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水中文化遺産と地震 [2010年08月31日(Tue)]
明日は、「防災の日」です。
この記念日にちなんだ「大正関東大地震」から、今年で87年目をむかえました。
この大地震は、相模湾沖を震源とし、南関東に甚大な被害を残しています。

「大正関東大地震」により、相模湾沿岸域では1m前後の土地の隆起が起こっています。
この隆起が、水中文化遺産にたいしても大きな影響をおよぼしてしています。


たとえば、鎌倉材木座海岸沖からは海に没していた鎌倉時代の築港跡である和賀江島が姿をあらわし
茅ヶ崎の水田からは、鎌倉時代つくられた相模川にかかる橋の橋脚(旧相模川橋脚)が突如として、出現しています
いずれも、全国でも類例のない文化遺産として国史跡に指定されています。

また、三浦半島先端にある三崎港は,干潟のようになったそうで、
そこからは、中国明代の銭貨である「永楽通宝」がたくさん拾われたそうです。

これらは,いずれも水中に没していたもの(旧相模川橋脚は厳密には地中ですが)が、
地震による土地の隆起により地上にあらわれたものです。
地震という自然の大きな力により、それまで見ることのできなかった水中文化遺産が
見ることのできる状況になった事例です。

和賀江島や旧相模川橋脚が国史跡に指定されたように、
水中には地上では見ることのできない、残らない文化財が残されていることをしめす好例とも言えます
元寇の軍船?発見!! [2010年08月27日(Fri)]
鎌倉時代に二度にわたり元(モンゴル)軍が日本に攻め入った元寇の最後の地となった長崎県松浦市鷹島の沖合で、
元軍船の船体と考えられるものが見つかったという報道がありました。

escapee.jp/wp/archives/3732

琉球大学の池田栄史教授らのグループによる今夏の調査でみつかったものです。
鷹島では、これまでの調査で碇や船体の部材はみつかっていますが、
船体そのものは、確認されていません。

国内を見まわしても中世の船そのものは、みつかっていません。
船体だとすれば、非常に注目すべき発見です。

今回の調査では、船体と考えられるものの一部を調査したのみですので、正確な判断はまだできません。
今後の調査には、その内容や体制もふくめて、
注目したいと思います。
Posted by T.Hayashibara at 22:16 | 沈没船 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
長崎県・小値賀島前方湾海底遺跡の調査をおこなっています [2010年08月26日(Thu)]
現在、長崎県の五島列島の北部にある小値賀島の前方湾海底遺跡で発掘調査をおこなっています
調査は、20日からはじまり、30日に終了予定です。

ここ数年間は、夏はこの小値賀島で調査をおこなっています。
前方湾海底遺跡では、これまでの調査で、
古代末から近世の陶磁器を主体とした遺物が多数検出され、
中世の外洋船のものと考えらえる碇石もみつかっています。


          調査地区付近の海のようす

今年も中国製の陶磁器などがみつかっています。

今年は、昨年も参加したイタリア人のほかにフランス,韓国からの研究者や学生の参加者があり、
国際色豊かな賑やかな調査となっています。


        出土した陶磁器を確認する日・伊の調査員

調査は、終盤を迎えています。
疲れもでるころですので、体調に気をつけ、より注意深く調査を進めています。


          潜水チームの調査船
ディアナ号の遭難 [2010年08月15日(Sun)]
先日、ディアナ号を研究されている方にお話をうかがう機会がありました。

皆さんは、ディアナ号をご存知でしょうか?
ディアナ号は、今から156年前、江戸時代末の1854年に日露和親条約締結のために、
プチャーチン提督に率いられたロシア使節団を乗せて下田にやってきた軍艦です。

全長52.8m、幅13.6m、トン数2,000トン、大砲52門、マスト3本のロシア製フリゲートです。

このディアナ号ですが、下田港に入港した数日後に東海地方を襲った大地震(安政東大地震)のによる津波により、
船体の大きな傷を負ってしまい、
その修理地となった西伊豆・戸田村(現・沼津市戸田)への航海中
荒天により、宮島海岸(現・富士市宮島)へ漂着し、
その後、戸田へ向かう曳航中に沈没してしまいます

