CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2009年10月 | Main | 2009年12月»
<< 2009年11月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリアーカイブ
最新コメント
T.Hayashibara
魚へんの漢字 (03/27) T.Hayashibara
「海底遺跡 新時代」 (03/27) T.Hayashibara
岩淵聡文著『文化遺産の眠る海 水中考古学入門』 (03/27) T.Hayashibara
公開された「神奈川台場」を見てきました (03/27) T.Hayashibara
東京駅・丸の内駅舎の復原 (03/27) T.Hayashibara
和賀江島と座礁 (03/27)
「海底遺跡 新時代」 (09/06) 山本
魚へんの漢字 (08/05) 斎藤 敏行
和賀江島と座礁 (07/29) 安田冨郎
東京駅・丸の内駅舎の復原 (07/08)
最新トラックバック
犬山城 (01/22)
http://blog.canpan.info/ariua/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ariua/index2_0.xml
ドキュメンタリー『難破船の残した友情』上映会 [2009年11月28日(Sat)]
昨日、駐日スペイン大使館でおこなわれた
ドキュメンタリー『難破船の残した友情 “Del naufragio a la amistad” 』の上映会へ行ってきました。

このドキュメンタリーは、1609(慶長14)年9月30日に、
太平洋に面した千葉県御宿町の沖合に起きたスペインのガリオン船のサン・フランシスコ号の難破、
それにまつわる御宿の住民による救出活動
を現地や関係国での取材をもとにつくられた52分のドキュメンタリーで、
スペイン、メキシコと日本の交流400周年記念の一環として制作されたものです。

制作は、日本在住のコロンビア人プロデューサーのGonzalo Robledo氏によるものです。



200人くらい入る会場に、多くの人が来場されていました。
大使館関係者・映像協力関係者・マスコミ・ダイバー・歴史学者・考古学者などなど、
さまざまな分野の方がみえていたようです。

ARIUAからも私もふくめて、複数の会員が参加しました。

内容は、”宝探し”的な側面もみられ,
ドキュメンタリーとしては、賛否がそれぞれ、あるものと思います。

実際に、上映後の質疑応答でもさまざまな意見がありました。

しかし、このような史実があり、海にも文化財があるのだ
ということを多くの方に知ってもらうには、
十分にインパクトのある番組だと思います。

現在のところ、スペインTV(TVE)国際チャンネルでのみの放映とのことですので、
日本での放映は未定とのことです。
(このため、日本人へのインタビュー以外は、すべてスペイン語で語られています)

私としては、日本でもぜひ、放映していただきたいと感じたドキュメンタリーでした。
相模国分寺の瓦の生産地 [2009年11月23日(Mon)]
神奈川県海老名市にある
相模国分寺跡・創建期(奈良時代中ごろ)の瓦が、
横須賀市の乗越遺跡(のりごしいせき)でつくられたことが、
わかったとの発表がありました。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/0911120049/
http://www.yokosuka-benri.jp/db/nagekomi/n100003460.html

乗越遺跡は、横須賀市の相模湾側の秋谷にあり、
奈良時代の須恵器・瓦をつくった窯跡が8基確認されています。

相模国分寺跡(僧寺)の瓦については、
これまでにその生産地がはっきりとしておらず、
神奈川県内外の数ヶ所の窯跡がその候補地として考えられていました。

今回の乗越遺跡もそのひとつで、
2007(平成19)年の調査時に出土した軒丸瓦(軒先に使われる文様がある瓦)の破片が、
これまでに相模国分寺跡でみつかっていたものと同じものと判明したことから、
乗越遺跡が相模国分寺の瓦の生産(供給)地であったことが証明されたのです。

そして、今回の調査成果の発表の意義として、
遺跡が乗越遺跡が相模国分寺跡の瓦生産(供給)地であることが明らかとなったとともに、
相模湾に面した入り江をのぞむ斜面地に立地していることと、
相模国分寺と約41km離れていること、
から船運で瓦を運ぶことを前提につくられた生産地であったことがあげられます。


       乗越遺跡の位置(矢印)

