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坊津の海で [2008年11月30日(Sun)]
坊津の海は,ダイビングでも人気のポイントにもなっています.

これまでに紹介してきたように,透明度は高く,非常にきれいでした.
それに加えて,魚影も濃かったですね.
黒潮が入り込んでいるので,熱帯系のカラフルな魚も多くいました.
ポイントにもよりますが,ハゼなどのミクロ系から,カンパチなどの回遊魚までと多彩でした.

調査中にも,キラキラ光るキビナゴの大群のなかをエントリーしたり,頭上をカンパチの集団が通り過ぎたり,遺物の計測中にクマノミに攻撃されたりと,.....



今回の調査では,ダイビングポイントになっていない,通常は人が潜ることのないポイントにもエントリーしたのですが,そこでは魚が人なれしていないというのか,私たちが近づいてもすぐには逃げない,という光景も目にしました.


写真はウマズラのアップです.
私が遺物の写真を撮っているときに,近づいてきましたときのようすです.
邪魔なので,手ではらっても,ふたたび寄ってきました.


また,チョウチョウウオなどは,通常では近づくとすぐに逃げてしまうので,デジカメで撮ることは難しいのですが,これもなかなか逃げず,私のデジカメでも撮影することができました..

こんな坊津の海へ、今度はファンダイビングで潜ってみたいものです.

坊津での調査のようす [2008年11月28日(Fri)]
坊津での調査のようすです。


二人一組で、確認した遺物(碇石)の出土位置と大きさ・形状を記録しています。
[写真は、山本祐司氏撮影]


遺物(碇石)の確認(検出)状況の写真撮影をしています。


船上でのテレビ、新聞の取材のようすです。
調査員が遺物の沈んでいる海へ入るようすを記者の方々が取材しているところです。
坊津の調査で使ったもの [2008年11月23日(Sun)]
坊津の調査で使った器材は、潜水器材以外ですと、みつけた遺物(碇石や陶磁器類など)の記録をとるための道具です。
今回は、発掘はおこなわなかったので、掘る道具は使いませんでした。

記録をとるための道具は、測るための道具としてナイロンメジャーコンベックス水準器,位置をしめす道具としてピンポール耐水荷札などで、私たちがこれまで水中調査で使ってきたものです。
また、これらの道具は,水中調査専用の道具ではなく、普通に陸上の測量などで用いるものです。

これは、陸上の遺跡調査でも同じなのですが、発掘専用の道具というものはほとんどありません
今でこそ、発掘用に工夫された道具も商品として購入できるようになりましたが、発掘調査に携わる多くのひとは、普通に購入できる道具を各自が使いやすいように加工したりして使っています

水中でも同じです。
さすがに、記録記載用の紙類は、耐水用のものをついかますが、多くは陸上用のものの転用品です。
ただし、とくに海での使用後には、水洗いなどの十分なメンテナンスは必要でです。

そのなかで、今回の調査では、遺物の位置をしめす道具として、ピンポールのほかに、梱包用に使うエアキャップ−プチプチのことです−を使ってみました
エアーキャップを幅10cm、長さ1mぐらいに切り、その先端に固定用の竹箸をつけたものです。
透明だとわかりにくいので、赤色のものを使いました。


写真は、作っているところで、携帯しやすいように丸めています。

それを水中にもってゆき、遺物をみつけたら、目印として近くにつけました。

結果として、非常に有効でした
それまでは、ピンポールを使っていたのですが、かさばり、多くなるとそれなりの重量にもなり、水中での持ち運びに難点がありました。
その点、エアーキャップは、小さくまとめることができ、さらに軽いので,扱いやすかったですね。
よく目立ちもし、3日間水中に置きましたが、若干エアー抜けがあったほかは、問題はありませんでした。
ただし、浮力があるので、持ち損ねると浮かしてしまうという難点はありましたが。

このように、発掘の道具というのは、水中に限らず、陸上でも工夫しています。

ちなみに、このエアキャップの利用は、宮武理事の発案でした。
坊津の調査を終えて [2008年11月22日(Sat)]
お知らせしたように、坊津の調査では予想以上の成果を得ることができました
たくさんの遺物(碇石や陶磁器類など)を海底で目にしました。



遺跡全体の評価は、今後のより詳細な調査が必要ですが、海況も安定しており、透明度も抜群ですので、「海底遺跡ミュージアム構想」の有力な候補地のひとつと考えています。
夏には、海底を見せるグラスボートも就航しているので、これを使えば船上からの見学も可能です。

また、調査対象となった坊浦を臨む場所には、坊津の歴史・民俗資料を展示している「南さつま市坊津歴史資料センター・輝津館(きしんかん)」があり、周辺には旧跡・史跡も多くあります
地形的にもリアス式海岸という、海に山が入り組んだ風光明媚な町です。
海域は、スキューバダイビングのフィールドとしても開放されています



写真は、名勝「双剣岩(そうけんいわ)」です。

こんな坊津で、近い将来、「海底遺跡見学」を開催してみたいですね
坊津の調査が終了しました [2008年11月18日(Tue)]
坊津の調査が、事故も無く無事に終わりました。
最終日の昨日は、地元の新聞社とテレビ局の取材もあり、忙しい一日でした。

調査では、複数の碇石(いかりいし)が発見されるなど、これまで文献資料でしか語られることの無かった坊津の近世以前のようすを示す具体的な資料が得られたと考えています。


写真は,林原利明撮影.