この一連の事件は、江戸時代末の政治的情勢とも連動してよく知られており、
当時の記録も多く残されているいるのですが、
ディアナ号の沈没地点は、未だ特定されていません。

沈没地点については、長らく宮島沖と考えられてきましたが、
最近では沼津沖戸田と宮島間の沖合という考え方もしめされています。

沈没地点に関する調査として、
1988(昭和63)年に、富士市・沼津市・下田市・戸田村(当時)による
機器をもちいた探査が宮島沖(水深30〜50m)でおこなわれましたが、
船体の発見にはいたっていません。
その後は、本格的な調査はおこなわれていません。

沈没地点特定のための手段として探査は必要ですが、
探査には多額の費用がかかります。
探査地点を絞り、無駄のない調査をするためにも
これまでの先入観を捨て記録を読むことが必要だと思います。

ただし、戸田と宮島間の沖合だったとすると、
そこは水深が約1,000mありますので、
探査も......いろいろな意味で大変です。

ディアナ号のものとされる遺品としては、
宮島沖の海底から引き揚げられた錨が2本あるだけです。
いずれも、宮島海岸に漂着時に投錨したものと考えられています。
この2本の錨は、現在、富士市三四軒屋の緑道公園と沼津市立戸田造船資料館博物館に置かれています。

なお、このときのディアナ号の遭難には宮島の多くの住民が尽力し、
一人の犠牲者もださず、プチャーチン提督以下463名全員が救助されたとのことです。
そして、戸田では帰国用の代艦として、
国産初の洋式船「ヘダ号」(全長24.6m、100トン)が建造され、
日本の造船界に大きな足跡を残すことともなりました。


その後、下田ではプチャーチン提督と幕府側との交渉が続けられ、
1855年に日露和親条約が締結され、ロシア側の当初の目的が達成されています。

ディアナ号の遭難についてまとめた最近の書籍として、
地元の研究者・奈木盛雄氏がまとまられたものを紹介をします。
この本で奈木氏は、多くの史料の検討により、戸田と宮島間の沖合が沈没地点と結論づけています。
奈木盛雄『駿河湾に沈んだディアナ号』元就出版社.2005年1月発行.3,675円
Posted by T.Hayashibara at 22:25 | 沈没船 | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
伊豆半島での調査をおこないました [2010年08月10日(Tue)]
8月3日(火)〜5日(木)に「海の文化遺産総合調査プロジェクト」の太平洋沿岸域調査の一環として、
伊豆半島で調査をおこないました。

調査内容は、情報収集のための現地調査で、
これまでに収集した情報や6月におこなった関係機関へのアンケート調査で寄せられた情報等をもとに、
現地で情報や現地の確認をおこないました。

3日間という限られた時間ではありましたが、
西伊豆〜南伊豆〜東伊豆と伊豆半島を一周し、
関連遺跡・史跡を巡り、
教育委員会・博物館やダイビングサービスでお話を伺いました。


縄文時代の神津島産黒曜石の陸揚げ地・段間遺跡(河津町)の資料館での調査のようす


       伊東市富戸の海岸に残された丁場から切り出された石材

新たな情報も寄せられるなど、実り多い調査でした。
今後は、収集情報の精査をおこない、
詳細調査を実施する必要がある情報については、
あらためて,調査をしたいと考えています。

夏休みの繁忙期であるにもかかわらず、
お時間を割いていただいた関係機関や関係者には、
あらためてお礼申し上げます。


                調査のようす
三輪嘉六先生と行く「韓国文化遺産スタディツアー<南部編>」 [2010年08月06日(Fri)]
特定非営利活動法人文化財保存支援機構さんから、
「韓国世界遺産スタディツア−」の案内をいただきましたので、
ご紹介いたします。

