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「水中考古学」と「水中遺跡」,そして「水中考古学者」 [2012年07月29日(Sun)]
昨日ラジオを聴いていると,「水中考古学」の話題が.
ゲストの方が,「水中考古学者」という肩書きをもつという.

その方については,
お名前を聞いたことはありますが,
それはあくまでもダイバーとしてで,「水中考古学者」としてではありません.
これまでに多くの水中活動に尽力された方で,海洋文化に造詣が深いことも存じています.
また,海底で遺構状のものの発見を報告されたり,
沈没船の調査?にもかかわってはいらっしゃる方ですが,
少なくともフォーマルな「考古学者」あるいは「考古学研究者」ではないと認識しています.

番組では「水中考古学」「水中遺跡」という用語が何回もでてきましたが,
かなりの違和感をもって聴いていました.

ゲストの方はもちろん,パーソナリティも「水中考古学」を
「考古学」の一分野であるとの認識はないものと感じました.
「水中考古学」と「考古学」は,別の学問ととらえている,のでしょう.

ただし,これは多くの方が感じている「水中考古学」にたいする認識かと,思います.
ですので,今回の放送を聴いた聴取者が,
さらに,誤解するのではにあかとの懸念があります.

それに,ゲスト方の言う「水中考古学」は,その話を伺う限り,
対象は「沈没船」のみで,調査は「水中考古学」に名を借りた遺物引揚げ行為です.
「考古学」ではありません.

ゲストの方には,そのような認識はないのかもしれませんが,
考古学研究者からみれば,「トレジャーハンター」です.

水中考古学」が対象とするモノも,あくまでも人が作ったモノです.
陸上に残されたモノと何ら変わるものではありません.
ですので,遺構や遺物へのアプローチや取り扱い方法,その分析方法等については,
「考古学」を理解し,問題意識をもっていないと,できません.
学問としての「考古学」を学ばないとできなのです.

「水中考古学」や「水中遺跡」という用語は,
今やかなりの誤解や先入観をもって使われ,認識をされています.


この誤解を解くために,私も尽力してきたつもりですが,
今回のような番組(ラジオ・テレビ)や誤解をまねく内容の書籍が,
放送・出版されるたびに,誤解が助長される現状があり,
これにたいして,無力ささえ感じています.

これが,研究者にさえも浸透し,
「水中考古学」=「考古学」ではない(学問的な裏付けのない,単なる遺物引揚げ),
という認識になってもいる現状もあります.

そのために,最近では「水中考古学」や「水中遺跡」という用語は使わないほうが良いのではないか
とさえ,思っています.

また,そもそも「水中考古学」を「考古学」の一分野であると考えれば,
「水中考古学者」などは,存在はしないのではないでしょうか.

一般の方にはわかりやすい用語かもしれませんが,
「考古学」の研究者は,通常「考古学者」あるいは「考古学研究者」と言われ,
そのなかで「〜の専門家」とは呼ばれますが,「〜考古学者」とは呼ぶことはほとんどありあません.
このことからも「水中考古学」の特異性がみてとれます.

私自身も「水中考古学者」と呼ばれることはありますが,これは本意ではありません.
ですので,自ら「水中考古学者」と名乗る人を,私はにわかに信じることはできません.

ラジオ番組の感想から,長々と書きましたが,
やはり,この分野のことを正しく知っていただくことは,
地道に正しく発進していくこと以外にはないのでしょうか?

マスコミなどによる中途半端な理解による情報発信,一度考えて欲しいですね.
小豆島で沈没船? [2012年07月25日(Wed)]
第六管区海上保安本部の担当者の方から沈没船情報をいただきました.

瀬戸内海の小豆島(香川県小豆島町)の南部に位置する内海湾海底で,
ソナー探査により,特異な盛り上がりを確認したとのことです.

盛り上がりの長さ40mはほど,幅5〜6m,高さ5〜6mで,
潜水調査では特定はできなかったものの海中生物が付着した「物体」を確認したとのことです.
水深は約14m.

再調査をするとのことです.
いただいた情報からは,もちろん「物体」の特定はできませんが,
船体だととすれば,その大きさや形状の特徴,海中生物の付着状況から
江戸末〜明治初期の鋼鉄製機帆船の可能性を考えることもできそうです.

なお,ARIUAの把握しているデータベースには当該のものはありません.
新情報です.