調査成果の検討は、これからですが、今後につながる調査だったとも考えています。

今回の調査では、多くの方々にご協力をいただきました
ラ・ホンバの皆さん、寺田屋旅館の皆さん、漁協の皆さん、輝津館の皆さん、そして、坊の皆さん、ありがとうございました。
鹿児島県 坊津海底文化財調査 [2008年11月16日(Sun)]
先日、お知らせしました鹿児島県坊津での海底文化財調査が始まりました
今日で、3日目です。
調査は、順調に進み、成果もでています。
昨日は雨が降りましたが、今日は晴れています。

鹿児島県・坊津で潜水調査をおこないます [2008年11月13日(Thu)]
明日、14日(金)から17日(月)の予定で、鹿児島県南さつま市・坊津(ぼうのつ)で、水中文化遺産のデータベース情報収集のための潜水調査をおこないます

坊津は、九州の南西部にある薩摩半島の南西端付近に位置する古代から海上交通の要所として栄えた港です。
中世には、安濃津(現在の三重県津市)、博多津(現在の福岡市)と並ぶ主要港として「日本三津」とも称されていました。
海岸や海底から中国陶磁器が採集されており、清代の中国船が沈んでいるとの話も伝わっています



このように、歴史的に評価されている地であるにもかかわらず、これまでに、海底の本格的な調査はおこなわれていません。

今回の調査は、遺物がどのように分布しているのかを把握するための、潜水目視調査です。

透明度も良好であることから、「海底遺跡ミュージアム」の有力な候補地です。
調査成果にはおおいに期待しています。

調査の成果は、このブログでお知らせします。
滋賀県・塩津港遺跡 [2008年11月12日(Wed)]
昨日、滋賀県西浅井町の塩津港遺跡から、平安時代後期(12世紀)に作られたとみられる木造神像5体が出土したという新聞報道がありました(滋賀県文化財保護協会調査)。
神像の出土は、国内2例目ですが、複数の出土例は初めてで、他に祭祀関係遺物も出土していることから、800年前の信仰の姿を今に伝える「貴重な発見」です。

塩津港遺跡(しおつこういせき)は、琵琶湖は最奥(北)部の湖岸にある遺跡で、畿内と北陸を結ぶ重要な物流拠点として港は、湖北三湊としても知られていた塩津港推定地と考えられている遺跡です。
遺跡のある塩津は、古くから、敦賀と琵琶湖を結ぶ「塩津街道」の基点として栄え、北陸から京阪へ運ばれる物資の多くは、塩津港(湊)から湖上経由で運ばれていたそうです.
その繁栄を物語るように、湖岸には須恵器、土師器、輸入陶磁器、国産陶磁器等の破片が大量に散布しているとのことです。



遺跡の詳細は,「滋賀県文化財学習シート・遺跡編」(http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/gakushu2/data/2225/index.html)に書かれていますの、興味がある方は見てください。

なお、遺跡の現地説明会が15日午後1時半からおこなわれるそうです。
ありがとうございます [2008年11月09日(Sun)]
CANPANのトップページ「おすすめブログ」に、「海底遺跡ミュージアム構想」が紹介されていました


うれしいですね。
これも、ブログにアクセスしてくれている皆さまのおかげです。

これからも「海底遺跡ミュージアム構想」や「水中考古学」に関する情報を発信して行きますので、よろしくお願いいたします。

今週末からは、鹿児島で、海底遺跡データベース作成に関連する海底遺跡調査をおこないます。
詳細などは、このブログでお伝えします。
Posted by T.Hayashibara at 11:06 | 近況 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
八丈島の異形羅漢像 [2008年11月06日(Thu)]
八丈島の八丈島歴史民俗資料館にマントを羽織った一風変わった形の羅漢像があります
木造南蛮風羅漢坐像と呼ばれ、東京都指定有形文化財に指定されています。

日本のものではなく、中国・明代の作で、中国国内や日本の長崎・盛岡に似たような像があるとのことです。

由来は、はっきりとはしていないのですが、元禄年間(1688〜1704年)に八丈島に漂着したものと伝えられていることから、漂着船の舳などに守護神として飾り付けられていたものではないかと考えられています。

由来のはっきりとしない資料ですが、当時の日中貿易(通交)を物語る貴重な資料といえます。

八丈島は、行政上は東京都に属しています(東京都八丈町)が、地理的には東京の中心地から約290km離れた南方海上に位置しています。
黒潮のまっただ中にあります。

江戸時代には、伊豆諸島や房総半島などに中国船漂着の記録が多く残っています。
これは、当時の日本の唯一の対外貿易港であった長崎を目指した中国船が、意に反して黒潮の本流に乗ってしまい、コントロール不能になった様をあらわしているといえます。

また、八丈島は江戸時代には流人の島でもありました。
流人のなかには、関ケ原の敗将宇喜多秀家のような知識人もいました。
このような人たちが、漂流船との交渉に活躍したそうです。







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