ご興味がある方は、文化財保存支援機構へお問い合わせください。


三輪嘉六先生と行く「韓国文化遺産スタディツアー<南部編>」

日本と地理的、歴史的、文化的に最も関係の深い国「韓国」の文化遺産とその保護状況を知る旅の第U弾です。今回は釜山、慶州、安東など巡ります。
団長に九州国立博物館館長・三輪嘉六先生、副団長に現在韓国の文化遺産の保存研究と若手研究者の養成を精力的に行っている沢田正昭先生を迎え、石造文化財保存の専門家の西浦忠輝先生が同行、韓国の諸先生を含めた専門家のレクチャーを受けつつ見学します。

団 長:三輪嘉六氏(九州国立博物館長、文化財保存修復学会長、NPO文化財保存支援機構理事長)
副団長:沢田正昭氏(国士舘大学教授、東アジア文化遺産保存学会名誉会長、NPO文化財保存支援機構理事)
講 師:西浦忠輝氏(国士舘大学教授、東アジア文化遺産保存学会副会長、NPO文化財保存支援機構副理事長)
※上記はやむを得ない事情により変更になることもありえます。

ツアー概要
主  催:NPO法人 文化財保存支援機構
後  援:文化財保存修復学会、日本文化財科学会、韓国文化財保存科学会、東アジア文化遺産保存学会(含申請中)
日  程:10月8日(金)〜12日(月) 4泊5日
定  員:30名(先着順:定員になり次第締め切ります)参加資格:大学生以上で興味のある人ならどなたでも

◎スケジュール<暫定>
【10/8(金)】 16:30福岡空港集合  福岡 → 釜山 → 昌原 (昌原泊)
【10/9(土)】海印寺、浮石寺、古藪洞窟、河回村 (安東泊<伝統的韓屋ホテル>)
【10/10(日)】午前: 安東下回村、大邸博物館
        午後:慶州博物館、石窟庵、仏国寺 ほか (慶州泊)
【10/11(月)】午前:天馬塚、半月城、慶州文化財研究所
        午後: 梵魚寺、太宗台、東亜大博物館   (釜山泊)
【10/12(月)】金海博物館、福泉洞博物館 ほか
        釜山空港 → 17:50福岡空港着<解散>

参加費:一般:119,000円 / 後援団体会員:114,000円
     NPO・JCP会員:109,000円 / 学生:104,000円
※福岡空港発着ですが、国内線の手配もご相談に応じます。
※料金には、航空運賃・宿泊費・食事代(飲み物代は除く)・韓国内移動費・入場料・空港使用料等諸経費すべてを含みます(電話、クリーニング代等個人的経費は除く)。
※1人部屋追加料金:25,000円<通常は2人部屋>  
※現地参加は-25,000円

◎申込・問合: NPO文化財保存支援機構事務局(担当:松本)
         電話: 03-3821-3264  Fax 03-3821-3265
         E-mail:jimukyoku@jcpnpo.org  


Posted by T.Hayashibara at 23:49 | イベント | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
岡垣浜採集の陶磁器 [2010年08月05日(Thu)]
福岡県遠賀郡岡垣町三里松原海岸(岡垣浜)で、
地元の添田征止さんが長年にわたって採集された陶磁器の一部を
有田町歴史民俗資料館に運びました。



「海の文化遺産総合調査プロジェクト」の一環で、
資料化するための整理作業をおこなうためにです。

写真を見ておわかりのように、大量です。
ミカン箱で37箱、4トントラックで運びました。

水洗いから始めます。

今秋の資料館での企画展に、一部は展示する予定です。



岡垣浜で採集される陶磁器は、
中世中国陶磁器、18世紀〜19世紀の肥前諸窯の陶磁器など多種類で年代の幅もあります。
おそらく、複数回の海難(船の沈没等)を反映しているものと考えられます。

添田さんの採集された陶磁器をはじめとする漂着物については,
添田さんのホームページをご覧ください。
http://soedase.hp.infoseek.co.jp/