興味を持ってくれる次の世代が現れてくれています。
私たちの行ってきた活動が、萌芽期・発展期とするならば
萌芽期をしらない次の世代が、新しく転換期を作っていく…
歳月と共に、そのように状況が変化していくのが
自然で当たり前の姿なのだと思います。
とりあえず「あさひには、こんな使えるところがあるよ〜!」という場所をつくり
維持管理していく、という体制を一個、創ることができたことで
一つの区切りを付けてもいいのかな、と思っています。
今後は、旧佐藤医院の独自の展開を利用する立場をとってサポートしながら
このような場所(システム)をもっと地域に創って繋がっていく
という、本来の理想を求めて、次の方向に目を向けていこうと思います。
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