相模国分寺跡は、海岸線からは約16km内陸に所在しています。
近くには旧相模国最大河川の相模川が流れており、
相模川の支流から分水する相模国分寺のためにつくられたと考えられる「逆川」(さかさがわ)と呼ばれる運河跡もみつかっています。
これまでの調査では、船着き場と考えられる遺構もみつかっています。
このように、相模国分寺も船運を意識してつくられています


        乗越遺跡と相模国分寺跡

今回の調査成果の発表は、
これまで、不明確であった相模国分寺の瓦の生産(供給)地を明らかにしたものですが、
古代から相模湾や相模川が物資輸送のために積極的に利用されていたことを間接的に証明したことにもなりました。

古代の相模湾には、どのような舟・船が行き来していたのでしょうか?
相模湾岸での古代の船舶資料は、葉山町で出土した丸木舟が1隻あるだけです。
こちらのほうは、まだまだ、よくわかってはいません
徳之島で調査がおこなわれました [2009年11月20日(Fri)]
海の文化遺産総合調査プロジェクト」に関する調査が
鹿児島県徳之島(天城町・徳之島町・伊仙町)で11月13日(金)〜17日(火)におこなわれました
(情報提供:鹿児島大学法文学部・渡辺芳郎)

鹿児島大学と沖縄の南西諸島水中文化遺産研究会との合同調査です。
地元のダイビングショップの方からの情報と海岸踏査の成果をもとに,
徳之島町山(さん)港で潜水調査を行ったところ,
海底で和船にともなうと考えられる碇石3点を確認できました。
鹿児島県内の島嶼域で,海底の碇石が発見されたのは,はじめてのことです


         みつかった碇石(鹿児島大学法文学部・渡辺芳郎提供)

鹿児島県内の島嶼域での調査例は、
これまでにあまりまりませんので、
今回の調査で、複数の碇石がみつかった意味は大きいものと思います。

みつかった碇石をどのような船が積んでいたのかなどは,
検討課題ですが、
今後の調査に期待ができる成果だと思います。


         みつかった碇石と調査員(鹿児島大学法文学部・渡辺芳郎提供)

なお、調査のようすは、
11月20日付けの『南日本新聞』で紹介されました。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=20567
坂本龍馬の「いろは丸」 [2009年11月18日(Wed)]
先日、NHKで放映された「歴史秘話ヒストリア」では、
坂本龍馬の海援隊が紹介されていました。

この番組のなかで、海援隊がチャーターし、衝突事故で沈没した
「いろは丸」の調査映像が流されていました。

いろは丸」は、大洲藩(おおずはん・伊予国)所有の蒸気船で、
1867(慶應3)年の処女航海時に、
瀬戸内海の備後灘で紀州藩の「明光丸」と衝突し、
曳航中に、広島県福山市鞆の浦沖で沈没しました。

その後,この衝突事件は「いろは丸事件」として、
日本最初の海難訴訟事件へと発展しました。

この「いろは丸」は、沈没から約122年後の1989(平成元)年に、その船体が発見されました。
その後、現在、当研究所と今年度事業で共同調査をおこなっているNPO法人水中考古学研究所(当時は任意団体)により、2005年までに4回の調査(潜水調査)がおこなわれています。

調査では、さまざまな積荷の一部が確認され、
海援隊の交易の実態を明らかにしています


海援隊は、衝突事故の訴訟で、
御三家のひとつの紀州藩相手に、巧みなやりとりから莫大な賠償金を得ています。
しかし、調査では莫大な賠償金の根拠のひとつとなった
ミニエー銃400丁を積んでいたという海援隊側の主張を証明する遺物は、
銃本体はもとより、部品すらまったくみつかていません。

この事実は、海援隊隊長・坂本龍馬のはったり交渉を証明することもなり、
坂本龍馬の人物像をあらためて、知らしめる成果でもありました。

このようなことは、文献資料のみからではわかりにくいことで、
考古資料からこそ、わかる・わかったこと
でもあります。

調査の概要(4次調査)については、
財団法人京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館から
リーフレットが発行されています。
(ダウンロードができます)
http://www.kyoto-arc.or.jp/