再調査の成果が楽しみです.

また,今回の情報は,海上保安本部からのものです.
国機関が,水中文化遺産情報を提供し,水中文化遺産を視野に入れた調査を実施したことは,
国内の水中文化遺産を取り巻く環境を考えれば,
画期的なことだとも思います.

水中文化遺産と保安部との関係は,先日,和賀江島の事例をあげて紹介し,
文化財行政との連携のなさを指摘したばかりです.

その意味でも今回の保安部の姿勢・行動は,「物体」が何であれ,
水中文化遺産への理解という点では,評価できるのではないでしょうか.
和賀江島と座礁 [2012年07月22日(Sun)]
7月14日(土)20:00に,
登録している第三管区海上保安部からの「海の安全情報メール」で.
和賀江島にプレジャーボートが座礁した,との連絡が入りました.

和賀江島は,先日もご紹介したように,
1968(昭和43)年に国史跡に指定された水中文化遺産です.

その和賀江島にボートが座礁したというのですから,事件です
少なくとも陸上の国史跡でしたら,話題にはなるでしょう.

ただし,この事故についてその後,世間一般はもとより,
埋蔵文化財関係者間にもまったく話題にはなっていません

なぜでしょう?

早速,保安部と県教育委員会に問い合わせたところ,
県教委からの回答はまできていませんが,
保安部からは,今回のような事故については,
国史跡としての担当行政である鎌倉市・逗子市教育委員会および神奈川県教育委員会に,
連絡を入れるようなルールはない
とのこと.

また,海での事故については,港湾内ではその所管である市町村あるいは都道府県の所轄官庁に連絡は入れるが,
今回のような港湾外のいわゆる公海においては,
特定の官庁に,とくに連絡は入れない
とのことでした.

これは,公海の所有者が国であるとのこととも関係があるのでしょう.

船の処置については,持ち主にまかせるとのことでした.

今回のような事例については,
史跡であっても,港湾外であれば担当教育委員会には,連絡は入らない
言い換えれば,教育委員会はその事実も知らされない,ということのようです.

それでは,陸上のばあいはどうでしょう.
県内のある市教委に聞いたところ,
同じように史跡内で事故があったばあい,
事故処理の担当は警察になるが,警察との直接の連携(連絡体制)はとくにはない,とのこと.
ただし,警察からその土地の持ち主(公有のばあいは担当部署,個人所有のばあいはその個人)に連絡は入り,
持ち主から,市教委へ連絡が入るということです.

ですので,事故の事実を担当教委が知らない,ということはないはず,とのことです.
担当教委は,事故の事実を知り,それにたいする処理はできるのです.

しかし,公海上(中)の水中文化遺産は,それができない.

ここでも,陸上のものと水中あるいは水上にある文化財(水中文化遺産)で,
その取り扱いに違いがある
ようです.

これでは,水中文化遺産を守ることはできません.
本来は,陸上のものと同様に扱われるべきものであるにもかかわらず.

やはり,水中文化遺産への正しい理解の欠如と無関心が根底にはあるのでしょう.
いすれも,意識的なにそのような状況がかたちづくられたのではなく,
むしろ無意識にそのような状況になっているのでしょうから,
そのことのほうが根深いと,思います.

IMG_1774.jpg
     事故翌日の和賀江島(中央の島状部分)

IMG_1772.jpg
   座礁したボートが見えます(島の左側にみえる黄色ボート)

IMG_1771.jpg
         和賀江島と座礁したボート

※写真はすべて,長谷川典子さん撮影
エルトゥールル号の調査 [2012年07月16日(Mon)]
今日は,水中文化遺産であるエルトゥールル号の調査について考えてみたいと思います.
ただし,エルトゥールル号の調査については,十分な情報を持っていませんので,
詳細を把握しているわけではありません.
(後に記す理由から考古学研究者の多くは,関連情報を知らないものと思います)
ですので,情報元は,新聞・web記事が主であることをお断りしておきます.

エルトゥールル号(Fırkateyni Ertuğrul)は,1890(明治23)年に和歌山県串本町沖で座礁・沈没したトルコの軍艦です.
このときの住民による救援活動は,トルコと日本の友好の原点として語り継がれています.

エルトゥールル号の沈没地区については,予備調査を経て,
2007(平成19)年から発掘をともなう調査がおこなわれ,
6,000点以上の遺物が引揚げられています.

この調査プロジェクトのホームページによれば,
http://www.ertugrul.jp/pages/65e5672c8a9e.php?lang=TR

この調査は,「軍艦エルトゥールル号 海洋発掘調査プロジェクト」として,
日本・トルコ両国の友好の始まりとされる歴史的事実を後世に伝えるために,
トルコ海洋考古学研究所とYAPIKREDI EMEKLILIK保険会社の主導でおこなわれているそうです.

プロジェクトメンバーを見ると,
トルコの考古学研究者は,はいっているものの日本の研究者はいません
また,担当行政も直接には関係はしていないようです.

このように,このプロジェクトは日本の領海内で実施されているにもかかわらず,
日本の研究者および担当行政はかかわっていません


また,経緯の詳細はわかりませんが,
調査は,文化財保護法に則った調査ではなく
和歌山県と海上保安庁が協議して,
このblogでも取り上げている水難救護法に則っておこなった調査のようです.
串本町の担当機関も教育委員会ではありません.

このように,エルトゥールル号の調査は,
国内の埋蔵文化財調査としては,イレギュラーなものです.
研究者に情報が入ってこないというこも,このような状況が影響しているのでしょう.
(文化財のルートからはずれてしまっているということです)
ですので,調査自体も国内では十分な評価がなされていません

調査自体は,トルコの研究者・機関が主体となっていますので,
問題はないものと思いますが,
とくに以下の2点について,問題があるものと考えます.

1.文化財保護法に則った調査ではなく,水難救護法の則った調査であること.
2.日本の研究者・機関および担当行政が直接的にかかわっていないこと.


それにもかかわらず一連の新聞報道をみても,
上記の問題点に関して取り上げた記事は一件もありません.


県議会でも問題点は指摘されておらず,調査を友好事業のひとつとして評価しています.

決して,日本とトルコの友好の証として文化財を活用すること,そのための調査を批判しているのではありません.
むしろ,そのようなことには水中文化遺産を理解してもらうためにも積極的に活用すべきだ,と思っています.

ただし,埋蔵文化財行政の手続きから考えると,非常に違和感を感じます
しかも明らかに問題があるにもかかわらず,批判がない.

問題点の指摘は,なぜなされないのでしょうか?

もちろん,当事者は意識的にこのような手続きをとったものではないのでしょう.
そこからは,水中文化遺産にたいする不十分な理解や先入観があることがみえてきます.

今回は,トルコの好意により,引揚げ遺物は地元に戻されるようですが,
水難救護法のもとでは,その義務はありません
本来は戻さなくてもかまわない(文句は言えない)のです.
このことは,悪用される可能性もありえます.

エルトゥールル号の件では,あくまでもトルコの好意により,
危惧するような事態にはなっていませんが,
今後,このような事例ばかりとはかぎりません.

違う目的を持った輩が入り込んでこないともかぎりません.
実際に,沈没船ファンドをかかげる企業のホームページをみると
日本には沈没船引揚げ遺物の所有権に関する法律が整っていないことが明記されています.

エルトゥールル号の調査が悪しき前例にならないことを願います.

危惧することが起こらないようにするためにも,
また,せっかく調査をしたにもかかわらず,十分な評価がなされない,
というようなことがないように,
一度,水中文化遺産の取り扱いに関して,
しっかりと議論することが必要のようです.
水中遺跡で国内初の国史跡 [2012年07月14日(Sat)]
このblogでも紹介しているように
今年の3月に鷹島海底遺跡が国内の水中遺跡としては初の国史跡に指定されました

ただし,水中遺跡を「常時水面下にある遺跡」ととらえ,
「その一部又は全部が定期的又は継続的に少なくとも百年間水中にあった」
(UNESCO水中文化遺産保護条約の定義)
という水中文化遺産のひとつととらえたばあい,
国内初ではありません

水中文化遺産としては、
1968(昭和43)年に国史跡に指定された
国内現存最古の築港跡である和賀江島(神奈川県鎌倉市)
が,あります.

通常は,一部のみが水面上にあらわれており,
潮が大きく引くときには,その多くが姿をあらわします.
とくに,春・秋の大潮時には,陸続きとなり,上陸も容易に可能となります.
IMG_3902 のコピー.JPG
          大潮時.陸続きの「島」となる.