出土遺物は、いろは丸展示館に展示されています。
(広島県福山市鞆町)
http://tomonoura.jp/irohamaru.html
Posted by T.Hayashibara at 23:43 | 沈没船 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
企画展 開港150周年記念 ユーラシア3000年 海と陸のシルクロード [2009年11月17日(Tue)]
現在、横浜ユーラシア文化館(横浜市中区)で,
企画展 開港150周年記念
  ユーラシア3000年 海と陸のシルクロード

が、開催されています。

会 期 : 2010年1年11日(月・祝)まで

内 容
「船が結んだ各地の港、港がつないだ海と陸のシルクロードを眺望し、海上交易によって拡充された壮大な東西交流の歴史を、ガラス、陶器、地図などでたどります。」(H.P.より)

内外の関連遺物が多数展示されています。

詳細は、横浜ユーラシア文化館の H.P.でご確認ください。
http://www.eurasia.city.yokohama.jp/exhibition/index.html

横浜ユーラシア文化館は、シリア・タルトス沈没船の調査などに携わった
江上波夫先生が横浜市に寄贈した考古・歴史・美術・民族資料約2500点、文献資料約25000点をもとに、2003年3月に開館したミュージアムです。

みなとみらい線(地下鉄)の日本大通り駅の上に建つビル内にあります。

同じビル内には、都市としての横浜市の歩みを紹介するミュージアム横浜都市発展記念館もあります。
こちらのミュージアムには、横浜市の近代化遺産関連の遺物などが展示されています。

横浜都市発展記念館H.P.
 http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/index.html

ミュージアムは、横浜のベイエリアにありますので、
横浜港関連の遺跡(近代化遺産:象の鼻・大桟橋・新港埠頭・赤煉瓦倉庫群など)
すぐそばです。

Posted by T.Hayashibara at 23:44 | 展覧会 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
和賀江島と台風18号 [2009年11月13日(Fri)]
先月、関東を直撃した台風18号は、
接近時に,高潮・満潮が重なったこともあり、
神奈川県沿岸には、大きな被害の爪痕を残しました。

国史跡の和賀江島にも大きな被害を与えました


和賀江島は、神奈川県鎌倉市の材木座海岸の沖にある
鎌倉時代につくられた
現存するものとしては、
日本最古の築港跡です。

台風18号により、
和賀江島を構成する玉石が沿岸を走る道路に,打上げられたそうです。
通常では考えられない状況です。

現在の和賀江島は、構築当時とは大きくかたちを変えてしまってはいますが、
今回の台風で、さらに大きく変化してしまったのではないでしょうか?。

もともと、海中にあることから波浪による影響は常に受ける環境にありますが、
何らかの手は打てないものでしょうか?

このほかにも、春・秋の大潮時には、大勢のひとが上陸して、
和賀江島の玉石をひっくり返して、磯モノをとっています。

現状は、常に現状変更がなされている状況なのです


          大潮時の上陸風景(春)

和賀江島に関しては、
1954(昭和29)年の神奈川県史跡指定
1968(昭和43)年の国史跡指定
以後も文化財としての保存・管理はおこなわれていません。
数年前に「保存管理計画」がまとめられましたが、
今だもって実行はされていません

今回の台風では、岩礁に建てられた石碑(史跡指導標.1924年建立)が
荒波で倒れてしまいました。

この石碑ですが、今もって倒れたままです。
和賀江島が、鎌倉市と逗子市にまたがっているために、
どちらが直すかで、もめているそうです。

縦割り行政の典型ですね。

ただでさえ、海中という陸上とは、
様々な意味で異なる環境にあるのに
こんなことで、和賀江島の保存・管理は実現できるのでしょうか?