鷹島海底遺跡より44年も前のこととなります.

しかし,この和賀江島,国史跡でありながら,
遺跡として十分な評価・保全がなされているとはいえません.

現状は,経年の自然営力や災害等により,
構築礫が散在して島状になってしまい,
築港としての面影はない状況ではありますが,
陸続きとなる大潮時には,多くのひとが上陸して,構成礫を動かして「磯もの」を取っていますし,
通常時でもウインドサーファーは何の躊躇もなく上陸しています.
船の座礁もあります.
数年前には,大型台船が座礁したこともありました.
P4130003.jpg
 通常時.島状に一部のみが水面上に見える.ウインドサーファーも多い.

このような状況に,国史跡としての十分なケアがなされているかというと,
「?」です

やはり,水中(常時水面下ではありませんが)にあることからでしょうか?
陸上にある史跡とくらべると,その扱いの違いを感じます.

何か,水中文化遺産を取り巻く環境を象徴しているように感じてなりません.

なお,初めてこの和賀江島を歴史的・考古学的に評価した赤星直忠先生は,
「今や湮滅に向かいひつゝある交通史上の珍貴なる遺蹟をせめてこの儘にでも保存したいものである」
(「和賀江島築港阯」『神奈川県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第2輯 神奈川県教育委員会 1933)
と書き残している.
今から79年前のことですが,
今も状況はかわらないようです.
水中文化遺産と文化財保護法 [2012年07月12日(Thu)]
日本の文化財のための法律として文化財保護法があります。

文化財保護法は、文化財の保護・活用と国民の文化的向上を目的として、1950(昭和25年)に制定された比較的新しい法律です。

制定の契機なったのは、制定の前年に起こった法隆寺金堂焼失事故です。
焼失事故のあった1月26日は、文化財防火デーにさだめらています。

この文化財保護法のなかで、遺跡や考古資料は「埋蔵文化財」と定義されています。
そして「埋蔵文化財」の章がもうけられ、
遺跡や出土遺物の取り扱い等が規定され、保護の対象となっています。

このなかで、「埋蔵文化財」は、
「土地に埋蔵されている文化財」と規定されています。
また、条文をみても「水中」や「海底」ということばは、一切みあたりません。
恐らく、制定当時は「水中」(あるいは水底)については想定していなかったのでしょう。

この文面からは、「文化財保護法」で「水中文化遺産」は保護の対象となり得るのか、
はっきりしません。
確かに、陸上の遺跡と同様に「埋蔵文化財」と、とらえられるのか、もふくめて。

「水中文化遺産」は、「土地に埋蔵されている文化財」となり得るのか。

実はこの点に関しては、文化庁が各都道府県教育委員会教育長あてに、
伊豆大島沖から引揚げられた江戸時代の小判類の取り扱いにたいする質問に答えるかたちで、
1960(昭和35)年にだされた「海底から発見された物の取扱いに関する疑義について」
で、
海底から発見・引揚げられたものは、一般に遺物と同じように埋蔵文化財として扱う、
領海は、国が所有者である、
もうひとつの沈没品に関する法律である「水難救護法」の適用は受けない、
という法制局の見解がしめされています。

すわわち、「水中文化遺産」も「埋蔵文化財」として、
文化財保護法の対象となるのです。

ただし、このことについては十分に理解がなされていないようで,
「水中文化遺産」を文化財保護法の対象とすることに、
躊躇する行政が多いのが現状です。

やはり、条文中に明確に「水中」や「海底」という語がないことも一因なのでしょう。
また、「水難救護法」の存在も、無視はできません。

ちなみに、「水難救護法」を水中文化遺産に適用すると、
文化財保護法との連携はないので、文化財というルートからは外れてしまいます。

この点からも,「水中文化遺産」の扱いに関する共通認識をもつためも
明確なルールづくり(法整備)は、
急務であると思います。

なお、お隣の韓国の「文化財保護法」には、「海底」や「海面」という語が明示されています。
中国は、「水中文化財の保護管理条例」という「水中文化遺産」に特化した法律があります。
いずれも、両国で「水中文化遺産」の扱いが問題となってきた1980年代に制定されたものです。
『ガリレオX』「海に沈んだタイムカプセル  水中考古学の世界」が、再放送されます [2012年07月11日(Wed)]
5月に放映された、
『ガリレオX』「海に沈んだタイムカプセル  水中考古学の世界」(BSフジ)が、
8月5日(日)9:30〜10:00 に再放送されます。

観逃した方は、ぜひに、
観られた方も、もう一度、ご覧になって、
水中文化遺産とその研究の現状を
知ってください。
水中文化遺産と水中遺跡 [2012年07月09日(Mon)]
「水中文化遺産」(Underwater Cultural Heritage)という名称は,
水中にある人間活動の痕跡にたいする総称です.

2009年に発効したユネスコ水中文化遺産保護条約
(UNESCO Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage)
で定義づけられ,国際的な理解も得られています

条約(仮訳文)では,
「文化的,歴史的又は考古学的性質を有する人間の存在すべての痕跡であって,その一部又は全部が定期的又は継続的に少なくとも百年間水中にあった」もの
と定義されています.

一方,「水中遺跡」という名称もあります.
こちらのほうが一般的には知られているかもしれません.
ただし,この「水中遺跡」は,「常時水面下にある遺跡」ととらえられることが多い名称で,
沈没船やアレキサンドリア(エジプト)やポート・ロイヤル(ジャマイカ)に代表されるような海底に沈んだ都市というような特別な遺跡
思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

しかし,この定義では,
先日からこのBlogでとりあげている潮の干満で定期的に水没するような「潮間帯」の遺跡は,
範疇にはいりなりません

その意味するところが限定される名称でもあるのです.

近年では,この種の遺跡の調査・研究も進み,
沈没船などの「常時水面下にある遺跡」のみならず,
それまで,その立地から等閑視されることが多々あった
潮間帯の遺跡のように「定期的にに水中にある」遺跡もしっかりと認識されるようになりましたので,
それまでの「水中遺跡」ではとらえることのできないものをふくむ名称として
「水中文化遺産」が用いられる
ようになりました.

私たちも同様の認識から「水中文化遺産」という名称を用いています.

とりわけ「水中遺跡」には,先に上げた例のように,
その名称に先入観もありますので,それを払拭する意味もあります.


「水中文化遺産」よりは「水中文化財」と言ったほうが良いのではないか
との意見をいただいたことがあります.
たしかに,日本国内では「文化財保護法」や「埋蔵文化財」というように,
「文化財」という名称は,一般的に用いられています.
「〜遺産」とは使いませんね.

昨今は,やはりユネスコの「世界遺産」にみられるように,
「〜遺産」という名称も聞かれるようにはなりましたが.

この点については,
「水中文化遺産」の性格上,
その取り扱いにおいて国際的な議論も必要になる場面もあることがありえます.
ですので,あえて国際的な理解を得ている共通認識としての「水中文化遺産」という名称を使っています

また,潮間帯の遺跡のなかには,ひとつの遺跡が陸上〜潮間帯〜海底と環境の異なる場所に立地することもあります.
このばあいの遺跡は,立地は違っていますが,それぞれの立地で遺跡の性格が異なる,ということではもちろんありません

たまたま,自然環境の変化で一部が水没してしまった結果なのです.
ですので,この遺跡を単純に「水中文化遺産」ととらえることも,
いかがなことか
と,私は思います.
本来はひとつの遺跡なのですから.

このばあい,陸上あるいは水中という区分けは,その遺跡を考える際にはあまり意味のないことだと思います.
もちろん水没した原因は,考えなければいけませんが.

将来「水中」にあることにたいする偏見や先入観がなくなり,
陸上の遺跡と同等に扱われるようになれば,
このような水際の遺跡も特別視されることもなくなるのでしょう.


ただし,残念ながらそのレベルには達していませんので,
しばらくは「水中文化遺産」としてとらえる必要があるようです.
「周知」と「理解」 [2012年07月08日(Sun)]
昨日の「報道特集」の鷹島関連番組は観られましたでしょうか?

事実を丁寧に紹介した,わかりやすい番組だと思いました.
韓国の状況も紹介され,日本での水中文化遺産を取り巻く環境についての現状もおわかりになったことと思います.

今回の番組の内容は,水中遺跡としての沈没船遺跡が主題となっていました.
韓国での映像も沈没船に関するものでした.