          上陸風景と石碑(ひとの後ろに建っているもの)
国道58号線 [2009年11月11日(Wed)]
国道58号線をご存じでしょうか?
鹿児島県鹿児島市と沖縄県那覇市を結ぶ一般国道です。

この国道58号線ですが、地図を見ればわかるように、
鹿児島市と那覇市を結んでいることになっていますが、間には海があります
陸路部分と海上部分がある珍しい国道です。

海上には橋は架けられていませんので、すべての道路がつながっているわけではありません。
実際には、鹿児島市と沖縄本島,そして、その間にある種子島と奄美大島にのみに道路としての国道58号線があります。

海上区間をふくめた総延長は857kmで、日本一長い国道だそうです。
ちなみに、陸上区間は256kmですので、2/3ほどが海ということになります。


      沖縄県内での起点・国頭村奥にある記念碑(Wikipediaより)

まるで、古来からの琉球と九州本土を結ぶ海上交通路をトレースしているような道です。

ただし、今は海上区間にはフェリー便がないところもありますので、すべてのルートをトレースして車移動することはできないそうです。
「海の文化遺産総合調査プロジェクト」にともなう日本海沿岸海域での調査状況・10月 [2009年11月10日(Tue)]
10月におこなわれた「海の文化遺産総合調査プロジェクト」にともなう日本海沿岸海域での調査状況について、報告します。
(情報提供:金沢大学考古学研究室)

 ・調査名:島根県太田市温泉津(ゆのつ)潜水調査
 ・調査日:2009年10月9日〜12日
 ・場 所:島根県太田市温泉津町温泉津湾周辺
      (沖泊港、立鳥瀬、中の瀬)
 ・調査内容:石見銀山の積出港のひとつとされる温泉津湾内の沖泊港とその周辺での潜水目視調査


        温泉津港内・近景(小川光彦・撮影)

 ・調査成果:沖泊港内では、18世紀前半〜19世紀にかけての肥前系磁器、他のポイントからは近代の瓦・陶器や石材を多数確認することができました。


        肥前系磁器染付皿・検出状況(山本祐司・撮影)


        立鳥瀬検出の石材(小川光彦・撮影)

これら遺物の由来は、船の荷崩れや沈没にともなうものとも想定できる状況でした。
 今回の成果を評価するためには、より詳細な調査が必要で、その点からも今後の調査に期待をもたせる成果を得ることができました。


        サンプル石材の回収準備状況(山本祐司・撮影)
第1回 水中文化遺産委員会 [2009年11月09日(Mon)]
昨日の11月8日(日)に、
福岡市内で、第1回水中文化遺産委員会が開催されました。


           開会の挨拶をする林田理事長

この委員会は、水中文化遺産に関して専門的見地から議論をおこない、
広く意見を集約し、水中文化遺産にたいする具体的な取り組みの方向性をしめすこと目的としています。

今回の委員会には、
青柳洋治 先生(上智大学名誉教授)
岩淵聡文 先生(東京海洋大学教授)
佐々木達夫 先生(金沢大学教授)
西谷正 先生(九州歴史資料館館長・九州大学名誉教授)
と,オブザーバーとして
禰宜田佳男 文化庁文化財調査官
に出席していただきました。


           出席された先生方

委員会では、今年度の各海域での調査報告をおこない
それに基づいて、
各先生方に、水中文化遺産調査の方針と内容の検討をしていただきました。

とくに、データベースの公開方法・活用方法や
水中文化遺産の周知方法については、
今後の方針をしめす多くのご意見をいただきました。


           海域ごとの報告

また、文化庁からは、研究所の活動を評価していただきました。
瀬戸内海での調査のようす [2009年11月05日(Thu)]
「海の文化遺産総合調査プロジェクト」にともなう瀬戸内海沿岸海域での調査状況について,報告します。
(情報提供:NPO法人水中考古学研究所)

9月16日・10月29日に、
事前のアンケート調査で情報提供をいただいた
岡山県備前市久々井(くぐい)沖で、
引き揚げられた備前焼甕・壷の調査をおこないました。


いずれも地元の漁師さんが
以前に引き揚げたものだそうで、
現在、引き揚げられた漁師さん宅と地元の小学校に保管されています。

時期は,近世初期のものと考えられるもので、
複数ありますが、いずれも完形品であることから、
沈没船の積荷にともなうものでしょうか。



             引き揚げられた備前焼壷


             引き揚げられた備前焼甕(小学校所蔵)


             調査(実測)状況