ただし,昨日も書きましたが,水中文化遺産は沈没船だけではありません
水没(沈降)遺跡,そして港湾関連の遺跡も数多くあります

その内容から注目されることが多い沈没船ですが,
沈没船のみが,水中文化遺産ではない,その研究対象ではない
ということは,理解してください.

日本では,沈没船遺跡も十分に把握されていませんが,
水没遺跡や港湾関連の遺跡も同様です.
しかし,港湾関連の遺跡はもちろんのこと,水没遺跡は海岸(あるいは湖岸・河岸)あるいは,近い水底にあるばあいが多いので,
把握されないということは,開発行為等で調査もされずに人知れずに消滅する(している)可能性も高いのです.

ウォーターフロント開発などは,その原因のひとつですが,
首都圏でこのような開発にともなって,
埋蔵文化財調査(分布調査もふくめる)がなされた例を私は知りません.

この点からも,水没遺跡・港湾関連の遺跡の把握・保護は急務です.
内容が同じである陸上の遺跡については,
保護体制が整っているにもかかわらず,
その立地が,少しでも水中にかかると,まったく違う展開になってしまうのです.

もちろん,鷹島海底遺跡のある長崎県,琵琶湖湖底遺跡の調査実績のある滋賀県,沿岸地域分布調査を実施している沖縄県などの「理解」のある地域では,
把握・保護体制がとられていますが,多くの地域では.まだの状況です.

この点を改善するためには,行政の理解が不可欠です.
そのためも「周知」と「理解」をキーワードに活動することが,
まだまだ必要のようです.
沈没船だけじゃない [2012年07月07日(Sat)]
水中遺跡といったら,沈没船を思い浮かべるかたは,多いことでしょう.
また,水中考古学といったら,沈没船の積荷を引揚げて,それを研究する学問
だと思われているかたも多いかと,思います.

たしかに,沈没船は,その遺存状態にもよりますが,
当時の状態がそのままパックされて残されていることが多いため,
積荷は.遺物の共伴関係やその一括性をしめす良好な資料となり得ますし,
陸上では残るとこのほとんどない船体は,その実物資料となるなど,
考古学的には多大な情報提供がなされる遺跡・遺構です.

しかし,実際の水中遺跡は,沈没船だけではありません
何らかの原因で,水没してしまった遺跡も数多くあります.
水没(沈降)遺跡です.
時期は,旧石器時代からと多期にわたります.

沈没船と違って,もとは陸上にあった遺跡ですので,
もちろんその内容は,陸上にある遺跡とかわりはありません
残されている環境が違うだけです.
また,海岸から海底へとつながる潮間帯に所在する遺跡もあります.

このような水没遺跡の水没した原因をさぐることで,
自然環境の復原のみならず,
災害史を考えるうえでも多くの情報が提供される可能性があります.
水中にあることで,陸上では残りにくい植物体や木製品などの遺物や遺構が確認されることもあります.

実際に,滋賀県の琵琶湖では,滋賀県立大学による近世水没遺跡の調査が継続しておこなわれており,
水没原因が大地震によるものであることが明らかにされるとともに,
その成果は,将来発生が予想される大地震への備えへの検討材料となるなど,
水没遺跡ならでは,成果が得られています.

各地でその存在が確認されており,
その数は,沈没船遺跡より多い状況です.

元寇の鷹島海底遺跡でも水深25mの海底の包含層から,
縄文時代早期の土器が複数出土しています.

千葉県館山市にある海岸〜潮間帯〜海底に所在する縄文草創期〜早期の沖ノ島遺跡からは.
国内最古の可能性のある捕鯨の痕跡が確認されています.

日本の水中遺跡が初めて学会に報告され,研究されるようになったのも
水没遺跡です

今から100年ほど前の明治末に発見された諏訪湖底曽根遺跡(長野県諏訪市・旧石器〜縄文)です.

国内初の潜水発掘調査がおこなわれたのも,水没遺跡の網走湖底遺跡(北海道網走市・縄文.1963/1965年調査)です.

日本の水中文化遺産調査・研究は,水没(沈降)遺跡から始まっているのです

沈没船と比べると,一件地味に見えますが,
時代が多期にわたることが多いため,その情報量も多種多様で,
その内容は,沈没船に劣るものでは決してありませんし,
沈没船以上の情報も提供されているのです


水中遺跡として沈没船がクローズアップされることは多いですが,
水没(沈降)遺跡もたくさんあるんです
それも身近なとろに.
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